![]() | 埼玉県 古谷の古墳(川越市) |
川越市東部、川越線が荒川を渡る手前の古谷の地にも古墳があります。 ちょうど、伊佐沼(伊佐沼冒険の森)の南東側にあたる場所です。 どちらも神社古墳ですが、地域の人々の手で大事に残されているようすがわかるよい例ではないかと…。 |
![]() | 西側全景。伊佐沼の南端と川越養護学校のほぼ中間にある。後代に盛り土されていないとすれば、埼玉で低地にある古墳としては大きい方である。かつてはここにまで伊佐沼がせまっていたと言われる。 |
墳丘西側。斜面がきれいだが、道ができてしまっているせいか、ちょっと方墳っぽい。 | ![]() |
![]() | 墳丘東側。ここは古墳ではなく洪水時の避難所である「水塚(みづか)」ではないかと言われていたという。しかし、大正時代に直刀が出土した記録があったり、周辺からも埴輪(下げ美豆良の天冠男子、島田髷の女子など)・土器が発見されているので、古墳と認定して良さそうだ。 |
季節のせいもあるが、意外に社叢が薄く、このように北側背面からも社殿や墳丘がよく見える。周囲の眺望がある程度効かないと、洪水の時の見張りに役立たなかったのかもしれない。 | ![]() |
![]() | 墳丘正面南西部は各種石碑と祠の展示場のようになっている。この右側に畳より大きな説明板がある。それによると1351年に洪水を鎮めるためにここに赤城神社を勧請したという。古墳である可能性についても自信無さそうに触れていて、正直である。 |
伊佐沼近くからの遠望。中央の小高い森が古谷神社のある所。こんな所なので洪水の時には逃げ場を作っておかないと大変。現に付近には本物の水塚もいくつか残っている。 | ![]() |
![]() | 遠くの林は古谷神社。「分布調査報告書」では残っていることになっているのに見つからない。古谷神社の説明板でも「ここのすぐ南東五十米位の所に熊野神社を祀った塚がありました。その跡から埴輪、直刀、土器が出ていますし…」と過去形になっていたので消滅したようだ。 |
![]() | 釣り、バードウォッチング、春の花見、夏の花火大会などで知られる伊佐沼。実は埼玉でも最大級の天然の沼であることは意外に忘れられている。現代でこそこの範囲にとどまっているが、治水技術が未発達の昔は洪水のたびに大きさが変わったのだろう。 |