野良猫日記    June.2003       

 猫の背中には乗れないのだ→

小満  麦秋至る 6/04/2003 猫背

夜、名古屋から帰ってくると、ガリグロの出迎え。雑魚をやる。雨の為、餌皿の周りは、ナメクジで溢れている。

猫の背中には乗れない。ぐにゃぐにゃである。すぐ潰れてしまう。

芒種  麦の穂の満る頃、麦秋・蟷螂生ず 6/06/2003 回覧板

回覧板の中に、埼玉県動物指導センター川越支所から猫の飼い方なるパンフレットが差し込まれてあった。

野良猫の寿命は4年程度らしい。あまりに短い。友人の家猫は20年程生きた。

面白い記述があった。

転載▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

〇猫が寄りついて困っている場合

猫が庭や畑に入り込み、糞や尿をするのは周辺のどの場所よりも、猫のとって、とても快適な場所だからです。猫にとって快適な場所とは、「捜し歩かなくても、餌が簡単にもらえる」「番犬がいなくて、人の出入りが少ない静かで安全な場所である」「柔らかい土や砂、芝生などがあり、気持ち良く排便できる」などの条件が整ってる場所です。

〜猫をどうしても寄せ付けたくない場合には〜

・コーヒー粕を散布する ・どくだみ茶などの茶殻を散布する ・食用酢を散布する ・タバコの吸殻を水に浸し、その水を散布する ・蜜柑などのかんきつ類の皮をまく ・米のとぎはじめの濃い汁を毎日散布する ・市販の忌避剤を使用する ・たっぷりめの水をまく

効果が得られるとは限りませんが、以上に方法を試してください。

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芒種  蟷螂生ず 6/07/2003 シロ狸とガリグロ

車の上で、仲良く午睡。一番気持ちのいい場所を捜すのが、猫は上手。シロ狸の後右足は怪我で痛みからか少し浮かせている時があって、高いところに飛び乗れないと心配していたが、こんなところで寝ているのだから、どうやら生活には支障なく大丈夫そうだ。

芒種  蟷螂生ず 6/08/2003 梶川さん家の猫たち

梶川さんのおばあちゃんがいたので、クルミちゃんのことを聞いてみた。無事、家に戻ってきているそうだ。一安心。クルミちゃんによく似た三毛と赤鈴猫と、うちに来なくなった青鈴猫も見かけたので、梶川さんちのおばあちゃんに断って3匹の撮影。浮気なクルミちゃんは、いつも梶川さんちの家の周りでは見かけないので軟禁状態か?

でも、クルミちゃんの愛くるしい人懐っこさで誰にでも可愛がられる性格は、梶川さんちで、とても可愛がられて育てられたお陰なのだろう。他の猫も幸せ者だ。梶川さんとこの猫は、きちんと近所に迷惑がかからないよう去勢まで施しているようだ。今はこういう去勢を施した飼い方しか出来ないご時世なのだろう。良いことだか悪いことだか、人間同士もめる火種がここにはあるのだが、いずれにしても人間社会の人間中心の考え方には違いない。

芒種  蟷螂生ず 6/10/2003 赤青の2匹

赤鈴猫は常連だが、青鈴猫は一緒に来なくなったのは、どうしてだろうか?チビウシやボロジジがいた頃、みんなを蹴散らしたので、この2匹赤青鈴を僕が蹴散らしてから、青鈴猫が来なくなったのだ。見た目は同じでも、性格はまるで違うらしい。きょうもご覧のように、赤鈴猫は餌を食べてお帰りになる。

このところシロ狸は、朝は必ず来て、ガリグロと一緒に餌をお待ちのようだ。化け損ねた上に、足まで怪我して、傷の化膿が心配だが、今のところ大丈夫のようだ。きちんと栄養だけは取らせようと思い、最近はキャットフードの他に煮干やら雑魚やら猫缶やら、豪勢なのだ。

寅吉がやってきた。だれかスズメを獲って来たらしくて、羽が数枚散らばって、玄関マットの上で死んでいた。獲っただけなのだろう、食べた気配が無い。こんなことを時々する。でもスズメを獲る猫の姿は生々しく逞しい。

でもこのスズメの死体を見つけたら「ギャッ!」とまた家の女達は言うだろうなあ。

娘が帰ってきて、やっぱりギャッ。その後チビトラを見かけたが、玄関のスズメは消えていた。どなたか持って行ったらしい、影も形もなくなっている。どう推理するかね、コナン君?

芒種  腐草蛍となる 6/12/2003 シロ狸の怪我

雨がしとしとぴっちゃん。暦の上では6/11が入梅。そんな季節に本格的に入ったのだろうか?

シロ狸の左後ろ脚が腫れている。背中にも負傷の痕がある。野良猫は何らかの病気や負傷を抱え込みやすい。人間でいえば、浮浪者って感じ。やっぱり猫は、基本的に家で飼う生き物なのだろうか。

芒種  腐草蛍となる 6/13/2003 食事

まだ息がある小雀をガリグロが玩んでいた。ガリグロが獲ってきたのだろうが、食べることに関心が無いガリグロが放った小雀を、シロ狸がシッポからガリガリ音を立てて、僕の目の前で頭まで全部食べてしまった。食事とはこんなにも生々しく、命を奪い取ってしまう行為なのだと、改めて思わされた。

芒種  腐草蛍となる 6/14/2003 ふたたび回覧板のこと、もののあわれということ

回覧板の中に、埼玉県動物指導センター川越支所から猫の飼い方なるパンフレットが差し込まれてあった、ということは書いた。どうも、野良猫を嫌がってる近所の人がいるようで、今年の当番の真面目で大人しい奥さんに直接聞くと、このパンフレットをはさむように(名前は明かさなかったのですが)言ったようなのであります。ここ10世帯ほどのところにしか、挟まってなかったのでありまして、明らかにうちに対する匿名近所人の警告らしいのです。

このパンフレットは、野良猫に餌をやる人に責任ある態度を促すことがメインで、色々と書いてありました。

一番どうしていいのか解らなかったことは、餌をあげる人は、野良猫のトイレのしつけをしてくださいということ。野良猫は基本的に、自分の匂いや気配を消そうとするので、木から落としっ放しのサルや大雑把にしか土を掛けない犬と違って、しっかりうウンコやオシッコには、丁寧に土を掛けるという話もある。

方や作家の高橋克彦の書いてる文章に、家で飼ってる自分ちの猫のオシッコに悩まされたという話もある。掛けられたオシッコの匂いは一生消えないとまで書いている。冷蔵庫の配線も解けてしまって、壊れたらしい。そして凄いことは、家を壊されてしまったなんて書いてあったのだ。猫好きの高橋氏のユーモアなのだろうかと思うけど、本人はいたって真面目に書いている。それでも飼い続けているのだから、スサマジイ。ぼくは、家で飼うことに失敗しているので、ますます怖気づいてしまうのであります。

ガリグロは土の上にしているようだ。死んだボロジジは、茶畑の土の上にしていたが、たぶん除草剤がまかれてからだろう、道路にするようになって、ぼくはいつもスコップで砂や土を掛け、すくってうちの庭に埋めてきれいにしていた。土は浄化してくれるので、そのうち匂いも消えてしまう。

問題は、車の上に土足で乗ることと、泣き声に悩まされることだろう。争う泣き声は、お互いの優劣が決まれば、もうしない。一過性のものらしい。何度も同じ相手に会うたび、優劣を確かめるなんてしないし、無駄には争わない。問題は車を汚すことか。みんな高級車を舐めるようにピカピカにしている。うちは構わないでいるけど。

それにうちは、無責任に餌をやる人種に括り入れられているようなのである。どうも小金持ちになると、きれいな車、きれいなお庭…などと守るべきものがどんどん出来て、野良は身勝手な邪魔者になり下がるようだ。一緒に気にして考えるどころか、責任は一手に餌をやる人間にかかってくる、そんな勢いなのだ。

あと避妊、去勢の問題も、人間社会の中では火種になりそうだ。なんかでも、荒んでるなあ…。子供たちは、うちに来てナイーブな気持ちで、野良猫のことを心配したり、可愛がったり、喜んだりしていたのに。大人がみんな、通り一遍の正論という常識で押さえ込んでしまう。今の日本の荒れ具合の縮図を見る思いがする。

うちの餌を頼りに来る生きてる野良は、基本的にガリグロとシロ狸の2匹、あとはトラちゃん関係だけになってしまっている。みんな死んでしまった。どのように死んでいったのか、少しは想いをめぐらして欲しいものだ。

もののあわれ〜そんなことも近所の大人たちにもケツの穴おっぴろげて、感じて欲しいのであります。

仕組みがあるから生きるわけじゃない 勝手なルールを押しつけないでくれ こちらを向けと言われて背いても 人が人として息づいているんだ やるせなさも通わない世の中に いつまでも流されてなるものか 悲しみの河に今漕ぎ出よう(Life 作詞・作曲 吉田拓郎)

今後、もっと猫の事を知って、野良と近所と地域と付き合わなければならないだろうなぁ。でもこの近所の連中は、どうしてだかお互い挨拶を交わさない。いつも僕の方から頭を下げ、挨拶して初めてするって寸法なのだ。これも小金持ちの所為かぁ?

もう一度、田口ランディの言葉を思い出してしまった。

もし、タマちゃんが、何らかの理由で人間社会のルールから逸脱した行動をとった
とき、どうなるんだろうか。タマちゃんが川漁師の方の漁を邪魔したとか、タマちゃ
んが川遊びをしていた子供を襲ったとか、タマちゃんが川を流れていたバラバラ死体
の足を持ち去ったとか……。人間とは違う認識世界に生きているタマちゃんの野生が
発露したとき、タマちゃんはどうなるのかな。

 社会的な規範からちょっとでもズレたら、一般市民の暮らしに害や不利益をもたら
したら、熊や猪は撃ち殺されるし、犬や猫は保健所に連れ去られる。いまや人間だっ
て、行き場所を失う時代だ。

 個性的にキャラを立てて、かわいらしく、逸脱しないように、迷惑かけないように
してるとみんなから愛されるよ。と、タマちゃんを通してテレビが語りかけている。
ちくしょう、ざけんじゃねえ!と、なんだかむしょうに野生を露出したい気持ちにな
る。苦しくって、人間の着ぐるみを脱ぎたくなってくる。

芒種  腐草蛍となる 6/15/2003 夜中にギャー!赤鈴猫、寅吉?

夜中3時半頃、猫の喧嘩が始まってギャーギャー。唸るだけのハッタリのかまし合いで優劣がわからないのか、取っ組み合いもしている。ただせさえ風当たりが強いので、一過性の事だとはいえ、夜中なので外に出て様子を見に行った。ガリグロが塀に登っていた。シロ狸は乳母車で寝ている。トラ関係だろうと思ったが、僕の気配で姿がなくなっていた。

朝またギャーと言っていたので、玄関の様子を窓から覗いてみると、寅吉がいた。原因はこいつだった。赤鈴猫の明るい茶色の毛が路上に散らばっていた。寅吉と赤鈴猫の優劣の問題か?

餌を食べる時、「ヒャー!」と唸り寄せ付けないのは完全に最初から野良。チビトラがそうである。チビウシやボロジジやガリグロは、完全に捨て猫の元飼い猫。シロ狸もそうだと思うが、半ノラっぽい。最近は餌を食べてる時だけ触らせてくれる。「ヒャー!」と唸らない。

雨上がり、キャットフードをスズメが食べていた。それを猫が食べるという寸法。猫どもには一番身近な鳥なのであります。スズメどもは、キャットフードを食べると、水溜りで水浴びをしていたのでありました。

芒種  梅の実黄ばむ 6/16/2003 マルタの猫

きのう『マルタの猫』というドキュメンタリーを観る。マルタ島とはイタリアの足の先のサッカーボールのシチリア島の先の、蹴られてちょこっと飛んだ小石か砂埃のような島だ。淡路島の3分の2の面積だそうだ。

1606年、球技の喧嘩で殺人を犯しローマを逃れたカラヴァッジオはナポリを経、1607年聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の当時拠点であったマルタ島に移った。目的は聖ヨハネ大聖堂の絵画の仕事により、マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の騎士の称号を得るためだと言われているマルタ島だ。(■CARAVAGGIO June氏の追っかけサイト◆ マルタ島観戦記 より

そこで教会にも行かず、自分のご飯も忘れて、ノラ猫たちに、餌をやってる青年が印象的だった。両親は他界し、2人の姉達が、お金を送ってくれている。本人は働かない代わりに、毎日毎日猫に餌をやる。そのことをクレイジーという人もいれば、“猫のプリンス”と呼ぶ人もいる。

新美 敬子さん犬猫写真家)が作った番組なのだろうか? なんか救われたような気になった。調べると、毎日新聞のWEB版にこう紹介があった。

マルタ島好きがこうじて、NHKのBSハイビジョンで今月17日に放映される「マルタの猫」では撮影隊と地元の人々とのコーディーネートの役目も果たした。島に暮らす猫たちとそれをとりまく人間模様を温かく描き、「人はなぜ猫に惹かれるのかを追求した、心安らぐ番組になるはず、です」とお茶目に笑う。


人間、広がりや遊びや間のある膨らみのあるユーモアを持った知性を持たないとダメだなぁ…立川談志も言うように、人間はどんな生き物よりも“…のつもり”になってるバカかも知れないんだから。森毅が言う、これかあれかに加える第三項、遊び。そこに、一歩引いた遊びの空間。バカを遊ぶ、そんな知性が…。

そういえば、関係ないかもしれないけど、むかし椎名誠が「犬を見れば、その町の人間がわかる」なんて言ってた言葉を思い出した。

■Koshinのヨーロッパ探索記 マルタ島案内地図

■ヨーロッパの歴史風景(ヨーロッパ三昧 別館) キク氏のヨーロッパ三昧のサイト マルタ島の歴史

芒種  梅の実黄ばむ 6/17/2003 母子家庭

※そろそろ、梅干と梅酒を漬ける季節だなあ。店に、梅や赤紫蘇や氷砂糖なんかが並び始まった。去年自分で初めて漬けた梅酒は、まだ残っているのだ。意外と簡単、美味しい。梅の果肉のエキスが全部出てしまい、しわしわで皮と種だけになってしまっているので、梅の果肉を食べる楽しみがなくなってしまっている。

チビトラとトラ母を見かけた。また誰かが獲って、羽をみんな毟って放っぽり投げてある、蟻が集(たか)っているスズメを、チビトラは咥(くわ)えて持っていった。ああ…そういえば、蟻も肉食なのね。いつもの普通の蟻じゃなく、一番小さな蟻。

チビトラはいつものようにぽっこりの丸いお腹をしているが、トラ母はお腹が凹んでいる。トラ母はチビトラの食べ物を優先している姿を想像する。ああ、なんと涙ぐましい母子家庭。

梅雨に入ってからというもの、ガリグロとシロ狸は、うちの軒下を塒にはしていないようだ。どこか塒にするのに一番心地良い場所を見つけたに違いない。

赤鈴猫が夜、餌を狙って離れたところでじっとしている。目が光っていた。猫には少しの光でも集めて、夜でも見えるらしい。真っ暗ではやはり見えないとの事だが、大概、人里はなれたところや田舎では漆黒の闇に包まれるので、そんなところでは、月の明かりを集めるのだろうか?

芒種  梅の実黄ばむ 6/19/2003 無責任な飼い主?

■NPO『天使の心を守る会』のサイトに、

“…野生動物であったのならば、餌を与える必要はなく、自然の法則において淘汰され一定数に保たれるはずです。餌を与えられ飼養されていることは、野生動物ではありません。本来野生動物であるイノシシやタヌキまでも人間から餌を与えられなければ生きていけないように自然は破壊され、自然形態は乱れています。そして、現在野良猫と呼ばれている猫は、人間が捨てた子孫達であり、野生動物ではありません”

という記述があった。まったくその通りだろうと思うのだが、なんか極端で過激な挑戦的な文章だなあ。地域猫〜という考え方が、出てきているようなのだ。こうしないと、トラブルになる世の中になったということは、間違いないだろう。周りに猫がうじゃうじゃいても、気にならない僕は、確かに浮いている。近所には、猫が嫌いな人もいる。確かに、ここで生きるには、トラブルにならないように、餌を与える僕は、考え直さなければならないのだろう。ホントは、こんなとこに住みたくないのが本音だ。でも、餌をやってしまってるんだから、仕方が無いのだろう。むかしは、生まれた子猫をダンボールに入れて川に捨てていた人もいた事を思い出した。野良猫や野良犬が闊歩していた戦後の昭和でも、近所迷惑だと思ったのだろう。

地域猫のボランティアをやってる人の考え方は、正しいのだろう。でも全面的には、納得が行かない気持ちが残るのは、なぜだろう?猫を捨てる人間や餌を与える人間に対して、無責任、自分勝手という言葉が、どうしても出てくるのだが、ほんとにそれだけなのだろうか?

地域猫にするには、去勢・避妊手術をすることが前提になるようだ。その際、獣医にその猫の地域猫としての個体識別の為、耳に刺青をするそうだ。日本では野良猫を捕獲、処分している。すっかり、野良犬もいなくなった。そんな現実から、ボランティアの人たちの文章も、過激になるのだろうか?政治っぽいなあ…

猫も犬も、人間が管理すべき動物〜ペットだということだろう。

“猫嫌いな人にとっては、自分の庭でされる糞やマーキング行為によるカケションや発情期による鳴き声や喧嘩は迷惑な行為です。猫好きにとっても玄関先に糞があったり、マーキングによる尿のニオイは良いものではありません。”

僕はあまり気にならないけどなあ…。糞もスコップで砂を掛けすくって土に埋めちゃうし。まあ、気になる人もいるて迷惑がっているのだから、今はなるべくおとなしく、今うちをプライベート・エリアにしているガリグロとシロ狸が最低限死なない程度に、餌を玄関先にそっと目立たないように置くことにしよう。どうしても、“飼い主”としての自覚を促され、責任ある態度を示せと言われたら、去勢手術の責任はうちがすることになるんだろう。トラ組みも捕獲して、避妊・去勢手術も要求されてしまうのだろうか?

まったく餌を与えないか…ああ、めんどくさい、なんか事が大きくなってしまったなあ…ホントにこんなことでいいのだろうか?だんだん自分が、無責任で、身勝手な我侭な迷惑をかける人間として、責められているような心持ちになってくるのでありました。

でもホントに何が幸せなのか、地域猫も幸せなのか、嫌いなやつはどんなことしたって嫌いなんだろうから。僕にはよくわからないんだけどなぁ…もう少し考えてみよう。

芒種  梅の実黄ばむ 6/20/2003 ガリグロはホッとさせる猫である

年寄りのフレンチブルドックを飼ってる、クロ丸を自分の庭に埋めてくれた近所の奥さんが、ガリグロを触って、撫でてくれた。

ガリグロは向かいの土の剥き出しの駐車スペースでウンコをしていた。丁寧に穴を掘り、用が終わって、また土を丁寧にかけていた。

芒種  梅の実黄ばむ 6/21/2003 うちの軒下は、今心地好くないようだ

ガリグロもシロ狸も塒は他所にしているようだ。家の軒下組はいなくなった。向かいの家のカバーが掛かってある電動車椅子の上に、ガリグロがいることがある。隣の車の下で、シロ狸が寝そべって休んでる時がある。

夏至  乃東枯る 6/22/2003 平凡な一日

太陽が、もっとも南に上る日。一日の長さが最も長く日差しも1年で一番強い時期ということだ。下弦の月のようだが曇って見えず。

今日は、寅吉、チビトラ、赤鈴猫を見かける。ガリグロとシロ狸と、みんな変わりなし。シロ狸の傷は、酷くなっていないので、安心する。

夏至  乃東枯る 6/25/2003 このごろ

今日は、寅吉が来ていた。ガリグロが首の後ろの肩の辺りの毛が薄くなっている。皮膚病が転移したのか。軒下組なし。

夏至  菖蒲花咲く 6/28/2003 午後の快適な場所

シロ狸は、「お〜い」と呼ぶと、目を細め、「ニャー」。ガリグロの後を追いかけるように、一緒に午睡。

夏至  菖蒲花咲く 6/29/2003 守り神登場

夜、外に出ると、シロ狸とガリグロは一緒に遊んでいた。水を取り替えて、それを玄関先の茂みに捨てると、どさっと動くものがあった。よく観るとでっかい蛙だった。うちのやつは「蛙って、家の守り神なんだよ」と言う。娘は、風呂上りで裸だったのにもかかわらず、わざわざ服を着て、興味はあるが恐いらしく、一緒に外へ観に行った。

裸の妻を見て、家にも風呂上りのガマカエルいると僕が言うと、娘は「お母さんより、ガマガエルの方が可愛い」と追い討ちをかけるように、のたまうのでした。

カエルの目は、獲物の距離感を掴む為、前方に付いているのです。猫と人間と蛙は同じだなあ。確か、こんな陶器の置物ありましたな。

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