Mar.2003 居なくなる一週間前の元気なチビウシ、内田百閧ンたいに泣き暮らしはしないがやっぱり寂しい→ |
冷たい小雨が降っている。ガリグロは淋しそうだ。家族の声がすると鳴いて窓や玄関を引っ掻いたり、開けようとしたりが続いている。ぼくが出て行くと甘えてくる。シロは相変わらず留守がちだが、偶に乳母車の寝床に戻っていたりする。 |
快晴、強風注意報が役所からマイク放送で流れるほどの突風が吹くが、すぐ穏やかな午後になる。この風は春一番なのだろうか?子供の頃、小学校の帰りにこの風のぬくぬくした感じに春を感じたものだった。 ガリグロはここ2、3日隣の青い毛布の方へ寝床を移動している。チビウシに春というものを見せたかったなあ。 |
また冷たい雨。よくもこう交互に来るものだ。花粉症の人にはこの雨が助かるらしい。一雨ごとに春は近づいてくるのだろう。雨水とはよく言ったものだ。もうすぐ啓蟄だ。 猫どもは相変わらずだ。寝てばかりいるのでねこってほんとかなあ?寝子ってことなのか… |
今日は穏やかに晴れた。ぬくぬくした感じを猫たちも全身で感じてるだろう。 林檎をヒヨドリは食べに来る、それをガリグロは狙っているが、まったく無能のハンターだ。だから我が家に吹き寄せられるように辿り着いたのだろう。 |
チビトラが来ていた。まったくお腹ぽっこりで丸々している。相も変わらず健康そうだ。どこで鱈腹食べてるんだろうと思う。 表紙が和田誠の村松友視著『アブサン物語』を読む。チビウシとダブる。薀蓄には走らず、さらっと読めるエッセイである。個人的なアブサンへの追悼文のような文章だ。僕としては第7話の「外ネコ無情」がグッと来た。猿芸には生理的にダメらしく、“根切り”という儀式はショックだったらしい。“根切り”というものに対する考えが、村松という作家の資質が出てるんじゃないかと思う。 中央公論の若き編集者時代の交友の中に出てくる作家、アーチィスト達が垣間見えたのも面白かった。自宅に遊びに来た宴会組みは“クマさん”こと篠原勝之のコーディネートがあった。赤瀬川原平・南伸坊・糸井重里が常連だった。他に唐十郎の状況劇場の稽古場での宴会組みに、赤塚不二夫・山下洋輔…それに種村季弘なんて名前まであった。一癖も二癖もあるツワモノが名前を並べている。何故か女性がいない。 『アブサン物語』の影響で、銚子産の酸化してない割といい人間用の煮干を買ってきて、ガリグロにあげたら喜んで食べた。普段食べさせてないような風体で、あまりに急いで食べるので、喉につっかえて吐いてまた食べるなんてことしてる。よっぽど美味しかったのだろう。食べたあと、ご機嫌な顔して甘えてきた。 |
ガリグロは最近、青い毛布の上で寝る。 |
晴れ、風強し。トラ丸が来ていた。丸々としていた。茶畑の森は三分の一程ガリガリ削られ、がけを覆い尽くしていた木立は跡形もなくなってしまった。これが1年が10万年の速さだろう。ガリグロは落ち着きを戻してきた。痩せてはいないが、皮膚病はだいぶかかりそうだ。 唸り声が聞こえたので外を見てみるとガリグロが逃げていた。トラ母が我物顔に餌を食らってた。ガリグロのプライベート・エリアなのに、逃げるが勝ち。これじゃあどこへ行っても生き延びられないのじゃあなかろか。 ![]() |
晴れ。チビトラが来ていた。ガリグロを撫でてあげる。やっぱり猫はあったかい。悪戯に金玉を触った。抱っこしたが嫌がる。これは前からだ。生きてる中に、最近は死を見るようになる自分に気づく。これは猫に対する見方だけじゃあない。 |
晴れ、然程風も無い。チビトラとトラ母が別々にご来場。久しぶりに牛乳をあげた。ガリグロは牛乳が嫌いなのだ。クルミちゃんが来た。あんまりビッグでヘビー級で強いからもしかと思ってもう一度性別を調べたら女だったが、去勢したと聞いてるからたまたまが無いのだろうか? そんなクルミちゃんにあまりにも接近したのだろう、ガリグロが珍しくスピード溢れる右フックを連発した。さすが軽量級である。ガリグロの猫パンチの手にはクルミちゃんの下毛の短いのが大量に付いていた。ぼくが間に入ってるのでガリグロは油断したのだろう。いつもはさっさと距離をとるのに。 シロはあいもかわらず、ふらふらしている。 猫本一冊読む。絵本なのだが、猫のように人間が生きるのは至難の業なのだ。 |
クロ丸、クルミちゃん、車の上のガリグロ。クロ丸の顔が小さくなってると思ってたら、皮膚病で毛が抜けている。目もしょぼい感じ。クルミちゃんが傍にいるのを物ともせずに牛乳を飲んでいた。 路上では昼休みなのだろう、ガードマンの青年がぼーっと何を見るでもなく座り込んでいる。野良猫のようだ。僕もむかしはガードマンをやっていた。ふと昔の自分と重なって見えた。削っている崖っぷちはマンションの計画が書類の手続き上のミスで、一戸建てが27件建つそうだ。野良猫にとっては良かったのだろう。礫を積んだり土砂を積んだりして、10tトラックがバンバン往来している。おかげで道路の痛みが激しい。 赤鈴猫も来る。今日は猫たちの動きが活発だ。晴れ続きの所為だろうか?牛乳をまた置き始めた所為だろうか? |
くもり、午後になって小雨。クルミちゃんが来た。毛がサラサラになっていたので洗ってもらったのだろう。トラ母も来た。シロの塒は何処か他所に変わったらしい。赤鈴猫も頻繁に来る。 |
一日冷たい雨。上空は寒気が入って冷えてるんだろう。ガリグロは一匹になってしまって、つまらないのだろう。僕の声を聞きつけると、外で鳴く。かまってほしいようだ。べたべたと触ってあげる。太ったようだ。残った毛も、毛並みはいい、変な言い方だけど。それなりに健康を快復しているようだ。 |
ガリグロも車の上で、印象派のような気持ちのいい空をバックに、ごろんごろん。ついでにクルミちゃんもごろりんなのである。ぼくが出ると両者とも寄って来るが、あまり近づきすぎるとクルミちゃんは威嚇し、ガリグロは猫パンチを鼻面にフックを食らわせる。クルミちゃんの鼻の横から血が一滴出ていた。クルミちゃんは強いのにガリグロには手は出せなくなっているので、傷を負ってしまう。 今日から彼岸入り。 |
チビウシとボロジジは初彼岸だ。牡丹餅を買ってきて、猫どもには関係ないけど自分が食べたいので供えた。ついでに妻の中村家の位牌などもゆっくりと磨いた。確かに先祖達は生きていたのだ。まともに先祖のことなど考えたことも無かったが、墓参りに行く人の気持ちが今頃しっくり来るようになった。奥にくるくる丸めてあるのは似顔絵漫画家故中村伊助への友人代表として書いた山下紀一郎さんの弔辞だ。 彼岸については、このページのタイトル内のかわうそ@暦さんの『こよみページ』の季節のページ内の彼岸の項を読んでくだされ。昼と夜の長さとか、仏教のこと、農耕文化のことなどとの関係を簡潔に優しく短く書いてあります。はじめて牡丹餅と御萩の違いが解かって良かった。 |
どうもトラ猫のトラ母とチビトラが一緒に来ていた。それ以外に一匹トラ猫がいるようだ。柄と色がみんなほとんどおんなじ。尻尾が太く短い。寅吉と呼ぼう。大きさは母トラぐらい、チビトラはやっぱりそれよりはまだ小柄だ。 赤鈴猫、クルミちゃん、それに久しぶりにシロが来ていた。 |
クルミちゃん、それにクロ丸が来ていた。クロ丸をクルミちゃんは追い払った。クルミちゃんの名札には、「遊びにきたら家に帰してね」と書いてある。そう言えばうちで何年か前一冬居着いたときがあったので、それで書いたのだろう。その時はどこの猫だか名札も首輪も無かったので判らなかった。その時は、ただの牛猫だった。1ヶ月ほど姿を消し戻ってきた時は梶川さんも嬉しかっただろう。そんな姿が目に浮かぶ。 今日はクルミちゃんはうちの中まで入れてうろうろさせた。すぐ帰っていくので心配ないのだ。今日は毛がサラサラしていた。洗ってもらったのだろう。 |
クルミちゃんは毎日寄る。寅吉が来たがクルミちゃんに追い払われる。赤鈴猫も追い払われた。ガリグロは追い払わないが余り近くに寄らせないが、隙をついてガリグロはクルミちゃんのお尻の匂いをかごうとする。それにクロ丸が来ていた。クルミちゃんがいなくなってからクロ丸はガリグロにあげようとして、キャットフードの上にあけた猫缶を奪い、がっつくようにむしゃむしゃ全部食べてしまった。 顔や首のあたりが皮膚病でしわしわになっているが(もともと猫の頭の皮膚はこうなのだろうか?でも違うような気がするなあ)、食べっぷりからして元気は元気のようだ。でも目つきが恐くなってしまった。この形相じゃあ、誰にも可愛がられないだろう。可愛さのかけらも感じられないどころか、気持ち悪がられてしまうだろう。 |