24 「差別語」考

「北鮮」「南鮮」は差別語か

朝鮮の略称として「鮮」は差別語であるということは、朝鮮問題に関わる人の常識である。私もこの言葉を使わないように気を付けてきた。しかし何故それが差別語なのか、十分に納得できる説明をしてくれる人はいなかったし、本もなかった。何はともあれ差別語であるから使うな、の一点張りだったと思う。

 近年の論文でも『こぺる 170』(1992年2月)に金光哲氏の「『鮮人』の呼称について」があるが、「鮮」が差別語であることを当然の前提としているもので、なぜそれが「朝鮮蔑視と侮蔑的感情が内包されている語」なのかの説明はない。

 冷静に考えてみるに、それは「鮮」が差別語であるということの証明にこれまで成功していないということではないか。

 まずかつての植民地時代に朝鮮人自身が担った社会運動で、例えば「衡平社第六回全鮮定期大会」というポスター(下記の註)があるように、「鮮」は朝鮮の略称としてごく普通に使用されており、「鮮」を使うことにためらいは感じられない。

 『戦後の50年』(毎日新聞社)をみると、1959年に「『北鮮に帰すな!』在日韓国人大会」というキャプションの写真が載せられている。そこには「北鮮送還絶対反対」という横断幕をもってデモをする韓国人たちが写っている。

 また現在の在日朝鮮人自身(多くは一世であるが)の口からこの言葉が出てくる。私は「済州道というのは北鮮系が多いからなあ」とか「この前、北鮮にいる弟のとこ行ってきましたんや。北鮮というとこ、太っているのは金日成だけや」とか言う在日一世たちの言葉を聞いた。

あるいはまた「なぜ『北鮮』『南鮮』が差別語なのか。うちの親はしょっちゅう使っている。『朝鮮』こそが差別語だ」と言う二世がいた。

 傾向として、韓国系の人が北朝鮮を「北鮮」と呼ぶことが多いようだ。朝鮮人自身が「北鮮」を多用していることについて、彼らが深刻に議論したというのは聞いたことがない。

 また二世の被差別体験の話を聞いても、「朝鮮」とからかわれたという話ばっかりで、「鮮」という言葉で差別されたという話はなかった。あるいは「朝鮮」と言いかけてあわてて「韓国の方」と言い直す日本人が多いが、これは「朝鮮」が北朝鮮を意味することが多いだけでなく、相手の心を傷つける差別語ではないかと気づかってのことである。「うちを朝鮮や思うてバカにしてる」とか「なんや、あんた朝鮮やったんか」と言う時の「朝鮮」には、差別的な響きを否定できない。日本人でも朝鮮人でも「鮮」に差別的な語感を感じず、「朝鮮」の方に差別的な語感を感じる人が多いのではないかと思う。

 「朝鮮」の頭の「朝」という字を取り去って「鮮」と略称することが頭のないことを意味するもので、朝鮮への蔑視であるという説がある。しかし、古来二文字の国名の下の漢字でもって略称とする例は多い。例えば「百済」→「済」、「新羅」→「羅」であり、日本でも旧国名では「美濃」→「濃」、「吉備」→「備」などや、今の地名では「大阪」を「阪」と略称することが少なくない。頭の字を取り去ることは、頭のないことを意味するという説は、成り立たないものである。

 最近では、朝鮮史研究で著名な姜在彦氏はその著書『朝鮮儒教の二千年』(朝日選書2001年1月)のなかで、1392年に高麗が滅び朝鮮が建国された前後の時期を「麗末鮮初」と繰り返し書いておられる。朝鮮の略称としての「鮮」は決して奇異なものではない。

朝鮮の略称としての「鮮」が差別語であると主張する前に、そうであることの証明、および朝鮮人自身が「鮮」を使うことの理由と説明をはっきりさせるべきであろう。

 

(註) このポスターの実物の写真が金永大著『朝鮮の被差別民衆』(解放出版社1988)に掲載されている。ところがこの本の中味では、「全鮮定期大会」を「全国定期大会」と見出し・目次を含めて言い換えている。校正ミスではあり得ない。「全鮮」と「全国」ではその意味が全く違うものだ。これは妄言どころではなく、歴史の改竄である。翻訳者はどんな思いでこのようなことをしたのであろうか。読んで不思議な気がしたものである。

 

「京城」は差別語か

 1970年代だったと記憶するが、ある作家がその著作のなかで「京城」に「ソウル」というルビをふったところ、それは朝鮮人への差別であると糾弾されたことがあった。

 なぜ「京城」が差別語なのかというと、それまで朝鮮では首都を「京城」と呼ぶことはなかった、植民地支配の際に日本がこのような地名を強制した、今や北朝鮮も韓国も「ソウル」であるのに日本人が違う名称を使うというのは蔑視感の表れである、という論理であった。

 果たして、日韓併合以前に朝鮮人は自分の首都を「京城」(朝鮮語読みではキョンソン)と呼ばなかったというのは事実かどうか。

 手近にある本を捜して見ると、これは直ぐに見つかった。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、李氏朝鮮側に柳成竜という高官(日本の左大臣・太政大臣にあたる左議政・領議政)がいたが、彼はこの時のことを記録した『懲録』を著し、後世への戒めとした。この著作の中では、自国の首都について「京」「京師」「都城」とともに「京城」を頻繁に使っているのである。つまり、朝鮮人自身は「京城」を使わなかったというのは、歴史事実に反するものである。

 また中国では日韓併合以前から現在に至るまで、一貫して朝鮮の首都を「漢城」と呼んでいる。これは北朝鮮でも韓国でも使っていないものである。朝鮮人自身が使わない首都の呼び名を中国は今なお使っている。しかし北も南もこれに抗議したことはない。

 日本人が「京城」を使った場合にのみ、差別だと大騒ぎになる、ということである。

 

差別語糾弾の対象は日本のみなのか

 韓国では日本のことを「倭」と呼ぶ例が今なお非常に多い。日常会話でも「倭奴」(ウェノム 日本人の蔑称)はしょっちゅう出てくる。韓国語を日本語に翻訳された文で、「日本」の原語が「倭」である例は多い。

 「倭」は元来、背が低くて醜い様という意味があり、七世紀の『旧唐書』という中国の歴史書では、一説として日本は「倭」という国名を嫌って「日本」と自称したとある。朝鮮の歴史書『三国史記』では六七〇年に倭国が国名を日本に変えたとある。中国と朝鮮の歴史書に同様の記事があるということは、7世紀後半に「日本」の国名が成立したことが確実である。それ以来、日本は「倭」ではなく「日本」である。

 「倭」自体に差別的・侮蔑的な意味合いがあり、またこういった歴史的経緯をもつ「倭」を、古代史の中でなく現代日本の意味で使うのはいかがなものか。

 差別と闘う運動団体は、「鮮」や「京城」は差別語だから使うなと日本を糾弾したが、「倭」は差別語だから使うなと韓国にぶつけることはなかった。かつての植民地支配の加害者である日本人が被害者の朝鮮を「鮮」と使うことは差別であるが、その日本を朝鮮人が「倭」と呼ぶのは構わないということであろうか。差別語糾弾は、日本に対してのみ発せられるものなのか。いろんな疑問が出てくるものだ。

 

【追加資料】

 中国の遼寧省に「旺鮮村」という朝鮮族の村がある。この地名にある「鮮」は朝鮮の略である。これについての資料を引用・提示する。

 

(5) 遼寧省新賓満族自治県旺清門朝鮮族旺鮮村

 遼寧省の東北隅、吉林省との省境に接する盆地内に位置する農村。正式には「朝鮮族村」であるが、混住する漢族地区と区別するため「旺鮮村」「旺漢村」と呼び分けられている。

竹田旦『日韓祖先祭祀の比較研究』(第一書房 200011月)232

 

中国の朝鮮族では、朝鮮の略称としての「鮮」が差別語と認識されていないことは明らかである。

2005917日記)

 

【追記】

 在日一世のお年寄りが同胞どうしで喋る会話は、日本語と朝鮮語が混ざるものとなります。このことについて有名な言語学者がこれを「ポンセン語」と呼んだらどうかと提唱しています。

 

私は二〇年ほど前、名古屋駅の待合室で数人の中年女性が、日本語と朝鮮語をまぜあわせながら、楽しそうに談笑したのを聞いたことがあり、大変感銘を受けました。何という自由な話しかただろうと。私は、このようなことばを、ニッポン語とチョーセン語とのかけ合わせという意味で、ポンセン語と呼んではどうかと思い、朝鮮語のできる学生に、このような会話を記述して、どういうところがまじるかを研究してみたらとすすめました。しかし、このように、文法構造が似た言葉どうしの研究は、かえってむずかしいところがあるのです。

 ポンセン語は、しかし、絶え間なくその発生と生存をおびやかされつづけているので、短命に終わるのではないかと思います。‥‥

田中克彦『クレオール語と日本語』(岩波書店 1999年10月)53〜54頁

 

 これは確かに研究対象としては興味深いものです。しかしここで注目すべきは、「チョーセン」の略称が「セン」となっていることです。

 「朝鮮」の略称としての「鮮」が差別語だと長年のあいだ指弾されてきました。これを出版社やマスコミは受け入れてきたはずです。
 ところが近年の岩波書店のこの本で、「チョーセン」の略称としての「セン」が堂々と出ているのです。本論(第24題)で朝日新聞社の出版物で「朝鮮」の略称の「鮮」が使われていることを指摘しましたが、岩波も同類ということです。
 何故これが出てきたかを考えるべきでしょう。岩波・朝日ですらこのような表現が出てくるのですから、もともとこの言葉が「差別語」であるとする考え方そのものに無理があったと言えるのではないでしょうか。

2005年10月22日記)

【参考】

第62題 「京城」は差別語ではない

第79題 全外教の歴史誤解と怠慢

 

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