75題 出生届を出さない親

 

朴容福さんという活動家が標題のような極端なことを自ら実践していると報告している。戸籍や国籍を考える上で興味深いので紹介したい。なお引用にあたっては子供の名前の一部を伏字にした。

 

 「‥私の可愛い娘である沙×ちゃんの問題であります。沙×ちゃんの問題とは何か?‥

 1985年に国際婦人年を契機に施行されることになった新国籍法は、両系血統主義を採用することになり‥‥そこにこそニッポン国家の深慮遠謀があったというべきか、この選択に至るにはまず出生届に日本国籍者の「姓」をもってしか受理されないという大きな陥穽がありました。私の場合であれば、彼女が高橋、日本国籍の在日ですので、「高橋沙×」と記載しなければ受理されないという事態になったわけです。

 私は出生届を受理しないという役所とさんざんやり合いましたが、国籍、戸籍法は磐石そのもの、なんとしても穴のあけようがありません。外国人登録法のようなズブズブの法律とは訳が違うものでありました。名前というもの、朴という名前というものにたいする執着は、私の生き方そのものでありました。この名前ゆえの体験や心情というものが、いやおうもなく、私の生き方にかぶさっています。にもかかわらず制度は私が出生届に書いた「朴沙×」を自らの手で消して、「高橋沙×」に書き改めよ、というわけです。どうして、はい、そうですかといって従うことができるでしょう。まして1989年といえば、まだ指紋拒否闘争の余燼さめやらぬ時期にあり、私自身がまだその渦中にありました。「名前を改めよ」という行政の言葉は、そのまま「指紋を押せ」という言葉として私の耳に響いてきました。まさに余人にあらず、指紋拒否の闘いにどっぷり漬かった私の耳にですよ。たかが指紋、されど指紋の闘いで、いったいどれだけの人々が苦痛を強いられてきたか、どれほどたっぷりと涙を流してきたかを私は知っている。そうであれば1989年、まだしもその渦中にあった私が、「朝鮮名を改めよ」という行政の言葉に従うはずがないではないか。冗談じゃない!その勢いとはずみでつい私は「ならば私は出生届は今後、自己管理する」と宣言してしまったわけです。

 さてそれからはや9年。沙×の出生届はいまだに私の家の箪笥のなかに色褪せたまま眠ったままです。当然のこと沙×には国籍も戸籍もなにひとつありません。完全無欠の自由、ドピーカンの青空のもとですくすくと沙×は育っております。ただ完全無欠の自由というのは、時に非常に不自由なもので、なにしろ存在を証明するものがなにひとつ無いという状態は、確かに何かと多くの不都合がある。最大のものはパスポート取得の問題、そして保険や補助金等の問題となにかにつけ付きまとってくる。その都度「わが沙×は幽霊にあらず、実在する人間なり」と大声を張り上げても、どうにかなる問題とどうにもならない問題がある。どこで意を決して、社会的に存在するために最低必要なものとして、住民票というものをちからづくで作成することにした。ですから今は国籍、戸籍はありませんが住民票だけが、まるで幽霊のような沙×を証明しているという不思議な状態になっています。‥‥」

朴容福「外国人登録法とその周辺―指紋押捺拒否闘争に関わり続けて」

(新幹社『コリアン・マイノリティ研究2』19996月 911頁)

 

 在日活動家が日本人女性と結婚して子供ができた時、自分の朝鮮姓にこだわって出生届を出さなかった事例は、洪大杓「わが家の教育雑記帳」(新幹社『ほるもん文化920009月)にもある。

日本の役所に出生届を出さなければ、日本政府は子供の出生を証明できず、親は本国にも出生届を出すことができない(下記註)。両政府とも出生の事実が把握できていないのだから、親は誰であるか等といった身分関係の証明が難しいし、国籍証明もできない。昔風に言えば橋の下で拾ってきた子供と同じである。

 彼は朝鮮姓にこだわって届けを出さないと主張している。しかし本国への出生届は当然ながら母の日本姓ではなく、父の朝鮮姓で受け付け、子供は韓国の父の戸籍に入籍される。すなわち彼がこの手続きをとっていれば、本国政府は韓国籍を有する朝鮮姓の子供を証明できたのである。

 彼は日本に対する闘いのみに関心があって、本国のことを忘れているとしか言いようがない。おそらく婚姻届も本国に提出していないのではないだろうか。こういった活動家が民族について語るのだからビックリする。

 「親の執念、子の迷惑」という諺があるが、ここは迷惑どころか人権侵害と言うべきだろう。しかし他人の家族のことなんかはどうでもいい。

私にとっては、このような極端な事例が戸籍や国籍の重要性について説明するのに便利な資料となるだけである。

 

 参考論考 第33題 「二重国籍」考

 

(註)

 日本国内で発生した出生という事実を証明するのは日本の政府機関である。日本の医師や助産婦が発行する出産証明は、本国では通用しない。従って日本の役所に出生届を出して、そこで証明書を作成してもらってから本国に出生届を出すことになる。

なお外国政府のなかには日本政府の証明書のみ認めて、地方自治体のものは認めないところがあるので注意を要する。

 

(追記)

朴さんの文章の続きをもう少し引用します。

同じような境遇にある同胞から、『一旦、日本の戸籍に入れた後に、家裁の許可で独立戸籍を作成して、朝鮮の姓にすることができる』と忠告がありました。知恵としてはそうだろうけど、ニッポン国の裁判所に審査許可されて『朝鮮姓』を得るということが気にくわない。開かない門ならこじあけて押し入る、開けよとわめき続けるというのが私のスタイルだから、この意地は今後もしばらく続くだろうと思います。」(12頁)

 彼は子供に朝鮮姓を与えたいのではなく、日本に対して闘争したいというのが本音のようです。

(2月18日記)

 

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