95題 ()『在日コリアンの歴史』の間違い

 

(公安調査庁)

本表第二復員局調査のもの」(54頁上段の表のキャプション)

公安調査庁が発表した数字によれば、終戦当時における朝鮮人軍人は、陸軍中将2人、少将1人、大佐2人、佐官約25人、尉官・見習士官約200人‥‥‥公安調査庁上の表のような数字を発表しています。」(54頁1〜8行目)

 

 「本表」「上の表」というのは「朝鮮人陸海軍軍人軍属復員状況表」である。教科書はこれを調査・発表したのが前者では「第二復員局」、後者では「公安調査庁」とする。

 この表を作成したのは、一体どっちなのか。この矛盾は同一ページ内にあるにもかかわらず、気付かないとはどういうことなのだろうか。

そもそも破壊活動防止法に基づいて1952年に設置された公安調査庁が、7年前の旧軍隊の軍人軍属数を調査するのであろうか。常識からかけ離れた記述である。

 

 

(負の遺産)

在日コリアンが日本に居住するようになったのは、日本の植民支配における負の遺産です。しかし在日コリアンの問題は、戦後日本社会のなかで、その歴史に由来する正しい位置づけがなされているとは言いがたい」(55頁9〜12行目)

 

 戦後の在日コリアンは犯罪率が高く、また生活保護率も高かった。だから日本政府や日本人は在日が「負の遺産」であると認識していたのはその通りである。

 しかし日本は在日の由来の歴史を認識していたからこそ、法律上疑義があるにもかかわらず、在日に生活保護を適用し、最低限の生活を保障したのである。

教科書は自分たちが「負の遺産」と自認するのなら、その具体的な内容を記述して、自らの「正しい位置づけ」をすべきであろう。

 

 

(帰国しなかった理由)

19463月当時、在日朝鮮人総数約64万人のうち、そのほぼ8割にあたる514千人余りの帰国希望者たちが、帰国を控えるようになったのはなぜでしょうか。そこには二つの理由がありました。

終戦直後の在日朝鮮人は『解放即独立』と思い、民族解放のよろこびに湧き立ちました。ところがしだいに祖国の情勢を知るにつれて、しばらく『状況をみる』という心情に様変わりします。これがひとつの理由でした。

‥‥もう一つの理由は、通貨1000円、荷物250ポンド以上の持ち帰りが禁止されたことです。」(66頁6行目〜67頁1行目)

 

 これについては、終戦直後における在朝日本人の帰国状況と比較すると分かりやすい。

当時朝鮮半島にいた日本人は日本に帰国するにあたって、同じように通貨1000円、荷物は1個50sが2個までの制限があった。つまり在朝日本人も在日朝鮮人も、帰国にあたっては同様の制限があったのである。なお250ポンドは約112sであるから、在日朝鮮人の帰国の方がやや有利であった。

さらに日本は空襲で多くの都市が壊滅し、社会基盤が破壊されていた。一方の朝鮮は空襲をほとんど受けたことがなく、社会基盤は残っていた。従って終戦時においては日本列島より朝鮮半島の方がはるかに有利な状況であった。しかも教科書によれば、それまで朝鮮で生産された米は日本に「収奪」されてきた(39頁)のであるから、解放されて「収奪」は止んだはずである。

以上のような事情であったにもかかわらず、在朝日本人はほぼすべてが帰国したのに対し、在日朝鮮人は7割が帰国し、残りの3割は帰国しなかった。それどころか、一旦帰国した朝鮮人がまた日本に舞い戻る事例が多数あったのである。

在日朝鮮人が帰国しなかったことについて、教科書の説明にある二つの理由は果たして成り立つのであろうか。

 

 

(朝鮮人学校閉鎖)

ところがGHQと日本政府は、このような民族教育を、日本の学校教育法を無視した「治安問題」としてとらえ、ついには1948年1月24日、文部省学校教育局長は、各都道府県知事に「朝鮮人学校の取り扱いについて」を通達しました。その主旨は、日本の学校教育法にもとづかない民族学校を認めてはならないというものでした。

この結果、民族学校の自主的運営を守ろうとする在日朝鮮人と、それを閉鎖しようとする日本当局との間に、各地で衝突が起こりました。」(70814行目)

 

それまでの公教育は朝鮮人と日本人とは差別することのない混合教育であった。終戦半年後の1946年になると、朝鮮人の生徒だけを別教室に集めて、朝鮮人連盟による「民族教育」が行なわれた。これが「朝鮮人学校」である。教科書は「民族学校」と呼んでいるが、用語として不正確である。

この学校は日本の教育に関する法律から逸脱するものであったが、当時は終戦後の混乱と「解放民族」とされた朝鮮人の取り扱い方が定まらなかった影響もあって、容認された。

当学校では、日本の教員免許を持たない朝鮮人教師が教壇に立って朝鮮語などを教えた。しかし教室や運動場のほとんどは日本の学校のものである。従ってそれは物理的に日本の学校に依拠したのであり、「自主的運営」からは程遠いものであった。

つまり、法律に基づかない「民族教育」が日本の公教育の場で行われるという事態だったのである。GHQや政府が「朝鮮人学校の閉鎖」を命じたのは、このような状況による。

教科書は日本がこれを「治安問題」としたと批判するが、違法状態を取り締まる当局と「衝突」が繰り返されたのであるから、この批判は当を得ていない。

 

 

(帰化)

「(帰化は)外国人が日本国籍を取得することで、日本独自の言い方帰化要件は厳しく、5年以上日本に住んでいること、素行が善良であること、生計を営むことができること、日本語の読み書きができることなどのほか、思想まで確認されるといわれる。」(74頁最下段の註)

 

 「帰化」は韓国の国籍法にもある言葉で、「日本独自の言い方」は間違いである。

日本の帰化の要件に「日本語の読み書き」の定めはない。従って帰化の意思を確認できるだけの日本語能力さえあれば、帰化は可能である。また「思想の確認」は全くあり得ない。どんな思想を持っていても、法やルールを守ろうとする意思さえあれば関係のないことである。従って以上は根拠のない噂にしか過ぎない。

 なお帰化における居住や素行・生計要件は法に定められているもので、内容は教科書の通りである。それらは社会一般常識的に生活することと同じであるから、在日は普通にしていればクリアすることが簡単である。ところが教科書はこれを「厳しい」というのであるから、執筆者たち自身の生活がどのようなものなのか、言い換えれば社会一般常識からどれほど掛け離れているのかを想像できる。

 

 

(日本国籍の剥奪)

これによって本人も知らないうちに、一夜にして旧植民地の朝鮮人や台湾人の『日本国籍』が剥奪されてしまったのです。」(74頁9〜10行目)

在日朝鮮人にとって日本の敗戦は、カイロ宣言にみられるように、祖国の解放を意味するものでした。したがって、解放を迎えた人々のよろこびは爆発的なものでした。在日朝鮮人も例外ではありませんでした。」(64頁4〜7行目)

終戦直後の在日朝鮮人は『解放即独立』と思い、民族解放のよろこびに湧き立ちました。」(66頁10〜11行目)

 

 1952年のサンフランシスコ平和条約発効に伴い、日本が独立国家として出発した際に、在日朝鮮人は日本国籍から離脱することになった。教科書ではこれを、「本人も知らないうちに」行なわれた「剥奪」とする。

 しかし1948年には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が建国されており、両国とも在日朝鮮人はすべて自国の国民であることを言明していた。一方の在日朝鮮人も解放直後から「解放を迎えた人々の喜びは爆発的」で、自分たちがもはや敗戦国の日本人ではないと主張した。当時は被占領国民である日本人よりも独立国家国民である外国人の方が地位が高いとされた時代である。1952年になって、在日が「本人の知らないうちに」日本人でなくなったということは全くあり得ないことである。

また在日朝鮮人が日本国籍を離脱したのは朝鮮が解放・独立したことと同一の意味であり、だからこそ「民族解放のよろこびに湧き立った」のである。従って日本国籍離脱を「剥奪」と表現することは自国の解放・独立を否定し、植民地支配を引きずるものとなる。教科書はそういう見解を打ち出しているのであるが、矛盾を感じないのであろうか。

 

 

(在日コリアンは日本人)

在日コリアンは、旧植民地時代に『日本人』として日本に移住してきた者およびその子孫たちです」(782425行目)

 

 教科書は、朝鮮人が植民地時代に日本国籍=日本人であったことを主張している。しかし彼らの祖国である韓国および北朝鮮はそのような見解ではない。それは1910年の日韓併合条約は不法不当なものであり、最初から無効である、だから植民地時代の朝鮮人が日本国籍を有していたことはなかった、というものである。

一方の日本は、併合条約は合法正当であり、従って当時の朝鮮人は日本国籍を有していたという見解である。

教科書は当時の朝鮮人が「日本人」であったことを強調し、戦後に「日本国籍を剥奪された」ことを繰り返しているが、これはすなわち、併合を不法不当とする祖国側の見解に反し、合法正当とする日本側の立場に立っていることになる。

教科書作成者たちは矛盾と思わないのだろうか。

 

 

(出入国管理令と出入国管理局)

出入国管理令とともに、195010月には、外務省の外局として出入国管理庁を設け」(80頁最終行〜811行目)

 

 「出入国管理庁」の設置は50年10月で間違いないが、「出入国管理令」は1951年10月制定公布、11月施行である。「出入国管理庁」がこの法令の施行と同時に改称して「入国管理庁」となった。教科書は「出入国管理庁」と「入国管理庁」を混同しているのである。

この間違いは勉強不足としか言いようがない。

 

 

(GHQと退去強制)

 「GHQが出入国管理令に反対した背景には、退去強制をめぐって日本政府との見解の対立があったからです。GHQの見解は、戦前から引き続き日本に在留している朝鮮人や台湾人に退去強制を適用することは納得できないというものでした。」(81頁5〜8行目)

 

 1950年10月の出入国管理庁発足後1952年4月の平和条約までの間に、朝鮮人の退去強制は3,633人。このうち以前より日本に在留していた朝鮮人は445人(他は不法入国者)。7回にわたって韓国に送還された。この送還にはGHQが介在したので、韓国政府はすべて受け入れた。韓国が送還受け入れを拒否したのは、GHQがいなくなった平和条約以降のことである。

 GHQが朝鮮人や台湾人に退去強制を適用することに反対したというのは、考えられないことである。

 

 

(単一民族論)

日本政府が独立回復と同時に制定した、外国人登録法および出入国管理令に一貫している思想は、『単一民族論』を基礎としていて、異質の人には『同化』か『追放(退去強制)』かの二者択一を迫る外国人管理体制でした。」(811316行目)

 

 1952年の独立回復時に、「外国人登録法」「出入国管理令」は「制定」されていない。このときは、それまでの「外国人登録令」(1947年制定)が「外国人登録法」として施行され、「出入国管理令」(1951年制定)がその名前のまま法律として施行されたのである。教科書にある「独立回復と同時に制定」は間違いである、

ところで、外国人登録法や出入国管理令はどこをどう読んでも「単一民族論」を匂わすものはない。法律を順守しようとしない人に対しては追放(退去強制)はあるが、異質な人を追放しようとするものではない。日本社会は法律やルールを守る限り異質な人でも寛容である。だから日本の外国人管理体制は異質な人ではなく、法を守ろうとしない人に対して「法を守る」のかそれとも「追放」かの二者択一を迫る、というものである。

また在日の祖国である韓国や北朝鮮は、単一民族性が世界に類例のないほどに強く、また在日に対しては同族であるにもかかわらず異質な者として厳しい感情をぶつける国である。この祖国の実態から目をそむける教科書作成者たちの感性はいかがなものであろうか。

 

 

(協定永住)

したがって、協定永住の対象者が「大韓民国国民」となっていても、在日コリアンは、外国人登録上の「韓国」「朝鮮」の別なくいずれも協定永住の対象となったのです。」(851315行目)

 

韓国政府は1950年1月16日付け国務院告示「国号および一部地方名と地図色の使用に関する件」において、「わが国の正式国号は『大韓民国』である。しかし、使用の便宜上『大韓』または『韓国』という略称を使用することができるが、北韓傀儡政権との確然たる区別をするために『朝鮮』を使用してはならない。」として、「朝鮮」の呼称を禁止した。同政府はこれを自国民判定する際にも適用したので、協定永住の対象者は「韓国」籍に限られることになった。

「『韓国』『朝鮮』の別なくいずれも協定永住の対象となった」とする教科書の記述は祖国の政策に反するもので、間違いである。「朝鮮」籍の者が協定永住をとろうとしたら、「韓国」籍に変更せねばならなかったのである。

 

 

(無業者61%)

在日コリアンは日本人以上に定職がなく、そのほとんどがまさに『貧困と放浪』の生活でした。

当時の在日コリアンの職業について、日本の公安当局が調査した統計を表にしました。‥‥業種とその業種別の比率に注目して下さい。1952年の在日コリアンの全人口が535803人、そのうち61%を占める人たちが無業者になっています。」(80頁4〜9行目)

 

 これを調査した「公安当局」というは、警察なのか公安調査庁なのか。そもそもこのような調査は法務省か総理府の仕事であって、公安当局がするものではない。この常識はずれの間違いは、何か意図的なものがあるのだろうか。

 次に「無業者61%」という数字を出してビックリするような印象を与えているが、無業者には子供、女性、老人および生活保護者がほとんどを占める。1950年の国勢調査の数字では、在日朝鮮人46万4277人中、14歳以下の子供は19万6467人(42.3%)、15歳以上59歳以下の女性は9万8497人(21.2%)、60歳以上の老人は8934人(1.9%)。戦後の混乱が続くなかでの調査であるから数字には正確さに欠けるが、おおよその傾向は分かる。14歳以下の子供と60歳以上の老人、および女性を合わせた人口の割合は65.4%となる。

 また1952年の在日朝鮮人の生活保護者数は7万6673人で、14%である。しかし生活保護は一定の住居がないといけないので、教科書のいう「放浪」生活ではない。

 在日朝鮮人の貧困と放浪を強調するために「無業者61%」の数字を持ち出したと思われるが、意味のあることではない。

 

 

(生活保護)

(北朝鮮帰国事業の)第一次船は同年(1959年)1214日に出港しいったん中断したが、84年の第186次船までに9万3000人以上が北朝鮮に渡っている。当時、多数の在日コリアン被生活保護者(約13万人)による財政圧迫という事情が日本側にあり」(84頁コラム5〜7行目)

 

 在日朝鮮人の生活保護人員数の推移は次の通りである。

 

1951年           62,496

1952年           76,673

1953年          107,634

1954年          129,020

1955年          138,972

1956年           89,761

1957年           81,631

1958年        81,000

1959年        87,000

1960年           78,800(人)

 

  北朝鮮帰還が始まった1959年12月は約8万人と推定できる。教科書の「13万人」という記述は間違いである。   

 

 

(日韓条約@)

協定永住権者は‥‥『全ての外国人に同様に適用される日本国の法令の適用を受けることが確認される』(5条)とクギをさされ、就職差別や国民健康保険以外の社会保障における差別は、まったく是正されませんでした。」(901315行目)

 

クギをさしたのは日韓条約であるから、祖国=韓国政府も同罪ということになる。また差別の是正がなされなかったことについても、祖国も同様に責任があるということになる。しかし教科書は「日本政府には植民地支配や同化政策に対する反省が欠如している」(同頁9行目)と日本を非難するのみである。さらに教科書は、在日自身が日韓条約締結時に自分たちの社会保障に関心を持たなかった事実に触れない。

 

 

(日韓条約A)

(1)   日本政府は、在日韓国人の補償問題を、『完全かつ最終的に解決』に含まれると解して、日本国内の戦後補償立法からは在日韓国人を国籍条項により排除し続けました。」(92頁下段コラム1〜3行目)

(2)   韓国政府は‥‥韓日請求権協定の『完全かつ最終的に解決』の例外であるとの理由で、在日韓国人は補償対象から除外されてしまったのです。」(93頁1〜13行目)

(3)   在日韓国人の戦後補償が、韓日請求権協定の『完全かつ最終的に解決』に含まれるのか否かについては、現在まで韓日両政府の解釈は対立したままですし、仲介による解決も試みられていません。」(92頁下段コラム1517行目)

 

(1)および(2)では、在日を含むすべての韓国人の補償問題については条約により解決したので、これからは日本ではなく韓国側が処理すべきものと合意された、そして韓国側はこの処理において自国民のうち在日を除外する政策をとった、という経過であったこと示している。

ところが(3)では、この問題が「韓日両政府の解釈は対立」とある。これは韓国が条約を締結して解決済としたのに、その後に解釈を変えて日本との対立を惹起させたということになる。

教科書は、祖国がこのような常識外れをしていると記述している。にもかかわらず、教科書は日本への非難に終始しているのである。

 

 

(民族教育と同化教育)

(1)   (日韓条約では)教育に関する妥当な考慮についても、協定永住許可者が日本の公立の小学校または中学校へ入学することを希望する場合には、入学が認められるような必要な措置をとり、中学校を卒業した場合には、上級学校への入学資格を認めるとするにとどまり(合意議事録)、民族教育が保障されるものとはなりませんでした。」(901620行目)

(2)   日本政府の本音は、在日コリアンを日本の学校に入学させ、日本人への同化教育をすることにあったのです。」(91頁1〜3行目)

(3)   日本人学校では、日本人と同じ内容の教育を行うことにより、在日コリアンの子弟の日本人への同化政策が進められてきたのです。」(92頁7〜9行目)

 

在日子弟の教育は父母自身が主体的に判断して、日本の学校に行かせるか、民族学校に行かせるか、それとも祖国に留学させるかの選択をすべきものである。

日本学校は当然のことながら日本語で授業を行ない、日本の文化や歴史、地理などを教える。つまり日本人としての育成教育を施すところである。そして日韓条約は(1)にある通り、在日韓国人がこの日本学校へ入学することの権利を認めるものであった。

日本学校に入学させるのであれば、日本人と同じ内容の教育を受けるのは当然である。これを「同化教育」というのならその通りであり、何も悪いことではない。在日の父母たちも、それを承知の上で日本学校に入学させるのである。

在日の民族教育の保障は祖国政府がすべき仕事であって、日本政府がすべきことではない。教科書はこの常識が通用しない。

 

 

(在日の教員採用問題)

これによって梁さんは、採用されることになりましたがこれは、外国人は講師としては採用するが、校長や教頭にはなれないという、昇進に課題を残した内容でした。」(1081617行目)

 

 校長や教頭といえば、学校に日の丸を掲げ、教員たちに君が代を大きな声で歌うよう指導せねばならない立場である。教科書は、外国人である在日がそのような職に就けないことを「課題を残した」という。矛盾を感じないのであろうか。

 

 

(国籍と民族)

(1)   人の国籍と民族性は必ずしも一致しません」(112頁左1行目)

(2)   韓国・朝鮮籍という民族的差異を維持したまま」(1231213行目)

 

 (1)のように国籍と民族が一致しないとするなら、(2)のように国籍がそのまま民族的差異となることはあり得ない。教科書は(1)では〔国籍≠民族〕、(2)では〔国籍=民族〕と矛盾しているのである。国籍と民族について、その場その場で都合のいいように見解を変えているわけだが、ご都合主義の教科書というのは致命的であろう。

 

 

(族譜)

韓国には、自分のルーツを確認する族譜(チョッポ)というものがあります。ごく当たり前のことですが、自分の存在の上には、アボジ(お父さん)、オモニ(お母さん)がいて、その上にはハラボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)が4人いるわけです。さらに、ハラボジとハルモニの上には8人いて、さらにその上には16人いる。それを30代以上にわたってさかのぼり、記録していったものが族譜です。これをみると、自分の上には何千何万もの人々がそびえ立っていることがわかります。」(1241117行目)

 

 1代ごとに二倍の人数になるから、2代で四人、3代で八人、4代で十六人‥‥30代前は2の30乗で、10億を越す数字となる。ところが教科書は「何千何万」という余りにも桁違いの小さい数字を出している。教科書は計算ができないのか、それとも読者が計算できないと思ったのか。

 ところで族譜は父系親族の系譜で、男子中心に記録される。女性は母親や娘までが載せられるが、名前が無い。族譜は厳しい男尊女卑の産物である。だからこそ30代もの系譜が「何千何万」の人数で済むのである。

この族譜については、尹学準『オンドル夜話』(中公新書 昭和58年)に次のように説明されている。
族譜がない家門は自動的に常民に転落するのだが、常民は兵役の義務を負うなどさまざまな差別を受けねばならない。だから常民たちは両班(ヤンパン)に加わろうとして多大な金品をかけるのである。官職を買ったり、族譜を偽造したりするのだが、最も一般的な方法としては、名家の族譜が編纂されるときにその譜籍に加えてもらうことだ。“ヤンパンを売る”とか“族譜を売る”という言葉があるが、それはこのような買い手があるからだ。
 だから族譜の編纂期(三、四十年ごとに改纂される)は、ヤンパン一門のボスたちにとってまたとないかき入れどきでもある。」(73頁)

族譜の内実はこんなもので、系譜が売買されるのである。だからこそ「濁譜(タッポ)」「犬族譜(ケージョッポ)」などと韓国人自身からも揶揄される。それは日本の家系図と同様で、信頼性に欠けるところが多いのである。

教科書は族譜を「自分のルーツを確認する」ものとしているが、歴史を扱う教科書としてはいかがなものであろうか。

 

 

(ディアスポラ)

ディアスポラ(Diaspora』という言葉があり、これはなんらかの理由で祖国を奪われた異国の地で、その逆境を跳ね返しながら新しい文化を創っていく人たちのことです。在日コリアンはまさにこの『ディアスポラ』であり」(125頁7〜10行目)

 

 在日コリアンは、朝鮮半島に建国された大韓民国あるいは朝鮮民主主義人民共和国に所属する国民である。彼らはこれら祖国との関係を断たれていない。だから彼らは祖国にいつでも帰ることができるし、祖国からパスポートの発給を受けて世界旅行することができる。その際に大事件や大災害に遭遇しても、祖国政府が保護に乗り出すことになっている。ゆえに在日が「祖国を奪われた」というのは間違いである。

在日コリアンは「ディアスポラ」ではない

 

 

(『歴史教科書 在日コリアンの歴史』関係者)

『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(明石書店 20062月)の間違いを指摘してきた。私一人で検証してみても、その数はかなりなものである。この本が「教科書」と称されることに対して甚だ疑問を感じざるを得ない。教科書関係者らの研究レベルは、いかがなものなのであろうか。

この教科書の執筆者と編集者は下記の通りである。

 

執筆者: 姜在彦、姜徳相、金敬得、朴一、姜誠、鄭大聲     

 

編 集:『歴史教科書 在日コリアンの歴史』作成委員会

     李英秀、姜在彦、姜徳相、金敬得、朴一、姜誠

     余玉善、高桂煥、尹大辰、金容海、孫成吉、鄭炳采

 

本稿は http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai の続きです。

 

 

(参考)

この教科書の作成委員会「座長」は朴一氏である。彼については下記のコメントがあるので、参考にされたい。

朴一さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/14/364473

 

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