「とも動物病院の日常  ジュン」


 「変ですよね、先生。」
確かに、
その犬の歩き方はおかしかった。
近所のお肉屋さんで飼われているジュンは、
何処にでもいる柴犬ほどの大きさの雑種の犬だった。
「ジュンはいくつだっけ。
十七歳か。
市から表彰されたんだっけ。」
ともさんは腕組みをしながら言った。
「パイよ、
お前どう思う。」
僕は首をひねって答えた。
「右前肢の挙上と跛行ですか。」
ともさんは、
口のはしで軽く笑うと面白そうな声で言った。
「そうだ、
ジュンは右の前足をあげて、
残りの三本の足だけで歩いているわけだ。」
「趾間膿皮症とか爪の折損とか・・・・。」
ともさんは僕に最後まで言わせなかった。
「症状は突然現れたんでしたよね。」
「そうです。
ほんの十分ほど目を離したすきにですよ。
ジュンの奴最近はすっかり呆けちまって、
一日中同じ所をぐるぐる回ってばかりいるんです。」
飼い主さんは少し早口に、
犬にじっと視線を向けたまま答えた。
不安そうではあるものの、
しっかりした口調は飼い主さんの意志の強さと、
犬への深い同情心を伺わせた。
「軽くジュンを抱いていてください。」
ともさんは飼い主さんにそういうと、
そっとジュンの右前足を手に取った。
「指のまたにも爪にも異常は無し。
そら、
あった。」
ともさんの太い指の先には、
小さな草の実がつままれていた。
なんのことはない。
ジュンの跛行の原因は、
趾間膿皮症でも爪の折損でもなく、
肉球と指の間に挟まった、
小さな草の実だったのだ。
ともさんが立ち上がり飼い主さんが手を離すと、
ジュンは何事もなかったかのように、
時計回りにぐるぐると歩き始めた。
もちろん跛行はない。
「先生ありがとうございました。
ジュン良かったな。」
ジュンは尻尾を振るでもなく、
表情を変えるでもなくただひたすら円を描いて歩き続けていたが、
飼い主さんは本当に嬉しそうに顔をほころばせると、
ともさんに礼を言った。
ともさんもにこにこしながら軽く手を振った。

「ともさん。
お金もらわなかったでしょ。」
飼い主さんが帰った後、
暗い声で僕は言った。
「えっ。」
「今月の支払いきついですよ。」
本当にため息が出た。
「パイよ、
すまん。」
いつものように、
ともさんは手を合わせて僕に向かい合掌した。
「僕が傘地蔵だったら良かったんですけどね。
拝んでも何も出ませんよ。」
「パイよ。
相変わらずきついね。
タンタンメン大盛りでおごるからさ。」
ともさんは叱られた子供のような顔で言った。
「それじゃ、
行きましょ。」
我ながら笑いがひきつってるのが分かったが、
僕はとりあえず笑顔で答えたのだった。
 その冬、
とも動物病院は、
存亡の危機にさらされていたのであった。