'07-11-24 版 |
年代 | できごと |
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1949年 |
米国友愛会奉仕団(AFSC)により行なわれる。 |
1953年 |
のちのFIWC関西委員会設立の母体となる。 |
1956年 |
フレンズ国際ワークキャンプの名で関西を含む4委員会が結成される。 |
1959年 |
お手伝いキャンプからの思想的自立、AFSCからの独立を模索。 |
1960年 |
経済的自立を模索するとともに、後の交流の家建設に結び付く活動。 |
1961年 |
吹田仰光会の火災被災者支援。 |
1962年 |
ワークキャンプを行なう。 |
1963年 |
「誰でも泊まれる家」建設発案。 9月 大倭紫陽花邑の矢追日聖氏に建設用地を快諾頂く。 |
1964年 |
8月 1日大倭紫陽花邑で「おむすびの家」起工式。 地元の反対を受け、取り敢えず建設用宿舎「いもがゆ」を造る。 |
1965年 |
8月 中国地方へ啓蒙キャラバン派遣。 |
1966年 |
8月 夏キャンプでブロック積み完了。東北地方へ啓蒙キャラバン派遣。 |
1967年 |
6月 交流の家講演会(光岡良二氏他)。 7月 駿河療養所キャンプ、交流の家が7月30日竣工。 8月 九州四国地方へ啓蒙キャラバン派遣。 10月 全国のライ療養所を訪問(ライ園工作隊)し、開所を案内。 |
1968年 |
6月 愛生園盲人楽団「青い鳥楽団」演奏会を主催。 10月 大阪府里帰りで、長島愛生園・光明園入園者が交流の家宿泊。 |
1969年 |
8月 大阪城公園の反博「らいの家」で入園者の葉書を展示。 長島愛生園で入園者を巻き込み、「むすび祭」を開催。 |
1970年 |
11月 長島愛生園40周年記念の、紅白歌合戦に参加。 |
1971年 |
8月 「長島邑久光明園」で光愛道路建設の長期キャンプ。 |
1972年 |
9月 「交流の家」で非暴力セミナー開催。 |
1973年 |
8月 大倭を訪問した呉済天牧師の縁で、韓国ライ定着村での 「日韓合同キャンプ」を実施(以後継続)。 |
1974年 |
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1975年 |
8月 再度青松園キャンプ。事務的進行に不満。 12月 毎日文化ホールにてFIWC20周年記念講演−革命・反革命・不革命−。 |
1976年 |
5月 毎週末・山崎水上隣保館で溝つくりキャンプ。 |
1977年 |
5月 毎週末のキャンプで、交流の家に降りる道をアスファルト舗装。 6月 東京九段会館大ホールにて、家竣工10周年記念公演。 光岡良二、鶴見俊輔講演、加藤登紀子うた。鈴木重雄氏を描いた本の出版。 7月 大倭で竣工10周年記念まつり。広島委主催で大島青松園キャンプ。 10月 交流の家で全国患者協議会主催の囲碁大会。 |
1978年 |
5月 開所十周年記念のオリテ・リユニオンキャンプ。蛙声庵前池の護岸補強。 8月 青松園・光明園の夏まつりに参加。 |
1979年 |
7月 大島青松園で広島委主催のキャンプ。土運び等。 |
1980年 |
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1981年 |
7月 大島青松園で広島・北九州と合同キャンプ。溝掘り等。 8月 光明園の夏まつりに屋台を出店(以後毎年参加)。 10月 管理人の飯河四郎同志社大学のチャペルにて講演。 |
1982年 |
10月 飯河四郎花園大学にて講演「ライと天皇制」。 |
1983年 |
4月 長島愛生園森春樹さんの出版記念祝賀会開催。 |
1984年 |
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1985年 |
4月 高槻エンゼル幼稚園でOB主体のキャンプ。 6月 ディスカッションキャンプ(韓国キャンプとライ)。 |
1986年 |
12月 鹿屋敬愛園の患者さん達とハワイモロカイ島のライコロニィ訪問。 |
1987年 |
歴史を振り返る討論と、家の補修キャンプ、宴会を実施。 |
1988年 |
10月 飯河四郎氏入院による梨貴氏の管理人辞意を受け、 今後の運営について話し合う。 12月 管理人住居を改築。 |
1989年 |
5月 農業生産法人ふえろう村塾にてオリエンテーションキャンプ。 9月 交流の家建設の提唱者柴時則之氏が急逝。 10月 雑草舎との交流はじまる(三田で山小屋作り)。 |
1990年 |
6月 長らく管理人をして頂いた飯河四郎氏が 26日未明に逝去。 12月 長島愛生園訪問。交流の家の年末大掃除キャンプ。 |
1991年 |
4月 相沢真氏が管理人を辞退。 6月 飯河四郎氏一周忌で追悼コンサート。 10月 交流の家の電話がカード式になる。 |
1992年 |
4月 「囲碁将棋大会」療養所選手の高齢化により、20回目を潮時に終了。 11月 交流の家と飯河氏の面倒を永く見ていた福田努氏が逝去。 |
1993年 |
7月 飯河梨貴氏東京に転居。 多摩全生園にライ資料館できる。 10月 交流の家運営委員会発足。 蛙声庵に大橋瑠利子さんが住まれ、交流の家の管理をみて頂く。 |
1994年 |
8月 FIWCの運動形態を創った平山久氏が逝去。 11月 フィリピンのらいコロニィ「タラ村」で、初のフィリピンキャンプ。 |
1995年 |
9月 FIWC 35年誌発刊。 |
1996年 |
3月 「らい予防法廃止法」が成立。 5月 FIWC あじさい通信発刊。愛生園青い鳥楽団長 近藤宏一氏の寄稿を掲載。 8月 長島愛生園、邑久光明園の夏祭に、チンドン屋・夜店出展。 11月 大阪御堂会館にてらい予防法廃止記念フォーラム開催。 |
1997年 |
6月 関東委員会主催の 予防法廃止1周年記念フォーラムが東京九段会館にて開催。 11月 「むすびの家」物語が 25日岩波書店より発刊。 同日、交流の家初代管理人の飯河梨貴氏が東京にて逝去。 |
1998年 |
10月 5年間家の面倒を見ていただいた大橋さんが引っ越される。 11月 光明園園長の牧野さんが大倭で講演。FIWCも活動を報告。 12月 松本モトさんが蛙声庵に定住。 |
1999年 |
7月 長島愛生園、8月 邑久光明園の夏祭に、チンドン屋・夜店出展。 9月 今年もSCIと合同でバングラデシュでキャンプを行なう。 11月 SCI主催の台湾大震災(集集大地震)救援ワークキャンプに参加。 12月 年末キャンプでホール天井の張り替え、床のワックスがけを行なう。 |
2000年 |
9月 今年もSCIと合同でバングラデシュでキャンプを行なう。 |
2001年 |
4月 大倭のかあさん(矢追鈴月さん)帰幽。 10月 結純子さんによるひとり芝居「地面の底がぬけたんです」を中山文甫会館で開催。 |
2004年 |
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2005年 |
10月 30日中山文甫会館で法人理事会・総会を開催し、原田僚太郎より中国キャンプを報告。参加20名。 |
2006年 |
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2007年 |
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