交流の家年表

'07-11-24 版

  •  1960年代  交流の家の建設期
  •  1970年代  飯河夫妻管理人として定住前期
  •  1980年代  飯河夫妻管理人として定住後期
  •  1990年代  委員会運営期

  • 年表
    年代 できごと
    1949年(昭和24)   国内最初の国際ワークキャンプ「広島の家」建設が、
     米国友愛会奉仕団(AFSC)により行なわれる。
    1953年(昭和28)   AFSCが滋賀県で水害地救援キャンプを実施。
     のちのFIWC関西委員会設立の母体となる。
    1956年(昭和31)   AFSCのワークキャンプに参加した日本人キャンパーにより、
     フレンズ国際ワークキャンプの名で関西を含む4委員会が結成される。
    1959年(昭和34)   矢田での国際キャンプを被差別部落を隠そうとする勢力のため放棄。
      お手伝いキャンプからの思想的自立、AFSCからの独立を模索。

    1960年(昭和35)   宝塚の女子授産施設「希望の家」建設キャンプ。
     経済的自立を模索するとともに、後の交流の家建設に結び付く活動。
    1961年(昭和36)   FIWC関西委員会他委員会とともにAFSCから独立。
      吹田仰光会の火災被災者支援。
    1962年(昭和37)   奈良の大倭紫陽花邑で安宿苑(養護施設)の敷地整地の
     ワークキャンプを行なう。
    1963年(昭和38) 6月 鶴見教授からライ回復者宿泊拒否の話を聞いた柴地ら
     「誰でも泊まれる家」建設発案。
    9月 大倭紫陽花邑の矢追日聖氏に建設用地を快諾頂く。
    1964年(昭和39) 3月 春季ロングキャンプで「おむすびの家」建設地造成。
    8月 1日大倭紫陽花邑で「おむすびの家」起工式。
     地元の反対を受け、取り敢えず建設用宿舎「いもがゆ」を造る。
    1965年(昭和40) 5月 調停成立により鉄筋2階建て「交流の家」として再建に着手。
    8月 中国地方へ啓蒙キャラバン派遣。
    1966年(昭和41) 3月 春キャンプで内装工事、ブロック壁積み。
    8月 夏キャンプでブロック積み完了。東北地方へ啓蒙キャラバン派遣。
    1967年(昭和42) 3月 春キャンプで内装工事、壁のモルタル塗り。
    6月 交流の家講演会(光岡良二氏他)。
    7月 駿河療養所キャンプ、交流の家が7月30日竣工。
    8月 九州四国地方へ啓蒙キャラバン派遣。
    10月 全国のライ療養所を訪問(ライ園工作隊)し、開所を案内。
    1968年(昭和43) 3月 飯河梨貴氏が、交流の家管理人として定住。
    6月 愛生園盲人楽団「青い鳥楽団」演奏会を主催。
    10月 大阪府里帰りで、長島愛生園・光明園入園者が交流の家宿泊。
    1969年(昭和44) 4月 愛生・光明入園者と学生との「囲碁将棋大会」開催。以後毎年実施。
    8月 大阪城公園の反博「らいの家」で入園者の葉書を展示。
     長島愛生園で入園者を巻き込み、「むすび祭」を開催。

    1970年(昭和45) 6月 関学を振り出しに、映画「厚い壁」上映運動を展開。
    11月 長島愛生園40周年記念の、紅白歌合戦に参加。
    1971年(昭和46) 5月 「交流の家」建設用宿舎「いもがゆ亭」解体。
    8月 「長島邑久光明園」で光愛道路建設の長期キャンプ。
    1972年(昭和47) 8月 「長島愛生園」で光愛道路補修キャンプ。夏祭り。
    9月 「交流の家」で非暴力セミナー開催。
    1973年(昭和48) 4月 長島愛生園回復者の鈴木重雄氏が、故郷唐桑町長選挙で善戦。
    8月 大倭を訪問した呉済天牧師の縁で、韓国ライ定着村での
      「日韓合同キャンプ」を実施(以後継続)。
    1974年(昭和49) 11月 外部から講師を招き、月一回の「交流塾」を開催。
    1975年(昭和50) 3月 大島青松園で広島委他と合同キャンプ。盲導柵ペンキ剥がし等。
    8月 再度青松園キャンプ。事務的進行に不満。
    12月 毎日文化ホールにてFIWC20周年記念講演−革命・反革命・不革命−。
    1976年(昭和51) 3月 大島青松園で広島・北九州と合同キャンプ。盲導柵ペンキ塗り替え等。
    5月 毎週末・山崎水上隣保館で溝つくりキャンプ。
    1977年(昭和52) 3月 多摩全生園で春キャンプ。
    5月 毎週末のキャンプで、交流の家に降りる道をアスファルト舗装。
    6月 東京九段会館大ホールにて、家竣工10周年記念公演。
     光岡良二、鶴見俊輔講演、加藤登紀子うた。鈴木重雄氏を描いた本の出版。
    7月 大倭で竣工10周年記念まつり。広島委主催で大島青松園キャンプ。
    10月 交流の家で全国患者協議会主催の囲碁大会。
    1978年(昭和53) 3月 邑久光明園で春キャンプ(桜植樹)。
    5月 開所十周年記念のオリテ・リユニオンキャンプ。蛙声庵前池の護岸補強。
    8月 青松園・光明園の夏まつりに参加。
    1979年(昭和54) 5月 山崎の大阪水上隣保館でオリテキャンプ。
    7月 大島青松園で広島委主催のキャンプ。土運び等。

    1980年(昭和55) 7月 大島青松園で広島・北九州と合同キャンプ。溝掘り等。
    1981年(昭和56) 2月 韓国学生の日本招請が実現。合同キャンプ実施と療養所の訪問。
    7月 大島青松園で広島・北九州と合同キャンプ。溝掘り等。
    8月 光明園の夏まつりに屋台を出店(以後毎年参加)。
    10月 管理人の飯河四郎同志社大学のチャペルにて講演。
    1982年(昭和57) 3月 委員長就職するも後継者なく、FIWCの委員長制崩壊。
    10月 飯河四郎花園大学にて講演「ライと天皇制」。
    1983年(昭和58) 2月 韓国の学生が来日。交流の家でベランダ手すり塗装のキャンプ。
    4月 長島愛生園森春樹さんの出版記念祝賀会開催。
    1984年(昭和59) 12月 韓国の学生を招き山崎水上隣保館でキャンプ。交流の家に止宿。
    1985年(昭和60) 4月 山崎水上隣保館で桜バザーのボランティア(以後毎年手伝い)。
    4月 高槻エンゼル幼稚園でOB主体のキャンプ。
    6月 ディスカッションキャンプ(韓国キャンプとライ)。
    1986年(昭和61) 8月 忠光農園の韓国版交流の家(ノナエチプ) 着工。
    12月 鹿屋敬愛園の患者さん達とハワイモロカイ島のライコロニィ訪問。 
    1987年(昭和62) 11月 交流の家20周年 FIWC35周年を記念し、各世代集りリユニオン開催。
     歴史を振り返る討論と、家の補修キャンプ、宴会を実施。
    1988年(昭和63) 8月 韓国版交流の家「ノナエチプ」が完成
    10月 飯河四郎氏入院による梨貴氏の管理人辞意を受け、
     今後の運営について話し合う。
    12月 管理人住居を改築。 
    1989年(平成元) 1月 相沢真氏(キャンパー)が管理人引き受けを申し出る。
    5月 農業生産法人ふえろう村塾にてオリエンテーションキャンプ。
    9月 交流の家建設の提唱者柴時則之氏が急逝。
    10月 雑草舎との交流はじまる(三田で山小屋作り)。

    1990年(平成2) 3月 北九州委員会菊地恵楓園にて盲導柵ペンキ塗りキャンプ。
    6月 長らく管理人をして頂いた飯河四郎氏が 26日未明に逝去
    12月 長島愛生園訪問。交流の家の年末大掃除キャンプ。
    1991年(平成3) 2月 飯河四郎氏誕生日に併せ、 追悼文集「おじさんありがとう」発行
    4月 相沢真氏が管理人を辞退。
    6月 飯河四郎氏一周忌で追悼コンサート。
    10月 交流の家の電話がカード式になる。
    1992年(平成4) 3月 ホールに、車椅子用のスロープを設置。
    4月 「囲碁将棋大会」療養所選手の高齢化により、20回目を潮時に終了。
    11月 交流の家と飯河氏の面倒を永く見ていた福田努氏が逝去。
    1993年(平成5) 6月 飯河氏他家関係者の追悼コンサートに、トロチェフ氏鶴見俊輔氏来所。
    7月 飯河梨貴氏東京に転居。
       多摩全生園にライ資料館できる。
    10月 交流の家運営委員会発足。
      蛙声庵に大橋瑠利子さんが住まれ、交流の家の管理をみて頂く。
    1994年(平成6) 5月 堺の養護施設「東光学園」でペンキ塗りのオリテキャンプ。
    8月 FIWCの運動形態を創った平山久氏が逝去。
    11月 フィリピンのらいコロニィ「タラ村」で、初のフィリピンキャンプ。
    1995年(平成7) 1月  阪神大震災救援キャンプ支援委員会を設置。
    9月 FIWC 35年誌発刊。
    1996年(平成8) 2月  大倭紫陽花邑の矢追日聖法主が2月9日夕逝去。
    3月  「らい予防法廃止法」が成立。
    5月 FIWC あじさい通信発刊。愛生園青い鳥楽団長 近藤宏一氏の寄稿を掲載。
    8月  長島愛生園、邑久光明園の夏祭に、チンドン屋・夜店出展。
    11月 大阪御堂会館にてらい予防法廃止記念フォーラム開催。
    1997年(平成9) 5月 大分県耶馬渓にて、 農業キャンプを行なう。
    6月 関東委員会主催の 予防法廃止1周年記念フォーラムが東京九段会館にて開催。
    11月 「むすびの家」物語が 25日岩波書店より発刊。
       同日、交流の家初代管理人の飯河梨貴氏が東京にて逝去。
    1998年(平成10) 9月 SCIと合同でバングラデシュでキャンプを行なう。
    10月 5年間家の面倒を見ていただいた大橋さんが引っ越される。
    11月 光明園園長の牧野さんが大倭で講演。FIWCも活動を報告。
    12月 松本モトさんが蛙声庵に定住。
    1999年(平成11) 5月 須川浩和が交流の家に定住。家の面倒を見る。
    7月 長島愛生園、8月 邑久光明園の夏祭に、チンドン屋・夜店出展。
    9月 今年もSCIと合同でバングラデシュでキャンプを行なう。
    11月 SCI主催の台湾大震災(集集大地震)救援ワークキャンプに参加。
    12月 年末キャンプでホール天井の張り替え、床のワックスがけを行なう。
    2000年(平成12) 8月 今年も長島愛生園でチンドン屋興行。
    9月 今年もSCIと合同でバングラデシュでキャンプを行なう。
    2001年(平成13) 1月 ワークキャンプ仲間菊地豊氏の追悼会を催す。  写真集は福島氏撮影。
    4月 大倭のかあさん(矢追鈴月さん)帰幽。
    10月  結純子さんによるひとり芝居「地面の底がぬけたんです」を中山文甫会館で開催。
    2004年(平成16) 4月 NPO法人の認可を取得。設立登記を行う。
    2005年(平成17) 6月 26日中山文甫会館で「世代を超えて〜キャンパーをつなぐ会〜を」開催。参加57名。
    10月 30日中山文甫会館で法人理事会・総会を開催し、原田僚太郎より中国キャンプを報告。参加20名。
    2006年(平成18) 6月 18日大阪府立中央図書館で結 純子 ひとり芝居「地面の底がぬけたんです」を開催。参加者約300名。
    2007年(平成19) 7月 28日交流の家で「交流の家竣工40周年の集い」を開催。


     今後ともデータを収集し、順次充実してゆきます。



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