Last updated, Jul. 20.'05 |
6月26日(日)午前11時より、中山文甫会館でFIWC関西委員会とNPO法人むすびの家主催で
「世代を超えて〜日本でキャンプを始めた人たちと現在のキャンパーをつなぐ会〜」
が行われました。参加者数57名 50年の歴史を持つFIWC関西の最初から今までの人たちが一堂に会したのははじめてのことでした。 現役のキャンパーたちは父母や祖父母の世代の人たちと熱心に話していました。 この集まりはFIWCの貴重な財産だと思います。 生かすも殺すもこれからです。今後、この会を広げていきます。 当面は一人芝居『地面の底がぬけたんです』の上演に取り組んでいきます。 皆さん積極的なかかわりをお願いします。(柳川義雄) |
(updated, Jul. 20.'05) |
設立趣意書特定非営利活動法人むすびの家むすびの家は、1963年、ハンセン病快復者が宿泊施設の利用を拒否さ れたことを知ったフレンズインターナショナルワークキャンプ(FIWC) 関西委員会のメンバーの呼びかけにより、奈良市大倭町に土地の提供を受け、 ハンセン病快復者と社会を結ぶセンターとして建設された家であります。 この間、むすびの家は、ハンセン病快復者が安心して立ち寄り、宿泊でき る家として、また、さまざまな人たちが手を結び助けあえる交流の場として 利用されてきました。そして、ハンセン病の実態を知らせるための啓発など 社会貢献活動をボランティアグループであるFIWC関西委員会とともに行 ってきました。 平成8年、らい予防法は廃止され、その後国が謝罪し一定の補償もされる ことになりましたが、ハンセン病に対する差別と偏見はまだ根強く残ってい ます。そこで、特定非営利活動法人むすびの家は何よりもハンセン病であっ た人々が背負わざるをえなかった歴史を知り、そこから学び、このような差 別と偏見を繰り返さないための活動を続けていきたいと考えております。そ して、今後もハンセン病差別をなくすための啓発活動、ハンセン病療養所入 所者との相互交流、韓国、中国をはじめアジアのハンセン病快復者への支援 活動をFIWC関西委員会とともに行っていきます。また、ハンセン病問題 に限らず、神戸や台湾の震災ボランティアなど国内外を問わず社会的な支援 を必要とする人々への活動も行ってきています。このような活動は、ますま す重要性を増していると考えます。 私たちは、交流の家が特定非営利活動促進法に基づく法人格を取得するこ とにより、社会的責任を明確にすることにより、これまで以上の市民の理解 を得ると共に、ここに参加するすべての人々が自ら考え行動する拠点となり、 いつの時代でも「よりよき社会の建設」を目指すことを目的として、この法 人を設立します。 |
(updated, Aug. 10.'04) |
みんなが集中していた。 あんなに暑かったのにこれだけ集中させるなんてすごいなぁー。 鳥取会場は200人の入場があったそうです。 これからもこの一人芝居が続けていけるようにしたいです。 バックアップして頂ける団体等がありましたらご連絡下さい。(柳川義雄) |
(updated, Nov. 04.'01) |
93年から5年間交流の家をおせわしていただいた、 管理人の大橋留利子さんが10/2に奈良郡山に引っ越されました。 長い間ご苦労様でした。 新天地でもがんばってください。 ありがとうございました。 気が向いたら遊びに来てくださいな。(戸張岳陽) *手紙など旧住所に送れば、当面の間は転送されます。 交流の家の次の管理人が決まるまで、 ボランティアできちんと自己管理してゆきましょう。(岸野春子) |
(updated, Oct. 18.'98) |
御主人であった四郎氏を交流の家で亡くされ、 管理人を退いた後もしばらくは 私たちの活動を見守って下さっていましたが、 その後御主人の遺骨とともに東京に戻られていました。 交流の家が完成した年に奈良にこられ、 20年余をその後の交流の家運動そのものとして、 例えば復権文庫や録音テープ、むすび新聞の発行、 ハワイモロカイ島を含む度重なる療養所訪問、 囲碁将棋大会等のFIWCの活動の支えとして、 活動してこられました。 ご冥福をお祈りいたします。(坂口一道) |
(updated, Dec. 29.'97) |
一つ大変印象的だったのは,徳永進さんのお話と, ハーモニカによる「椰子の実」の演奏でした。 心を打つ本当に素晴らしい演奏でした。 音楽家として,何か忘れていたものを思い出させられた ような気がしました。 人が故郷を想うその心。果たせないが故に 増幅されたその心。 私達にはわかりにくいその心が,直接 胸に飛び込んできました。(高崎真介) |
(updated, Jul. 14.'97) |
昨年末の大掃除で交流の家の床を張り替えました。 頬ずりしたくなるような床です。<リニューアル計画第一弾終了>(戸張岳陽) 交流の家の一階の床を張り替えました。奇麗になった交流の家においでよ!! フローリングなのよ■(西村麻里)。 |
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(updated, Feb. 02.'97) |
フォーラムは予想を遙かに上回る(予想が絶望的だった?)
盛況ぶりでした。
正確な数字は知りませんが、参加者は600人ぐらいだった
のではないかと思います。当日券が200枚も出たのはうれしい誤算でした。
カンパも入れると赤字は免れるのではと読んでいます。 やってみるとなかなか盛りだくさんの内容だった気がします。 何よりも嬉しかったのは、園からきた人たちが (結局長島からはバスをチャーターしました。 その結果愛生、光明園からは14人の人が来てくれました。) いい内容だった。こんなフォーラムなら愛生園から 半分ぐらい連れてきても良かったぐらいだ。と 言って下さったことです。 お世辞もあるにせよ、僕自身は、このフォーラムが園の人や ハンセン病について詳しい人達に満足してもらえるような 内容になるかは少し自信がなかったので それなりに満足して帰ってくださったようなのが 嬉しかったです。 何よりも多面的な内容のフォーラムになった点が 今回のフォーラムの成功点の一つではないかと思います。 (檜山武史)。 |
(updated, Dec. 02.'96) |
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関西では、6月15日(日)に交流の家フェスティバルがありました。 今回は、フルートアンサンブルの方達が来て下さいました。とても、上手でした。そ の後色々なお話とかがあって、皆さん個人の芸を披露されていました。多芸な人が多い ですね(西村麻里)。 |
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(updated, Jun. 19.'96) |
(updated, Mar. 31.'96) |
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昨年末、交流の家に法主様をお迎えし、 お話を伺いました。 その時の写真が遺影になりました。 (撮影:原康男氏) |
(updated, Feb. 15.'96) |
(updated, Feb. 07.'96) |
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