週報バックナンバー 2006年


週報(2006年7月30日)

   主の平和
                                   朝位真士
 日本の宣教を考える時に、信仰している者同士がまず主の平和を体験することだと思う。
 キリスト教大会で首都圏のプロテスタント教会が協力して、首都圏の宣教に積極的に関わった。普段、単独で
はとてもお招きすることのできない先生方をお招きして、教会員ならびに求道者をお連れすることができたこと
は、大変感謝であった。
 次に全国教誨師連盟創立50周年記念大会が品川の新高輪プリンスホテルで、6月1日〜2日まで開催された。
全国から1000名の方々が集合した。主題は「時代に応え、宗教教誨の原点を見つめて」、副題は「新たな時
代への第一歩を踏み出すために」であった。神道系202名、仏教系1127名、キリスト教系244名、諸教
141名の合計1714名いる中で、全国の代表者、教誨師が約800名、その他200名が集合した。日本に
宣教・布教している各宗派の方々とお会いして、全国の矯正施設に収容されている方々への教誨を長くしておら
れる方々と接することができて、日本人の宗教的意識感覚を少し学ぶことができた。
 この集会で特記すべき出来事は、かつて同じグループにいた仲間の先生と同室できたことである。最初はお互
いに気まずい思いがしたが、私はすぐに挨拶をして、昔の恩師である先生にいろんなお話をさせていただき、何
度か一緒に祈りの時をもたせていただいた。今まで思っていた誤解も解け、主の平和、主の平安が与えられた。
日本のキリスト教界もまず身近の人々との和解、主の平和、主の平安が必要なのではないだろうか。

週報(2006年5月21日)

   ホ群規約3条解説文(試用版)
                                   朝位真士
 「新生」
 「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:2)
 「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ」(Tペトロ1:3)
 キリストの十字架の死と復活を通して私たちに現された神の贖いの愛は、私たちを悔い改めへと導き、
罪赦された神の子として新たに生まれさせる。そして「天に蓄えられている朽ちず、汚れず、しぼまない財産を
受け継ぐ」(Tペト1:4)希望と喜びに生きる者へと導く。またこのように私たちを新たに生まれさせる神の
恵みは決して変わることがなく(ヘブル13:8)、この恵みのうちに聖霊は私たちを聖なる者へと造りかえていく。
 「聖化」
 「聖なる生活を抜きにして、誰も主を見ることは出来ません。」(ヘブル12:4)
 「知らないのですか。あなたがたのからだは、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、・・・も
はや自分自身のものではないのです。」(Tコリ9:19)
 「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、・・・」(ガラ5:22)
 神は、子である私たちの内に聖霊を住まわせ、罪の心を潔めて愛、喜び、平和、寛容等、豊かな義の実を
結ばせるように働く。人はこのような聖霊の力強い恵みの促しにより、自分自身を神に明け渡しキリストの
心をわが心として歩むものとなる。こうした恵みのわざとしての聖化の体験を、ホ群は従来より「きよめの体験」
あるいは「聖霊のバプテスマの体験」等と言い表して来た。個々人の経験は同じではない。多様であり、
それを表す言い回しも多様である。しかし何よりも大切なことは、聖霊の働きと導きの中で「きよめの恵み」
を日々生き続けることである。
 つづく。

週報(2006年4月30日)

   ホ群規約3条解説文(試用版)
                                   朝位真士
 「ホ群は聖書的福音主義の信仰に立ち」
(1)1922年(大正11年)に行われた日本ホーリネス教会第1回総
会で会則が定められ、その第2条に「本会は他の正統派に属する諸教会
の信じるごとく、旧新約聖書を以ってことごとく神の言なりと信ず」とあ
る。ここに表されていることは、ホ群はルターやカルバンら宗教改革者
たちが掲げた、聖書のみ、キリストのみ、信仰のみという「聖書的福音
主義の立場に立つ」教会であることである。
(2)1945年に制定された「教団信仰告白」は、「聖書的福音主義
の信仰」を端的に言い表した信仰告白であり、ホ群諸教会は戦後の復興
以来、日本キリスト教団の教会として教団信仰告白を告白し、今日に至
っていることに重い意味がある(ホ群規約4条)
(3)ホ群は、1976年以降教団常議員会が教団信仰告白を曖昧にし
たままで教師検定試験を行ったことに抗議し、受験拒否や独自の試験を
行うなど、厳しい対応をして来た歴史を持つ。またそれらを巡る意見の
相違からホ群内が混乱し、教会が分離するという苦悩をさえ負った。そ
の後教団常議員会は第32総会期(2002年)に信仰告白を基準に検定
試験を実施することを明確にした。
 以下次号へ続く。

週報(2006年4月23日)

   ホ群規約3条解説文(試用版)
                                   朝位真士
 過ぐる年会で規約3条解説文が紹介されたので、ホ群の関係教会とし
て皆様方へお知らせ致します。何回か継続して記載します。
 3条本文
 「ホ群は、聖書的福音主義の信仰に立ち、神生・聖化・神癒・再臨の
特色教理を強調し、特にウェスレアン・アルミニアンの神学的伝統を受
け、体験的ホーリネスをもって公同教会の形成に寄与することを目的と
する。」
 解説文を作成するにあたり委員会(ホ群委員会)として考慮した点。
 @ホ群が受け継いできた伝統的信仰を今日に継承し、さらに深めてい
くという観点から、3条についてできるだけ簡潔に解説する。
 A合わせて「体験的ホーリネスをもって公同教会の形成に寄与する」
という積極的使命を果たすために、今日ホ群の信仰をどのように展開し
ていくのか、1つの参考となるように解説する。
 Bなお、この度の解説文作成はホ群委員会として初めての試みである
ことから、−試用版−とし、今後さらにより良きものを練り上げて行く
ことを願っている。
 解説
 「ホ群は聖書的福音主義の信仰に立ち」
 以下次号へ続く。

週報(2006年4月16日)

   06年度東京聖書学校入学式
                                 朝位真士
 4月11日(火)午前10時半、吉川教会にて東京聖書学校の入学式が行われ
た。司式鵜沼先生、説教島校長、奏楽朝位フミ子師、入学者、川崎光児
兄(世真留教会)、中西絵津子姉(秩父教会)、山口紀子姉(吾妻教会)、吉
武真理姉(広島教会)の4人であった。
 島先生よりイザヤ6章全体を通して、「わたしを遣わしてください」
というテーマでメッセージが語られた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍
の主、主の栄光は、地をすべて覆う。」(イザヤ6・3)「わたしがこ
こにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6・8)という
聖句が心にとどまった。島先生のメッセージで、特に「聖化」という言
葉が強く心にとどまり、罪人である私たちが、聖なる主イエス・キリス
トの十字架の血潮によって罪を赦されて、神の子とされ、心も口唇も汚
れている私たちをきよくして下さり、神の器として下さった事の感謝を
心に深く刻んだ。イザヤが神殿で神の聖なる臨在に触れることができた
ように、私共も汚れた者であるが、祈りによって聖なる神の臨在に触れ
て、主と共に御言葉を語る者の幸いを神に感謝した。
 4人の神学生が無事4年間の学びと訓練に耐えて、第一線で活躍でき
る日を祈り続けなくてはならない。
 2006年度は8人の卒業生を送り出すことになる。献身者が与えら
れるように祈って欲しい。

週報(2006年3月26日)

   一年間の派遣を終えて
                                             中山 契生
 私たち東京聖書学絞の生徒は日曜日になると、一年ごとに決められた教会に派遣されていきます。神学生とし
ての四年の間、様々な教会に派遣されて礼拝を守り奉仕にあたり、実践的な学びの中で起こってくる出来事を通
して、主に仕え教会に仕える牧師として整えられてゆきます。
 この桜ヶ丘教会に派遣された一年間で、私が示されたことは、私自身が決して御言葉を語るに相応しいわけで
はない、ということでした。召命は時に、使命に邁進するあまり貧しい自分の姿を忘れてしまいます。けれども、
「この私の内に主の愛が沁みたのは、自分が本当にどうしようもなくて貧しい者だと思い知らされた時ではない
か。そのような貧しい私を哀れみ、愛し、用いようとして下さり、それが御出来になられるのは主であって決し
て私ではないのだ。」ということを改めて教えられました。
 私の東京聖書学校での学びも後残すところ一年となりました。桜ヶ丘教会の皆さんには、私の本当に足らない
御用に忍耐して頂き、更には励ましの言葉をかけて下さったり、感謝で一杯です。皆さんとの聖日での御交わり
は、これで最後になるかもしれませんが、主にある私達は主にあって一つです。共に祈りによって結ばれて、主
のために共に働く者として、これからも様々な折りにお会いできる事と信じております。
 桜ヶ丘教会の祝福を祈りつつ

 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、
 万事が益となるように共に働くということを、わたしは知っています。
                                  ローマの信徒への手紙八章二十八節

週報(2006年3月19日)

   ホ群首都圏問安を終えて

                                             朝位真士
 私は昨年の十一月より今年の三月迄、ホ群首都圏の七教会の問安を無事終えました。留守中の皆様方の御協
力を心より感謝申し上げます。五つの教会の礼拝と夕拝に参加させて頂き、二つの教会の祈祷会に参加させて
頂きました。今迄、群の集会の時に牧師、役員、信徒の方々とお会いしていましたが、今回教会を訪問させて
頂き、共に礼拝、祈祷会に出席して主の御名を崇める事ができた事は、私にとってかけがいのない経験であり
ました。群以外の教会は訪問させて頂くことがありましたが、群の教会に集中して出席できたことは、大きな
恵みでありました。
 首都圏の中には大小の教会がありますが、大きな教会には大きな教会としての課題があり、小さな教会には
小さな教会としての課題があります。同じ日曜日またはウイークデーに礼拝や祈祷会が専られていることは、
なんと力強いことでしようか。共にホ群の仲間として祈り、支援し、協力していることは、主の愛の共同体と
して大切なことだと思います。
 ホ群の働きの為に尚、祈りと支援をしていかなくてはならないということを強く感じてまいりました。初め
て出席した教会ではありましたが、ホ群の教会の先生方や信徒の方々が皆親切で、何か初めてお会いした思い
がしなかったのは、なんと不思義なことでしようか。
 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
 神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
 主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(詩一三六・一〜三)
 栄光を主に帰しつつ終えました。

週報(2006年3月12日)

   「福音の力」パートU
                                             朝位真士
 前号に引き続き、ローマ一・一六〜一七節を引用して、「福音の力」を考えてみたいと思う。
「福音には、神の義が啓示されている。」「神の義」とは、神の倫理的特性としての義というよりは、他を
義とする、あるいは義として取り扱う神の働きをさすのである。イザヤ五一・五に「私の正義は近く、私の救
いは現れ・・・」とあるように、神の義と救いが同義語に用いられている。救いを受け入れるのに必要なのは
「信仰のみ」である。信仰という言葉「ピスティス」は、人間が主語の場合には「信仰」「信頼」「忠実」を、
神が主語の場合には「真実」「誠実」を意味する。従ってここでもピスティスによる義を、信仰による義とも、
神のあるいはキリストの真実による義ともとることができる。「信仰」は単に神の存在の容認や教義の受容で
はなく、人間を救うという神の不変の決意であり、その神に全存在をかけて信頼し続けることを意味している。
「信仰」とは、神の真実、誠実に対して人間の側による「信仰」「信頼」「忠実」を意味するとある。ここ
で私の信仰に対する個人的見解を述べさせて頂きたい。
 洗礼を受けることは、イエス・キリストの十字架と復活の事実を、つまり私の罪のために主イエス・キリス
トが身代わりとなって下さった事実を受容することである。私たちは、そのイエス・キリストに対して「信頼」
「忠実」をもって信仰していかなくてはならない。では、これを持続することができるのか。できる。@聖書
を読み、A礼拝・集会に出席し、B祈り、また献金・奉仕をすることで、毎日毎日、聖霊の力、神の力が働い
て、このことが可能になる。神を信じることによってできるのである。

週報(2006年3月5日)

   「福音の力」パートT
                                              朝位真士
 先日のアパルームの日課は、ローマ一章一六〜一七節「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじ
め、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていま
すが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書い
てあるとおりです。」でした。「わたしは福音を恥としない」とあります。これは、パウロの告白的宣言であり
ます。彼にとって「福音」とは「十字架の言葉」であり、それは「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には
愚かなもの」ですが、「召された者には、神の力、神の知恵」(Tコリ一・一八〜二五)なのです。
 パウロはローマ書全体で「福音」という言葉を六〇回も使っています。それだけでも、いかにこの語に重きを
おいていたかが知られます。福音の宣教が必ず悪評と嘲笑を招くことを、パウロは異邦人伝道で常に体験してい
ました。しかし、「わたしは福音を私としない」と叫びます。なぜでしようか。「それは、ユダヤ人をはじめ、
ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だからです。「福音」とは、パウロによればイエス
・キリストを通して神から賜った救いの事実、あるいはこの事実の宣言を意味します。「救いの事実」とは、イ
エス・キリストの十字架と復活によって罪人が救われる事実をさし、この救いの事実に神の力が現れていると、
神の救いの力を実に遺憾なく啓示しました。しかし、この神の力を受けるためには信仰がなくてはなりません。
信仰は、人間の無力さを謙虚に認めて、神の賜物としての救いの恵みを受け入れる態度です。そして、「神の義
は、その福音の中に啓示されている」といいます。次号へ。

週報(2006年2月26日)

   第二回総会を終えて
                                             朝位真士
 過ぐる二月一九日(日)礼拝後、無事桜ヶ丘教会の二〇〇五年度第二回教会総会を終えた。皆様方のご協力を感
謝致します。現住陪餐会員五七名のうち出席者二四名、委任状一六名で定足数二一名を満たし、総会は成立した。
 議案 (一) 二〇〇六年度桜ヶ丘教会宣教方針について
    (二) 二〇〇六年度一般会計予算について
    (三) 二〇〇六年度会堂会計予算について
 まず、議長の私が席につき、書記の安東努兄が議員点呼と委任状の確認をして、総会が成立した。議案(一)
については、牧師が趣旨説明をさせて頂いた。二〇〇六年度は、「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもな
く、成長させて下さる神です。」(Tコリント三章七節)という御言葉が与えられた事を説明し、主に一二月迄
の行事予定を説明した。今年の受洗目標三名を教会員に申し上げて、とにかく今年は個人が成長し、教会が成長
する事を祈って欲しいとアピールした。
 議案(二)(三)については榊原姉が資料を説明し、一般会計については前年度通りであるが、実際問題とし
て厳しい現状であることをアピールした。会堂会計につていは、昨年度繰上げ返済ができた事で、元金と利息返
済に若干の変更がある事を説明し、会員の皆様の尚一層のご協力とご支援をアピールした。右三議案とも、全員
一致で可決された。
 私共の教会にとって正念場の二〇〇六年度になりそうですが、いよいよ神の力、聖霊の力、信仰の力が強力で
ある事を祈りつつ総会を終えた。

週報(2006年2月19日)

   最近の訪問で感じた事
                            朝位真士
 「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」
                        (列王上一七・一)
 最近、訪問させて頂いて、大変恵みを頂いています。一人の老姉を訪
問させて項き、姉が言われた事を忘れる事が出来ません。「先生、私は
手遅れでしたら、今頃は、『いつくしみ深き』を歌っています。」つま
り、医師の処置が遅ければ、今頃は告別式であるということです。私は
その話をうかがいながら、「主は生きておられる」ということを思いま
す。
 もう一人の老姉も、昨年六月に、医師から「お家の方は覚括して下さ
い。」と言われたそうです。私は、ご家族に呼ばれて、病院に参りまし
た。そこで讃美歌「主我を愛す」と「いつくしみ深き」をご家族と一緒
に歌っていましたら、その老姉も目を開いて共に主を讃美致しました。
それから現在まで、危機を脱して自宅療養されています。勿論、日々に
お身体は弱っておられますが、自宅での生活を有意義に送っておられま
す。
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう。」
(ヤコブ四・一五)とあります。私達の生活、将来は、すべて主の御心
のままにと願う毎日であります。

週報(2006年2月5日)

   成長させてくださる神
                            朝位真士
 人間には、三種類のタイプがある。
 (一)生まれながらの人(自然の人)(Tコリ二・一四)。このタイプ
の方は、未だクリスチャンになっていない人であり、この世の価値基準
で生活している人である。
 (二〉肉に属する人間(Tコリ三・一)。このタイプの人は、クリスチ
ャンにはなったが、未だきよめの恵みに与っていない人である。「肉の
業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔鹿術、敵
意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒
宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも
前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐこ
とはできません。」(ガラテヤ五章一九節〜二一節)
 (三)霊の人(御霊に属する人間)(Tコリ三・一)。ガラテヤ五章二
二節〜二三節に、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、
善意、誠実、柔和、節制です。」とある。
 私は、第一のタイプの方が一日も早く第二のタイプになり、第二のタ
イプの方が第三のタイプになり、第三のタイプの方が継続できるように
祈りと御言葉(聖書)と信仰を持ち続けて、「私を強めてくださる方の
お陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ四・一三)となっ
て欲しいと思う。

週報(2006年1月29日)

   最近考えている事
                            朝位真士
 「大切なのは、植える者でもなく、成長させてくださる神です。」
                          Tコリ三・七
 今年与えられた御言葉ですが、特に「成長」という言葉に大変魅力を
感じていました。しかし、最近の一連の事件、急成長したライブ・ドア
を始め、IT関連の事業や、建設会社、不動産業者、全部が悪いという
わけではありませんが、私は「成長」という言葉に、非常な危険要素を
感じています。
 互助部の責任を一年担わせて頂き、何年たっても人が救われない、成
長どころか段々縮小傾向にある教会の現状を見てきました。勿論、怠け
ていて成長しないのであれば異論はありますが、真面目に地道に伝道、
牧会をされて、一〜五名の礼拝を守っている東北、北海道、九州の困難
な実情を見て、「一人の魂は、全世界より尊い」とある如く、一人一人
を大事にされている先生方、信徒の方々には、敬服するものです。
 我が教会は、多くの悩める方々がおられる、人口過密状態の都会にあ
ります。救われる人が与えられるよう、私を始め、信徒一同、一人が一
人を導く救霊の熱情に燃やされたいと思う、今日この頃であります。

週報(2006年1月22日)

   成長させてくださる神U
                                              朝位真士
 「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」Tコリ三・七
 最近、新聞、テレビ等でご承知のさまざまな事件を見る時、聞く時、神は必ず私共にすべての事柄の結果をお
知らせくださるという事を感じます。例えば建築偽装問題もハッキリと結果が出てきます。世間を騒がしている
急成長した企業の粉飾決算疑惑、論文捏造等、世の中のニュースには事欠かない現代です。
 この一連の出来事を静かに振り返って考えてみると、私達はここでもう一度「成長」というテーマで考えなく
てはならないのではないかと思います。人より自分が優れて、良い評価を得て、良い生活、リッチな生活をする
事が、一般的に言う「勝ち組」の生き方です。その反対の生き方は「負け組」の生き方であると言われています。
確かに、世間的に見ればそうだと思います。しかし、信仰生活から見ればどうでしよう。世間的に成功し、リッ
チな生活をする事が、必ずしも「幸せな生活」とは言えないのではないでしようか。
 私は牧師という仕事を三十年近くさせて頂いて、さまざまな人達との付き合いをさせて頂いています。世的に
見る金持ち、成功者、「勝ち組」が、全部とは言いませんが、必ずしも幸福ではありません。また「負け組」、
いや慎ましい生活をしている普通の生活者が不幸とは言えない現実です。
 「成長させてくださる神」によって、内的、精神的、霊的な人間になり、天国を目標に歩みたいと考えていま
す。

週報(2006年1月15日)

  教会成長一〇の条件
                                             朝位真士
 今年の標語は「成長させてくださる神」というテーマで、コリントT三章七節の御言葉が与えられた。
 私はドナルド・マックギャラン/ウインフィールド・アーン共著「教会成長一〇の条件」という本に出会い、
一〇の条件を学んだ。@教会成長の原則を見つける。A聖書の原則を重んじる。B神の変わることのない目的
に従う。C効果的な伝道を最優先する。D教会を正しく認識する。E地域社会を正しく認識する。F新しいグ
ループや弟子化の方法を発見する。G新しい教会を生み出す。H成長できる横造になる。I危険を恐れない。
以上の一〇の原則に目がとどまった。   .
 有賀喜一先生は「『教会成長は神のみこころである』と同時に『世界の各地における現実であり』、さらに
『日本においても現実になりつつある』ことは大変喜ばしいことである。」と語っておられた。また、マック
ギャラン師は「アメリカであまり成長しない教派を示す反応は『現代の無関心、世俗主義、異教的傾向の中で
は、教会は成長できない』と確信しているが、教会についても同じことが云えるのではないか。」と語ってい
る。また、教会成長も一時の流行にすぎないだろうかという問に対して、彼は二つの理由でノーと云っている。
「@神の変わらないご計画に非常に近いこと。だから必ず続いていくと思う。Aおぴただしい人々が教会形成
のために献身的に働いていること。教会成長とは宣教である。」と語っている。私はこの言葉を聞いて、教会
成長は教会全体の課題であり、教会員全員がこの教会成長プログラムに参加すべきであるという事がわかった。
今年は全員参加で成長したい!

週報(2006年1月8日)

   二〇〇六年首都圏新年聖会に出席して
                                              朝位真士
 過ぐる一月二日(月)〜三日迄、吉川教会でホ群首都圏新年聖会が開催された。
 聖句「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがた
の霊も魂も何一つ欠けたところのないものとして守り、・・・非のうちどころのないものとしてくださいますよう
に。」(Tテサロニケ五章二三節)主題「全く聖なるものにしてください。」
 一月二日、聖会T、メッセージ湯本春実師(東調布教会)、司会大友英樹師(塩谷一粒教会)、立証・音楽、ユー
ス・バイブルキャンプ参加者、テキストT、一章全体、「響きわたる福音」。湯本先生は牧会十年目を過ぎた若
手の婦人教職者として、家庭の主婦と牧師という二足のわらじをはいているが、落ち着いた大変聞きやすいメッ
セージで、心の中に深く語りかけられた気がした。
 聖会U、メッセージ池田玲二師(志木教会)、司会東海林昭雄師(小松川教会)、音楽東京聖書学校、立証大屋神
学生、テキスト、テサロニケ三章全体。「信仰・希望・愛」という題で、二十数年牧会された牧師として、今、
会堂建築しようとしている教会について、力強くメッセージを語られた。一日も早く会堂建築が完成することを祈りたい。
 聖会V、メッセージ朝位真士師(桜ヶ丘教会)、司会深谷春男師(赤羽教会)、音楽吉川教会、立証東京新生教会、
テキスト、テサロニケ五章全体。「再臨待望ときよめ」という題で、ホーリネス信仰の真髄を大胆に語らせて頂
いた。原稿用紙五十枚位書いたが、結局それを見ることなく、聖書を二十回以上(テサロニケ全体)拝読した恵み
を語らせて頂いた。私自身、皆様方の祈祷と、聖霊様の導きを力強く感じさせて頂いた。栄光は主にある事を祈
る!!

週報(2006年1月1日)

   成長させて下さる神
                                              朝位真士
 二〇〇六年元旦礼拝のために祈っていたら、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくだ
さったのは神です。」(Tコリ三章六節) という聖句が与えられた。二〇〇五年も神様は、桜ヶ丘教会を恵んで
下さったが、二〇〇六年は更に、成長させたくださる神が主導権をとって下さる。勿論、私たちは手をこまねい
て何もしないで、唯々神様のして下さる事をお待ちすれば良いかといえば、必ずしもそうではない。このTコリ
ント三章一〜一七節には、教会の奉仕者の意義が述べられている。
 教会の中には、「霊の人」と「肉に属する者」がいるが、特にパウロはコリント教会の中に「肉の人」、すな
わち幼稚な弱い信仰者がいると言っている。その特色は、@奥義としての神の知恵を理解する力がない。A普通
人と同様「ねたみや争いがある」。争いはねたみの結果であり、それらはいずれも「肉の働き」である。この教
会では、パウロ派とアポロ派とにおける知恵の言葉を中心としていたからである。「『わたしはパウロにつく』
と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、・・・」とある。これは英雄崇拝であり、
牧師崇拝である。キリスト者はこのような「普通の人間」ではなく、神の霊によって新しくされた人である (U
コリ五・一七)。パウロはコリント人の心に最初に福音を植え付け (行一八・一〜八)、その後アポロが来て養
い、教育した。しかし、彼らのうちにまかれた種の芽を出させ、これを育て、成長させて実を結ばせたのは、た
だ神のみである。神の働きは、使徒たちの働きのように過去となるものではなく、完成するまでやむことなく継
続する(この動詞は未完了形で、継続的な働きを示している)。続く。

讃美歌355番 「主を仰ぎ見れば」

1.主を仰ぎ見れば/古きわれは/現(うつ)し世と共に/速(と)く去り-ゆき/我なら-ぬわれの/あらわれきて/見ずや天地(あめつち)ぞ/改(あらた)ま-れる。
2.うつくしの都/エルサレムは/今こそくだりて/われに来(き-)つれ/主、共に-在(いま)せば/尽(つ)きぬ幸(さち)は/清き川のごと/湧(わ)きて流(な-が)る。
3.うるわし慕(した)わし/常世(とこよ)の国/うららに恵みの/日影(ひかげ)照(て-)れば/生命(いのち)の-木(こ)の実は/実り繁(しげ)し/永久(とわ)に死の影も/悩みも-なし。
4.つゆだに功(いさお)の/あらぬ身をも/潔(きよ)めて御国(みくに)の/世嗣(よつぎ)と-なし/黄金(こがね)の-御殿(みとの)に/住ませたもう/わが主の愛こそ/限りな-けれ。
見ずや・・・見ないであろうか 来つれ・・・来てしまった(こその係り結び) 常世・・・来世、黄泉 日影・・・日差し つゆだに・・・少しも

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