週報バックナンバー 2004年


週報(2004年12月26日)

   二〇〇四年をふり返って
                                              朝位真士
 二〇〇四年に与えられた御言葉は、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高
める。祝福の源となるように。」(創世記一二章三節)であった。「祝福の源(基)」というテーマで一月四日
(日)の新年礼拝のメッセージを語らせて頂いた。
 二〇〇四年度はあと三ヶ月あるが、この一年をふり返ってみると、四月二五日(日)教会総会があり、五月二三
日(日)は岸先生をお迎えしてチャペルコンサート(テナーサックスの演奏、メッセージ)。五月三〇日(日)ペン
テコステ礼拝に、二人の兄姉、三浦重太兄と中塚彩伽姉が受洗された。六月二九日に西海静雄牧師が召天。一〇
月一〇日(日)バザー開催。一一月二一日(日)西東京教区臨時総会で朝位フミ子伝道師が按手札を受け、牧師とな
った。一一月七日、召天者記念礼拝。一二月一九日(日)クリスマス・チャペルコンサート (ペアンテ・ボーマン、
ルリ子先生によるチェロ演奏とメッセージ)。求道者が三〇名余出席された。一二月二四日{金)夜七時、クリス
マスイブ集会。メッセージ山口英希神学生、ヴァイオリン演奏森山結姉、ピアノ独奏フミ子師、などがあり、今
日の年末感謝礼拝を迎えることが出来た。
 私はこの一年を静かにふり返って、御言葉通り「あなたを祝福の基、源とする」という様になったであろうと
思う。しかし私共は、人間的な祝福、幸福だけを願うのではなく、「神の御心」「主の御心」を優先しなくては
ならないのではないかと思う。教会にとって何が最善であったか、個人にとって何が優先されて行動を起こして
来たかを、反省しなくてはならないと思う。次年度二〇〇五年はどんな年になるかわからないが、「たとえ世界
が明日終わりであつても、私はリンゴの木を植える」。私たちは普通どおり生活して行こう。

週報(2004年12月19日)

   クリスマス・チャペルコンサート
                                              朝位真士
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ
二・一一)
 今年で六回目になるクリスマス・チャペルコンサートを、ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして、当教会で
行えることを心から感謝申し上げます。今年は「クリスマスにふさわしい讃美」と題して、ペアンテ・ボーマン
先生が取り次いでくださり、通訳はルリ子先生です。ペアンテ・ボーマン先生(東京交響楽団首席チェロ奏者、
神学博士、伝道者)は、スウェーデンで誕生され、一二歳からチェロを始められ、王立音楽大学卒業後、西ドイ
ツのフォルクバンク音楽大学院、ヘルシンキ市のシベリウス・アカデミー大学院で学ばれ、一九八〇年に首席チ
ェロ奏者として東京交響楽団に入団されました。フィンランドで聖書を学び、神学絞で旧約釈義を教えておられ
る神学博士でもあられます。奥様のルリ子先生は、武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、西ドイツの国立フォルクバ
ンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれた、明るくて気さくで、大変活動的な方でいら
つしゃいます。
 新会堂が一九九七年一二月に建設されて、一九九八年二月に献堂式が行われ、翌一九九九年一二月一九日(日)
に第一回のクリスマス・チャペルコンサートを開催してはや六回目を迎えます。本当に先生方は超多忙で、日本
全国各地、北海道から九州、沖縄まで、福音のためなら手弁当で行かれる、まさしく神の福音の音楽の使者です。
この会堂とホールには約一三〇名入りますが、満員の方々に先生方の演奏と福音のメッセージを聞いて頂きたい
と願ぅ次第です。神に栄光あれ!!

週報(2004年12月12日)

   クリスマスを迎えるにあたって
                                              朝位真士
 アドペントの第三主日を迎え、いよいよ来週はクリスマス・チャペルコンサートで、ペアンテ・ボーマン師夫
妻をお迎えします。最初は九九年一二月一九日で、今年で六回目です。先日ある方から、「今年のクリスマス・
チャペルコンサートは是非出席したい。」とお電話がありました。私は嬉しさのあまり、「どうして来て下さる
のですか。」(勿論、その方には案内のハガキを前もって出していた。) と聞きかえすと、「ボーマン先生の素
晴らしいチェロ演奏を、私は存じ上げています。」という答えでした。そう、ボーマン先生は、一般的には東京
交響楽団の首席チェロ奏者として、大変知名度の高い方です。また、神学博士、エパンジェリストとしても、キ
リスト教界には超有名な方です。ルリ子先生もピアニストとして、また伝道者として素晴らしい先生です。先日、
ある東北地区の教会が連合でペアンテ・ボーマン先生のチャペル・コンサートを開催した時、入場券有料で満員
であったといぅ事を聞いています。私共の単独の教会にこの先生方をお招きできる事は、本当に神様の素晴らし
いプレゼントです。しかもクリスマス礼拝にお出かけ下さる事は、二重のハッピーです。
 先日、青年会の聖書通読の際、ルカ二章が読まれました。私は特に二章七節「初めての子を産み、布にくるん
で飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」という聖句に心がとどまりました。
世の中はクリスマスムード一色である。しかし、大切な私たちの心の中に主イエス様を心からお迎えする準備が
出来ているでしようか。イエス・キリストの誕生ぬきのクリスマスには、何の意味もない事を思います。クリス
マスに祈り心をもって、主イエスをお迎えする準備を致しましょう。

週報(2004年12月5日)

   アドペント (待降節)
                                             朝位真士
 アドベントの第二主日になりローソクを二本点灯しました。アドペントとは、「待ち望む」というラテン語の
「アドベントゥス」からきた言葉で、待ち望むその希望こそクリスマスに輝きを与えると日野原先生は語ってい
ます。アドペントは、キリストの降誕、神の真理の現れという重要なテーマに対する心備えの季節です。また再
臨という観点からアドペントを迎える事も出来ます。
 私は、今朝(一二月一日)アパルームを用いていたら、アドペントの連祷という記事が目につきました。アパル
ームを用いている方は、三四〜三七頁にありますが、ここにアドペント第一主日、聖書イザヤ一一章一〜一一節
が引用され、「黙想の中で、イザヤの描いた幻が実現する時、世界はどのようになるか想像してみましよう。」
とありました。大変示唆に富んだ言葉でした。アドペント第二主日、マタイ一一章二八〜三〇節が引用され、イ
エスは私たちをご自分のもとに招き、「私のもとに来れば、すべての人は安らぎを得る。」と語っていました。
アドペント第三主日はルカ一章四六〜五五節が引用され、「神は命と愛と希望をもって私たちを祝福して下さい
ました。しかし、神の祝福は安楽な生活への切符ではありません。」とありました。アドペント第四主日、ヨハ
ネ一章一〜一八節が引用され、「すべての罪が浄化された人生を送り、新しいスタートを与えられ、神があなた
を愛し、心配して下さることを知るのはどんな気持ちでしようか。イエス・キリストを通じて、神はあなたの人
生を「リセット」し、新たな始まりを下さいます。」とありました。
 アパルームのアドペント主日の用い方は、クリスマスを迎える前、大変に役立つ手引きとなるのではないでし
ょうか。今年のクリスマス・チャペルコンサートに素晴らしいメッセンジャーが与えられている事も感謝しまし
よう。

週報(2004年11月28日)

   按手札・准允式に臨んで
                                               朝位真士
 去る二一日の教区臨時総会で、一人の准允式(伝道師、補教師)と五人の按手札式(牧師になる式)に教会の方々
と臨んだ。その中で特筆すべき事項は、我が桜ヶ丘教会伝道師、朝位フミ子師の姿があったことである。師が、
補教師、伝道師となって二七年目の出来事である。今迄もそのチャンスはあったと思うが、あえてこの時正教師
試験にチャレンジしたのは何故か、私は本人から詳細は聞かなかったが、多分彼女は牧師となることで自覚と責
任がより強くなって来たのではないか。勿論、今迄も人一倍責任感が強い人であるが、尚一層強くなると思う。
 私はフミ子牧師(按手礼を受領した後はこう呼ばれます)に、これから主の力で桜ヶ丘教会の牧師として、私の
力不足を補う教会員の良き羊飼いとなって、主イエス様の御言葉に「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊か
に得させるためである。わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」(ヨハネ一〇章一
〇〜一一節)とある様に、信者の方のニーズに応えて欲しい。また女性牧師として、きめこまかい牧会をして欲し
い。月一回のメッセージは勿論のこと、聖礼典(聖餐式と洗礼式)も執行して項きたいと思う。本当に牧師不足の
時代に一つの教会に二人牧師が与えられたことで、桜ヶ丘教会が自分の教会だけではなく、無牧の(牧師のいな
い)教会や、他の教会の応援伝道にも積極的に出掛けて行ければ良いと思う。ホ群の首都圏にも、婦人牧師が一七
人位いると思う。その中で主任牧師は七人位いる。これからは、ホ群の委員長や委員も、婦人牧師が多数になる
のではないか。群全体のきめこまかい交わりに期待して、ホーリネスの群が教団の中で証しつづけて行きたいも
のである。

週報(2004年11月21日)

  「収穫感謝祭」に想う
                                              朝位真士
 一一月二三日は、日本では一般に勤労感謝の日としての祝日である。「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたが
いに感謝しあう」というのが、一一月二三日に行われる勤労感謝の日の趣旨です。
 いわば収穫感謝祭であり、収穫に至るまで費やされた人々の勤労に感謝するというわけです。これは、古今東
西を問わず人情の致すところで、アジアでもヨーロッパでもアメリカでも、何等かのかたちで行われてきました。
特にアメリカでは、収穫感謝の祭というと、アメリカ合衆国の祭日で、クリスマスやイースターと並ぶ大祝日と
なっています。一六二〇年、ピルグリム・ファーザーズが翌年の秋、新天地における最初の収穫をあげるや、感
激のあまりに祭りを行ったことに起源しています。一七八九年、アメリカ初代大統領ワシントンは一一月二六日
の木曜日に、アメリカ合衆国の祭日としました。クリスチャンは「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感
謝しあう」ことは勿論、そのうえ神に、天地の創造主なる唯一の神に感謝をささげる日としたいものです。主な
る神の祝福あっての勤労なのです。              ′
 ところで、聖書の収穫感謝祭の方はどうでしょう。「七週」と「仮庵」の祭がすぐ思いあたります。七週の祭
は三大祭(過越の祭、七週の祭、仮庵の祭)の一つで、春先、過越の祭のころ、大麦へ鎌を入れ始める時から七
週間目(申命一六・九)、つまり太陽暦の五、六月の六日に守られました。「勤労の初穂の刈り入れの祭」(出
二三・一六)とか、「小麦の刈り入れの初穂のための七週の祭」(同三四・二二)とか呼ばれています。この日、
労働を休み、初穂を神にささげ、貧者をかえりみ、聖会を開いてすごします。私たちは、まず神に感謝をささげ
たいものであります。

週報(2004年11月14日)

  ホ群信徒・教職共同セミナー
                                               朝位真士
 一一月八日から一〇日迄、市川サンシティホテルで、ホ群共同セミナーが開催された。主題「ホ群教会の信仰
と教会形成〜教団におけるホ群の伝道〜」、特別講師は小林眞先生(教団副議長、遠州教会牧師)であった。
 一日目は開会礼拝は深谷春男師で、詩一一三編を通して「主をほめたたえよ」というメッセージであった。講
演T・Uは、小林眞先生が「ホ群教会の信仰と教会形成〜教団におけるホ群の伝道〜」という事について、レジ
メを用意され、非常に明解に話をされた。一回目は「信仰と教会形成」、(一)信仰の確かさ、A神の選び、B主
イエスの選び、C「正しい信仰」の三要素として、@信じる側の熱心さ、A信じる対象の明確さ(歴史的)→聖書
/信条・信仰告白、B神ご自身の働き、(二)教会とは、A建造物、B信じた者の群、C神の宮、霊の宮、Dキリ
ストの体、(三)教会形成、Aキリストの体、B合同教会として。二回目は「伝道・・・要としての説教」、(一)
伝道の宗教としてのキリスト教、(二)何を伝道するのか、A主イエスの業、@教え、A福音(伝道)、十字架、復
活、B奇跡(奉仕)、B初代教会は何を語ったか、C教会の縦承する「主イエスの死と復活」を「告白」しつつ伝
える、(三)説教の内容と使命、A説教とは、B説教とは「牧師が語りたい話、信徒が聞きたい話」ではなく、
「神が人に聞かせる言葉」→牧師の(人間の)語る難しさ→信徒の聞く難しさ、(四)まとめ「福音不変、時代在変、
伝道応変」。
 二日目は、全体協議会、三人の発題者、教師信徒別分団、伝道協議会、聖会、説教瀬尾弘志師(熊本城東教会)、
ローマ一六・三〜四、メッセージ、人を自分より優れた者とする、人を裁かない、神に自分を献げるというポイ
ントで語られた。名簿によると参加者は一一四名であった。牧師、伝道師、横田たみ子姉が参加した。三日間の
恵まれた集会であった。

週報(2004年11月7日)

   召天者記念礼拝に思う
                                              朝位真士
 日本キリスト教団では、十一月の第一聖日を永眠者記念日としています。これは九世紀の教皇グレゴリウス三
世が定めた「諸聖人の祝日」(十一月一日)、また十一世紀に定められた聖人以外の一般信徒を記念する「諸死者
の記念日」(十一月二日)に由来するもので、固定祝日を第一主日という移動祝日にしたものです。聖徒の日の意
味を調べてみると、はじめは迫害による殉教者を記念するものでした。その死を通して地上に残された者たちが
励ましを受けると共に、訓練の模範とするために記念の集会が行われたのです。この日は、信仰の先輩たちのこ
とを想起しながら、お互いが担っている使命を自覚することが必要です。「召天者記念礼拝」には特別な基準は
ありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後三日目、九日目、四十日目など、主の復活を表す三また
はそれをさらに三倍した九、聖書的に象徴的な四十に基づいた日数、年数などによる考え方があったようです。
教会の暦に関連して死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会の「主
にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるのです。教団の教会として公同の記念礼拝をも
つのは、聖徒の日、復活節、あるいは地方によっては日本のお盆の頃に関係者を集めて行う所もあります。
 今年は、二人の方々が記念礼拝の中に入れられます。一人は、三月十二日に召天された、高水政次兄の兄上の
高水達太郎さん、八十三歳。彼は、幼い頃、霊南坂教会に出席していたと言っておられました。自分が死んだら
キリスト教式で葬儀をして欲しいと語っておられました。もう一人は、北川正明さんです。十月二十日、六十歳
で召天されました。キリスト教式で葬儀を行いました。

週報(2004年10月31日)

  宗教改革記念日を迎えて
                                              朝位真士
 今日は表記の如く「宗教改革記念日」である。一五一七年一〇月三一日、マルティン・ルターはヴィテンベル
グ城教会で九五力条提題を当時のカトリック教会に出した。いわゆる宗教改革記念日の起源である。プロテスタ
ントの三大原理、@聖書のみ、A万人祭司、B信仰のみ、である。
 「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神
の力だからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ一・一六〜一七)「正
しい者は信仰によって生きる。」「生きる」とは「救われて生きる」という意味であり、「信仰によって」は
「信じるすべての人」に相対している。「義人」とは神の義を与えられた人のことである。救いを受けるうえで、
キリストにおいて与えられる神の義にのみより頼む信仰は、主にのみより頼む旧約と本質的に同一のものである。
私達の救いは、行為によって、善行難行して救われるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって
救われるのである。
 私は、一九六一年一二月二四日のクリスマス礼拝で受洗した。高三の時である。もしあの時信仰に入っていな
かったらどうであったか。おそらく、自分中心的な生き方をして、神を呪い、人を呪い、世を呪って、自殺して
いたかもしれない。事実、中一〜二の頃、一度自殺をしかけた事がある。しかし、家の者が発見して未遂に終わ
った。今考えてみると、人は一度や二度は死にたくなるものである。しかし、急がなくてもよい。それぞれ、神
から与えられている寿命が終わるまで、神の栄光のために生きれば良いのである。
 「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈って
います。」(Vヨハネ二) アーメン

週報(2004年10月24日)

   主の御心であれば
                                              朝位真士
 先日台風二三号が日本を直撃したニュースが、新聞、テレビ等で報じられました。私の住んでいる東京にも直
撃。二一日現在、死者四四名、行方不明三六名とNHKで報道されました。この原稿を書いている時も、死者が
増加しているかもしれません。私はこの出来事を通して、人間の罪の悲惨さを見ます。科学万能、人間中心主義、
無神論、不信仰の日本に、神が大きな警告を与えておられる事と思います。勿論、亡くなった方の中にもキリス
ト者はいると思います。キリスト者といえども、私を含めて、毎日の生活の中でいつも主の臨在を感じているで
しょうか。毎日の生活の中で、神を第一とした優先順位をとっているかという事です。
 最近よく聞く事ですが、礼拝が少なく、夕拝も少なく、祈祷会も少なくなっています。中には夕拝をやめた教
会、祈祷会をやめた教会もあると聞きます。我が教会は如何でしようか。仕事や、プライベート、病気などで、
日曜礼拝を欠席せざるを得ないことにも理由はあると思います。しかし、週に一度教会に出席して、神の言葉を
聞き、祈ろうではありませんか。教会のリバイバル、個人の祝福は、まず神第一の生活から始まるのです。
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコプ四・一五)
 今年は、私の身内が二人、姉と従兄ですが、二月と九月に亡くなりました。やがて、私も地上の生涯を終える
時が来ます。しかし、悔いのない生き方をしたいものです。それには、「主の御心であれば」という事を思って
行動をとりたいと願っています。たとえ自分に不都合な事であっても、神を第一にした生き方をこの誕生月十月
に思ったのです。私の生活は今日から変えよう主によって!!

週報(2004年10月17日)

   バザーを終えて
                                               朝位真士
 二〇〇四年一〇月一〇日(日)午後一時〜四時迄、恒例(三回目)のバザーが行われました。今回は台風二二号の
直後であって、開催が危ぶまれていましたが、神様の恵みと皆様方の祈りと御協力によって、実行することがで
きました。わたしは、バザーの目的を三つ考えてみました。@地域に開かれた教会として、教会を知っていただ
く。A教会員、求道者、教会学校の子供達、その関係者が一致協力して一つのことをする。Bバザー収益の一部
を会堂返済にあてる。(将来は他へ献金できればと願っている。)なによりもパウロが語っている如く、「福音
のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(T
コリ九・二三)
 わたしは当日、外でほとんど客の呼び込みを引き受けました。教会学校の子供達も手伝ってくれました。天候
が不安定な時でしたが、心は晴れやかでした。杉浦委員長を始め、教会員の方々や、求道者、教会学校の生徒達、
本当に全員が生き生きとして、奉仕して下さいました。バザーに対して、いろいろと賛否両論はあると思います
し、謙虚に耳を傾けねばならないと思います。ただ、批判することは簡単ですが、それを行うことは難しいです。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル一一・一)
 「だから、あなたがたは食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさ
い。」(Tコリ一〇・三一)
 「確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ一四・二九) 
 すべて神に栄光を帰したいと思います。

週報(2004年10月10日)

   神学校日を覚えて
                                              朝位真士
 「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」イザヤ六章八節
 今日は、教師の養成を委ねている神学校を祈りと献金で支える日です。現在、日本キリスト教団の認可神学校
は六つあります。東京神学大学、関西学院大学神学部、東京聖書学校、同志社大学神学部、日本聖書神学校、農
村伝道神学校です。私共のホーリネスの群の神学校は東京聖書学校です。
 歴史的には、中田重治、カウマン・キルポルンの両師によって、一九〇一年(明治三四年)東京神田表神保町一
丁目の中央福音伝道館に伝道者養成の目的をもって聖書学院を開始し、一九〇四年柏木の新校舎に移転。その後
校舎を板橋区毛呂に新築し、多数の学生を養成。その矢先、太平洋戦争となり、旧ホーリネス系諸教会に対する
国家の弾圧により、日本基督教団の第六部であった我らの群の多くの教師たちも投獄され、学校はそれらの諸教
会と共に解散を命じられた。一九五〇年日本基督教団淀儒教会内に移し、一九七二年一月まで校長として小原十
三司師が在職し、多くの卒業生を送り出した。一九八〇年一〇月、東京都東久留米市に学校建物を購入して移転。
一二年余にわたりその使命を果たしてきたが、一九九四年四月埼玉県吉川市に新絞舎を建設した。桜ヶ丘教会か
ら、西海静雄、満希子先生が舎監として赴任した。本校の特色は、神学的には、ウェスレアン・アルミニアンの
立場をとり、聖書的清潔を目指し、実践的伝道者を養成することにある。現在山口英希神学生を始め、十数名の
兄姉が学んでいる。
 私は、一九七五年に東京聖書学校を卒業し、北九州復興教会に一九年(フミ子師は一八年)在職して、一九九四
年から桜ヶ丘教会で家族四人で奉仕させて頂いています。
 どうぞ小さき者たちの為にお祈りとご支援下さることを切願致します。

週報(2004年10月3日)

  上半期の恵みを感謝して
                                              朝位真士
 教会の年度は、四月から三月迄である。二〇〇四年度に与えられた御言葉は「わたしはあなたを大いなる国民
にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」(創一二章二節)。「祝福の源(基)」と
いうテーマで一月四日(日)のメッセージを語り、アブラハムの信仰を学んだ。「主が言われたように」その住み
慣れたハランの町を出ていった。信仰とは何よりもまず、神の言葉を聞いてそれに従うことである(ヘブル一一・
一)。
 二〇〇四年度も四月から九月迄の半年間、主は豊かに桜ヶ丘教会を恵んで下さった。五月二三日(日)は、岸先
生のチャペルコンサート(サックス演奏、メッセージ)。五月三〇日〈日)ペンテコステ礼拝にて、二人の若者、三
浦重太兄と中塚彩伽姉が受洗の恵みに与った。六月一三日(日)には、村木健一郎兄と村木のぞみ姉の転入会式が
あった。勿論、喜ばしい事ばかりではない。五月に鎌田康子牧師が召天、六月には西海静雄牧師召天と、二人の
ホ群の教職が召天された。また、個人的ではあるが、私の姉が六九歳で二月に、従兄が六一歳で九月に召天した。
しかし、教会の歩みは着実に前進していかねばならない。
 後半の十月から三月まで、まだまだ大切な行事が残っている。早速来週は、恒例のバザーがある。一一月七日
(日)は召天者記念礼拝。一二月一九日(日)クリスマスチャペルコンサート、ボーマン・ペアンテ先生ご夫妻、(チェ
ロ演奏、ピアノ伴奉、メッセージ)。一二月二四日〈金)クリスマスイヴの集会。一月ホ群聖会。二月二七日(日)
教会総会(予定)。三月二七日(日)イースター礼拝。教会員の方々、是非、無事すべての行事が全うされる事を祈
って下さい。

週報(2004年9月26日)

   先週の恵み
                                               朝位真士
 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。」(コヘレト一二・一)
 私は牧師になって二十数年経過する。先週二〇日は桜ヶ丘教会教師研修会に出席した。参加者六名で有意義な
学びと研修であった。二一日は代々木朝祷会出席。二二日は、午前中は、小花ハツ江姉(九四歳)と松本昇司兄
(七八歳)に敬老記念品と祝福の祈りをさせて項いた。二二日午後は、K姉の御主人の見舞に行く。ここまでは普
通の牧師・伝道師が牧会している事柄である。
 しかし、二三日は九州から信徒の友が来た。三人は私の青年時代、四十年前よりの友人である。一人は牧師に
なっており、埼玉県で活躍しているW牧師である。彼は事故で車イスの生活になったが、車を自由に運転し、方
々で活躍している。草加の福祉施設の評議員もしている。もう一人は現在九州で生活をしているが、二〜三年前
病気で倒れて、現在はリハビリを続けている。九死に一生を得たと言われている。手遅れであったら今はいない。
彼等家族は熱心なクリスチャンホームで、子供三人は幼いときから教会の諸集会に皆出席をし、現在成人してそ
れぞれの道を歩んでいる。全員がクリスチャンである。彼の話になるが、不自由な言語障害を持ちながら、今は
夫人共に教会の礼拝、夕拝、祈祷会にも出席しておられるそうである。北九州復興教会の牧師によると、彼等が
教会に出席しているだけで、大きな慰めであり励ましであり、彼等の姿を見て信仰を決意した方が与えられたと
いうことである。
 二三日の午後は志木教会でユースのフォローアップ集会に出席し、数十名のヤング達の純粋な信仰の証を聞い
て大変恵まれた。本当に牧師として感謝な週であった。

週報(2004年9月19日)

  敬老の感謝礼拝に想う
                                              朝位真士
 今年も敬老感謝礼拝を迎えることができました。特に七五歳以上の方々おめでとうございます。聖書の中に
「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。わたしはあなたたちの老いる日まで、白
髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ
四六・三〜四)とあります。身体的には老化の道をたどる「老い」は確かに機能の衰退をあらわにします。しか
し、人間的には円熟するという他の面を忘れてはならないのです。多年の間、さまざまな経験を通して与えられ
た知識、長い年月の間与えられた多くの人達との交わりを通して自己の人格形成を造りあげた知恵は、尊い宝で
す。特に、信仰をもって生き抜いてきた人々の尊い生涯、いぶし銀のような深い信仰、汲めども尽きないような
信仰認識、あらゆる喜びと苦悩を経た練達した人の姿は、私たちの教会の霊的財産であります。まして「みこと
ばと祈りに励む老人はいつまでも夢と幻を失わない」人達です。教会には、このような優れた多くの老聖徒がい
ます。祈りに励むことをやめない方々は、年齢的には年を重ねたとしても、その魂は若やいで夢と幻を見る人達
です。
 「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れな
い。」(イザヤ四〇・三一)
 老化を防ぐコツ
 @精神的過労を防ぐ。A肉体的過労を避ける。B頭を使うこと。C若い人との接触を。D新聞、雑誌に目を通
す。Eメモ帳をポケットに。F酒、タバコをひかえる。G便通を整える。(「わが家の健康便利帳」より)
 桜ヶ丘教会の歴史を担ってこられた方々、また日本の歴史を担ってこられた方々、敬老おめでとうございます。

週報(2004年9月12日)

   祈祷会へ出席しよう
                                               朝位真士
 キリスト教の信仰にとって、最も不可欠と言えるのが、「祈り」です。祈りは、神との交わりを意味していま
す。「とりなしの祈り」は、隣人に仕える最高の恵みの業なのです。信仰を持たない人も、「お幸せを祈ってい
す」等と挨拶をされます。では、キリスト教の「祈り」とは何でしようか。それは、「神への信頼から来る神
との交わり」です。私達人間同士でも、親しい方々とは多く交わりますし、一緒に時を過ごしたいと願うもので
す。
「民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。」(詩六二・九)
 これはダビデが歌った詩ですが、ここで祈りの本質が教えられます。祈りとは「神の御前に心を注ぎ出す」
ことなのです。
 愛の神は、祈りを必ず聞いて下さいますが、その答は様々です。「すぐ聞かれる祈り」「待たされる祈り」
「答の見えない祈り」があります。しかし、本当は、どれも「聞かれた祈り」なのです。更に祈りを拡げて、
「とりなしの祈り」についで考えますと、「とりなす」とは、「他の人のために、その人の味方をして願う」こ
となのです。自分の利益のためではなく、真心から他者を思い、神の祝福を祈ることは、祈りの業の最高峰と言
えるでしよう。
 現在教会では、毎連木曜日午後七時半(第一と第三は午後二時も)の祈祷会に、エフェソ書の学びをして、目
前に追っているバザーのため、クリスマス諸行事のため、その他、個人の問題、教会のために、熱心な祈りが毎
回されています。あなたも、月一度でも公同の祈祷会に御出席なさいませんか。きっとすぼらしい恵みを体験す
ると思います。(フィリピ四・一三)

週報(2004年9月5日)

  さあ教会出席をしよう
                                              朝位真士
 二〇〇四年度アテネでのオリンピックも終わった。世界民族から二〇二の国、部族の参加で、一七日間の平和
の祭典。オリンピック競技は感動のうちに終わり、日本は今までよりも多くのメダルを獲得した。金一六、銀九、
銅一二「合計三七個。本当に選手達並びにその関係者は良くやったと思う。私もあるときは熱中し、ある時は結
果をニュースで観た。その感動は今も残っている。教会の関係者の方々も夜遅く迄オリンピック競技に熱中して、
聖日礼拝を休んだ方もいるのではないだろうか。私はその事をとやかく言う資格を持ち得ない。しかし、いよい
よ収穫の秋、バザーの秋、クリスマスの近くなる九月に入った。夏の疲れもさることながら、礼拝に出席して、
霊的にリフレッシュして、天国、神の国に入る準備をしたいものである。
 私はこの夏、夏期聖会を始めとして、夏期学校、東京新生教会の特伝、キリスト伝道会の「幻を語る会」に出
席して、とうとう夏休みを取ることができなかった。いつか、休暇を取らせて項こうと思うが、しかし、この夏
は本当に霊肉共に暑く熱い夏であった。又、台風一六号が起こり、各地で自然災害が起こっている。異常気候で
あり、人間の心もすぐカッとなって切れやすくなっている。刑務所や厚生施設は例年にないほど定員オーバーな
状態である。本当に今こそ私たちはもう一度信仰の原点に帰るべきではないだろうか。
 「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、
主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない・・・主は安息日を祝福して聖別されたのである。」
 (出エジプト記)
 聖目礼拝は、魂の安息、休息には必要不可欠な条件である。主は招いておられる。

週報(2004年8月29日)

   日本伝道の幻を語る会
                                               朝位真士
 八月二三日(月)〜二五日(水)迄、市川サンシティホテルでの「日本伝道の幻を語る会」に出席した。今回は三
人の講師、山北宣久先生(教団聖ヶ丘教会、教団総会議長〉、岡田信常先生〈ホーリネス教団大阪教会、大阪ケズイ
ック・コンベンション委員長)、水谷恵信先生(余市郡の農場で悩める人々のための再生の港「恵泉塾」牧師)とい
う三者三様で、全くユニークな方々であった。一日目の講演Tは、水谷恵信先生であった。先生は二二年間高較
の教師をしていたが、神の召命を受け、北海道の小樽市塩谷の精神障害者社会復帰施設「塩谷福祉会」の理事を
務め、一九九六年教職を辞し、余市郡の農園で「恵泉塾」を開き、各地に「恵泉塾」を開き、悩み苦しむ人々の
ために東奔西走しておられる。著書多数あり、『こわれた私、元気になった』がベストセラーになっている。夜、
青年大会で、岡田信常先生が放蕩息子の兄の立場を語られた。二日目は、講演U、水谷恵信先生、講演V、岡田
信常先生、午後、「日本伝道の幻を語る会」三人の発題者、金山良雄兄(ムラサキスポーツ会長)、西本誠一郎兄
(めぐみ堂社長)、児玉博之師(家庭生活セミナー講師)。三人共、クリスチャン実業家、牧師の立場から、現在の
クリスチャンに欠乏しているもの、それは愛であるという事を様々な角度から語られた。夜、宣教大会で山北宣
久先生が、マルコ一・一六〜二〇より、「人を漁る漁師」というテーマで大変ユーモアにあふれた、福音の真理
を平易に語られた。そして先生は、将来のキリスト教の危機について語られ、働き人が必要であるという事で、
招き(司会深谷春男師)をして、多くの方々が、その招きに前に出て祈った。最後に、この集会に出席して、益々
人々の救いのために祈らねばならないという事を祈らされた。出席者約八〇名であった。

週報(2004年8月22日)

  人間とは何か
                                              朝位真士
 先週からアテネでオリンピックが始まっていますが、開会式は「人間とは何か」というテーマであったと記憶
しています。「信仰三〇問三〇答」という小冊子の中に、「人間とは何か」というテーマがありました。『人間
は一つの生き物として、しかも自由な人格として造られました。人間はひとり孤立的に生きるのではなく、創造
者である神と人との交わりにおいて存在しています』と語っていて、更に『人間はまず何よりも一つの生物的、
自然的な存在です。人は誰でも自然の法則にしたがって生まれ、成長し、そして誰もがやがて老いて死んで行く
存在です。どんなに教養を積み、精神を修養しても、人間は飲んだり、食べたり、寝ることなしには生きること
ができませんし、泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら生きています。人間は一個の動物にすぎないと言うこ
とができるでしよう。しかし人間は自分の道を自分で自由に選び取って生きる主体的な存在です。又、人間は社
会的な存在です。人の間いう文字が示しているように、人は他者と依存し合い、助け合い、人と人との交わり
の中で生きています』とあります。又、創世記一・二七には、「神は御自分にかたどって人を創造された。神に
かたどって人を創造された」とあります。人間は他の生物と同じように、生まれ、働き、死んでいく存在です。
しかし人間は創造者なる神の意志によって生かされているものであり、神に向けて造られた者だと明確に述べて
います。人間は「神の像」を持つ者だという事です。これは外面的なことではなく内面的なことであり、神と人
間との特別な関係を示す語として、神から呼びかけられ、応答する責任を負う者として造られ、神に対して我と
汝の関係におかれているのです。人間は神から問われ、それに対して自由に決断し、応答することによって、は
じめて真の人間となるのです。

週報(2004年8月15日)

  夏期学校に参加して
                                             朝位真士
 八月九日(月)〜一一日(水)迄、奥多摩福音の家で、教師六名、子供(中学生を含む)九名で実施した。今回は、
「イエス様のたとえばなし」が主題で、東京都郊外での夏期学校であった。初めての場所であったが、良い自然
環境であった。
 一日目、午前一〇時桜上水駅集合で出発し、一二時半過ぎに福音の家に到着。昼食を終え、小礼拝堂で開会礼
拝、山口英希神学生のメッセージ、エフェソ五章六〜九節、「光の子として生きる」。礼拝T、フミ子師、マタ
イ一三章二四〜五二節、「天の御国のたとえ」。午後八時からのきもだめし、花火は雨天中止。
 二日目、朝の祈り。礼拝U、マタイ一八章二一〜三五節、「ゆるされた者としてゆるす」、横田たみ子姉。ハ
イキング、川あそび。礼拝V、ルカ一〇章二五〜三七節、「よいサマリヤ人のたとえ」、安東努兄。キャンプフ
アイヤー、花火、山口神学生指導。
 三日目、朝の祈り。閉会礼拝、ルカ一〇章二七節、「神の愛」、朝位師。午後三時頃、桜上水駅無事到着。以
上のようなプログラムであった。
 ここまで来ると何もなかったようであるが、実は二人の男子児童が病院通い。一人は風邪で、もう一人は喘息
の発作が起こり、救急車でJR河辺駅近くの青海市立総合病院救急センターに搬送し、処置をしていただいた。
一度に二人の病人がでたことは、主催者として大変責任を感じている。しかし、同労者の教会学校教師ならびに
参加した子供達の協力を得て、全てを最善に導かれた。一人は午後に元気になり、もう一人は最後の三日目に、
母親と一緒に教会に来て、元気な姿を見せてくれた。神に支えられ、守られた夏期学校であった。教会員の方々
の祈りを身にしみて感謝した。

週報(2004年8月8日)

  教会とは何か
                                              朝位真士
 「神の選びによって建てられ、キリストの名によって集められた共同体が、教会です。み言葉の説教と聖礼典
が正しくなされることが真の教会のしるしです。」と語られています。確かに教会によって、礼拝の雰囲気には
違いがあります。大きな教会も、小さな開拓伝道の教会もあります。しかし、宗教改革者たちが、真の教会のし
るしを「み言葉の説教と聖礼典の正しい執行」の二つと考えてきたことを知りました。主イエスご自身が「二人
または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ一八・二〇)とお
っしゃってくださいました。つまり、教会とは、主イエス・キリストによって選び、呼び集められた者たちの群
です。しかもそこで、礼拝が捧げられ、聖礼典すなわち洗礼と聖餐が正しく行われているところ、それが教会な
のです。聖書は、教会を「キリストの体」と呼んできました(Tコリ一二・二七)。つまりキリストを頭として、
信仰者ひとりひとりがその体の枝として連なっているという理解です。わたしたちは教会というと、建物とか、
牧師とか、礼拝出席者の人数とか経済力とか、地上の土台のことばかりを考えてしまいます。勿論それらがつま
らないもの、どうでもよいものと言うのではありません。そうではなくて、目に見える教会は常に目に見えない
教会を背後にもち、それに支えられているということです。もし教会が主イエス・キリストに基礎をおくことを
忘れ、この世の知恵によってだけ成り立つとするならば、どんなに外面は立派な教会であっても、教会はその価
値を失うのです。したがって、教会は、み言葉なるキリストご自身によって、キリストの体にふさわしく新たに
されていく必要があるのです。それには、聖書と祈りと、献財、奉仕、宣教が大切な要素となります。

週報(2004年8月1日)

    二人の若手伝道者の手紙より
                                              朝位真士
 桜ヶ丘教会には、今迄多くの神学生の方々が派遣されて、現在各所で素晴らしい賜物を生かしつつ、宣教牧会
に励んでおられます。一人はM先生。彼は南に三年にて、現在は北で伝道しています。彼は最近結婚をし、幼児
と妻と三人で北の端、網走で開拓伝道を始めました。彼の網走一麦(ひとむぎ)伝道所ニュースレターより引用してみると、
「網走に着いて三ヶ月がすぎて、初めの一ヶ月間は、とにかく伝道所開設の準備に毎日が追われました。テーブ
ル、椅子、塾用のホワイトボード購入、看板作りなどです。・・・とにかく、まず急務とされるのは福音を一人
でも多くの方に語り伝え、求道者を獲得することです。そのためにトラクト、伝道所案内を配ることから始めま
した。また、学習塾を始め、子供たちに福音を語ることも始めました。「聖書とゴスペルの集い」と題して、公
共施設での福音宣教も始めました。」彼は、既成教会に対して、開拓伝道のヴィジョンに燃えて、奥さんや周囲
の反対を押し切って、自分の信仰の決断によって、北海道の網走で開拓伝道を始めたのです。私も九州で、母教
会のバックアップで、借家から開拓伝道をして、会堂建設もさせて傾き、教団的に申し上げるならば五〇名信者
が与えられて、自立教会を目指してやって参りましたが、何のスポンサーもない所からの開拓は本当に大変です。
皆様祈って下さい。
 もう一人はT先生です。彼は西海師より指導を受け、満希子先生の母教会で牧会をされている、ホ辞の若手の
リーダーです。夏期聖会での発題でもかなり間題提起をされたが、思った事をハッキリ言える青年牧師です。
 私はこの二人の群の若手リーダーの青年牧師達に、テモテT・四章一二節を贈ります。「言葉、行動、愛、信
仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」

週報(2004年7月25日)

  夏期聖会に参加して
                                             朝位真士
主題「今こそ、きよめに生きる」教会形成。聖句「すると、ペトロは彼らに言った。『めいめい、イエス・キ
リストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきたい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」(使
徒二章三八節)
 日時、七月一九日(月)〜二一日〈水)。会場、厚生年金ハートピア熱海。
 一日目、開会聖会T、説教、原登師、司会、山岡磐師、聖書、ヨシュア四・一九〜二四、「二つの転機」。聖
会U、説教、村上宣道師、司会、原田謙師、立証、澤田直子師、聖書、詩五一・一〇〜一七、「四つの可能性」。
二日目、早天聖会V、司会、久保良行師、説教、朝位真士師、フィリピ四・二〜一三、「主にある一致」。主題
を受けて発題、司会、東海林師、発題、伊奈師、石川神学生、長田姉。分団。聖会W、説教、村上宣道師、司会、
深谷春男師、立証、聖書フイリピ一・一二〜二一、「生きるはキリスト」。三日目、早天祷告会。分団。閉会聖
会、説教、横山義孝師、司会、大友師。以上のようなプログラムであった。
 私は今回のホ群夏期聖会に出席して、特に外部講師の村上宣道先生(日本ホーリネス教団坂戸教会牧師)のメ
ッセージを伺い、大変平易な言葉で、きよめの本質を多く計って下さったと感じた。そして、大変場慣れていて、
話も内容もわかりやすく、例話がたくみで、心にとまった。また、原師は、ホ鮮のメイン・プリチャーとして、
「新生と聖化」の問題について、具体的に語って下さり、八三歳とは思えない若々しさを感じさせる、確信のあ
るメッセージであった。横山師も、救われた当時の明確な悔い改めと、「臨在のキリスト」「内住のキリスト」
を強調された。私も早天聖会の御用が無事に終わり、ホッとした。

週報(2004年7月18日)

  夏期の集会の為に祈って下さい
                                              朝位真士
 この夏期は、七月八月と集会が続いて開催されますので、是非祈って下さい。
 第一五回ホーリネスの群首都鰯夏期聖会。主題「今こそ、きよめに生きる」U教会形成。聖句「すると、ペト
ロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していた
だきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」(使徒言行録二章三八節) 日時は七月一九日(月)〜
二一日(水)。主講師、村上宣道師、他、原登師、横山師、湯本師、高桑師、町田師、朝位等。
 夏期学較(桜ヶ丘教会主催)は八月九日(月〉〜一一日(水)。場所奥多摩福音の家。主題「イエス様のたとえ話」。
CS教師、安東兄、横田姉、山口神学生、フミ子師他。
 日本伝道の幻を語る会は八月二三日(月)〜二五日(水)。場所は市川サンシティホテル。主題「いよいよ始まる
リバイバルの幻」。聖句「恐れるな。黙っているな。語りつづけよ。この町にはわたしの民が大ぜいいる。」
(使徒一八章九〜一〇節)講師、山北宣久先生(日キ教団議長)、岡田信常先生(大阪キリスト教会)、水谷恵信先
生(恵泉塾牧師)。
 心の歌とメッセージの集い。日時、八月二一日(土)〜二二日(日)。場所、日キ教団東京新生教会。講師、朝位
真士、西村信子先生(ゴスペルシンガー)。
 以上の様に夏期の諸集会が開かれます。是非、この集会で救われる人、献身する人が起こされ、教会全体にリ
バイバルの業がなされる様に、桜ヶ丘教会の皆様方の熱祷を心よりお顧い申し上げます。

週報(2004年7月11日)

   西海静雄先生の召天に当って
                                                  朝位真土
 六月二九日午前○時二五分、東京女子医大病院にて家族に見守られ、「ありがとう、ありがとう」と感謝の言
葉を残しつつ、平安裡に招天。享年六二歳。
 先生は、一九四一年一〇月二五日、山梨県中巨摩郡(現南アルプス市)戸田にて出生。一九六三年一二月、日本
基督教団石和教会にて石川守正牧師より受洗。一九六四年五月、東京聖書学校に入学。一九六七年四月、同教団
東講布教会に赴任。一九六八年四月、桜ヶ丘教会に赴任。一九七〇年二月湯沢満希子師と結婚。栄美子、実、光
二の三人の「お子様に恵まれる。一九九四年四月、東京聖書学校舎監兼吉川教会牧師として開拓伝道に従事。二〇
〇三年三月、吉川教会は第一種教会となる。六月、骨髄異形成症侯群と診断される。著書、「教会に喝、あなた
に活」「みことばアンサンブル」、「人生のスパイス」、「生還の軌跡」等がある。(故人略歴より引用。)
 前夜式六月三〇日(水)一八時〜、告別式七月一日(木)二時〜。私は前夜式の感話で西海静雄師について語っ
た。@大変ユニークな際物をもって、説教はいつもユーモアに満ちた笑いの中に人々を福音の真理へ導かれる方
である。A教会者として大変こまやかな人で、信者一人一人を大切にされた。またそのニーズに的確に答えた人
であった。B桜ヶ丘教会の冠婿葬祭には、しばしば出席されて、祝辞や弔辞を述べられた。私共の教会にとって
も霊の父であられた。
 先生は、舎監、吉川教会開拓者、ホ群事務局責任者、聖書学絞の教授として、この四つの使命を十年間で全う
して、天国に急いで帰られた。「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。霊も言う。『しかり。彼
らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」(ヨハネ黙示一四・一三)
 御遺族の上に神の慰めを祈ります。

週報(2004年7月4日)

  ホ群首都圏教師会
                                              朝位真士
 過ぐる六月二八日午前一一時から午後三時半過ぎまで、ホ辞首都圏教師会が桜ヶ丘教会で開催された。伊奈先
生の子供さんを入れて二四名集まった。
 最初に開会礼拝。司会とメッセージの御用を私がさせて頂いた。ヘブル一一章一〜三節を通して「信仰とは」
というテーマでメッセージをさせて頂き、桜ヶ丘教会の八二年の歴史について、特に初代教会の牧師板井康裕先
生の事や、西海静雄、満希子先生の二六年間のお働きや、群の先生方、信徒方の証しと働きを語らせて傾き、信
仰の定義である「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(一一・一)を通し、
信仰の人たちの事を聖書を通して語らせて頂いた。礼拝後少し事務会をして、外へ食事に出掛けて行き、教会に
戻って、ユース・バイブルキャンプ (八月二〜五日、主講師池田玲二先生)と夏期聖会(七月一九〜二一日、熱
海で開催、主講師村上宣道先生(元ホーリネス教団委員長、太平洋放送協会理事長等)、原先生、朝位等)の為に祈
った。参加者目標一〇〇名、現存八五名与えられでいる。あともう少し与えられるように祈った。次に西海静雄
先生のご病状のご報告が西海満希子先生よりあり、予断を許さない状態なのでなお祈って欲しいという要請があ
った。また先生が退堂されて、具体的に経済的支援をどうするかという話も出た。経済的にも大変神様の助けを
必要としていると思う。(六月二九日、召天されました。)
 喬木教会から伊奈先生御家族四人が、朝早くから車で来られた。伊奈先生も私共の教会で神学生として立派な
奉仕をされ、今では二児のパパとして、若手のホープとして成長されている事を感謝した。

週報(2004年6月27日)

   チャペルコンサート礼拝
                                              朝位真士
 今年も岸義紘先生をお迎えすることができて、心より感謝申し上げます。
 私共の教会の新会堂が建設されて七年目を迎えています(一九九七年一二月完成、九八年二月献堂式)。ここ
数年は、地域に開かれた教会として、音楽とキリスト教のメッセージを伝えるチャペルコンサートを春と冬(一二
月)に開いています。
 岸先生は、ここ数年、毎回私共の教会に来て下さいました。先生はどんな小さな所、家庭集会、朝祷会、教会、
聖会、ゴスペルコンサートなどでも御用され、席のあたたまる暇のないほど御多忙な方です。また信徒向けのJ
TJ宣教神学校の校長でもあり、ミッション二〇〇一巡回伝道者、国体水泳元神奈川県代表選手、ムラサキスポ
ーツ競泳チーム所属選手等、多くの賜物を主のためにささげて御用されておられる先生です。神学校を出られて、
一〇年間牧師を務め、その後、巡回伝道者となられ、人生のモットーは「だれのまねをするでなく、ひたすら自
分自身を生きる」「招かれる食事と頼まれる説教はことわらない」ということであり、著書に、『躍動する神の
愛』『躍進する聖書的教会』『お父さん出番です』『おかあさんだいじようぶです』『人間関係の回復』『男女
・恋愛・結婚』『教会・刷新・成長』等多数です。また一般向けサックスCDや、賛美CDをリリースしていま
す。
 私は、岸先生と数年前からお交わりさせていただいていますが、霊的魅力と人間的魅力を兼ね備えられた先生
です。メッセージは大変わかりやすく、主イエス・キリストの福音をストレートに語り、音楽(サックス演奏)
とメッセージを携えて全国を巡回されています。二〇〇五年度五月か六月にもまたチャペルコンサートの御用に
来て下さる予定です。来年のためにも祈って待ち望みましよう。

週報(2004年6月20日)

   牧会雑感
                                               朝位真士
 「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」マタイ九章一二節
「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。・・・信仰による祈は病んでいる人を救い、そして、主はその
人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。」ヤコブ五・一四〜一五
 最近、私の身近な者の中から、病気になる人が続出して来た。又、教会員の中からも病気にかかる人が増加し
ている。私は密室の祈り(大体五時半〜六時頃)で、毎朝神様にお祈りをさせて項いている。病人の年令は様々で
ある。幼児から高齢者に至る迄、病気の内容も様々である。私自身も小学校四年生(十才)の時に一ケ月余入院を
した。その時は、毎日ペニシリンを注射された記憶がある。クリスチャンでなかったので、日本の偶像の神々に
祈り、医者に頼った。病気になると、本人も身内の者も大変つらい思いをするものである。健康であるというこ
とが、どんなに幸いなことであるかと思う。しかし、病気になって、神様のことを考える時が与えられて、信仰
を持つ人もいる。                二
 私の教会にも、長期の方や短期の方がいるが、それぞれつらい悲しい思いをしている。ホーリネス信仰に、神
癒の恵みというのがある。病気は神様がいやして下さるという信仰である。勿論、医者や薬が不用というのでは
ない。しかし、病気にかかったら、まず神に祈る(勿論、健康時にも祈りが必要である)。そして、医者や薬を信
頼する。パウロはコリント第二・一二章七〜一〇節に、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの
力は弱いところに完全にあらわれる」と語っている。来週の二七日は、岸先生を通して、この箇所より御言の取
り次ぎがなされる。大いに期待して、チャペルコンサートに臨もうではないか。

週報(2004年6月13日)

  桜ヶ丘教会の歩みを感謝して
                                               朝位真士
 一九二三年(大正二一年)六月一日、板井康裕牧師が東京都世田各区桜新町の自宅で、東洋宣教会の福音使とし
て伝道を開始。その後、同区駒沢に集会所を借用し、駒沢ホーリネス教会となる。一九三七年(昭和一二年)、渋
各駅前の桜ヶ丘へ移転、渋谷聖教会となる。一九四四年(昭和一九年)、杉並区下高井戸一丁目に疎開した。この
戦争中は、国家による全国的なホーリネス教会への弾圧、教会解散命令、集会の禁止などのために、教会は壊滅
的な打撃を受け、板井牧師の逮捕を免れたものの、集会はできず、近くの松沢教会で礼拝を奪った。一九五七年
(昭和三二年)、板井牧師召天後、東京聖書学絞の学生派遣、ホーリネスの群から数ヶ月から二年の任期で多くの
先生方が桜ヶ丘教会を助けた。一九六八年(昭和四三年)、西海静雄牧師が赴任して、牧師の異動がなく、教会は
安定した。しかし、一九七〇年(昭和四五年)、満希子師赴任後、甲州街道拡幅工事のため教会は再び危機に至っ
た。この難局に牧師、教会員は一致して当たり、一九七丘年(昭和五〇年)、四丁目のマンションの一階を購入し、
会堂兼牧師館とした。一九七七年(昭和五二年)、五階を購入、牧師館とし、一九八七年(昭和六二年)、四階を購
入し、教育館とした。一九九四年に北九州復興教会より朝位牧師一家が赴任し、一九九七年一二月、下高井戸三
ー二ー九に新会堂が与えられて現在に至っている。その間、教会員の方々の祈りと信仰と献財によつて、毎月二
八万九一三円のローン返済が支えられている。現住陪餐五五名の会員でこの難事業が支えられたのは、真に神の
恵みと、桜ヶ丘教会のために祈って支援して下さる外部、内部の方々の信仰と実践のほか、なにものでもないの
である。全能の神、我等の主イエス・キリストに感謝をしましよう。

週報(2004年6月6日)

  二人の若者の受洗を感謝して
                                              朝位真士
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。」コヘレト一二・一)
 五月三〇日(日)ペンテコステ礼拝にて、二人の若者が受洗して桜ヶ丘教会の会員となった。一人は中塚彩伽姉
一三歳(中学二年生)。昨年より、毎週教会学校に出席している。中塚姉の証しによると、小さい頃から教会に
通って、幼稚園からキリスト教関係に通っていた。小学校もプロテスタント系に通って、現在もミッションスク
ールの中学生である。転居の度に近くの教会に通い、御家族の良き御理解のもとに、「これからも一生神様の子
として生きていきたいと思い、洗礼を希望しました」と、証しの中で述べていた。洗礼当日は、御両親と弟さん、
クリスチャンの叔母さんも出席され、中塚彩伽姉の受洗を喜び祝福した。
 二人目は、三浦重太兄二八歳、会社員。彼も小さい頃から、教会関係でボーイスカウト活動をしていた。職場
の友人の紹介でプロテスタント教会に通っていたが、仕事の関係で桜ヶ丘教会の近くを通りかかった時、三月頃
であったと思うが、「バイクを置けますか」という会話で、教会に出席するようになった。山口神学生との交わ
りもタイミングよく、礼拝に欠かさず出席し、夜まで残り、夕拝にも出席し、時には祈祷会も出席している。熱
心な青年である。
 この二人の若者達の共通点は、自分から教会を探して来られ、教会出席をされて、洗礼も自分から志願された
ということである。
「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。・・・若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒二・一七〉
 桜ヶ丘教会の会員になられた、若い兄姉の上に神の祝福を祈ると同時に、会員の方々にもとりなしの祈りを切
に願う次第である。

週報(2004年5月30日)

  ペンテコステを迎えて
                                             朝位真士
 ペンテコステは五旬節、聖霊降臨日とも言う。旧約では「七週の祭り」(出エジ三四・二二)、または「刈り入
れの祭り」(出エジ二三・一六)と呼ばれて、過越の祭に続く種を入れないパンの祭で、大麦の初穂をささげてか
ら七週間後。このことから、ギリシャ語のペンテコストス(五〇番目の)を語源として、五旬節とも呼ばれる。
 新約に於いて、イエスは、復活後に昇天する際、弟子たちに約束の聖霊を受けるまで、エルサレムにとどまる
ように教えた。一二〇人ほどが、エルサレムの屋上の間で祈りに専念しながら聖霊の降臨を待っていたところ、
五旬節に、聖霊が激しい響きとともに彼らに下った(使徒一〜二章)。クリスチャンにとってのペンテコステは、
この聖霊降臨を記念する日となった。ペンテコステには、旧約の背景も考え合わせて、以下のような意義がある。
@十字架と復活の一連の贖いのわざの完了と集結を意味している。A諸国の霊的刈り入れの始まりであり、三千
人の初穂が与えられた(使徒二・四〜一三)。B聖霊は「もうひとりの助け主」(ヨハネ一四・一六)として、弟子
たちとともに生きたイエスの身体的臨在の代わりに、弟子たちに伴い、力付け、神の国の宣証を権威付けること
になる(ローマ一五・一九)。C教会の誕生である(使徒言行録全体)。
 私共は、二〇〇四年度のペンテコステを迎えるにあたり、もう一度、初代教会の如く初心に帰って、主の前に
悔い改めて聖霊の力を頂き、主イエス・キリストの証人として福音を宣べ伝え、神の国の建設の為に働こうでは
ないか。新しいエルサレムに属する私共は、聖霊の力によって、満ち満ちた信仰生活を送ろうではないか。

週報(2004年5月23日)

   教誨師研修会に出席して
                                                朝位真士
 去る五月一一〜一二日、教誨師研修会が千葉の市原刑務所と市原学薗の二力所で行われた。市原刑務所は交通
事犯受刑者に対して、しょく罪感に根ざした人命尊重と遵法精神のかん養を処遇の基本方針としている。そのた
めに、開放約な環境と自主、自立の雰囲気の中での規律正しい生活を通じて、生活指導、職業訓練など、必要な
教育を行い、健全な社会人を育成することを目標とする指導を行っている。昭和三八年(一九六三年)三月、東
京矯正管区内の交通事犯受刑者処遇が千葉刑務所習志野作業場において試行的に始まった。平成一三年(二〇〇
一年)九月、全国各施設で刑が確定した交通事犯受刑者の収容が開始された。一七万平方メートルの敷地を有し、
建物の延面積は一万五千平方メートルで、片舎、寮舎、工場、講堂、グランド、農場があり、収容定員は四六三
名である。受刑者は病気などで休養となっている者を除き、平日は作業を行っている。作業時間は一日八時間、
一週四〇時間が原則となって、作業がない土曜、休日は自由時間があり、各種のクラブ活動、スポーツ、行事な
どに参加して有意義な時間を過ごすようにしており、夜間学習を希望する者には、午後一〇時まで図書室の利用
を許可している。
市原学園は男子少年院であり、昭和六〇年四月、交通問題専門のモデル少年院として開設され、処遇の特色は、
開放処遇、少年の自主性や自律性の伸長を目指している。また、院外委嘱教育、職業実習として、市内の事業所
へ通わせたりしている。さらに、親子ぐるみ教育等を処遇の特色としている。
 私はこの二つの矯正施設を訪問して、彼らが二度とそのような施設に来ないように祈りたいものである。大変
有意義な学びてあった。

週報(2004年5月16日)

  鎌田康子牧師の召天の報に接して
                                              朝位真士
 鎌田康子牧師の召天の報に接したのは、五月一〇日〈月)のキリスト伝道会の実行委員会の席上でした。私は、
鎌田牧師が私共の後任として北九州復興教会曽根教会に赴任された事で、師を知る事になりました。その後一九
九九年、宇都宮上町教会、二〇〇一年には京都復興教会、二〇〇二年越谷教会と歴任され、若い牧師として大変
青年伝道に意欲を燃やされ、ホ群のユースパイプルキャンプの集会等では、中心的な働き手でした。出身は赤羽
教会、深谷春男、美歌子両先生の御指導により献身されて、牧師になられた先生でした。越谷教会の青年会が復
活され、献身者も出て、主任の石橋秀雄先生も大変鎌田先生に期待をされておられた様子でした。教会につなが
る人達は、鎌田先生の暖かい人格にふれて、主の慰めを得ていたので、越谷教会は大きな痛手を受けています。
鎌田先生は四年前に御病気になられ、その病気と闘いながら、精一杯主の務めを果たしていました。
 召天される前日の五月九日の聖日も、立派にその務めを果たされ、五月一六日聖日礼拝の説教もUテモテ三章
一〇〜一七節「整えられるために」という題で準備されて、五月九日深夜、「苦しい、疲れた」という言葉を残
されて急逝された様子をうかがいました。私達にもサインは出しておられたと思いますが、お互い伝道者同志、
多忙で、自分の教会の事で精一杯であるので、鎌田牧師とじっくり話し合う時間がなかった事が残念でなりませ
ん。誕生一九七〇年一月二一日。
 五月二一日(水〉の前夜式を終えて、越谷教会の青年一四名が、鎌田牧師の棺の周辺で徹夜して語り明かした事
を聞きました。青年達に愛され、教会員に愛された故鎌田康子牧師に神の慰めを祈ると同時に、御遭族の方々へ
も、神の慰めをお祈りします。

週報(2004年5月9日)

   母の日に想う
                                              朝位真士
 出エジプト二〇・一二に「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長
く生きることができる。」とあります。今年の母の日は五月九日。今日の聖日です。母の日の起源に思いをはせ
てみましよう。
 アメリカのヴァージニア州ウエブスターの町にあったメソジスト教会に、アンナ・M・ジャーヴィスという、
教会学校の教師を二六年間も奉仕した婦人がいました。ある日曜日に、モーセの十戒より第五戒の『あなたの父
と母とを敬え』の箇所より話し、「皆さんの中でどなたかお母さんの偉大な愛に対し、心から感謝を表す方法を
考え出してくださる方のできることを望みます」と語りました。その時、娘のアンナは、お母さんの話を感銘深
く聞いていました。その後ジャーヴィス夫人は亡くなり、教会で追悼会が開かれることになったとき、娘のアン
ナは、以前お母さんから聞いたことばを思いだし、たくさんのカーネーションの花をささげ、お母さんをしのび
ました。このことが列席者一同に大きな感動を与え、やがて、有名な百貨店主で、後に大臣となっても教会学校
の教師を続けた、ジョン・ワナメーカーの賛同を得、同氏の店頭で、五月第二日曜日に盛大な記念会が催されま
した。これが母の日の始まりで、一九〇八年のことでした。一九一四年にアメリカの議会は、五月第二日曜日を
母の日と定め、やがて母の日は、全世界に広まったのです。
 私は、自分の母が約四〇年前に召天しましたが、母の思いを今でも忘れません。サラリーマン生活をしていた
頃、月一回は福岡の寮まで来て、洗濯物や小遣いやおはぎを作って持って来てくれました。私は、毎週日曜日教
会に出席していたので、母の置き手紙と、お土産だけでした。今考えると親不孝でした。

週報(2004年5月2日)

  「ハイデルベルグ信仰問答」より
                                              朝位真士
 「ハイデルベルグ信仰問答」問二一、まことの信仰とは、何ですか。
 答、それは、神がみことばによって、われわれに、あらわして下さったことを、みなまこととする堅固な認識
だけでなく、聖霊が、福音によって、わたしのうちにおこしてくれる、心からなる信頼のことであります。これ
によって、他の人々に対してだけでなく、わたしのためにも、罪のゆるし、永遠の義、祝福が、ただ、恩恵によ
り、キリストのみわざのゆえにのみ、神から、あたえられるようになるのです。
 問二二、それならば、キリスト者が、信ずべきことは、何でありますか。
 答、福音において、われわれに約束されていることのすべて、すなわち、われわれの公同の、疑うべからざる、
キリスト教信仰の、信仰個条が、約束された形において、われわれに、教えていることであります。
 問二一の解答聖句は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル
一一・一)「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け
入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(Tテモ一・一五)「事実、あなたがたは、恵
みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ
二・八)
 問二二の聖句は、「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません」(Uテモ三・一四)、
ガラ一・八などです。
 以上のように、信仰とは何か、信仰の対象は何かを、この際もう一度吟味して、信仰の基本、原点に帰って、
信仰の成長をさせて傾きましよう。

週報(2004年4月25日)

   代々木朝祷会に出席して
                             朝位真士
 四月二〇日(火)午前一〇時半より、代々木朝祷会に出席した。講師は
小林利夫先生(前日本聖書神学校校長)で、マルコ一三章三二〜三七節を
通して、「目を覚ましていなさい」という題をもって語られた。序にお
いて、信者として欠くことの出来ない要素が三つある。@公同の礼拝に
出席する。A御言に聞くこと。B祈ること。この三つであると言われ
た。ある人は、教会の礼拝には出席するが、祈らない、御言を学ばな
い。又、祈りはするが、礼拝に出席しない、御言を学ばない。又、御言
を学ぶが、公同の集会に出席しない、祈らない。これらは一つ一つ別々
ではなく、一つである。公同の礼拝に出る人は、御言を聞き、祈る人で
ある。これは、クリスチャンとして基本的な要素であると言われた。
 次に本論において、「目を覚ましていなさい」。これは、祈りなさい
と言われた事である。ペンテコステの日、弟子たちは、一〇日間エルサ
レムの二階座敷で祈っていた時に、聖霊が降ったとある。祈らないクリ
スチャンの信仰は弱い、生々としていない。イエス様はゲツセマネの園
で、弟子たちに、誘惑に陥らない、目を覚まして祈っていなさいと言わ
れた。このマルコ一三章三二〜三七節も「目を覚ましているように」と
三回も主イエスは言われた。私達クリスチャンも目を覚まして祈ってい
こう。教会は信仰はあるが、祈りが不足している。祈りのない所に神の
奇跡は起こらないと、強く小林師は強調された。さあ私たちは、祈祷会
に励もう!!

週報(2004年4月18日)

  東京聖書学校入学式に出席して
                            朝位真士
 四月一三日(火)、東京聖書学校の入学式に出席した。司会、深谷春男
師、説教、島隆三師であり、説教箇所、出エジプト三章より、「燃え尽
きない柴」という題で語られた。              、
 島師は、モーセの召命を通して、モーセの生涯を三期に分類、四〇歳
迄のエジプト王宮での生活、八〇歳迄のミデアン四〇年間、羊飼いの生
活をして、八〇歳から神の山ホレプで神の召命を受ける。モーセは確実
に神の声を開いた。伝道者も、人の声よりも先に神の声を聞く必要があ
る。神の声を聞く事が出来なくなると、柴がすぐ燃え尽きるように燃え
尽きてしまう。燃え尽きない為に、神の声を聞く。モーセは、柴の間か
ら神の声を聞いた。そして燃え尽きない柴という不思義な光景を見た。
何故か。永遠の神が有限の世界に入って来られたからである。エリヤと
いう預言者は大きな働きをしたが、燃え尽きてしまった。私達も、神の
声を毎日開く。伝道者はこれが必要である。つまりデボーションを欠か
さずする事である。これは、クリスチャン全員にも言えることではない
か。
 今回は四人の新入生、井上博子(高槻教会)、今井靖清(韮崎教会)、山
名正彦(南山教会)、稗田みどり(青梅恵みキリスト教会)と、特別研修生
石川つばさ(天門教会)の五人が入学された。この神学生達の為に祈って
行こう。

週報(2004年4月11日)

   ホ群年会に出席して
                            朝位真士
 四月五日(月)〜七日(水)迄、市川サンシティーで「明日へ向かうホ群
教会」(フィリピ三・一三〜一四)という主題のもとに、全国から教職、
信徒約一六〇名近くが集まった。
 四月五日の午後三時は開会礼拝で、説教、久多良木和夫師(北九州復
興教会)、司会、萩原義春師(紀伊長島教会)、に始まり、聖会T、説教
八束潤一師(新居浜教会)、司会、川崎献一師(用瀬教会)。二日目、事務
会T、Uがあり、全体協議「明日へ向かうホ群」というテーマで、三人
の教師の発題があり、夜、派遣式と聖会Uがあり、説教、原田謙師(更
生教会)、司会、山岡磐師(初雁教会)で、派遭式には約二〇名の転職の
人事異動があった。三日目は、事務会Vがあり、聖会Vで、説教、五味
明子師〈秋鹿教会)であった。私はこの三日間の年会に出て、今年ほど疲
れた年会はなかった。何故なら、私は議事運営委員になり、前の机に約
七時間座りずくめであり、聖会の祈祷委員もしていたので、霊的な祈り
と事務の円滑さのために、祈りと信仰を必要とした。ふりかえってみれ
ば、「明日へ向かうホ群教会」というテーマであるが、献身者が少ない
事と学校体制の維持強化が重要な課題であると思った。しかし主はホ群
を愛しておられ、ホ群の年会を祝しておられる事を肌で感じた。ホ群の
執行部の方々ご苦労様でした。

週報(2004年4月4日)

  受難週を迎えて
                           朝位真士
 今日の聖日は、棕櫚(しゅろ)の主日として、受難週の第一主日で、エ
ルサレムに入城する主(マタイ二一・一〜一一)の凱旋を喜び、民衆が
棕櫚の枝を取って出迎えたところから、棕櫚の主日または枝の主日とも
いわれます。
 洗足木曜日(今年は四月八日)。最後の晩餐のとき主が上着を脱ぎ、
弟子たちの足を洗ったことにならったものです{ヨハネ一三・一四〜一
七)。今週は、経堂緑岡教会で午後七時から、、もより教会受難週合同礼
拝があります。夜の祈祷会は、そちらの救会と合同です。どうか出席で
きる方は、出席しましよう。案内のチラシは受付にあります。
 受難日、聖金曜日とも呼ばれ、キリストが十字架にかかった日です。
今週の九日(金)です。午前九時に十字架にかかり、一二時になったとき
全地は暗くなり、午後三時まで続きました。そして三時に息をひきとら
れました。従って特にこの日は、主の受難をおぼえ、十字架による罪の
許しと、完全なる救いの完成に感謝し、主をしのぶ時や、祈り会などが
開かれます。
 私は、毎年この時期に、マタイ二六〜二八章、マルコ一四〜一六章、
ルカ二二〜二四章、ヨハネ一三〜二一章の聖書箇所を読み、主の御受難
と復活の出来事を学び、キリスト教信仰の十字架と復活の信仰を新しい
気持ちで持ちたいと思っています。(コリントT・一五・三〜五)

週報(2004年3月28日)

   二〇〇三年度をふり返って
                                               朝位真士
 今日の礼拝は二〇〇三年度最後であり、次週から二〇〇四年度に入る。この一年を静かにふり返っていろんな
事を想い出す。四月一日〜三日、ホ群年会。四月二〇日(日)、イースター礼拝。午後二時から栗澤兄と黒田姉の
結婚式。四月二七日(日)、教会総会。五月二五日(日)、岸義紘先生のテナーサックス演奏とメッセージのチャペ
ルコンサート。六月八日(日)、ペンテコステ礼拝。斉藤雅之兄受洗。森山結姉、信仰告白式。二人の若者が正式
に入会された。八月五日(火)〜七日(木)、CS夏期学絞。会場、憩山荘。九月二一日〈日〉午後二時、藤井圭子女
史〈キリスト伝道会)の特別講演会。一一月二目(日)、召天者記念礼拝。午後一時〜四時迄、教会バザー。一二月
一四日(日)、ペアンテ・ボーマン師夫妻によるチェロとメッセージ。午後よりCSクリスマス。一二月二一日
(日)、クリスマス礼拝並びに祝会。一二月二四日、クリスマスイヴ集会。梶原兄姉の証し。相良おり絵さんのバ
イオリン演奏。一月三日(土)〜四日(日)、ホ群新年聖会。桜ヶ丘教会を会場に開かれた。二月二九日、二〇〇三
年度第二回教会総会。その他、個人的になるが、一月二五日(日)、教区伝道部主催で「教誨師の講演の夕べ」が
あり、深山先生と私が講演をさせて頂いた。教区ではじめて、教誨師の活動を伝道の一環として、バックアップ
と祈りがなされた。私も一年間、無事に守られた事を神に感謝したいと思う。また姉が二月に召天、六九歳であ
った。
 二〇〇四年度は、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源と
なるように。」(創世記一二・二)の御言葉の如く、わたしたち一人一人が祝福の基となる事が出来る事をお祈り
致します。

週報(2004年3月21日)

   高水達太郎さんの召天に際して
                                               朝位真士
 三月三日、自転車で転倒されて、三月一一日、世田谷の下田総合病院に緊急入院され、翌一二日、午後七時一
八分、八四歳を前にして、多臓器不全で死去された。糖尿病も患っておられた。私は、一二日に病院に行き、高
水さんの御遺体と共に教会に帰り、翌一三日(土)午後六時、前夜式、翌一四日(日)午後一時、告別式を行った。
 故人は、高水謙三、政次兄の実兄であり、生年月日は大正九年(一九二〇年)七月一六日。東京麹町番町で誕生
され、義務教育を修了と共に、新宿中村屋に就職され、戦争中は外地に赴き、復員して、中華料理店を経営し、
三人の子供(男子二人、女子一人)達に恵まれ、晩年は元気に日々を過ごしておられた。私との個人的な付き合い
は、高水謙三兄が一九九九年一一月二九日に召天され、前夜式、告別式を教会で行った際に、お会いしたのがき
っかけで、近所なので度々路上でお会いし、立ち話でよく言っておられた事を想い出す。「僕は小さい頃、霊南
坂教会に通っていた。そこで神様の事を教えてもらった。だから、僕が死んだら教会で葬儀をしてもらいたいん
だ。」と語っていた。私は、まだ葬儀は先の事だと思い、その時は余り真剣に聞いていなかった。しかし、こん
なに早く実現するとは思わなかった。
 「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう
です。・・・主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い
改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」 (ペトロ二・三・九)
 高水家の上に神の慰めと平安を祈る次第です。そして、達太郎さんが、幼い頃教会に行かれた様に、御遺族の
方々もこれを機会に教会へ御出席下さいと祈るものです。

週報(2004年3月14日)

   牧会訪問記
                                              朝位真士
 先日、駒場の家庭集会をして下さっていた、I姉、T姉、S姉、K姉宅を各々訪問した。I姉宅では、御主人
が出てこられて、家庭集会での想い出、また召天されたI姉のことについて涙を流しながら、切々と語っておら
れ、生前T姉の献身的な家庭の中での様子を生々と語っておられた。T姉宅では、お嫁さん(T姉が生前活躍し
ておられた時、家庭集会に好意的に協力して下さった)とも話すことができ、しばしT姉の想い出に時を過ごし
た。玄関で、十分位であったが、有意義な時であった。家庭集会を開いて下さった姉宅も訪問した。老いてきて
転びやすくなったので、外出もままならぬ状態であるが、家庭集会の想い出を熱く語って下さった。H姉は、二
年近く前召天されたとのことであった。K姉を訪問した。高齢のため、しばしば転倒されて、外出にも不安を感
じ、教会出席ができにくくなり、本当に教会出席を強く切望しておられた。家の中で、共に聖書を開き、祈って
時を過ごした。訪問した家庭に、M兄が作成された教会カレンダーと、週報やグッドニュース等をお渡しした。
 日を改めて、先週(三月一〇日)秦野にあるK姉の入居しておられるサンフォーレをフミ子伝道師と訪問した。
K姉は、最近体調を崩されておられたが、大変私共の訪問を歓迎して下さった。キリスト教的施設のため、入居
者の中にはクリスチャンが何人もおられて、大変良い雰囲気の施設であった。K姉の安否を尋ね、共に御言葉を
開き、祈りをさせて頂いた。私共の帰りに、出口まで車イスで見送り下さった姿が、強く印粂に残った。「教会
では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(使徒一二・五)教会での祈りを強く強く感じ、もっと
彼らのために祈らねばと思った。

週報(2004年3月7日)

   二〇〇三年度第二回の教会総会
                                              朝位真士
 先週の礼拝後二月二九日に教会総会を無事終えることが出来た。
 現住陪餐会員五四名のうち、出席一九名、委任状二三名、合計四二名で総会が成立され、第一号議案、二〇〇
四年度宣教方針、朝位議長より語った。特に二〇〇四年度に与えられた御言葉「わたしはあなたを大いなる国民
にし、あなたを祝福しあなたの名を高める祝福の源となるように」(創世記一二章二節) より「祝福の源(基)」
という目標が与えられた。そして二〇〇四年度の行事予定、四月一一日(日)イースター礼拝、五月三〇日(日)ペ
ンテコステ礼拝、六月二七日(日)チャペルコンサート(岸義紘先生)、八月五〜七日夏期学校、九月後半〜一〇月
はじめにバザー、一一月七日(日)召天者記念礼拝、一二月一二日(日)クリスマス・チャペルコンサート(ボーマン
師)、一二月一九日(日)教会クリスマス礼拝・祝会、一二月二四日(金)クリスマスイヴ集会(相良おり絵さんのヴ
ァイオリン演奏)。この機会に新しい方々が教会に足を運んで頂き、受洗者が二名以上与えられる様祈って、二〇
〇四年度は神学生派遣を希望している。次に松下会計役員より、第二号議案、二〇〇四年度一般会計収支予算案
と第三号議案、二〇〇四年度会堂会計収支予算案の趣旨説明があり、議長による議決採決が行われた。出席者全
員の賛成が得られた。特に、松下会計役員の説明の中で、二〇〇四年度東京聖書学校の神学生派遣の為、毎月二
万円の必要の為、一人五〇〇円の月定献金増額をアピールした。牧師も謝儀を減額し、教会員全員で痛みを共有
し、また救霊の為に、救われる方が与えられる信仰の希望を共有したいと思っている。教会員の方々全員の協力
を願う次第でございます。

週報(2004年2月29日)

  今日最大の欠乏は、祈りです
                            朝位真士
 神は私たちのために大きな期待と、すべての権利をもっておられま
す。現代は、私たちの歴史において心おどる時代です。より多くの信者
が、他のいかなる時代よりも今日生きています。キリスト教会は、世界
中の多くの地域に広がっています。多くの言語で、毎週神を賛美してい
ます。また、インターネットを通じて、各教会のメッセージも聞けるよ
うになりました。ラジオ、テレビ、文書というとてつもない方法を通し
て、私たちは未だかつて知り得た何ものにまさって、神の働きをスピー
ド・アップさせる装備を持っています。私たちはより早く、最も遠く離
れた国々に到着することができ、多くの言葉で福音を提供することがで
きます。しかし、今日最大の欠乏は、人でもなければ資金でもなく、そ
れは祈りです。クリスチャンの働き人を増やせなくても、また彼らの経
済的支えがなくても、「もし祈りを増し加えることができれば、より大
きな結果を見ることができます。祈りこそ、教会の最大の資源であり、
それこそ今日私たちにできる、主の道を備えるための最も効果的な方法
です。あなた自ら神のためにより多くの人たちに影響を与えることがで
き、他のいかなる方法にまさって祈りによってこそ、キリストの働きを
押し進めることにおいて、より大きな役割を果たすことができます。そ
れはあなたがなすことのできる唯一のものでないとしても、あなたがな
すことのできる最大のことです。」私共もW・デユウエルが語っている
事をもう一度心に留めるべきだと思います。

週報(2004年2月22日)

   四旬節(レント)を迎えて
                             朝位真士
 灰の水曜日(今年は二月二五日)に始まり、復活日(イースター、四
月一一日)の前日までの、主日を除いた四〇日間であり、この四〇の数
字は、ノアの洪水の日数、イスラエルの民がシナイの荒野をさまよった
年数、エリヤが断食した日数、シナイ山においてモーセが断食した日
数、イエスが荒野で断食した日数であり、主の受難(十字架)による勝
利と復活を待望させるのです。このレントの時期は、死に対する備えと
罪の悔い改めの必要とを思い起こす時でもあります。
 教会員の方々や求道者の方々に、この時期に定例の祈祷会(毎週木曜
日夜七時半、第一と第三は午後二時と七時半) に出席して頂きたいと思
います。現在、Uコリントを学び、証しと祈りを中心に会を開いていま
す。新しい方も是非祈祷会に出席して下さい。キリスト教会の宣教や教
会形成の基本は、なんといってもこの祈りが原点だと思います。ペンテ
コステの前には、「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリヤ、またイエ
スの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(使徒一・一四)とあ
ります。初代教会の起源は祈りによって成立したといっても過言ではあ
りません。このレントの時期、クリスチャンの原点である祈りを見直し
て、教会の活性化の為に御協力下さい。小原十三司師は祈りの勇者でし
た。祈りによって始まり、祈りによって天に帰られた、俸大な信仰の勇
者でした。私共ホーリネスは、祈りを大事にするグループです。もう一
度原点に立ち帰ろう!!

週報(2004年2月15日)

   学校デーに御協力を
                            朝位真士
 二月は聖書学校デーがあります。現在東京聖書学絞には一六名の学生
が一年〜四年生迄在籍しています。年齢、男女はまちまちですが、いず
れも神の召命を受けて、献身された方です。二〇〇四年は二人卒業予定
ですが、一人が病気の為、一人が卒業予定となっています。無牧の教会
が多くなって、牧師、伝道師が各地で必要となっています。是非、伝道
献身者が与えられる様、祈って下さい。私は、一九七一年に二八歳で献
身しました。四年間の学びを終え、一九七五年に北九州復興教会に赴任
し、一九年後、一九九四年四月、桜ヶ丘教会に赴任致しました。丁度、
献身した年令位、主の奉仕をさせて傾いています。献身者のために祈っ
て下さい。
 第二に、学校デー献金にご協力下さい。ある時聞いた話ですが、一人
の献身者が一年間に必要な経費は、約二〇〇万円だということです。授
業料、住宅、食費、その他雑費を入れるとその位かかるそうです。彼ら
の個人負担ではとても足りません。どうぞ、東京聖書学校の維持と運営
の為、応分の御献金を捧げて下さい。一人の伝道者が育成される為には
皆様方の祈りと、具体的な支壊が必要です。この二月、学絞デーの月を
覚えて、お祈りとご支援をよろしくお願い致します。
 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」二人はすぐ
に網を捨てて従った。 (マルコ一・一七〜一八)

週報(2004年2月8日)

    先週の説教断片より
                            朝位真士
 先週はヘブル一一章四〜七節を通じて「信仰の三人の証人」というテ
ーマで三人の人物について学んだ。
 @アベル 「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神
に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。」(ヘ
ブル一一章四節)このアベルとカインの話は、創世記四・一〜一六の要
約である。)アベルは、最善のものを主に感謝のしるしとしてささげた。
「アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげた」というのは
彼の信仰の証明、または証拠としての供え物ということである。新約聖
書ではマタイ二三・三五、第一ヨハネ三・一二に義人と言っている。
 Aエノク 「信仰によって、エノクは死を経験しないように天に移
されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。」(ヘブ
ル一一章五節)このエノクに関する記事は、創性記五・二一〜二四にあ
る。「エノクは神に喜ばれるものであった」「エノクは神とともに歩い
た。(創世記五・二四)。エノクは神のみことばに従順に聞き従ったの
てあって、これこそ信仰の姿であり、それでこそ神がお喜びになるので
ある。
 Bノア 「信抑によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお
告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟
を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け
継ぐ者となりました。」(ヘブル一一章七節)

週報(2004年2月1日)

   献堂六周年を迎えて
                             朝位真士

 一九九八年二月一日には、桜ヶ丘教会の献堂式があった。当時の出来
事が昨日の如く想い出される。その時、つまり、会堂建設に当たって与
えられた御言葉は「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実
現する。」(箴言一九章二一節) 天国へ行かれた方や新しく教会に加わ
つた方々がいるが、現在も当時とあまり人数は変化しておらず、教会の
財政は大変厳しい状況にある。しかし教会員の皆様や桜ヶ丘教会を愛し
て支援してくださる大勢の方々によって、毎月二八万九一三円のローン
返済が守られている。会堂建設について賛否両論はあると思うが、私は
あの時会堂建設ができてよかったと神に感謝している。また皆様方の祈
りと尊い御献金に対して、本当に感謝しても感謝しつくしきれないと思
う。この感謝を宣教と牧会という形であらわして行かなければならない
と思う。私は最近、桜ヶ丘教会はすべて神様のものであると思う。勿論
私共は小さな働きをさせて項くが、桜ヶ丘教会の所有権は主イエス・キ
リストの父なる神にあるという事である。無責任な言い方かもしれない
が、私たちは唯々祈って神の偉大な力に依拠する他にはない。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、
すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Tコリント一〇章三一節)

週報(2004年1月25日)

  ある日課よりの霊想
                             朝位真士
 一月二〇日付の日毎の糧(信徒の友)には、マタイ八章一〜一七節の日
課が出ていました。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を
担った。」(一七節)この二つの癒しの物語は、その人たちの中にある
「信仰」を主イエスが誉めているという点が共通している。−とありま
した。私は、先週から風邪をひき、特に扁桃腺が腫れて、大変のどの痛
みを感じて来たので、病院に行き薬をもらいました。お陰でだいぶ痛み
も和らぎ、牧会に影響なく生活させて頂いています。右の聖句に出会い
主イエス様は「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と
いう言葉にふれた時に、ああ主イエス様は私たちの罪という病を、また
あらゆる患いを負って十字架にかかり、三日目に勝利された復活の主で
いらっしゃるという事を再確認させて頂き、本当に感謝をさせて傾きま
した。朝の一五分があなたを変えると言われていますが、私は牧師とし
てというより一クリスチャンとして、毎朝のデボーションで、肉の糧を
頂く前に命の糧を傾く習慣をつける事は、クリスチャンとして大事な基
本的な事柄であると思います。最近恵まれない、何か世的な事に魅力を
感じるという方、朝の一五分はあなたを霊的にリフレッシュします。試
してみられては如何でしようか。

週報(2004年1月18日)

   先週の説教断片より
                                              朝位真士
 先週はヘブル九章二三〜二八節を通して、「人間の運命」というテーマで語った。「人間にはただ一度死ぬこ
とと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を
献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現
れてくださるのです。」(ヘブル九章二七〜二八節)特に「人間は一度死ぬことと、その後裁きを受けることが
定まっている」ということに心が強く留まった。最近一人の若者(三八歳)が病気で死に、その葬儀に列席して、
数日前まで生きていた人が数日後には死んでいった事実を確認したとき、私がもし主イエス・キリストを信仰し
ていなかったとすれば、なんと死に対する不安が大きく心にのしかかっていたことであろうかと感じた。前記の
青年も召天の数日前、キリストの福音にふれ、キリストを救い主として受け入れた。まさしく十字架上のイエス
の横にいた罪人と同じである。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ二三
・四三)
 また私は説教の中で「人生(ライフ)」という詩を引用させていただいた。
  ただ一度の人生 それはすみやかに過ぎ去るであろう。                    、
  ただキリストのためになされたことだけが いつまでも残る。
自分のことだけを考えて営まれる生活は、幸福そうに見えて、実際はそうではない。そのときは楽しむことがで
きても、結局は満たされないむなしさが残るだけである。イスラエルの三代日の王ソロモンが、コヘレト二・一
一に「しかし、わたしは顧みた。この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。 見よ、どれも空しく 風を追う
ようなことであった。 太陽の下に、益となるものは何もない。」と語った。本当に考えさせられる言葉である。

週報(2004年1月11日)

   ホ群首都圏新年聖会に出席して
                                              朝位真士
 「真理によって、彼らを聖なる者にしてください。あなたの御言葉は真理です。」(ヨハネ一七章一七節)
主題は「真理によって聖なる者に」で、一月三日はメッセージ島隆三先生(西川口教会、東京聖書学校校長)で、
ヨハネ一七章より語ってくださった。特に「聖なる者」、聖別、分離ということが原語的にも詳細に語られた。
淡々とした語り口の中で、学者、牧会者にふさわしいメツセージであった。証しは西海栄美子師(天門教会)で、
自分の生まれから、コンプレックスに満ちた人生を主によって変えられ、三月二二日には中村英之師(新庄新生)
と結婚されることの喜びを満面にあらわしていた。ユースからは吉川姉(小松川教会)の証しで、交通事故で重態
であった父が奇跡的にいやされて、毎日リハビリに励み、信仰生活を送っている姿を報告され、主が生きておら
れる実感がした。特に父上が聖会に出席されていたこともまた感動の一つであった。四日〈日)はメッセージ吉仲
将師(志木教会)で、ヨハネ二一章から「主は凡てをご存知」ということで、ペトロの生涯を通して、私たちに語
りかけてくださった。証しは横田たみ子姉(桜ヶ丘教会)で、姉の今までの信仰を振り返って、特に桜ヶ丘教会の
生きた歴史を、姉の信仰生活と重ね合わせながら淡々と語られた。小川文子神学生も、四年生としての自覚と信
仰を感じた。
 私はこの新年聖会を通して、首都圏三〇近い教会の初日は一一四名、二日目は九四名と多くの方々が集いえた
ことで、本当にこの新会堂がホ群のためにも地域のためにも有効に用いられなくてはならないと思った。最後に、
病気から回復中の西海静雄師が二日目の聖会に出席され、神は重ねて祝福を与えられたと感謝している。

週報(2004年1月4日)

   二〇〇四年を迎えて
                                              朝位真士
 二〇〇四年に与えられた御言葉は「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高め
る祝福の源となるように」(創世記一二章二節)。「祝福の源(基)」というテーマで一月四日(日)のメッセージ
を語る。信仰の父アブラハムは「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい」(創一二・
一)との主の言葉を聞いたとき、「主が言われたように」その住み慣れたハランの町を出て立った。信仰とは何よ
りもまず、神の言葉を聞いてそれに従うことである。しかもアブラハムがハランを出発したとき七五歳であった。
信仰には年齢の制限はない。主が生かしてくださる間は現役である。彼は神の言葉に聞き従って出発したのであ
るが、現実の厳しさのゆえに、自分の道で歩みだして失敗する。「恐れることはない。ただ信じなさい。」(マ
ルコ五・三六)どんなときにも、神のゆえに、神の言葉を何よりも確かなものとして信頼して生きていくところ
に信仰する者の生き方がある。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(ヘブル一一・一)
 今年二〇〇四年度は、四月二五日(日)教会総会があり、五月二三日(日)は、岸義紘先生をお迎えしてチャペル
コンサート (テナーサックスの演奏、メッセージ)。五月三〇日(日)ペンテコステ礼拝。九月後半か十月初めに
バザー(予定)。一一月七日(日)召天者記念礼拝。一二月一二日(日)クリスマス・チャペルコンサート (ペアン
テ先生、チェロ演奏、メッセージ)。一二月一九日(日)クリスマス礼拝。一二月二四日(金)クリスマスイヴ集会
(相良おり絵さんのヴァイオリン演奉、聖歌隊讃美)。その他にも、ホ群年会、教職セミナー、幻を語る会、イ
ースター礼拝(四月一一日) 等、多くの予定が主にあって計画されている。

讃美歌191番
「いとも尊き主は下りて」


1.いともとうとき/主はくだりて/血のあたいもて/民をすくい/きよきすまいを/つくりたてて/そのいしずえと/なりたまえり。
2.よものくにより/えらばるれど/のぞみもひとつ/わざもひとつ/ひとつのみかて/ともに受けて/ひとりの神を/おがみたのむ。
3.数多(さわ)のあらそい/み民をさき/よびとそしりて/なやむれども/神はたえざる/祈りを聞き/なみだにかえて/歌をたまわん。
4.世にのこる民/去りし民と/ともにまじわり/神をあおぎ/とわのやすきを/待ちのぞみて/君の来ますを/せつに祈る。

2003年バックナンバー
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