ゲームについて考えることは喜びである

連載『ザ・ゲームパワー』
第一章=社会の中のゲーム<第27回>


 ゲームについての本といえば、もちろん攻略本が圧倒的に多い。ゲームの
描く世界が奥深くなってきたことで、1回のプレーではその全容が見えない
こともしばしば。そこで攻略本の需要が、より一層高まっているというわけ
だ(中には攻略本がないと進まない、悪質なゲームもあると聞くが……)。
 最近は、一つのゲームの背景世界を徹底的に分析した本もよくみられる。
データハウスの『ウィザードリィの秘密』『ドラクエの秘密』などがその代
表といえよう。
 懐かしのゲームを振り返る、『帰ってきた名作ゲーム』(リイド社)や
『別冊宝島 このゲームがすごい 任天堂編』(宝島社)のような本も目立
ってきた。
 だが『ゲーム解放理論』(長尾剛著/朝日ソノラマ)は、そのどれにも当
てはまらない。
 この本では、ブームを巻き起こした3本のゲームを取り上げて、「その人
気の背景=これらの作品を支持するプレイヤーたちの気持ちといったものを
中心に探っていく『社会的批評』としてのアプローチ」(まえがき「ゲーム
解放宣言」より)を行っている。
 これは、今自分が書いている本のコンセプトに似ている。『ゲーム解放理
論』の広告を新聞で見たときは、正直「やられた!」と思った。
 しかしこの本、書店であまり見かけない。
 大きな書店や、ゲームソフト店の書籍売り場を回って探したが、どこにも
なく、新宿から代々木くんだりまで歩いていってやっと発見できた。
 似たコンセプトの本を出そうと思っていた私にとっては幸いなことだが、
ゲーム界にとっては不幸なことである。
 『ゲーム解放理論』で取り上げられているゲームは、『ときめきメモリア
ル』(コナミ)、『ストリートファイターII』(カプコン)、『ドラゴンク
エスト』の3本。
 第1章「『ときめきメモリアル』とは何か?」では、『ときめきメモリア
ル』の舞台である、きらめき高校が、「進路や成績にこだわらず、生徒の個
性を重んじる」、理想の教育現場であると主張されている。
 第2章「『ストリートファイターII』とは何か?」では、『ストリートフ
ァイターII』を始めとする格闘ゲームが、「暴力的で、子供に悪影響を与え
る」と世間で非難されていることに対し、真っ向から反論を述べる。格闘ゲ
ームの“格闘”はルールのある競技であり、プレーヤーは破壊を楽しむとい
うより、むしろ技術を競い合っているというのが長尾氏の見方である(ただ
し、残酷な描写で知られる『モータルコンバット』だけは例外としている)。
私もまったく同意見である。
 今年初めに起こった、一連の“少年によるナイフを使用した殺傷事件”を
受けて、またぞろゲーム、特に格闘ゲームを敵視する発言が、一部教育関係
者の間に見られるようになってきた。そういう人たちにこそ、この第1章と
第2章を、じっくりと読んでもらいたいものだ。
 第3章は、「『ドラゴンクエスト』とは何か?」。『ドラゴンクエスト』
がこれほどまで子供たちに支持されたのは、努力さえすれば必ず成果に結び
つくゲームだからであるとして、努力よりも要領が求められる、現在の詰め
込み学校教育に異を唱えている。
 以上、ここまで書いたのは本当に要約の要約であり、長尾氏の数々の説に
ついては、ぜひともこの本を購入して、実際に読んでいただきたい。
 もっとも私個人としては、素直に受け入れることのできない意見も二、三
ある。
 例えば第3章では、『ドラゴンクエストII』のロンダルキアの迷宮(単に
レベルを上げるだけでは通過できない)や、『III』で船を手に入れてからの
道筋(行動範囲が広くなって、プレーヤーに推理力が要求される)に、「難
しい」と非難の声が挙がったことから、「現代日本の子供たちが(中略)
“物語のつくり手となることを望まない”人々だった」としている。
 ロンダルキアの迷宮や船が疎まれたのは、それらがむしろ物語性を希薄に
していたからではないかと、私は思うのだが……。
 また、映画的な見せかたを追求した『ファイナルファンタジーVII』の大ヒ
ットを例として挙げて、「現代っ子たちは、自らの想像の輪を広げる遊びよ
り、できあがったものを与えられる娯楽のほうを、より求めたのだ」と結論
づけている。だがこの結論は、『ポケットモンスター』が『ファイナルファ
ンタジーVII』以上に売れてしまった今となっては、いささか修正が必要にな
るだろう。
 それでも、ゲームについて考えること、意見を述べることそのものが、ゲ
ーム業界にとって非常に重要である。
 『週刊プロレス』前編集長・山本隆司氏の言葉に、「プロレスについて考
えることは喜びである」というものがある。プロレスについて深く考えるこ
とで、ファンの目が肥えていく。そうなれば、供給者側のペースにはまりこ
むことなく、ファン主体の文化ができあがるという、氏の主張である。
 ゲーム界でもまったく同じことがいえる。ファンが考えて、意見を出し合
っていくことで、目が肥えていく。つまらないゲームは採算が取れず、自然
に淘汰されていく。
 また、ゲームを知らない人に、ゲームのおもしろさを堂々と説明できるフ
ァンがもっともっと増えれば、ゲームに対する世間の偏見も、薄らいでいく
に違いない。
 『ゲーム解放理論』を読むことで、ファンの人々に、「ゲームについて考
える」という意識が芽生えたら、ゲーム文化はより成熟していくことだろう。
 マスコミもそろそろ、そういう動きを後押ししたほうが良いのではないだ
ろうか? ただゲームメーカーのちょうちんを持っているだけなら、だれに
だってできるのだ。(続く)

『ゲーム解放理論』(長尾剛著/朝日ソノラマ)


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