ゲームパイプライン(16)

97年F1グランプリ開幕記念

等身大のスーパースター

〜『ゼロヨンチャンプ』(メディアリング)

 F1グランプリ開幕戦、オーストラリアGPは、スタート直後にビルニューブが消え、
さらにアーバイン、フレンツェンといった有力どころが消え、中堅以下のマシンも次々と
消えるという、波乱の展開となりました。
 結局このレースを制したのはクルサード。マクラーレン・チームに久々の勝利をもたら
しました。今季はビルニューブ、シューマッハ、フレンツェンが3強かと思っていたので
すが、名門マクラーレンの復活で、チャンピオン争いは混沌としてきました。見る側とし
ては、おもしろくなってきたわけです。
 あと中野選手が7位完走でした。めでたい。
 昨年のチャンピオンだったヒルの移籍したアロウズが、かつてのブラバム(ヒルがF1
デビューしたときのチーム)なみにダメダメだったのが残念ですが。予選通過もやっとこ
さ、しかも決勝ではフォーメーションラップでリタイアしてしまうカーナンバー1・・・
(哀)。
 さて、以前「ゲームパワー」にも書いたことがありますが、私はF1のストーブリーグ
が大好きなのです。
 各ドライバーやチームスタッフの人間味が、ストーブリーグに凝縮されているからです。
 レースには莫大な費用がかかります。弱小チームは、毎回参戦費用を捻出するだけでた
いへんです。一方、優勝争いをするようなチームは、ライバルチームに先んじて、最新の
技術を開発するために、やっぱり金がかかります。つまりどのチームも、慢性的に資金不
足なのです。
 したがってF1チームが欲しがるのは、腕のたつドライバーよりも、スポンサーを持つ
ドライバー。まあもちろん、F1のトップドライバーにはスポンサーが集まるものですが、
国際F2上位どころの「F1候補生」クラスでは、スポンサーのあるなしが、F1に行け
る行けないに如実に影響してきます。「金」が表に出てくるからこそ、交渉にはドライバ
ー側・チーム側双方の、本音が見えてくるのです。
 私のレースゲームの好みは、至極偏っています。レースゲームにストーリー性を求めて
しまうのです。とくに、弱小チームからのし上がっていく『太閤立志伝』(光栄)的なも
のが好み。こういうゲームでは、ドライバーの人間味がよく表れています。

 『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』というアニメがありました。
 西暦2015年。ひょんなことからサイバーフォーミュラマシン・アスラーダに、ドライバ
ーとして登録されてしまった、弱冠14歳の少年・風見ハヤト。慣れないサイバーフォーミ
ュラでのレース。アスラーダをつけ狙う組織の妨害。父親の死。天才レーサー・ランドル
の出現。さまざまな困難に直面し、そのたびに悩み苦しみながらも、ハヤトはそれらの難
関を、一つ一つ乗り越えていくのです。
 ハヤト以外のドライバーも、みなそれぞれ個性を持ち、それぞれの悩みを抱えています。
「ストーリー性が高く、ドライバーの人間味が表面に出ている」という意味では、まさに
私の好みのタイプのアニメのはずなんですが・・・。
 私がこのアニメの存在を知ったときには、すでに放送が終わってしまっていました(こ
こまでの『サイバーフォーミュラ』に関する説明は、『ラポートデラックス・新世紀GP
Xサイバーフォーミュラ』をもとに書いています)。
 ビデオも出てますが、さすがに今となっては手にはいりません。

 『サイバーフォーミュラ』は一応ゲーム化されています。タカラからスーパーファミコ
ンで(1992)、アトラスからはゲームボーイで(1992)。もともと『サイバーフォーミュ
ラ』は、ゲームで再現しやすい要素を、数多く持っていました。オンロード、オフロード
のコースが両方出てきたり(一つのコースに混在することもある)。その両方の路面に対
応させるため、レース中にマシンを変形させることができたり。ブースト(ターボ)が使
えたり。
 ただ、スーパーファミコン版もゲームボーイ版も、有名アニメを原作に持つにも関わら
ず、知名度は高くありません。
 ゲームボーイ版のほうは、ハードの特性を考えて、カードゲーム方式でレースシーンを
再現していました。そこまではよかったのですが、アニメのストーリーを忠実に再現しよ
うとするあまり、レースの合間に延々とビジュアルシーンが流されて、プレイヤーはしば
しば置いてきぼりにされてしまいました。ゲームが進むとレースが極端に簡単になるなど、
ゲームバランスもいまひとつでした。
 その点スーパーファミコン版のほうは、原作のストーリーを適当にはしょって、そのか
わりにミニゲーム(「新条直輝の走りをトレースする」「ナイト・シューマッハになって
ブーツホルツと対決する」等)を挿入することで、途中のストーリーを表現しました。各
シーンにプレイヤーが参加できることで、ハヤトくんに対するプレイヤーの感情移入が強
まるというわけです。
 レースのほうも、原作にあった「ブースト」と「マシン変形」が使えるので、ライバル
のマシンを次々と追い抜く快感が味わえます。またBGMもノリが良く、ゲームを盛り立
てます。
 しかしこのゲームは総合的にみれば、ファミコン時代のゲームでした。それまでのファ
ミコン(およびメガドライブ、PCエンジン)の見下ろし(2D)型レースゲーム同様、
マップが上へ上へとスクロールしてループするのです。『F−ZERO』(任天堂)が出
た後だけに、これだけでこのゲーム、かなり損をしています。
 マシンの挙動にもクセがあり、実車を操るような感覚はほとんどありません。トップに
立っても、前方から「おじゃまカー」が出現します(周回コースなら「周回遅れ」という
ことで納得もできるが、なぜかラリーのコースでも出る)。さらにコンティニューがパス
ワード方式。時代の波に乗れなかった感があります。
 肝心のストーリーのほうも、エンディングで「ここまで来れたのもみんなのおかげ」と
いうハヤトの言葉をあすかが否定する(「あすかのおかげ」を否定するならわかるが)な
ど、いまひとつ練りきれてなかったようす。「名作」になれる要素は持っていただけに、
残念です。

 『サイバーフォーミュラ』のゲームの世間的評価があまり高くないのとは対照的に、
『ゼロヨンチャンプ』のほうは、ファンやマスコミの支持を得た、掛け値なしの名作です。
 名作ミニゲーム集です(笑)。・・・じゃなかった、
 名作RPGです(笑)。
 実際このゲーム、レースゲームであるにもかかわらず、レース本編よりもミニゲームの
ほうが目立っています。麻雀、パチンコ、「箱入り娘」ふうパズル、etc.
 中でも「警備員RPG」がすごいです。主人公が車代・パーツ代を稼ぐため、ビルの警
備員となって各フロアを見回り、侵入者を捕まえるというミニゲームです。
 1フロアの全部の部屋・通路を見回るごとに、バイト代にボーナスがつきます。普通の
RPGのようなゲームバランスなら、さくさく全フロアを見回ってクリアできるでしょう。
 しかしこのゲームでは、ときどきかなり強い敵(侵入者)が出てきます。HPが満タン
の状態でも、そいつと1回戦っただけで、HPをごそっと失ってしまいます。見回り中に
そんな状態になったらどうするか? 多少無理をしても1フロア全部見て回りたい。でも
もう1回同じ敵に遭ったら、たぶん勝てない。見回りの途中で敵に倒されたら、バイト料
が半額になってしまうのです。ですから、進むか退くかの見極めが、非常に重要になって
くるのです。
 このあたりの感覚は、かの『ウィザードリィ』(サーテック/アスキー)そっくりです。
ただまっすぐ進んでいるだけでは、クリアできないのです。
 ただし、PCエンジン版の『1』は、ビルから出るとレベルが1に戻っていたので、
『ローグ』(アスキー/オリジナルはUNIXの付録だったらしい)のような雰囲気もあ
ります。
 『ローグ』には最近『風来のシレン』(チュンソフト)という後継者ができました。し
かし『ウィザードリィ』には、まだ本当の意味での後継者がありません。
 『ゼロヨンチャンプ』の「警備員RPG」は、マップが見下ろし型(シリーズ最初は3
D視点だった)ではありますが、ゲーム性およびプレイ中の緊張感からいって、“『ウィ
ザードリィ』の後継者”を名乗る資格があると、私は思っています。

 ミニゲームの評判が良かったためか『ゼロヨンチャンプ』では、続編が出るごとにミニ
ゲームが本格的になっていきました。
 麻雀は4人打ちの本格派。対戦相手も選べます。パズルゲームなども、全100面ある
「ゴキブリPANIC」はじめ、どれも単体で1本のゲームソフトになりそうなデキ。こ
うなるともはや“ミニ”ゲームとはよべません。
 とくにRPGは気合いが入っていて、スーパーファミコン版の『ゼロヨンチャンプRR』
では、本編のストーリーをクリアしなければ行けない迷宮なんてのが出てきます。『RR
−Z』に至っては、本編のストーリーのほかに、RPGのほうでも別のストーリーが展開
します。
 このようにミニゲームがボリュームアップした背景には、レースが「ゼロヨン」である
という、特殊な事情も関係しています。
 ゼロヨンは、停車した状態から、400メートルの直線走路をどれだけ速く走れるか競う
レースです。
 コースがすべて直線なので、ゲームを進めても違うコースは現れません(『RR−Z』
では、レインコースとスノーコースが登場しますが、コースの形そのものが変わるわけで
はありません)。プレイヤーが行う動作は、アクセル、クラッチとギアの操作だけ。どの
レースでも同じように、アクセルを踏んでクラッチを切り、ギアを2速、3速と順に上げ
ていきます。1回のレースがすぐ終わるので、プレイヤーはエンディングに至るまで、何
回も何十回もこの直線コースを走ることになるのです。
 このままだとかなり単調な展開になってしまいます。そこでこのゲームでは、ゼロヨン
の特徴の一つ、「車の性能が勝敗を大きく左右する」というのを利用して、「いい車・い
いパーツを得るためにお金を稼ぐ」という要素を盛り込みました。そしてそのためのアル
バイトとしてミニゲームを取り入れ、展開に変化をつけたのです。結果的にこれは大成功
でした。
 その後『ゼロヨンチャンプ』のミニゲームは、好評につきどんどん肥大化し、本編を食
ってしまいかねないほどにまでなりました。
 しかしミニゲームが肥大化すればするほど、むしろ本編のストーリーが際立ってくるよ
うに、私には感じられるのです。

 『ゼロヨンチャンプ』のストーリーは、シリーズどの作品でも一貫して、一つのテーマ
を持っています。
 「レースで勝つことの大変さ」です。
 このゲームでは、普通のレースゲームと違って、ドライビングテクニックを磨くだけで
は、チャンプになることはできません。いい車に乗って、いいチューンナップをして、い
いパーツを持って、初めてチャンプになれるのです。
 いうまでもなく、いい車を買うためにはお金がかかります。いいチューンナップをして
もらうのも、いいパーツを買うのも同様です。ですから『ゼロヨンチャンプ』の主人公は、
お金を稼ぐために懸命に努力します。
 普通のレースゲームなら、レースの賞金で稼ぐところでしょう。しかし『ゼロヨンチャ
ンプ』では、まずレースに出るだけでも大変なのです。レースに出ても、賞金を得られる
だけの成績を挙げることがまた大変。そんなわけで必然的に、アルバイトをしてお金を稼
ぐことになるのです。
 そのアルバイトとして登場するミニゲームがどんどん肥大化していくということは、レ
ースに出るまでがますます大変になるということ。レースに出るまでが大変になるという
ことは、レースそのものの価値が高まるということです。
 レースに出るまでの苦労が大きいほど、それを乗り越えてレースに出場し、そして勝っ
たときの喜びも大きくなります。『ゼロヨンチャンプ』のストーリーは全体的にギャグ色
が強いのですが、主人公の苦労と喜びが大きいので、最後にはプレイヤーは感動を味わう
ことができるのです。

 「ミニゲームのほうが目だつ」とはいっても、『ゼロヨンチャンプ』の中核を成すレー
ス自体も、さまざまな魅力に溢れています。
 まず一つめの魅力は、「実在の車を使える」ことです。
 これはこのゲームのウリとして、メディアリングが積極的にアピールしていました。ソ
フトのパッケージでは必ず、「ミニゲーム満載」という売り文句よりも、「最新人気車種
登場」のほうが先に書かれていたのです(まあメーカーサイドがゲームのいちばんのウリ
を「ミニゲーム満載」にするわけにもいかなかったのでしょうが)。
 車種は『II』で50種類というとんでもない数になりましたが、それ以外はシリーズ全体
を通して、20種前後に落ち着いています。とはいえ20種もあれば、プレイヤーの好みで選
ぶことができます。ファミリアからロードスター、コスモと、マツダの車を中心に乗り継
ぐといったような、趣味に走ったプレイも可能です(すいません私広島ファンなもので)。
 それぞれの車の細かいフォルムが、ゲーム中に再現されているのも魅力です。とくにレ
ース画面。視点が車のすぐ後ろなので、自分の車が画面上に大きく映ります。
 これは『II』のときにいったん、運転席からの視点に変わったのですが、『RR』以降
でまた『I』のときの画面構成に戻っています。やはり車好きの人にとっては、車のフォ
ルムが見えていたほうがよかったのでしょう。

 二つめの魅力は、セッティングとチューンナップの魅力です。
 買ってそのままの状態の車でゼロヨンをやっても、速く走ることはできません。市販車
はあくまで公道を移動するためのもの。ゼロヨンに使うためには、改造を施す必要があり
ます。
 たとえば市販車は、コンピュータ制御によって、ある一定の速度以上は出ないようにな
っているので、この制御をはずします。助手席などもゼロヨンには不必要なので、これも
はずします。その他、ウィングなどを取り付けたり、シリンダー内部を研磨したりします。
これがチューンナップです。
 同時に、ターボやインタークーラーのようなパーツを買って取り付けます。車を買い替
えても、パーツはそのまま使うことができます。
 最初からこれらのチューンやパーツ取り付けを全部できるなら悩むことはないのですが、
なにしろチューンにもパーツにもお金がかかります。ですから所持金内で、どのチューン
をやろうか、どのパーツを買おうかと、頭を働かせることになります。
 買ったパーツが効果を発揮すれば、全部のパーツが揃う前に、ゼロヨンのランキングも
上がりますし、草レースで稼ぐ賞金も増えるのです。

 そしてもう一つ、レース時の独特の操作も、魅力といっていいでしょう。
 十字キーでシフトチェンジをするのは、普通のレースゲームにもよくみられます。しか
し、普通のレースゲームでは十字キーの上と下だけを使ってシフトを変えるのに対し、
『ゼロヨンチャンプ』では、マニュアル車のレバーを動かすように、十字キーを動かすの
です。
 つまり1速から2速にするには、十字キーの下を2回押す必要があります。さらに3速
に上げるには、上、右、上と操作するのです。
 さらにこのとき、クラッチを切っておかないとシフトが変わりません。もちろんクラッ
チを切っている時間をできるだけ短くしておかないと、タイムロスが生じてしまいます。
 このようにレースシーンでは、このゲーム独特のコントローラーさばきが要求されます。
それだけにシフトチェンジがうまくいったときの達成感は格別です。

 数々の苦難を乗り越えて、ついに主人公はチャンプに勝ち、ゼロヨン界での栄光を手に
します。
 しかし・・・
 『I』から『II』に、あるいは『RR』から『RR−Z』になったとたんに、慢心のた
めにチャンプの座から滑り落ちて、一気に奈落の底まで転落! また一から出直しとなっ
てしまうのです。
 チャンプになったとたんに慢心してしまうという性格は、いわゆるヒーロー像からはか
け離れています。でもそれだけに人間っぽくて、私は好きです。
 私自身がゲーム界に入ったり出たりを繰り返しているだけに、なんかこの主人公には共
感できるのです。
 ヒーロー像からかけ離れているといえば、『I』『II』の主人公と『RR』『RR−Z』
の主人公は別人なのですが、どちらもすごく俗っぽい性格をしています。
 とくに『RR』の主人公は、18年におよぶ彼女イナイ歴に終止符をうつべく、元町でナ
ンパに明け暮れたりしますし。
 私も彼女イナイ歴25年10か月なだけに、なんかこの主人公には(以下同文)。
 ようするに私は『ゼロヨンチャンプ』の主人公に、自分を重ね合わせてしまったのです。
こういうプレイヤーって、私のほかにもけっこういるのでは?
 ま、「私はここまでナサケなくない」というプレイヤーのほうが多いかもしれません。
それならそれで、「こんなにナサケない人でもヒーローになれるんだ」と考えて、自分に
自信を持ちましょう。
 どんなに俗っぽくてナサケなくて、カッコ悪い人間でも、やる気さえ持っていれば、い
つかチャンプになれる。
 『ゼロヨンチャンプ』は人々に自信とやる気を持たせるために生まれたゲームなのかも
しれないと、私は勝手に解釈しています。

 世の中には、すごいゲームがあるんですね。次回もどうぞお楽しみに!


『ゼロヨンチャンプ』メディアリング/PCエンジン/1991
『ゼロヨンチャンプII』メディアリング/PCエンジン/1993
『ゼロヨンチャンプRR』メディアリング/スーパーファミコン/1994
『ゼロヨンチャンプRR−Z』メディアリング/スーパーファミコン/1995

参考文献:
「ゼロヨンチャンプ ダブルアール 100戦100勝」勁文社/1994
「ゼロヨンチャンプ ダブルアール・ヅィー」勁文社/1995
「ラポートデラックス・新世紀GPXサイバーフォーミュラ」ラポート/1992
「ウォーロック」1987年12月号/社会思想社

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