'95.10.22 SD-F1グランプリ東京予選
(池袋西武百貨店)
ウィナーがこの大会へのエントリーを申請したのは、“知名度不足”で「ファミ
通杯争奪ゲーム王決定戦」への参加を断られた直後だった。
「決勝に勝ち進んで、各マスコミにアピールして、知名度と実績の両方を作り、来
年の『ファミ通杯』出場への足掛かりとしたい」
彼はそういう思いで、大会に臨んだ。
だからなんとしても、東京予選を勝ち上がらなくてはならなかった。ウィナーは
予選の前日朝イチから、会場の池袋西武にやってきて、発売前の『SD−F1グラ
ンプリ』(スーパーファミコン用ソフト、ビデオシステム)で、じっくり練習走行
を行った。
またウィナーは、現地にいたビデオシステムのスタッフと、親しく話をした。何
らかの情報が得られるかもしれないと考えたからだ。案の定、「予選はタイムアタ
ックモードで、コースはモナコか鈴鹿か英田」という情報を得る。ウィナーはこの
3コースを、何周も何十周も回った。
タイムはまずまず。スタッフも、「これなら予選はまず大丈夫」と太鼓判を押す。
このときウィナーの頭はすでに、“決勝の鈴鹿大会に集まったマスコミの前でどん
なパフォーマンスを見せるか”という皮算用を、始めていたに違いない。
ところが翌日。予選開始直前になって、ウィナーはアゼンとする。
予選のルールが、ことごとく変更されてしまっているのだ。
タイムアタックモードではなく、対戦モードによるトーナメント戦。
モナコでも鈴鹿でも英田でもなく、モンツァのコース。
そして、「事前にエントリー申請していなければ出場できない」というルールだ
ったにもかかわらず、いつのまにか「飛び入り参加OK」になっていた。
鈴鹿でマスコミの注目を集めるためには、ここで2試合勝たなくてはならない。
運の悪いことに、隣のブロックに、前日の練習走行でトップタイムを出した選手が
いたのだ。順当にいけば2回戦は彼と当たる。
だがウィナーは2回戦には進めなかった。初戦で敗れてしまったのだ。2回戦の
相手を意識し過ぎての敗退かとも思われたが、本人によるとそうではないらしい。
「スタート直後の地点にアイテムが落ちてるんですけどね、それを使うと、相手の
マシンを、かなり長い時間ストップさせられるんですよ。これじゃあ、アイテムを
取ったほうが勝つに決まってるじゃないですか。実際、他のブロックでも、アイテ
ムの存在に気づいたほうが勝ってたし。何のゲームなんですかこれは。アイテム取
るゲームですか」
アイテムの存在に気づいたのは、自らの試合が終わった後だった。タイムアタッ
クモードにはアイテムがなかったので、わからなかったのだ。
試合後の彼は、司会者の要望でパフォーマンスをみせてはいたものの、明らかに
怒っていた。
何に怒っていたのか?
相手をストップできるアイテムにか?
ころころ変わった大会のルールにか?
それとも勝てなかった自分自身にか?
その答えは、ウィナー本人にもわからないことだろう。残ったのは、「予選落ち」
という結果だけだった。 (ジーサン河元)
ご意見・ご感想・原稿ご依頼等はこちらまで
ff4a-tky@asahi-net.or.jp
または NIFTY:GEF05575
第2回全日本ぷよマスターズ大会
Jun 09,1995 VS対千歳秋吉戦
「Fighting Record」に戻る
ホームページに戻る