:::i only have eyes for you:::
book journal 2002
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8月に読んだ本
うーん、何だかんだいいつつ、結構読んでるな・・・(反省)。

★59『猫と針金』 デイヴィッド・ハンドラー 北沢あかね訳 (講談社文庫) 1993
The Woman Who Fell From Grace by David Handler, 1991.

★60『女優志願』 デイヴィッド・ハンドラー 北沢あかね訳 (講談社文庫) 1995
The Boy Who Never Grew Up by David Handler, 1992.

ホーギー・シリーズ、4冊目と5冊目。ついつい2冊借りてしまって、ついつい読破してしまった。まったく。どっちもおもしろかったのだけれど、続けて読んだ上に感想を書くまでに2ヶ月開いたので、一緒に。4冊目は、50年前の大ベストセラーの続きを、亡くなった作家の遺言に基づいて書くと言う依頼を受けるホーギー。毎度お疲れさま^^;。5冊目は、スティーヴン・スピルバーグを思わせる、成長しきれていない映画監督の自伝依頼。

ホーギーが、おじいさんの形見の真珠の柄のカミソリで毎朝(酔っ払っている時以外は)ひげそりをしている、というところがあった。毎日使い捨ての安全カミソリを使っていたけど、ある日、もうこれ以上カミソリの刃をゴミにしたくない、と思ったからだそう。こういうディテールが好きだな、時々ホーギー君はスノッビーなところもあるけれど。

しかし、何と言っても、5冊目のラストのメリリー、素敵(^^)。あと2冊出ているの、暇になったら読もう。

★61『辺境警備』全6巻 紫堂恭子 (小学館)

実家に帰ったときについ^^;。このマンガ、もう何回読んだかわからないけれど、大好き。たぶん、川原泉が好きな人は気に入るんじゃないかな。読むとほよよんとする。きゃわきゃわ(^^)。

小学館のプチフラワーコミックから出て、絶版になっていたのだけれど、今は角川書店のAsuka Comics DXから全6巻+番外編1巻で出ているよう。あ、作者のサイトもあるのね〜。辺境警備のページはこっち

★62『今夜は眠れない』 宮部みゆき (中央公論社) 1992

なぜか久々の家族旅行に行ったので、移動の合間に。この旅行の最初は波乱含みであった、ってわたしがぼーっとしてて電車に乗り遅れたんだけど(^^;。この本は再々読くらいかな。宮部みゆきの少年ものは結構好き。

★63『どちらかが彼女を殺した』 東野圭吾 (講談社) 1995

これは特急電車の中で。帰りの移動が暇だったので駅のキヨスクで買った。スティーヴン・キングの『アトランティスの心』があったのでそっちにしようかと思ったんだけど、どこのキヨスクにも下巻しかない。上巻だけ仕入れればいいんじゃないのか、とかぶつぶつ言いつつ。この東野圭吾は、犯人が誰かはっきり書いていなくて、読者が推理すると言うもの。解説は袋とじになっている^^;。えーと。わかったようなわかんないような。最近、ミステリに謎解きよりも人間模様を求めてしまうわたしにはどっちでもいいと言えばいいんだけどね。

★64『うたうしじみ』 児島なおみ (リブロポート) 1984

おしゃれな絵本。日本人離れした(?)おしゃれなタッチの絵と話を書けるこの作者の方は、ニューヨーク育ちだそうな。絶版になってしまった絵本なのだけれど、ほしくてオンラインの古本屋さんでついつい購入してしまった。いいよね、ちょっとぜいたくしちゃったけど^^。


7月のランダム・ノート
書きたいこともたくさんあったし、読んだ本も結構あったけれど、7月はうやむやのままに去ってしまった、のか。
ぽつぽつと、後から思い出しつつ。断片的な記憶と、はじけた泡のようなつぶやき。

★57『樹上のゆりかご』 荻原規子 (理論社) 2002

荻原規子さん、大好き。
いとうひろしさん(わたしのお気に入りの絵本作家の一人なのだけれど、荻原さんの大学時代の友人同士だそうな)の表紙も美しい、日本のファンタジーの傑作と言うべき「勾玉3部作」で鮮烈にデビューし、その後も堅実に、作品を発表しつづけている。普通に社会人をしながら、休みの日にこつこつとファンタジーを書いているそうで、うーん、こういう生き方もあるのだなあ、と思う。

今回の新作は、ちょっと毛色の違う高校生もの。装丁がおしゃれ。
恩田陸の『6番目の小夜子』にちょっと似た感じなのだけれど、よりメッセージ性が強いかも。大人になりかけの女の子が、一人の女性として生きていくって言うのはどういう意味を持つのか、どう生きていくのが自分らしいのか、を考える話だと、わたしは思ったのだけれど、どうなんでしょ。こういうテーマを、まっすぐに書いてくれる人がいるなんて、とてもうれしい(^^)。

「勾玉」シリーズが好きな人にはちょっと物足らないと思う。でも、わたしも「勾玉」は陶然としつつむさぼるように読みきった口だけど、勾玉を3冊読んで、荻原さんの他の著作『これは王国のかぎ』、『西の善き魔女』シリーズを読んで、『樹上のゆりかご』に行くと、ふーむ、今度はこう来たのか、とすとんと納得できる、と思う。

主人公と同じ年頃の高校生にはちょっと良く分からないかもしれないけれど、でも、むぎゅーと来る人には来るはず。

★56『とまとさんにきをつけて』 五味太郎 (偕成社) 2000

なんでこんなハチャメチャにインパクトが強い絵本が書けるんだろう。ビバ・五味太郎。疲れたときに読むと、世の中どうでもよくなっていいかと(^^)

そういえば、4年ほど前に、五味太郎のサイン会が神戸阪急の今はなきこどもの本専門フロアであったのに行ったんだった。五味さんは、ちょび髭とサスペンダーがダンディな、小柄なおじさまだった^^。

★55『フランチャイズ事件』 ジョセフィン・ティ 大山功訳 (ハヤカワ・ミステリ) 1954

『時の娘』のジョセフィン・ティのグラント警部もの・・・なんだけれど、これはグラント警部は脇役。主人公は普段は遺言の管理とか、民事専門の弁護士。あんまり捜査能力はない^^;のだけれど、ほのぼのしてていい感じ。何しろ、大詰めになって「伯母さん、有難う、うんとお祈りしてくださいよ。奇蹟でも起こらなくちゃどうにもなりませんよ」と言い出すし。おもしろかった。

日本語訳の初版が1954年。訳が古めでちょっと読みにくい。なんてったって巻末の解説は江戸川乱歩なんである。わたしが買った(図書館になかったので)のは1994年の3版。よく絶版になってないなあ、よかった。原書は The Franchise Affair by Josephine Tey, 1948.
green with envy
時々、ため息が出るほど素敵で、うらやましくなる、そんな人に出会う。

とても思慮深い女の人であったり、ひどく話しやすい男の人であったり、とにかく人間的にものすごく素敵で、こっそり自分と比べては、一人、歯ぎしりをする。どうして、こんな心を打つ文章が書けるんだろう・・・とか、どうして、ふぅわりと息をするようたやすくに、人を和ませて話をできるんだろう、とか。英語圏では、嫉妬は緑色、と言う。きっと、そんな時のわたしは、にっこりと笑って話しながらも、爪先まで緑色に染まっている。お月様がほしい、と泣くこどものように、持てないものをほしがって。

それでも、ふと気がつく。きっと、わたしの一面を見て、うらやましい、と思われることも時にはあるのかもしれない、と。わたしはそれなりに見栄っ張りだから、自信のあるところを外に出している。でも、その部分は、わたしの人生における選択の結果であり、積み重ねた努力と、いくらかの幸運との結果でしかない。選択しなかったものは引き換えに捨ててきたのだし、あきらめたものもあるし、わたしの他の部分には、ひどく自信のない部分も、どろどろと醜い部分もある。そんな残りの部分を見ずに、一面をうらやましがられても、わたしはきっと、力なく微笑むだけだろう。 そうだね、この一面はそれなりにいいかもしれないね、でも他のもセットで引き取ってみる?と心の中で思いながら。

だから、素敵な人の素敵な部分をただうらやましがるのは、その人の過去の努力や選択の結果の犠牲を無視して、結果だけを自分のものにしたがっているだけなのかもしれない と、思うとのん気に緑色になっているのも、失礼な話、かも。

責任
夏休みに入って、所用で1週間ほど実家に帰る。

実家に帰ると、体の重しが一つどこかに飛んでいって、肩の力が抜けるのがわかる。
それはきっと、色々な「責任」から逃れているから。

と言っても、その責任というのは、例えばきちんと燃えるゴミの日にはゴミを出し、学校から帰る道すがら、冷蔵庫の中身を思い出しながらその日の夕食を考え、家賃を月末までにちゃんと振り込み、自分の将来に必要な勉強と手続きを自分で見極めて黙々とこなす・・・というような当たり前のものなのだけれど。22になった今でも、末っ子のわたし、はお家に帰ると、色々な責任から免除される。

だから、あまり長くいてはいけないのだと思う。 たとえ、時がいつもよりもゆっくりと流れ、本を貪るように読めて、好きなアイスクリームを幸せに食べられる心のゆとりが出来る場所であっても。あ、はい、お皿くらい洗いますよ、おかーさん・・・。

救済
何ヶ月か前に、ゼミの飲み会でだったか、「俺らって、何らかの形で『救済』を求めてるんだよね。君だってそうだろ?それが『恋人』であれ、なんであれ、救いとなるものを欲しいと思っちゃうんだよ・・」という会話を、わたしは少し酔った頭でぼんやりと聞くともなしに聞いていた。救済、ねえ。

その時はぴんとこなかったのだけれど、加納朋子の『掌の中の小鳥』を読んでいた時に、ふと思い出した。

あの「救済」は(それが人であれ、出来事であれ)何かによって、自分の人生が完全に変わってしまう―それもいい方に―というような意味だったのだろう。確かに、みんな「救済」を望んでいるのだと思う。映画や小説やマンガのストーリーにはそういうの多いし。

『掌の中の小鳥』の圭介も、学生時代の女友達を、自分の力で「救済」できる、いや、「救済」しなくては、と思っていたのかも。

でも、きっと、自分の「救済」は自分以外にはできないのだろう、というのが最近の実感。魔法か手品のように、ぽんっと出てくるものでもない。

先日、同じゼミの男の子が2人、アメリカの大学に1年間の交換留学に旅立った。不安と興奮がないまぜになっているのが傍からも分かって、なんだか微笑ましかったのだけれど、「アメリカに行けば何かが変わる」と思っている様子を見ると、ああ、2年前のわたしもこんなんだったな、と気が付いた。きっと、「救済」されると思っていたんだな、と。

アメリカに1年いたことで、何も変わらなかったわけじゃない。たくさん変わったし、本当に良かったと思う。でも、ただ単に、アメリカに行ったから、変わったわけじゃなくて、そこで努力もして、自己嫌悪もあって、開き直りもあって・・・。場所が変わったからって、救済されるわけじゃない、と今は思う。

少なくとも、わたしには、救済は空から降ってこないし、誰からも与えてはもらえないだろう。自分の力で、ぶつぶつ言いながら、切り開いて行かなければ。手に入れたいものは、相応のものを支払わなければ、手に入らない。

それでも、時に誰かともたれあうことは、必要だと思うけれど、ね。

うーん、長々書いたけどわけわか?

★58『掌の中の小鳥』 加納朋子 (東京創元社) 1995

これで加納朋子さんの既刊は読了、かな?後は新作待ちだけか・・・次は誰を読もうかな。

とりとめなく感想。創元クライム・クラブの1冊なのだけれど、ミステリと思わずに読んだら面白く読めるのではないかな、と思う(^^;。

今まで読んだ加納さんの作品の中で、最も雰囲気が華やかな感じ。主人公のカップルが、なかなかかっこいいのだ。ちょっと小金持ちっぽいし。それでも、目立つのが好きなおしゃれではきはきして気が強い紗英も、加納作品に出てくる女性だけあって、派手で押しが強いだけにはなってない。恋人の圭介もソツないけど色々悩んで考えるしね。

二人のいきつけのバー Egg Stand がとてもいい感じのバーで、カクテルもおいしそう。桜の季節のチェリー・ブロッサム。幸せはどこにあったのだろう、ブルー・バード。ミモザ。「できない相談」という意味を持つブルー・ムーン。卵黄を使ったエッグ・ノッグに卵白のミリオン・ダラー。絵の具の色や鮮やかな服の色とあわせて、色彩のきれいな小説だ。

加納さんの作品には、わたしも読んだ事のある本がふっと出てくることが多くて、この人となら会って2時間ぐらいは本の話をして盛り上がってしゃべれるかも、と思ってしまう。本好きの女の子が大きくなって恩返しに作家になったような、とどこかで評されていたけれど、ちょっとそんな感じ。

今回も、Egg Stand の女性バーテンダーが「『女には向かない職業』っていう本があったけど」と言い出すし(若い女性探偵コーデリア・グレイが主人公のミステリ、結構好き)。そして、3章の「自転車泥棒」では、圭介が紗英を雨の日の喫茶店で待つシーンで、道行く色とりどりの傘を見て、「昔見た映画のワンシーンを思い出す」という一行がある。これって、古いフランス映画の『シェルブールの雨傘』のことじゃないかと思う。以前、深夜にテレビでやってたのだけれど、本当に色がきれいな映画だったので心に残っている。冒頭に傘が行き交うシーンがある。

1章の「掌の中の小鳥」で、圭介が大学時代に好きだった女性のことを思う。彼女はあまりに不安定で、そして僕には彼女を支えてやるだけの力がなかったのだ、と。彼女には絵の才能があり、圭介はそれを信じていたが、彼女はむしろ平凡であることを望んだ。

ここが、ひどく切なかった。恋人の女性を支えてあげられるほど強くなければ、ならないのだろうか。支えてあげられなかった彼が悪いのだろうか?

このことに関しては、項を改めて書いてみようかな。
★54『チョコレート・ウォー』 ロバート・コーミア (扶桑社ミステリー) 1994

その昔、わたしがまだ小学生のころに、「本の探偵」として有名な赤木かん子さんの書評で誉められていた本。当時は、『チョコレート戦争』と言う題で、コバルト文庫から出ていた。が、探した時には既に絶版だった。

かれこれ十数年たった先日、どうやら違う出版社から出ているという情報を入手。ふふふ、やっと見つけたわ、しかも図書館で。題名も微妙に変わってたので苦労した。

ヴィジルズという生徒によるギャング・グループ(?)が暗躍する、中流家庭向けの私立カトリック男子校が舞台。生徒は学校の資金集めのために強制的にチョコレートを売らされる。そこにヴィジルズがからんで・・・というストーリー。なかなかおもしろかった。どこかで、『ライ麦畑でつかまえて』とならび評される・・・と書いてあったけれど、ちょっとそんな感じ。原書は1973年刊、うーん70年代、という感じか。読みやすかったけれど、2000年代に読むとちょっとのんびりしてるかな?という気もする。まあ問題はそんなに変わってはいないだろうけれど、今も30年前もね。The Chocolate War by Robert Cormier, 1973.

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