:::i only have eyes for you:::

book journal 2002
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5/18 なんとか
進路・・・と言うか、方向は、固まってきた、かな。
色んな人に心配と迷惑とわけわかな愚痴をふりまきつつ、ぐるぐると考えてきた。 これが正しい答えかはまだわからないし、きっと正しい答えなんてないのだろう。ただ、考えながら、毎日少しずつ前に進んでいけたら、と思えるようになったので。

人より遠回りをしたとしても、その過程もわたしの人生なのだから。その道のりを楽しめるような道を、選ぼうと思う。

ごめんなさい。でもありがとう。

さてと、読んだ本もたまっているし、更新もしなくてはね・・・。(勉強もしろってば、死ぬほどあるんだから)
あ、そうだ、いままでずっとHPソフト使ってたんだけど、今後の更新はタグ手打ちでやってみようと思っている今日この頃。いつまで続くかしら。わくわく。

5/1 バスの中で
考える。本を読む。涙。

涙? 自己憐憫で泣くのはやめなくては。
10歳ころからの思い込みがわたしを泣かせるのだろうか。
静かに泣く限り、長距離バスの乗客は、無関心を装う・・・のか気づかないのか。(後者を望むけど) まったく、目が腫れて重い。

★19『キルト―ある少女の物語』 スーザン・テリス 堂浦恵津子訳

再読。19世紀から20世紀へと暮れゆく1899年、18歳のネルは父親のいとこの息子との結婚話に動揺する。大学に行くことや、亡き祖母が住んでいたボストンで暮らすことを夢にみ、幼馴染の男の子と毎日ふざけあっていたのに。彼女がコントロールできるものは、彼女の体と、祖母の形見のキルト用の布地だけになった。ネルは、食事をコントロールして拒食症に陥り、祖母のドレスを想像しつつ、美しいキルトを作ることで安息を得る・・・

ふう。1899年でも1999年でも変わらないわ。

4/30 もうっ
ほんとーに訳わかんなくなってきた。分かってきたと思ったのに。思ったのに。あーやだやだやだ。(しこうのうりょく・ぱんく)

何かもう悲しくなってきたよ・・・あーもう。どうしろっていうのさ。

4/26 そして・・・
わたしは言うべき言葉を見失う。どこで道に迷ったのかもわからないけれど。意味のある言葉を言わなければならないなんて、誰が言ったのかしら。

それでも、ある雨の日に、「人生もう少し上手くいくはずだったのに・・・」なんてつぶやきたくはないのだけれど。

4/16 くしゃくしゃっと
丸めて洗濯機に入れてぐるぐる毛布洗いコースできれいに洗ってしまいたい>わたし。

なに言ってんだか・・・。しっかりしなさい。ていうか早く仕事しろ。

4/13 空から
やりたいことが降ってきたような気がしたのが3日前。ジグソーパズルの最後の一つが落ちてきた途端に全てがあるべき位置に収まったような気がした。

やる気になって調べること3日。・・・前途はきびしいなあ・・・。
この国で、「専門職」として生きていこうとするのは、ものすごく有能で優秀で世渡りもそれなりに上手くて運がよくないと無理なんじゃないかしら、と思い始める。それか専門職でも評価されないか、かな。ジェネラリストが強いのだわ。

わたしには余分なものが色々くっついている。根拠のよくわからない自尊心、か。

そんなことを思いつつ、明日も(もう今日か)とりあえず面接に行くのでエントリーシートを書いている。

4/8 面接って
「面接で落ちても全人格を否定されたように思わないように」
でも思っちゃうもんだってば。「わたし、実社会じゃ役に立たないのかしら・・・」とかね。

まあでも、前に学校のセミナーで、模擬面接の解説で「ドアから入ってきて椅子に座るまでの間に60%くらい決まります」と言ってたことを思い出す。多分、実際にそうなんじゃないかしらね。目をちゃんとみて話す、とか、印象がいい、とか、きっとそういうあまり本質的じゃないこともかなり重要なんだろうな。

まあでも、口下手な人にとって、そういう本質的じゃないところを直すのは結構大変なんだろうけど。とりあえず、この顔で行こう、この顔で。

4/4 ぶつぶつ
エントリー・シートで落ち(徹夜で書いたのにっ)、集団面接で落ち(2問しか聞かれなかったのにさ、何かまずいこと言ったんかいな)、個人面接で落ち(20分もおじさんとしゃべったら背中に汗かくわよっ)。気が付けばあんまりコマが残ってないし。そんななんちゃって就職活動でいいのか、おい。

一番の問題は、いまだに何をやりたいのか、がはっきりわかってないことなのは分かってるんだけど。「この業界なら、やりがいもあるんじゃないかしらん」というところを受けてはいるんだけれど、ほんとにそれでいいのか。企業に勤める以外にも色々道はあるんだし。もっと勉強したい気持ちもあるし。勉強して資格とかも取れるじゃん?じゃあ、それは本当にわたしに向いてるの?職があるの?働きやすいのかぁ?と聞きなおすと、「・・・よ、よくわかんないよう、だってやったことないもん(ぶつぶつ)」と言い返されるの(いや言い返すのもわたし)。うぬぬ。

しかし、4年やそこら(わたしはもう5年目だけど^^;)大学でお勉強しても、そんなこと見てくれないんだよね。まあ、わたしの専攻が一般教養系なのも悪いんだけどさ。うぬぬぬ。

あああ。空から、「これがあなたの生きる道です」みたいなお告げがふってくりゃ楽なのにね。(その場合ぶーたら文句言う可能性大) いろいろな人に相談しては見るけれど、結局自分が決めなきゃいけないし。食べていかなきゃいけないし。食べていければいいのかしら?うぬぬぬぬ。

4/1
★18『発狂した宇宙』 フレドリック・ブラウン 稲葉明雄訳 (早川書房) 1977

パラレル・ワールド(平行世界)物のSF。わりかしおもしろかったけれど、『火星人ゴーホーム』の方が好きだな。最後がブラックだったらよかったかも(←ひねくれもの)。世の中そんなに上手く行かないってば。しかし、無限に平行してちょっとずつ違う世界があるっていうのはちょっと想像出来ないんだよねえ、うむむ。そう言えば、『パタリロ!』にこういう「パラレル・ワールド」ネタがあったなあ。What Mad Universe by Fredric Brown, 1949.

3/30
★17『ホテル・ニューハンプシャー 上・下』 ジョン・アーヴィング 中野圭二訳 (新潮文庫) 1989

あああ。ため息が出るほど、よかった。とても多くを語る本。アーヴィングさんたら素敵。

久々に、「終わらなければよいのに、もっと長ければいいのに」と思えた。筋を追うことよりも、話を味わう作品。熊、ホテル、サーカス、レイプ、作家・・・と『ガープの世界』と同じモチーフを使いながらも、違う世界を生み出している。でも共通するメッセージ。人生は偶然の産物で、グロテスクで、でも愛しい。『ホテル・ニューハンプシャー』はより「親密」な感じがしてとても好き。しかし、アーヴィングさんたらよっぽど熊が好きなのね。

「アイオワ・ボブ」の人生観にくらくらしてしまった。なんだか最近思ってたことを、本にしてくれたような。この時期に読んでよかった。
『ホテル・ニューハンプシャー』に流れる悲しみ、諦観、愛情。諦めてるけれど、けして人生を否定していない。リアリティがどうのこうの言う以前の普遍性。『ガープの世界』の時も思ったんだけれど、上巻の最後で「ぽんっ」と読者が衝撃と悲しみに置いて行かれる。この衝撃がたまんないわ。下巻を開くまで、しばし感慨にふけってしまう。

これは、手元に置いて、時々読み返したいな。今度買って来ようっと。The Hotel New Hampshire by John Irving, 1981.

3/20
★16『秘密』 東野圭吾 (文藝春秋) 1998

よく行くBBSで話題になっていた東野圭吾、学校の図書館であったので読んでみる。
平凡な3人家族の妻と小学6年生の娘が、ある日バスの事故にあう。妻は死亡、娘も意識不明の重体。娘が目覚めると、彼女の意識は死んだ妻のものだった・・・というお話。

この状況で起こりうる問題を丁寧に描いている。どこにでもいそうなお父さんの主人公がなかなかよい。ラストが感動するとかびっくりするとか、よく言われているみたいだけれど、わたしはラストはどっちでもよいなあ、と思って読んだ。そこに至るまでの過程の描写の方が面白かったもの。人生って複雑だよねえ、と最近よく思う。大切に思いあっている人たちでも、傷つけあうし、「こうすればよい」と分かっていても、タイミングが悪ければ上手く行かない。不幸は運命ではなくちょっとしたことで降りかかってくる。みんなが幸せになれない時も、妥協しなきゃいけないこともたくさんあるし・・・それが人生なのよねえ、としみじみ思う今日この頃。ちょっと大人になったのかねえ、わたしも(^^;。

3/14
★15『火星人ゴーホーム』 フレドリック・ブラウン 稲葉明雄訳 (早川書房) 1976

勧められた本消化週間・・・^^。ブラウンは、一度アメリカで短編集を読んだきりだったけれど、この『火星人ゴーホーム』、すごくおもしろかった。うーん、好みだ。『侍女の物語』もそうだったけれど、好みのタイプの本を読むとドキドキする。バッテリーがチャージされてちょっと一部で放電しているような感じ。

突然、10億人もの火星人が地球全土に降り立ち、人間にちょっかいを出してくるお話。この火星人、口は悪いわ、どこにでも神出鬼没で現れるわで地球は大混乱に陥る。この混乱具合がおもしろい。シニカル。言葉遊びもたくさんあるみたいで、こういう作品は英語で読みたいかも。

原書は1955年なのに古くない。訳もなかなかよいし。ただ、今読むとポリティカリー・コレクト(政治的に正しい表現)じゃないところがちょっと目に付くかな。今、出版しようとしたら多分、編集部から「一部差別的な表現がありますが・・・」という注釈がつくだろう。

題名と言い、さりげなく「日本の山梨県で・・・」とかあったり、ブラウンて実は日本通?だったのかしらん。原書は Martians, Go Home by Fredric Brown, 1955。

3/13
★14『笑いながら死んだ男』 デイヴィッド・ハンドラー 北沢あかね訳 (講談社文庫) 1992

これも勧められて(^^)。有名な人が実名で使われてる(フランク・シナトラとか)し、設定が面白い。主人公は、デビュー作が鮮烈で、新進気鋭の作家と呼ばれ、有名女優とも結婚するが、2作目が書けなかった作家、スチュアート・ホーグ。愛称ホーギー。

ホーギーが自己紹介をすると必ず、「カーマイケルの?」「いえ、チーズステーキの方です」という会話が繰り広げられる。ネットで検索してみたら、みんなこれは疑問に思うみたいね^^;。そう言えば、村上春樹さんのサイト、村上朝日堂(現在は閉鎖中)でもこの質問が出ていたなあ(『スメルジャコフ対織田信長家臣団』というわけわかなタイトルの、サイトをCD-ROM化したものに収録されているはず)。ホーギー・カーマイケルは有名な作曲家(故人)、チーズステーキはサンドイッチの一種、ということらしい。こちらのページが詳しい。(このサイトは他のページも面白い^^)

で、わたしはホーギーという名前のサンドイッチは食べたことがないんだけど、アメリカにいた時に、Steak & Cheeseというサンドイッチは食べたことがある。キャンパスから10分くらい歩いたところに、Subway があったので、たまーに行って食べていた。Subwayは全米最大のサンドイッチ・チェーンで、ファストフードの割に野菜がたくさん食べれるし好きだった。(バーガー・キングは安いけど飽きる、さすがに) 日本にもいくつかお店があるので時々食べに行くけれど、メニューの豊富さはやはりアメリカが上。しかし、Subwayの人はちゃんと目の前でサンドイッチに具をはさんで作ってくれるので、チップあげなくていいのが何だか悪いような気がしたものだ。

と、前振りが長くなったけれど、このSteak &Cheeseというサンドイッチは、薄切りの牛肉を味をつけて焼いたもの(どっちかと言うと、ステーキより焼肉のイメージ)にチーズ、野菜をはさんだHot Sandwitch、つまり温かいサンドイッチだった。ちょっと味が濃かったけどおいしかった記憶がある。

飼い犬のルルがかわいい。ルルは食べ物の趣味が変わっていて、「ナイン・ライブズ」のキャット・フードが好き。この「ナイン・ライブズ」てのでちょっと笑ってしまった。この間読んだグラフトンの『泥棒のB』にも出てきたんだよね。「ナイン・ライブズ」は、"A cat has nine lives"(ネコは9個の命を持っている=なかなか死なない)ということわざから来ている。ナイン・ライブズ、と言うだけでネコ関連のものだな、ってわかる。おしゃれな名前だ。と思って調べたら、実在する商品名なのね。ケチャップで有名なハインツから、9Livesというキャット・フードが出ているみたい。

原題は The Man Who Died Laughing by David Handler, 1988。

3/11
★13『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド 斎藤英治訳 (新潮社) 1990

勧めてもらった本が学校の図書館にあったので読んでみた(^^)。近未来ディストピア(ユートピアの反対語ね)SF。舞台は近未来のアメリカで、徹底的な支配体制が引かれている。「侍女」とは、身分の高い男性の子どもを産むためにのみ存在する女性をさす。正妻が子どもを産めないので、「妊娠可能な子宮を持つ」女性が家庭に派遣される、そんな社会。

アトウッド、上手すぎる。ため息がでるほど。ストーリーテラーってすごい、とあらためて思わされる作品。最初、設定がなかなかつかめなくて入り込めないけれど、この本はすごい。

一箇所、日本人観光客が出てくるんだけれど、この部分が秀逸。語り手の侍女が、日本人女性を見て思う―
「わたしもかつてはあんな服装をしていた。あれが自由と言うものだった、と。/西洋化、そう呼ばれていたものだ。」

最後の章(?というか注釈なんだけど)で非常に上手くしめている。けして読みやすくも軽くもない。でも、現実味のある仮想近未来。自由が奪われていく過程に非常にリアリティがあって怖い。15年前の作品でも古くない。同時に、25年前に「警句」として書かれたと言われても信じれそう。うーん、ため息。大学の図書館は、基本的に本のカバーを全部とってしまう。この本、装丁もきれいらしいので、残念。今度また探してみないと。アトウッド、他のも読んでみようかな。

原書は The Handmaid's Tale by Margaret Atwood, 1985。

3/9
★12『泥棒のB』 スー・グラフトン 嵯峨静江訳 (早川書房) 1987

アルファべット・シリーズ、第2作目。まあまあかな。トリックがいまいち納得できないんだけど・・・(それはわたしに読解力がない、ということかもしれない^^;)。

前作『アリバイのA』の2週間後という設定だが、前作で正当防衛とはいえ人を殺してしまったキンジーがちょっと気に病んでるのがいいなあ、と思った。。善人の基準がわからなくなった、と。善人は人を殺さない。でも、もう一度同じ状況になったら、自分は銃の引き金を引くだろう・・・。

キンジーの、てきぱきとした仕事っぷりが心地よい。禁欲的とさえ言えそうな働きぶりだわ。ジョギングしてるし。

原題は "B" Is For Burglar by Sue Grafton, 1985。

3/8 角を曲がると?
不幸や不運はほんのちょっとしたはずみでやってきうるのだな、と気づく。新聞で殺人事件を読む。友達の友達の家族が交通事故に会ったと聞く。学校の同じ講座の先輩が海外で強盗にあって軽い怪我をしたらしい・・・。

でも、わたしには、それからわたしの近しい人には、そんなことは起こらない、と信じ込むのは、根拠のない過信、と気がつく。杞憂ならよいんだけど。本人もそりゃ大変だけど、まわりの打撃があまりに大きい。

3/7
★11『めぐりめぐる月』 シャロン・クリーチ もきかずこ訳 (講談社) 1996
絶品。これぞ、YA(ヤング・アダルト)だわっと言いたくなる秀作。早くも、(わたしの)今年のベストYA作品ノミネート。いやー、もう、好みなんだわ、こういうの。

この物語では、二人の母親が何かを求めて、家を出る。一人は主人公の13歳の少女、サマランカの母。もう一人は、サマランカの友達のフィービィーの母。サマランカは祖父母と一緒に、オハイオ州ユークリッドから母親のいるオハイオ州ルーイストンまで約3000kmのアメリカ横断のドライブに出る。その間に起こる数々の小さな事件にかぶせて、サマランカの語るフィービーや学校の話、サマランカの家族の話、祖父母の物語が語られる。サマランカはアメリカ・インディアンの血をひいていて、原題の Walk Two Moons は<人をとやかくいえるのは、その人のモカシン【靴】をはいてふたつの月が過ぎたあと>というアメリカ・インディアンの警句から。邦題がきれいで○。

母親が突然出て行ってフィービィーが混乱するのを、「経験者」のサラマンカが見つめる・・・その視線がすごくいい。小さなエピソードが生きてるし、描写も上手いし、またこのおじいちゃんとおばあちゃんがよい。訳者あとがきで「一本の糸がいったりきたりして少しずつひとつの図柄を表していく織物のようなもの」とあるけれど、まさに織物のように物語が流れている。ちょっと設定に無理があるところもある。普通、わたしは設定の不自然さがすごく気になる性質なんだけど、今回はほとんど気にならなかった。(ちょっと不思議)

結構悲しい話ではあるけれど、この本を読んで共感したり、救われたり、ほっとする人は多いんじゃないかなあ。特にサマランカと同世代のティーンエイジャーと、お母さんの世代の女性にお勧め。原書は Walk Two Moons by Sharon Creech, 1994。1994年度ニューベリー賞(アメリカの年間で最も優れた児童文学作品に与えられる)受賞。

3/2 言われてうれしかった言葉
You're a good person, Chie...Keep alive, OK?

うん、がんばる。
10年後にも、この人にそう言ってもらえればな、と思ったんだ、昨日。
この人に認めてもらえるような大人になれば、わたしはきっとちゃんとした人生を送ってると思える、と思う。きっと、そんなこと言ったら、「自分の基準でやりなさい」って笑うだろうけど。

日本だからできないよう、とか弱音はいてちゃだめだ。

3/1
★10『あるがままに愛したい』 グレン・サヴァン 雨沢泰訳 (新潮文庫) 1994

サヴァンのデビュー作『ぼくの美しい人だから』を2・3年前に読んで結構面白かったので借りてみた。明日から小旅行に出るので、文庫本でも持っていこうか、と借りてきたのにずるずると読み終えてしまった。すごく良くないなあ。本があるとごろごろ読んでしまう、読み終わったらどんどん借りてくる・・・良くないなあ。現実逃避だ。

この第2作もわりかし面白かった。でも1作目のほうが好きかな・・・。関節炎でステロイド剤と松葉杖を手放せない若き宝石商アーニーと友人の破滅型天才劇作家・役者レッゾとレッゾの恋人ビリーの三角関係。サヴォンて「やせていない女性」を美しく描くのが上手いよね。1作目は、27歳のエリート男性と41歳のハンバーガー・ショップの女性店員の恋のお話。
原題 Goldman's Anatomy by Glenn Savan, 1993。"anatomy"は「解剖」が第1義だけれど、この場合2番目の「体」って意味じゃないかなあ。『ゴールドマンの体』かな・・・。

2/28
★9『今夜、すべてのバーで』 中島らも (講談社文庫) 1991

中島らもも苦労したのねぇ・・・。これ、学校の図書館で借りたら最後の10ページくらいが抜けてたので、市の図書館で借り直す羽目に。全く。

2/25
移動の合間に。

★8『カプチーノを二つ』 デヴィッド・アップダイク 山際淳司訳 (集英社) 1991

タイトルにひかれて借りた短編集。作者は、ウサギ・シリーズで有名なジョン・アップダイクの息子だそうな。(いやまあジョン・アップダイク、未読なんだけど) 非常に自然描写がきれいな作品だった。表題作と、最後の「社会科」が好きかな。
原題は Out On The Marsh by David Updike, 1988。原題は同じく収録されている「湿地にて」だったのね。

2/24
★7『放課後の音符<キーノート>』 山田詠美 (角川文庫) 1992(初発は講談社、1989)

実家の本棚から出してきて、久々に再読。

初めて読んだ時のことを思い出した。確か、14か15歳の夏だったと思う。クラスの女の子が貸してくれて、家庭科の授業中に息をひそめて読んだんだった。普段は授業中に隠れて読んだりはしなかったのだけれど、あまりに家庭科の授業が退屈で日差しが明るかったから。

この本は、わたしにとって初めて大人になるということ―いや、大人の女、になるということをポジティブな形で示した本だった。まあずっと子どもの本を読んでいた、ということもあるんだけど、ずっと、「女の子」であることを持て余していたから。

当時、この本を読んでボディー・ブローを打ち込まれたように軽いショックを受けたわたしは、しばらくいくつか山田詠美の本を読みふけった。自分と山田詠美が提示するクールな女の子たちとのあまりのギャップにため息をついた。どんなにがんばっても、わたしにはアンクレット(ブレスレットの足首につける版ね)は似合わないし、ハイヒールも履けないし、深く胸元が開いた質のよいスーツでクラブに行って視線を受け止めるとかシーム入りストッキングてなに(ぶつぶつ)。でも、クールな女性になりたかった。だってかっこいいんだもん。

しばらく悶々と考えた後、ふと、「ああ、わたしの方法でクールになればよいんだな」と気がついて、ひどく気が楽になり、同時にそう思えた自分を誇りに思ったものだった。高校生になっていた。そして、背伸びして山田詠美を読み漁ることはなくなった。

久しぶりに再読して思ったのは、いかにわたしがこの本に影響されていたか、ということだった。高校生の時の理想像がこの中にはあった。いつからか秋になると金木犀を探してしまうのも、このせいだったのか。

初めて読んでから7年が経って、22になっても、わたしはまだこの短篇集に出てくる女の子たちがうらやましい。ただ、15の時と違うのは、アンクレットやシャネルの赤い口紅、一緒に寝る男の子、といった物質的な憧れから、静かに話すとか、「一生懸命な大人の女性」といった精神的ものに惹かれるようになったことだろうか。それと、描写がひどく美しいことに気がついたこと。

山田詠美の「大ファン」というわけではない。でも、こんな風に、7年を経て読み返した時に、新たな感慨を抱く作品は、やはり大きな影響なのだろう。

この短編集で、主人公の女の子が父親から「良い香りを身に着ける時間のある女性なら、たいていのことはカバーできる」と離婚した母親が使っていた香水をもらう場面がある。わたしの机の上には、15歳の時に、こっそり買った香水が、まだ瓶に三分の1ほど残っている。

★6『妖精王の月』 O・R・メリング 井辻朱美訳 (講談社) 1995

現代のアイルランドを舞台にしたファンタジー。カナダに住む16歳のグウェンは、同い年のいとこ、フィンダファーを訪ねてアイルランドに来る。ファンタジー好きの二人は、妖精を探す旅に出るが、妖精の墳墓でキャンプしたため、フィダファーが妖精王にさらわれる。グウェンはフィダファーを追って、妖精に振り回されて旅をするが・・・というお話。なかなか面白かった。

何度も「カナダ人とアメリカ人は違うのよっ」というようなジョークが出てくるので面白いなあ、と思ったら、作者はアイルランド生まれでカナダに移住した人らしい。今はアイルランドに住んでいるみたいだけれど。「アイルランドなら妖精もいるわな・・・」と思ってしまうほど描写がきれい。時々きれいすぎるけれど^^;。「ゆっくりとした日没が、空いっぱいにひろがる。雲は、バラとモーブと燃えるオレンジの色に染まっていた。その下のずっと遠くでは、湖の首飾りがその色を映して、きらめく宝石のようにみえた。さらにその向こうにそびえたつ山々は、淡い紫と蒼に燃えている。」(p.145)・・・^^;

小道具も凝ってて、ファンタジー好きのツボを付いてくる。ファンタジーでうれしいのは、何と言っても食べ物がおいしそうなこと。この本も例外ではない。泡立てたバターを塗ったソーダパンに濃い紅茶、っておいしそうだなあ。でもソーダパンってなんだろう^^;。ベーキング・パウダーのソーダ(重曹)かな?(あ、こういうのね。おいしそう。)

原題は The Hunter's Moon by O.R. Melling 1989

2/23
久々に読書日記。はは。

★5"N "Is For Noose by Sue Grafton (Fawcett Crest, New York) 1998

スー・グラフトンのキンジー・ミルホーン・シリーズ。カルフォル二ア州サンタ・テレサに住む、30代半ば("N"では35歳)の女性私立探偵キンジーの一人称探偵小説シリーズ。独身、2回離婚歴あり、子どもなし。"A" Is For Alibi から始まって、"N"で14作目、「アルファベット・シリーズ」とも呼ばれるみたい。今まで、"A"と(日本語訳で)『C』を読んだんだけど、この"N"はかなり面白かった。

小さなコミュニティの保安官事務所の老刑事が、心臓発作で死亡。残された妻は、彼が死ぬ前に何かに心悩ませていた様子だったのがどうしても気になり、キンジーを雇って真相を探ろうとする・・・というストーリー。エンディングが、ちょっと急ぎ過ぎの感はある(もっと犯行の動機とか背景とか詳しく読みたかった)し、ちょっと納得できないところもある(まあそれは英語で読んだからよく分かってないのかもしれない^^;)けれど、キンジーが襲われてからの心理描写や、「よそ者」扱いの描写がとても上手い。キンジーは地に足がついてるんだよね。自分の性格を良く知っている。

死者の隠していったものは掘り起こしちゃいけないわ、やっぱり。しばし、「わたしが急に死んだら・・・」というのを想像してしまった・・・・・・このパソコン、パスワードかけとこうかな(うーむ)。

日本語訳は『縛り首のN』(1998年)早川書房。訳者は嵯峨静江。

2/21
やっと最後のレポートが出せたぁー。「出来たさぁー」と4回くらい思ったんだけど、その度に不具合が見つかって(ぶつぶつ)。やはり眠い時に計算してはだめだわ。でも最後はきれいにシミュレーションできた・・・と思う^^;。わたしの計算が正しければ、2009年の全国のコンビニ数は56000を越える。(それがどうした)

ここしばらく、週の半分は大阪に出ている。梅田のプロミスの看板が視界に入るたびに、あれほどじゃないにしても、世界は右下5度くらい傾いているんじゃないかという錯覚にとらわれるのはわたしだけかなぁ。とりあえず、はき慣れないヒールのある靴で歩いているので、わたしの世界は今、5cmは傾いてるな。ストッキングとスーツを身に付けると、少し、脆くなる気がする。

2/13
あはは、この子かわいい(^^)→

とりあえず、のんびり、がんばろっと。自己憐憫はほどほどにせねば。

2/9
どんどん「本読み日誌」から離れつつあるな、このページ^^;。

もう、考えるのがしんどくなっちゃった。思考がぐるぐる回る。歩いていてもレポートの資料読んでいてもご飯を食べていても。考えて、打ち消して、自分をなじって、そういう自分を打ち消して、でも持ち上げて、また考えて・・・。何やってんだか。適切な自己評価と自己アピール力がほしいよう。上から降ってこないかな。(ほんと、何言ってんだか) みんなしんどいのはわかってるし、わたしは恵まれてるのも頭では理解してるんだけど。ふにー。

2/6
ブタもおだてりゃ木にのぼる・・・というのはわたしのためにある言葉かも。ほめられると喜んじゃうんだから。ぶひ。

レポートと就職活動(ちょっとだけだけど)で、本も読めない。
今日は大阪城ホールでの「就職エキスポ」と言うのに行ってきたんだけど、イモの子洗うぐらい人がいたの。前に立ってた女の子の踵が靴擦れで血がにじんでるのが見える。何か切ない。

2/1
寝ても寝ても寝過ごしちゃうんだけど・・・寝病かな。そう言えば高校の時に地理でアフリカにいるツェツェバエに刺されると眠りつづけて死んじゃうという風土病を習ったなあとか、ふと思い出す丑三つ時。何やってんだ。

1/23
新潟の女性監禁事件の判決のニュースを聞いて、2年も前のことだったのか、と忘れていたのに気がつく。このニュースは、すごくすごくつらい。被害者の女の子はわたしと同い年か1つ下くらいで。彼女の9年余りの生活を、そしてこれからの人生を思うと、言葉を失ってしまう。彼女の痛み・苦しみ・絶望は、決してわたしには想像もつかないものだとは思うけれど、ニュースを見るたびに、ひどく胸苦しくなる。こんなことがなくても、人生には充分苦しいこともつらいことも自信をなくして誰かにしがみつきたいこともあるのにね。運が悪かった、じゃ済まないよね。

・・・1年半ほど前に、当時住んでいたアパートの近くで、昼間に痴漢にあったことがあった。ちゃんと巻いて逃げたつもりが家まで後をつけられて、チャイムを鳴らされてしまった。まあ出て行かなかったらあきらめて行っちゃったみたいで大丈夫だったんだけれど。(でも110番通報したけど・・・お巡りさんがバイクで5人くらい急行してきて、事情聴取も受けて大変だったんだってば^^;;) 触られたのも嫌だったけれど、家までつけてこられた、と気がついた時の恐怖感はものすごかった。狭いアパートで、ドアから一番遠い場所から一歩も動けなくなって。110番しようと思ったけれど、電話があるところまで歩くのが怖いから携帯を使った。(だから最寄の警察には繋がらなかったみたいで転送してもらったの) 警察の人が来て、同居人の友達が帰ってきても、体が小刻みに震えてしょうがなかったほどで。その後しばらく、出歩くのがちょっと不安で。

危害を加えられたわけでもないし、傷つけられた訳でもないのに、あれだけの恐怖感を覚えたこと自体にびっくりした。わたしはそれなりにタフなつもりだったから(まるで「女の子」みたいじゃないか)、と苦笑いした覚えがある。(分かっていただけるかしらん、このニュアンス^^;)しばらくしたらまた平気で歩くようになったし、思い出しても怖いことはないけれど。

でも、そういうのぞきとか犯罪の被害に合った人で、ひどくトラウマに残ってしまう人の気持ちはわかる。軽犯罪だし、怪我もしなくても、それでも、あまりに理不尽な暴力だと思う。

新潟の女の子の傷は、こういう痴漢なんかとは比べるのも申し訳ないほど深いと思うけれど。

宮部みゆきの小説の中に、時々、「このままじゃ、女の子だからというだけで殺される世の中になってしまうよ」というようなセリフが出てくるのだけれど。こんな女の子がもういませんように。もう失った時間も取り戻せないし、恐怖感は消せないけれど、彼女が少しでも安心できますように。近くにいる人たちが、彼女を支えてくれますように。

1/11
I go to the swimming pool because I take everything too seriously.
と言うわけじゃないけれど、誕生日に泳ぎに行く。今日は1km泳ごう、と決めて。水泳は唯一楽しんで出来るスポーツ(上手いとか速いわけじゃないんだけど^^;)。凝った筋肉がほぐれていく感覚も好きなのだけれど、泳ぎながら、とりとめなく考える。

誕生日はひとりででも、ちょっと気分を出して盛り上げる習慣。ケーキとワインとコロナ・ビール買ってきちゃった。ほんとは花も欲しかったけど、まあまた今度。

1/1-1/8
えーっと、何読んだんだっけ・・・^^;。とりあえず順不同で。再読ばかり。
★4『裏庭』 梨木香歩 (理論社) 1996

うーん、これは・・・こんなに重い話だったかなあ。前に読んだのだけれど、最後の「裏庭(back yard)なんて呼ばないでください、裏庭こそ本当の庭(garden)なんです!」というセリフしか覚えてなかったのはどういうことなんだ>わたしの記憶。

帯には河合隼雄さんの、輝美の旅は全ての日本人の通る旅である・・・と言うような言葉(うろ覚え、手元に本がない)がある。解説も河合さん。そう、この本って、読む精神分析みたいなんだよね。

前回読んだのにほとんど覚えていないのは、やっぱりよくわからなかったからだと思う。確か、4年位前に読んだから・・・18歳くらいだったのかな。とにかく、内容が盛りだくさん。主役は12歳の女の子なんだけど、彼女が鏡を抜けて違う国に行って、成長の旅をするファンタジー。でも、12歳の女の子がこれだけのことを受け止めなければいけないのはあまりに酷だと思う。20代から30代の女性が一番共感できるんじゃないかなあ。うーん。いっぱい詰め込んであってつらい。今ならちょっとはわかるんだけど。輝美のお母さんがひどく切ない。緩慢な不幸、誰が悪いわけでもないのに。

デビュー作の『西の魔女が死んだ』の方が好きだな、もっと軽やかだから。
梨木さん、イギリスで児童文学作家留学してたみたいだけど、作風からその影響、わかる気がする・・・。『西の魔女が死んだ』も『裏庭』も英語がでてくるし^^;。

★3『恋』 小池真理子 (早川書房) 1995

読んだことないつもりだったんだけど、中盤で気がついた・・・けどほとんど忘れてたわ^^;。うーん。それなりに面白かったのだけれど。

しかし、この作品はやっぱり、大学紛争をリアルタイムで体験した人たちを読者層に設定してるのかな。わたしは、あさま山荘事件とか名前くらいしかわからないので。この事件のインパクトの大きさで、ストーリーの受け取り方もかなり違うと思う。うちの両親は紛争の中で出会ったらしいけど^^;。(と、小耳にはさんだ覚えが。話したがらないので、うちの親は。)

★2『東京下町殺人暮色』 宮部みゆき (光文社文庫) 1990

何もしたくない時は宮部みゆき。この家政婦のおばあちゃんがかっこいいのよね。やっぱり少年もの、おもしろい。

★1『クロスファイア 上・下』 宮部みゆき (カッパノベルス) 1999

宮部みゆきで一番好きかも。でもストーリーほとんど忘れてたわ。こらこら。スティーヴン・キングの『ファイアスターター』から発想を得たみたい。念力放火能力を持った女性の、能力を持ったゆえの苦しみと、不幸。この青木淳子さんはでもにくめないし、共感もできる。こういう、特殊能力を持ったゆえの苦しみというテーマ、すごく真実味があって好き。あ、でも「エスパー魔美」も好き(ばく)。
中年の女性刑事の石塚さんがとても素敵。警察にはこういう人、必要だと思う。わたしも、いつかこういう生き方が出来ればよいのだけれど。



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