第1部:資本の生産過程
第3篇:絶対的剰余価値の生産
第7章:剰余価値率
マルクスが紹介しているのは、イギリスの経済学者ナッソー・W・シーニア Nassau William Senior(1790-1864)。彼の主張する、いわゆる「最後の1時間」説を、ロンドン、1837年刊行のパンフレット『綿業に及ぼす影響から見た工場法についての書簡.レナド・ホーナーからシーニア氏あての書簡,およびエドマンド・アシュワース氏,トムスン氏,シーニア氏の鼎談記録つき』から引用している。
現行法のもとでは、18歳未満の者を雇用する工場は……1日に11時間半以上、すなわちはじめの5日間は12時間、土曜日には9時間以上操業することはできない。さて、以下の分析は、このような工場では、純利得の全部が最後の1時間から引き出されているということを示すであろう。ある工場主が10万ポンド・スターリングを投資するとしよう――工場の建物および機械に8万ポンド・スターリング、原料および労賃に2万ポンド・スターリングである。資本が年に1回転し、総利得が15%であると仮定すれば、この工場の年間売上高は、11万5000ポンド・スターリングの価値をもつ商品となるに違いない。……23の半労働時間の各々は、毎日、この11万5000ポンド・スターリングの5/115すなわち1/23を生産する。11万5000ポンド・スターリングの全体を構成するこの23/23のうちの20/23、すなわち11万5000ポンド・スターリングのうちの10万ポンド・スターリングは、資本だけを補填する。1/23(11万5000ポンド・スターリングのうちの5000ポンド・スターリング)は、工場および機械の摩滅を補填する。あとに残る2/23、すなわち毎日の最後の2つの半時間が10%の純利得を生産する。それゆえ、価格はまえと変わらないとして、工場が11時間半ではなく、13時間操業することができるならば、約2600ポンド・スターリングの流動資本を追加することによって、純利得は2倍以上になるであろう。他方、もし労働時間が1日につき1時間だけ短縮されるならば、純利得は消滅するであろう。もし、労働時間が1時間半だけ短縮されるならば、総利得さえも消滅するであろう【『綿業に及ぼす影響から見た工場法についての書簡』ロンドン、1837年、12-13】[238]
1802年世界初の工場法は、幼年工の12時間労働と深夜業を禁止した。マルクスが本文中にあげている工場法は1833年の「一般工場法」のことであるが、この法律によって9歳未満の児童の雇用が禁止された。また、労働時間が制限され、9〜13歳は週48時間(さらに1日2時間の就学義務が課せられた)、14〜18歳は週68時間以内とし、工場監督官制がもうけられた。その後、1844年には8〜13歳の6時間半労働、女性の12時間労働が規定され、1848年には繊維工場の女性・児童に10時間労働法が適用され、67年以降はすべての工場に10時間労働法が適用されるにいたった。しかし、成年男子労働者にたいしては法的規制はなく、労使協定にゆだねられていた。
この一連の時期は、都市労働者の運動が、組織的政治的に高まっていた時期であった。1832年に、当時のイギリスのウィッグ党内閣が行なった「第1回選挙法改正」によって、有権者が16万人から96万人余に増加したが、人口の約4%にすぎなかったうえ、新たに有権者となったものの多くは都市の新興産業資本家であった。その後、1837年頃から1858年頃にかけて、「第1回選挙法改正」でも選挙権を獲得できず、生活苦にあえいでいた都市労働者が主体となって、オーウェンらの指導のもと、普通選挙権獲得を目的とした運動、チャーティスト運動が広がり、1839年、42年、48年と3波にわたって請願・デモ・ストライキなどを行なっている。
マルクスは、シーニア氏のような経済学者が産業資本家擁護の学説を展開した背景に、このような都市労働者の政治運動と、労働時間短縮の流れに対抗しようとする産業資本家の要求という、政治的利害関係があったことを指摘している。
さて、シーニア氏のパンフにある説明は、よく読んでも少々わかりにくいところがあるので、ここで、マルクスがわざわざシーニア氏の言いたかったことを代弁して、わかりやすくまとめてくれている注があるので、それを引用する。
注32への追加。シーニアの叙述は、それの内容の誤りをまったく度外視しても混乱している。彼が本来言おうとしたことは、次のようなことであった。工場主は、労働者たちを毎日11時間半、すなわち23/2時間、働かせる。個々の労働日と同じく、年労働も11時間半、すなわち23/2時間(掛ける1年間の労働日の日数)から構成されている。このことを前提すれば、23/2労働時間は11万5000ポンド・スターリングの年生産物を生産する。1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリングを生産する。20/2労働時間は、20/23×115,000ポンド・スターリング=100,000ポンド・スターリングを生産する。すなわち、それは前貸資本だけを補填する。3/2労働時間が残り、それは3/23×115,000ポンド・スターリング=15,000ポンド・スターリングすなわち総利得を生産する。この3/2労働時間のうちの1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリング=5,000ポンド・スターリングを生産する。すなわち、それは工場および機械の摩滅の補填分だけを生産する。最後の2つの半労働時間、すなわち最後の1労働時間が、2/23×115,000ポンド・スターリング=10,000ポンド・スターリングを、すなわち純利潤を生産する。(注32)[238]
シーニアは1労働日11時間半労働時間を23にわけ(つまり30分を1単位としたわけだ)、同様に、それと同じ比率で年間労働日を、すなわち年間総労働時間を、わけている。そして、1年間に生産された生産物価値の各構成部分をこの23のうちのいくつに相当するかという比率で表わしているわけである。こういう表現方法は有効ではあるが、シーニアの「誤り」あるいは故意の「ごまかし」は(実際のところどちらだったかはわからないが)、これらの各比率部分で表わされた価値が年間労働日の各比率時間によって実際に生産されるものとしているところにある。だから、最後の1時間(2つの半労働時間)が「純利得」を生み出すなどというのも、この「混同」から導きだされた「結論」である。
ここで「純利得」と言われているものは、マルクスが「剰余価値」とよんでいるものと同じと考えてよい。シーニアは、原料と労賃を分けずに、つまりほんらい価値が変化せずに新たな使用価値に移転する部分とその価値が増殖する価値部分とを分けずに、2万ポンド・スターリングとしているから、労賃、すなわち可変資本部分がいくらに相当したかが正確にわからない。またシーニアが「総利得」とよんでいるもののなかには、生産手段の消耗価値の補填部分、不変資本部分も加えられている。シーニアの分析では、生産物価値の機能的に異なる構成部分が、その機能ごとに明確に分けて考察されていないのである。
シーニアが恣意的にか無知のためか、見逃していたのは、マルクスが第1部第6章で考察したことである。
労働は、その合目的的な形態によって生産諸手段の価値を生産物に移転し維持するあいだに、その運動の各瞬間に、付加的価値すなわち新価値を形成する[223]
第6章で考察された「不変資本」と「可変資本」との分析こそは、シーニアがとなえた説のようなまやかしを粉砕する画期的な発見であった。
マルクスは、この節のこれ以降の部分で、「労働者が1時間で労賃を再生産する場合」を例に、詳細な批判的考察を行なっている。はたして、1日の労働時間を1時間延長したからといって、200%の剰余価値を期待できるというのは、はなはだ「楽観主義的」だということ、1時間短縮したからといって、剰余価値および可変資本価値部分をも損失してしまうと考えるのは、はなはだ「悲観論すぎる」ということ。これらの考察の基本的考え方はすべてすでにこの第7章の第2節で展開されている。
この「最後の1時間」をめぐっては、おぞましい顛末があって、マルクスは注32aで詳細に紹介している。たとえば、アンドルー・ユア(Andrew Ure 1778-1857)という、スコットランドの化学者で、のちにロンドンで製造技術コンサルタントとなり、アルカリメーター、バイメタルのサーモスタットなどの発明、製作などによって、技術革新にも貢献した人物の、恥知らずな“証明”(『製造業の原理』、ロンドン、1835年、406ページ)を紹介している。
シーニアが、工場主たちの純利得、イギリス綿業の存在、イギリスの世界市場での偉大さが「最後の1労働時間」にかかっていることを証明したとき、ドクター・アンドルー・ユアのほうでは、おまけに、工場の児童および18歳未満の年少者たちは、作業場の暖かくて純潔な道徳的雰囲気のなかにまる12時間閉じ込めておかれないで、「1時間」早く冷酷で浮薄な外界に突き出されると、怠惰と悪徳によって彼らの魂の救いを奪われるということを証明した[241]
マルクスは、当時の工場監督官報告書という公的資料を駆使して、この恥知らずな“証明”の偽善ぶりと、当時の紡績工場主たちが、どんな悪辣な方法で労働時間短縮を阻止しようとしたかを暴露している。
1848年に10時間法案が議会を通過したとき、工場主たちは、ドーシットシャーとサマシットシャーとの間に散在する農村地方の亜麻紡績工場で何人かの正規の労働者たちに強要し、反対請願文を出させたのであるが、そのなかではとりわけ次のように述べられている――「われわれ請願者たちは、人の親として、暇な1時間を追加することは、子どもたちを堕落させる以外にはなんの役にも立たないと考えます。というのは、怠惰は悪徳のもとであると信じるからです」と。これについて、1848年10月31日の工場報告書は、次のように述べている――「これらの徳の高い情け深い親の子どもたちが働いている亜麻紡績工場の空気は、原料から出る塵と繊維とのほこりが、立ち込めているので、わずか10分間でさえ、紡績室で過ごすことは非常に不愉快なほどである。というのは、避けようのない亜麻の塵で目、耳や鼻、口がすぐにふさがれてしまい、それを避けるすべもないので、このうえもない苦痛を感じることなしにそこにいることはできないからである。労働そのものは、機械の熱狂的な速さのために、倦むことを知らない注意力の制御を受けながら、絶えず熟練と運動を用いることを要求される。そして、食事時間をのぞいてまる10時間、このような雰囲気のなかでこのような仕事にしばりつけられている自分の子どもたちにたいして、『のらくら』という言葉を両親が用いるように仕向けるのは少し情け知らずであるように思われる。……これらの子どもたちは、近隣の村の作男たちよりも長時間労働している。……『怠惰と悪徳』についてのこのような残酷なおしゃべりは、まったくの信心家ぶった言い草であり、またもっとも恥知らずな偽善として烙印を押されるべきである。……約12年前、工場主の『純利得』全部が『最後の1時間』の労働から流れ出るのであり、それゆえ、労働時間を1時間だけ短縮すれば彼の純利得が無くなってしまうということが、公然と大まじめに、確信をもって、しかも上級の当局の是認のもとで宣言されたが、公衆の一部はこの確信にびっくりした。ところがいまになって『最後の1時間』の功徳にかんするあの独創的発見が、それ以来はるかに改良されて、『道徳』をも『利得』をも等しく含むものになったということ、その結果、もし児童労働の時間がまる10時間に短縮されるならば、児童の道徳は彼らの雇い主の純利得もろとも、消えてなくなる――というのは、純利得も道徳も、この最後の、この致命的な1時間に依存するのであるから――ということをいまや見いだすにおよんで、この公衆の一部は――とわれわれは言う――きっとほとんど自分の目を信じかねるであろう」と(『工場監督報告書。1874年10月31日』、101ページ)。次いで、この同じ工場報告書は、これらの工場主諸君の「道徳」と「美徳」の見本、すなわち、彼らがまったく抵抗できない少数の労働者たちにさきのような諸請願文に署名させるために、さらにそれらを一産業部門全体、各地域全体の請願文として議会に信じ込ませるために、彼らが用いた奸計、策略、誘惑、脅迫、偽造などの見本をあげている(注32a)[241]
今日における児童労働についての詳細は、ILO国際労働事務局のIPEC(児童労働撲滅国際計画)が調査している。現在においても、児童労働をめぐるおぞましい実態は、マルクスが引用した19世紀におとらず、先進資本主義国をふくめて、全世界におよんでいる。
引用するのは、堀田一陽氏によって日本語訳されたミシェル・ボネ Michel Bonne (1934年、フランス・アルビ生まれ。カトリック司祭。現在、モロッコ「子どもの権利監視全国センター(ONDE)」顧問)著による『働く子どもたちへのまなざし〜現代世界における子どもの就労――その分析と事例研究』(2000年10月30日初版発行、社会評論社)による。「第3章 働く子どもたちの主要形態」という部分の、ほとんど全体におよぶので、かなり長い引用になるが、ご了承ねがいたい。
1979年の国際児童年につづいて、国連はテュニジアの専門家アブドゥル=ワッハーブ・ブーディバに世界の児童労働に関する特別報告をまとめるよう求めた。報告書【 A. Bouhdiba, L'esploitation du travail des enfants, New York, Nations Unies, 1982.】は1982年に提出された。資料として少々古くなったとはいえ、この報告書のもっとも有用とされる成果の一つは、児童労働の類型学を練り上げたことであり、この有用性は今後も変わらない。ここでは労働をとおして子どもと家族との間に形成される多少とも変動性のある関係を分類基準として、子どもの家族との結びつきが希薄になればなるほど、搾取の危険性は増大するとの仮説が提示されている。……左は、わたしが便宜上そのまま援用させてもらおうと思っているブーディバの分類表である。
- 家族の枠内でおこなう仕事
- 仲介者なし
- 家族でおこなう農業
- 家族でおこなう職人仕事
- 仲介者あり
- 出来高払いの職人仕事
- 家族の枠の外でおこなう仕事
- 仲介者なし
- 自分の責任でおこなう手間仕事
- 仲介者あり
- 第三者の責任でおこなう手間仕事
- 農業の季節労働者
- 見習い
- 「スウェットショップ・システム」
- 特殊な例
- (住み込みの)家政婦
- 債務奴隷
- 児童売春
1、家族でおこなう農業
……ここでは仕事に就いている子どもはその大部分が地方にいて、基本的には農業に従事していることを指摘するだけにとどめよう。……開発途上国では相変わらず地方に圧倒的多数の住民がいるだけでなく、地方住民は働くための最小単位が家族となっているからである。そこで働く子どもたち、ことに幼い働く子どもたちが多くいるのである。実際、一方に地方住民の貧困があり、他方では必要に応じて受けられる社会的サービスや教育が不足しているために、家族として生きることは子どもにとってはごく普通のこととして家族の活動すべてに参加することを意味する。……
2、家族でおこなう職人仕事
……子どもたちは陶芸、籐細工、機織り、刺繍、皮革工芸、ブリキ細工、簡単な木工などに従事する。これらの仕事の他に、季節、家族の求めにより、家事労働や農作業にも加わる。
農作業がそうであるように、家族全体が参加する職人仕事は、その見習い過程および子どもの社会化としての価値が伝統的にも広く一般的にも認められている。……
……観光客による急激な需要の増加によって高まった市場圧力をうけてこの生産をますます脆いものにしている。一方で、住民のなかでももっとも貧しい階層の人々がより貧困化することで必要最小限の品々ができるだけ安く手に入るようになる、つまり大企業によって市場に提供される近代的な製造物が求められるようになっている。ブリキやプラスチックの台所用品がその良い例である。他方、観光はこれら伝統的な品々を「みやげもの」として、その品の目的とともにその商品価値を急速に変化させている。こうして大量生産の観点から生産様式を変更し、家族的な枠組みをはみ出す傾向を生じさせる。
3、出来高払いの職人仕事
出来高払いといっても、製品も技術も、家庭という生産現場も同じであるので、仕事の外的な条件は「家族でおこなう職人仕事」とほとんど違いはないように思える。しかし、生産過程に仲介者が登場することによって根本的な変化が生じる。……
家族でおこなう職人仕事とは、子どもの労働を習慣と伝統的価値に導く糸と、新たな搾取の形態に至らしめる糸とが絡み合った結び目である。職人の仕事場の製造企業への変身はここで起こるからだ。その行き着く先は大企業による工場生産である。田舎に散在する多数の職人の仕事場での生産が、商業網に合わせて強力に集中させられることは避けようはずもない。
……家内工場と明示すべきところをこの行政的なトリックで巧妙に言い換えた主要産業部門の推進を支えているのは、子どもたちを含めた無数の働く人々である。わたしが頭に描いているのは、例えば、ここ数年メディアの強烈なキャンペーンの的となったインドの絨毯産業である。あるいは子どもの搾取で世界中に知られたインド南部、シバカシに生産の中心地をもつマッチ産業でも、花火産業でもよい。
本書が刊行される1998年はサッカーのワールドカップがフランスで開催される年でもあるので、一例として、数か月前からスーパーマーケットで売られている子ども向けのサッカーボールから、スタジアムの芝生を跳ね、テレビ画面を埋め尽くすサッカーボールまでの製造に触れてみるのも悪くはないだろう。サッカーボールの製造は世界の70%以上がパキスタンに集中している。この国は毎年、約2千万個のサッカーボールを輸出する。その10〜12%はフランス向けで、パキスタン経済の外貨獲得への寄与は際立っている。サッカーボールの製造は総じてインド国境に近い、ラホール北東部の都市シャルコットとその周辺でおこなわれている。サッカーボールの製造を専門にしている企業は約400あり、そのうち210の企業がパキスタンスポーツ用品生産者連盟に加盟している。サッカーボールの製造にフルタイムで従事している大人の労働者は4万2千人とされている。これら400の企業の大半は工場というよりは商品倉庫である。大手メーカーの求めに応じてプリント、裁断された革の端切れを、この地方の村や集落に散らばる無数の仕事場に配布する下請けたちに供給しているからだ。こうして、男の子も女の子も、家族総出でボールを縫う。……子ども1人が、1日8、9時間の労働で1〜3個のボールを作り、大人の半分の給料を得る。月に平均750ルピー【約2000円】稼ぐ。約7千人の子どもたちがフルタイムで働き、ほぼ同数の子どもたちが学校の授業に合わせて半日だけ働いている【ILOとIPECの協力の下、1996年12月におこなわれた調査研究、《 Child labour in the Football Manufacturing Industry 》, Directorate of Labour Welfare, Panjab による】。
4、自分の責任でおこなう手間仕事
自分の責任で仕事をすることは、たとえその生活が苦しくとも、子どもにとって一つの進歩、家族の圧力からの一種の解放であり、他の働く子どもたちに比べれば一つの社会的地位の向上である。ありとあらゆる仕事があるが、恒常的に定まっているものはない。洗車、靴みがき、荷物運び、まだ売り物になる果物や野菜の市場での選別などである。……
……このなかでも「独立した」働く子どもたちは実は少数派である。というのは、たとえ端目には一人で活動しているように見えても、ほとんどの場合周辺の隠れたところで手綱を握っていて、儲けの何パーセントかを巻きあげる大人の存在に出くわすからだ。……
5、第三者の責任でおこなう手間仕事
このタイプの働く子どもたちは地方よりも都市部に多く見られる。子どもたちは小さな商店にいるか、原則として路上でおこなう仕事をする大人に付き添っている。運び屋、床屋、掃除屋、軽業師、動物の曲芸人などである。……
普通よく見かける子どもたちは単独か、一人の大人と一緒に働いている。こういう光景から職人仕事に近い、それゆえに好ましい仕事だという印象をうけるが、実際は大人への依存は、その活動全体が大人の習慣と意志に沿って構成されているので、たちまち搾取に変わる。子どもは抵抗するだけの力をもっていないし、出来高払いでおこなう職人仕事のように原材料を口実にして生産量を抑えることはできない。……このタイプの職業においては、生き延びるための解答は二つしかないと子どもたちが言っている。つまり、ほとんど子が親を思うような感情に基づいた大人の雇用者との関係を築き、それを友好的な師弟関係へと進展させるか、そうでなければ一刻も早く逃げ出すチャンスをじっと窺うしかない……。
ところで、働く子どもたちのなかでも特殊なタイプ、子どものくず拾いについて少し触れよう。家政婦や召使として雇われる子どもたちにつづいて多いのが、おそらくこの子どもくず拾いに分類される子どもたちである。この子どもたちの集団は都市化の進行と現代生活から生み出されるごみの増大につれて、今も増えつづけているばかりでなく、組織化の非常にすすんだ過程に入っている。……
子どものくず拾いは二重の網に捕らえられている。第一の網は収集の段階に張られていて、子どもたちにはまったく自由がない。子どもたちは1個のテリトリー(1本または数本の通り)で働き、それを他のくず拾いたちとの競合から守りぬかねばならない。そのために通常、子どもたちは数人の仲間とグループを作っている。さらに子どもたちには歩くコースが決められていて、かつぐときの重さを考慮に入れながらゴミのよく集まる地点で収穫量を確保する。車の往来、動物、ビルのガードマンなど、さまざまな危険からわが身を守らなければならない。子どもたちを頭から非行少年としか見ていない警官は特に危険だ。また、子どもは大きくなるにつれて、弟や妹の「職業訓練」をも引き受けなければならないようになる。
第二の網は、拾い集めた成果の販売段階に関わる。子どもたちは買い上げ業者と直接向かい合っている。……子どもたちはほとんどが読み書きができないので、値段の交渉も計量のチェックもできず、総じて買い上げ業者のいいなりになっている。
……メキシコ、カイロ、マニラなどの首都のごみ捨て場は(ある団体なり、ある機関なりがこのごみ捨て場を自分たちの人道援助活動の場と見なしたときには)、決まって欧米のメディアのトップニュースを飾る。これらの子どもたちの組織は独立した子どもくず拾いの組織とはずいぶん違う。この子どもたちはごみ捨て場に家族とともに暮らし、その活動は家族労働の枠に入るからだ。
6、 農業の季節労働者
……ブーディバはこの分類法のなかでは触れていないが、ここで輸出農産物専用の大農場や大企業における児童労働について述べておかなくてはならない。子どもたちは通常、家族と一緒に仕事の場に住み込んでいる。農場主や工場主に直接、フルタイムで雇われる子どもはごくまれで、たいていは両親の必要に応じて収穫量が給料を受け取るための最低限の線まで届くように手助けする。あるいは……日給制で雇われ、出来高払いで賃金を得る。子どもたちの状況は非常に厳しい。家族とともに大農場にとどまる以外に選択の余地はなく、またその小さな体躯と知識のなさから、肥料や農薬の大量使用の影響をまともに受けてしまうからだ。
7、見習い
……見習いといっても、二つの大きな見習いのシステムには違いがある。一つは公式に管理されているシステムで、専門のセンターでの学業の形態あるいは職業教育として認められた生産活動の形態で、ときには両者が交互におこなわれている。もう一つは庶民の経済活動に必要な一部となっているシステムで、子どもを家族企業とも言える生産拠点に預け、働かせながら主人の仕事を習わせるものである。ここで取り上げるのはこの第二のタイプの見習いである。
この家族は通常、職業か雇用者かによって居住地を定める。家族は見習い契約を結び、なんらかの監督を担保する。しかし実際は雇用の確保が困難になっているので、子どもがどこかで「職にありつく」ことが第一の関心事である家族は、見習いがどのようにおこなわれるかについてはますます注意を払わなくなっている。ここからあまたの濫用がはじまる。雇用者は子どもの教育よりも子どもの労役により重きをおく。とりわけ子どもが幼ければ、たんなる家政婦・召使として使う。……
8、「スウェットショップ・システム」
低賃金、長時間労働を強いる工場をスウェットショップ、つまり「汗かきブティック」と呼んで産業革命期には労働者の搾取の象徴だったのだが、今や開発途上国の児童労働における搾取の象徴となった。ただ子どもたちの数としてはそのパーセンテージは小さく、おそらく働く子どもたち全体の10%に満たないだろう。それでもやはり、多少は進歩した数十万か所の作業場や工場で子どもたちが、大人たちと大差ない仕事についていることには変わりはない。大人と違うところは、格段のとは言わないが明らかな低賃金と、法の網をくぐり抜けているか違法な就労のために、また大人の雇用者に比べて子どもの力が弱いために言いなりになって働かされていることだ。そして目先の利益を優先するあまり、(外部からの介入がない限り)子どもの健康を取り返しのつかないほどに損ねてしまい、労働力そのものを破壊している。……
9、(住み込みの)家政婦
個人の家に住み込み、家政婦・召使として働くというのは、農業を除けばおそらく世界でもっとも普及している児童労働の形態であろう。……都市部では働く子どもたちの50%近くを占めることもあるが、その大半は家族単位か個人で田舎から上京した子どもたちである。大部分は少女、すなわち住み込みの家政婦である。
これらの子どもたちの生活条件は、最小限の休息も十分な食べ物も与えられず、ただただ服従することのみを教えられる以外に教育らしきものはなく、ほとんど奴隷に近い。殴打その他の体罰などの虐待が日常茶飯事となっていることが確認されている。雇用者の家族による性的攻撃もしばしば起きている。……
10、債務奴隷
……問題は子どもの労働によって返済されることを想定した、家族と雇用者とのあいだで交わされる借金契約である。子どもに求められる労働の種類は特別なものではないので、雇用者はさせたい仕事を子どもにさせ、まるで家畜か機械の所有者のようにふるまう。そのうえ労働の報酬は契約のなかには明確にされていないので、雇用者は就労期間を際限なく延長できる。……インド、パキスタン、ネパール、ブラジルでの特徴的な点についてはかなり研究されているが、研究がすすむにつれてその他の多くの国々にも実在することがわかってきた。
11、児童売春
……子どもの性的搾取の形態はさまざまである。路上でおこなわれる売春があり、公園や浜辺でおこなわれる売春がある。単独で客に声をかける子どももいれば、バーかホテルに誘って客に身をまかす少年少女もいる。……ビデオテープを中心としたポルノ産業の発展もまた、子どもの性的搾取を飛躍的に増大させている。……セックス観光とポルノ産業はこの子どもの搾取の根本原因ではなく、世界の各地域にしっかりと根を下ろしているこの搾取の増大要因であるとの指摘を今一度想起してみることが重要であると思う。ここで地域というのは第三世界の住民たちに限ってのことではない。子どもの性的搾取は先進諸国にあってもまた実にさまざまな形態で存在している。
通信手段が非常に簡便化されたことも子どもの性的搾取を増大させた。子どもを送り込むためのネットワークがいくつも存在する。……
【『働く子どもたちへのまなざし 現代世界における子どもの就労――その分析と事例研究』,2000年10月30日,初版発行,社会評論社】[41-59]
あえて言うが、これは決して19世紀の話ではない。21世紀初頭の現代世界の実態である。