[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之九   2000.7/10
三番瀬より問題小史
ハゼサミット報告 NO.5

ハゼサミット資料集より、お隣りの三番瀬問題、第一弾、転載いたします。
あまりにも十六万坪の埋立問題と、類似点が多い事が読み取れます。

《特集》"生命のゆりかご″三番瀬を守るために

三番瀬問題小史  大浜 清  
(三番瀬を守る署名ネットワ一ク代表千葉の干潟を守る会代表)

千葉の干潟を守る会
〒275-0016 代表 大 浜 清
干葉県習志野市津田沼3-3-5 047-473-3402
年会費1,000円 振替口座番号00180-0-195757
インターネットホームページ千葉の干潟を守る会「三番瀬を未来に残そう」
http://mrw2.justnet.ne.jp/~sanbanze/

”死んだものたちは、還ってこない以上、
 生き残ったものたちは、何を判ればいい?・・・・
 死んだものたちは、もはや黙っていられぬ以上、
 生き残ったものたちは沈黙を守るべきなのか?”
ジャン・タルジュー

(〈きけわだつみのこえ〉序文より。なお、、同書中の
「人々」の語を、ここでは「ものたち」と改釈した)

干潟は、水と砂、光と風のまじわるところ、
それゆえにいのちが生まれ、いのちみちみちたところである。
干潟は、私たちの目で、耳で、肌で、実感させてくれる。
まおとに地球は「水の惑星」であり、私たちはそこに生きているのだ、と。
三番瀬計画の歴史的経過
 1957年(昭和三二年)からの30年間に、千葉県は一気に東京湾の干潟を埋め立てた。東京・神奈川でも
埋め立てはすでに先行していた。すべての干潟が東京湾から無くなるはずであった。
 埋め立ての現場は、まさに生きものたちの墓場であった。影響はただちに広範囲に及んだ。1957年、
養老川河口で埋め立てが始まったその年から、ハマグリその他の生物たちは一挙に三分の一に減少し、
やがて姿を消した。
 そして、市民たちが住む臨海部の町々も変貌した。公害と災害が市民をおびやかした。
 今日残る干潟は10%にみたない。それさえ全滅する運命にあった。曲がりなりにもこの埋め立てをくい
止め、今日、三番瀬(と木更津市小櫃川河口)に代表される東京湾の干潟を残すことができたのは、「干潟
を守れ」「これ以上東京湾を埋めるな」「この海は私たちの東京湾だ」という市民の声が、国会を動か
し、県を動かしたからである。
 1967年、市川市行徳の新浜を守ろうとしておこった自然保護運動は、1971年、習志野市民を中心とし
た「千葉の干潟を守る」市民連動に燃え上がった。海を市民の手にとり返そうという運動である。
 1973年。一月、千葉県は15.200ヘクタールに達していた埋め立て計画を縮小することにした。埋め立
て面積は12.000ヘクタールで停止した。大規模臨海開発から埋め立て抑制への政策転換を行ったのであ
る。
 1973年二月までの埋め立て計画面積は、市川地区1.042ヘクタール、京葉港地区〈船橋・習志野)
1.716ヘクタール、合計2.756ヘクタールであったが、70年代半ばに、市川地区400ヘクタール余り、
京葉港地区1.200ヘクタール余り、計1.686ヘクタールで埋め立ては打ち切られた。消える運命にあった
1.100ヘクタールの浅瀬、今私たちが三番瀬と呼んでいる海面はこうして残った。
 1983年に登場した中曽根内閣は、東京湾横断道路をはじめとする景気刺激策を行った。そして「狂
乱」とまで言われる土地投機がおこった。
 市川地区、京葉港地区の二期計画はこの時期に始まり、紆余曲折の末、92.93年に市川地区470ヘク
タール、京葉港地区270ヘクタール、計740ヘクタールの基本計画が発表された。
 しかし、80年代における計画段階からすでに、これに反対する市民運動は展開されていた。特に漁民の
大野一敏氏がサンフランシスコ湾の保全計画をモデルに東京湾保全計画の策定を呼びかけたことは新しい
進展であった。
 一方、地価の無限上昇への期待は、たちまちバブルとなって崩壊しつつあった。千葉県が1992年、
三番瀬計画と並行して千葉県環境会議を設置したのは、この二つの問題、環境保全運動と経済変動につい
ての対応を顧慮することが最初から必要だったからである。
 ちょうどこの時、1991年日本湿地ネットワークが結成され、日本の干潟保護運動はラムサール条約の
「湿地の保全と賢明な利用を自分たちの運動目標として大きな発展をおこしていた。干潟保護運動の視野
は地球的規模に広がった。
 1992〜98年の6年間は、三番瀬計画の見直しのために費やされた。環境会議の提言は、自然環境影響
評価のやり直し(補足調査)と土地利用の必要性の再検討を要求するものであった。これは、計画の妥当性
についての再検討、すなわち「計画アセスメント」を実質的に意味する。日本の「環境アセスメント」が
一般に事業の実施段階の一つにすぎないのに対し、これは先進的なものとして高く評価される。
 1999年6月、千葉県は見直し計画を発表した。しかし、この縮小案は、以上で述べたような三番瀬の歴
史を正しく受け止めているだろうか。


東京湾の埋めたての推移
Tokyo History Landfill of Tokyo Bay
(資料)入賞運輸省第二港湾建設局「新時代の東京湾」
(1997年)(一部加筆)
(注)年次は竣工年であり、実際の埋めたて着工はこの年より
も数年早い。
三番瀬埋め立て計画と運動の略史

1968年 市川地区、京葉港地区埋め立て計画
1972年〜73年 「東京湾埋め立て中止と干潟保全」請願、
第69,71国会で採択
1973年2月 京葉港2期、市川2期計画凍結方針結定
(第4次5カ年計画)
1973年10月 第1次オイルショック
1984年 県企業庁、市川2期計画調査再開
1990年7月 京葉港2期、市川2期計画基本構想発表
(三番瀬埋め立て案)
1991年9月 「日本湿地ネットワーク」結成
三番瀬を含めた東京湾の干潟・浅海全域
のラムサール条約指定を要求
1992年6月 千葉県「環境会議」設置
1993年3月 京葉港2期、市川2期基本計画発表
(740ha埋め立て}
環境会議に諮問、環境調整検討委員会で
検討開始
1994年7月 241団体「三番瀬埋め立て反対」の意見
書を環境会議に提出
1995年11月 環境会議、自然環境に関する補足調査、
土地利用の吟味、専門委員会を県に提言
1996年2月 署名活動開始。県知事宛に三番瀬保全
要望書を提出
1996年7月 三番瀬を守る署名ネットワークを結成。
1997年9月 環境庁 三番瀬を含むシギ・チドリ類重要
渡来湿地目録を発表
1998年4月 三番瀬を守る署名ネットワークが埋め立て
計画の撤回を求める署名簿12万人分を
県知事に提出。'98年10月、'99年5月・12
月にも提出。('99年12月現在22万人到達)
1998年9月 環境補足調査の現況発表
1998年10月 埋め立て計画を検討する千葉県の計画策
定懇議会が発足
1999年2月 環境補足調査の影響予測を発表(740haの
埋め立ては環境への影響が大きいとの結論)
1999年6月 千葉県は縮小案を発表(101ha及び人口海浜・
人口干潟)
1999年12月 計画策定懇4回で休止
2000年1月 環境会議と環境調整検討委に計画案
審議を移す




1993年発表の三番瀬埋め立て計画(740ha)

むすび
 補足調査を正しくふまえ、市民の批判を受けとめ、ラムサール条約が地球の未来のために要
求する湿地の保全を思うならば、埋め立てはもはやありえない。
 埋め立てをやめるためには、埋め立てで土地を造成し、そこから何がしかの収入を得ようと
いう考えとキッパリ訣別しなければならない。企業が要求するからと言って、その時その時の
経済要求を受け入れて永遠に海をつぶすのは愚行だと認識しなければならない。陸上では困難
だからと言って迷惑施設を海に押しつける考え方をやめなければならない。
 そのためには、私たちの生活の変革も必要となるかも知れない。
 何よりも、士地を「造る」ことができる、干潟を「造成」することができる、という考え方
は思い上がりなのである。地球を造っている「自然の摂理」を知り、「使わせていただく」ことしか私たちのとりうる道はない。
 「埋め立てをやめる」と決意した時に、はじめてそこからよりよい陸地の使い方、陸上の住
まい方が見いだされてくる。
(1999年9月)
【付記】12月25日、県は計画策定懇談会を休止させた。補足調査も明記している自然環境への
影響や計画の必要性についての疑義と反対論についてはまともに答えず、公害や都市環境につ
いては提示もしていない。
 注目すべきは、埋め立てによって三番瀬の環境と海へのアクセスを改善したい、という意見
を市川市長に述べさせ、利用したことである。市川緑の市民フォーラムからは強い批判と反対
提案が提出され、市川青年会議所も市民が三番瀬に積極的にとりくもうとよびかけ行動を開始
した、まさにその時期である。
 下水道問題などを含む市民提案、都市政策・交通政策・開発政策に関する根本的な論議の反
映を拒否したわけである。
 今年1月、計画案は再び環境会議に送られ、環境調整検討委員会の検討を受けている。
【付記2】企業庁は計画凍結中に、漁業補償を担保とする金のバラまきを行徳漁協に行ってい
た。累積利息は56億にも達する。この金は知事と企業庁長が弁済せよと監査請求し、訴訟準備
中である。
(2000年6月)
・・・・・埋め立て予定地
三番瀬埋め立て後の土地利用計画
【市川側】90ha
・街づくり支援用地 約25ha
・公園緑地用地 約22ha
・下水道終末処理場用地 約20ha
・漁港施設用地 約1ha
・道路・護岸用地 約22ha
(うち約6haは第2東京湾岸道路用地)
※ほかに、人工干潟約13haを造成
【船橋側】11ha
・ふ頭用地 約3ha
・臨港道路用地 約2ha
・緑地(一部を第2東京湾岸道路用地と兼用) 約6ha
現在の三番瀬埋め立て計画案