[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之参拾四 2001. 4/2
[ 現地写真レポート < ごめんね.僕らの桟橋 >
写真・文 とらじゃ

 
2/26。都は、告示通り、桟橋(仕切柵)撤去工事に着手した。
 


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   長い場合、動き出すまで1分以上かかる場合もあります。



その告示に気付いたのは、一週間前の、2/18。
たまたま徒歩で取材をしているときだった。


ほとんど、車と自転車が素通りしていくような、人気のない場所に立つ看板。
東雲団地前の緑地のものと、同様かと思ってみたところ、プラスチックケースに
はめ込まれた、ビラが後付けされている。
そこには、図面と共に、赤文字で
「仕切柵の撤去(平成13年2月26から3月
下旬)」
と記されていた。一気に血の気が引いていくのが判った。
立ちすくむしかなかった。
皆が足を止める、緑地の看板に、それは張っていなかった。

あの桟橋は、一般市民が、唯一十六万坪の水に触れることのできる、最後の場所。
人の目から遠ざけられた、その場所は、出向いて初めて、奥湾に残る澄みきった
水域と、豊かな生き物たちの聖域であることに気付かせ、その奇跡に、感動さえ
覚える場所だ。

3/19、東京港建設事務所に、電話で抗議をした。
とらじゃ 「2/26からの工事の件ですが、いつ決まったのですか?
      それに、緑地には張ってありませんでしたが・・・」
事務所 「5月からの工事に向けて、必要なものですから。」
とらじゃ 「だけど、’追加’って書いてあるじゃないですか?
      予定になかった工事だったのではないんですか?」
事務所 [5月からの工事の一環です。じゃ、緑地の方にも張っておきます。」
     ガチャ!

都の姑息な手段に、怒りを覚えるも、"一週間”、気持ちだけが焦るのみで、
為す術はなかった。

そして、2/26。
朝一番から着工したらしく、11時の時点で既に一部の桟橋上部は壊されていた。
緑地から桟橋へ導いてくれていた渡し板ははずされ、既にその役割を終えていた。
昨年9月、最初の着工の光景が、思い出された。
当時の工事進行のスピードは、驚くほど早く、瞬く間に、水面から仕切柵を消し
去っていった。
「一日でも早く、守るべき意味を失わせることを、想定した手段」と見受けられた
まるで、目障りなものでも、取り払うかのごとくの勢いだった。

そして、それは今回も同様だ゛った。
目の前で、オレンジに輝くカニばさみが、容赦なく桟橋に手を掛け、切り崩して
いく。
鳥達の休息場になっていた、水面上部は分断され、マガキやムラサキイガイ、
カメノテ・フジツボの密棲した橋脚は、こそぎ落とされ、潰されしながら、
引き抜かれていった。ハゼが卵を産み付けた水中に、容赦なくコンクリート片が
投げ込まれる。
本当は、二度と目にしたくなかった光景だった。

3週間後。全てが姿を失った。

今日まで、数知れずの生き物や環境を犠牲にして、人のための便利さや、
快適さを獲得してきた。しかし、急激で急速な破壊がもたらした結果は、
人に跳ね返ってくることも、嫌と言うほど経験している。
自然の力は、人の英知を遙かに越えたところにある事を、そろそろ本気で認める
べきだ。

江戸前の歴史は埋立と共にあると、開き直る人がいる。しかし、それは江戸時代
までのこと。ヒトにまだ、動物としての役割が残されていた時代の話。
生身のヒトが壊す程度の環境なら、自然が適応していける時間が保てた。

自然は、人のつき合い方によって、恵みを与えれば、応酬もする。
まして、誰も望んでもいない、ここ十六万坪の埋立に対する自然の応酬を一体
誰が、どんな形で受け、誰が責任をとるのか。

石原都知事、あなたはその時まで、都知事であり続けてください。
 
                          ー とらじゃ ー
 

                                      追加画像、丸帆亭
2001.4.2 校了