[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之参拾参 2001.2/25
[ 東京湾の運命をもて遊ぶ虚しい論拠 
雑誌”つり人” 2001年4月号より

 
 三番瀬、十六万坪、
そして 東京湾の運命を
もて遊ぶ
虚しい論拠


つり人4月号より全文転載  
浦 壮一郎 写真・文

 

環境省の川口順子環境相が三番瀬を視察し、埋め立てを計画している千葉県に対し
「抜本的な見直し」を要請した。一方の十六万坪は工事がすでに進行しており、
石原都知事の見直す気配はまったく見られない。三番瀬と十六万坪、その規模は異なるが、ある研究結果によれば、実はこれらの埋め立てによる影響は、どうやら東京湾全体の及ぶことになりそうである。

← 千葉県が101haの埋め立てを計画している三番瀬。多くの渡り鳥の中継地点であり、また、ハゼやカレイなどの魚類、アサリやゴカイなど底生生物も豊富な「生き物たちのゆりかご」である。
 三番瀬では鳥類89種、魚類101種、ゴカイなどの底生生物155種、植物プランクトン302種と、合計647種の生き物が確されている。

川口環境相が三番瀬を視察、抜本的な見直しを要請

 1月11日、川口順子環境相が、埋め立てが計画されている三番瀬を視察したことは記憶に新しい。翌12日、川口環境相は埋め立ての計画案について「事業の必要性について納得できない」とした上で、「見直す余地があるのではないか」と述べ、「全面見直し」ともいえる踏み込んだ発言を行なっている。
 三番瀬を埋め立てる計画は当初、市川二期地区(470ha)と京葉二期地区(270ha)を合わせて、740haもの干潟を埋め立てようというものだった。その後、99年6月に計画は見直され、現計画では市川二期地区が90ha、京葉二期地区が11haまで縮小され、埋め立て面積は合計で101haになっている。
 しかし、いかに縮小されたとはいえ101haという規模の埋め立ては東京湾に多大な影響を残すことだろう。それに対して環境省も、強い姿勢で見直しを追ったというわけである。
また、埋め立てが繰り返されてきた東京湾の歴史を見るに、三番瀬の埋め立ではすでに許容範囲にないことは明らかであろう。どんなに小さな面積であっても、埋め立てという行為を許してしまえば、それが繰り返されることで結果的に埋立面積は広がることになる。将来的に見た場合、一気に広大な面積を埋め立てることと、少しずつ永い時をかけて埋め立てることは結果的に同じであり、干潟が消失することに変わりはないからだ。
 時代はすでに、埋め立て面積の大小を議一論するのではなく、復元すべき面積について真剣に話し合うべき時にきている。三番瀬を例にするなら、浦安市側に張り出した埋立地をいかにして干潟に再生してゆくかという論議が行なわれて然るべきではないのか。湾奥における潮の流れを阻害している浦安の埋立地は、三番瀬にも悪影響を及ぼすことが予想される。
 欧米では自然を再生する行為こそが公共事業として捉えられているだけに、日本でも今後、このような埋立地において干潟再生の議論が沸き立つ日がいずれ訪れることだろう。それまでにはまず、埋め立てを前提にして議論する時代に終止符を打たなければならない。その気運を高めていく上で、新生環境省の強気は歓迎したいところだ。これまで弱腰の印象が付きまとった環境庁が「省」に格上げされたことで、「存在感をアピールしているだけ」と椰楡する声もあるようだが、省であるなら、国民が国土交通省などと同列と捉えるのも道理であり、大いにアピールしてゆくべきだ。
 また、公有水面埋立法、その施工規則によると「面積50haを超える埋め立て及び環境保全上特別の配慮を要する埋め立てについては、環境庁の長官が意見を述べることができる」とあるが、環境省になったことで、50haを下回る埋め立ての場合に対して発言できるか否か。その行動いかんによって、環境省の存在価値が問われるといっても過言ではない。

←野鳥が砂の中をついばむ姿は四季を通じて見ることかできるかれらのエサになっているのがゴカイなどの底生生物であり.野鳥が集まることで豊かな生態系が保持されていることがわかる。
1月11日、川口順子環境相が三番瀬を視察した。翌12日、川口環境相は「全面見直し」ともいえる踏み込んだ発言を行なっている。十六万坪の埋め立て問題でも何らかの行動をとって然るべきだろう。  (撮影一石川徹也) →
磁綻した埋め立て目的

 三番瀬は川口環境相が見直しを求めたとはいえ、必ずしも楽観できる状況とはいえない。埋め立てを計画している千葉県はいまだ推進の立場を崩しておらず、全面見直しが実現されるとは現状では考えられないからだ。
 埋め立ての目的について千葉県は、
(1)県西地域の都市環境の改善、
(2)市川・船橋の港湾部の渋滞解消、
(3)下水道終末処理施設の用地確保、
(4)立ち退いた事業所の移転代替地確保、
(5)港湾施設の整備、
(6)親水護岸の整備
以上6項目を挙げている。
 しかし、そのどれもが埋め立て目的として破綻しているというのが、地元市民グループの主張である。
 まず(1)の「県西地域の都市環境の改善」についてだが、これは(4)の事業所の移転代替地確保とも関係している。県は現在の県西地域が人口過密地帯になっていることを強調し、都市環境が悪化しているため、この地域にある工場などを移転させるために埋め立てが必要だというのである。ところが、現在の埋立地にも土地が余っており、それでも工場が移転できない理由は、景気の低迷によって事業所自体に移転する体力が残っていないためではないのか。新たな埋立地を造成しても、更地を増やすだけに終わるのではないか、そんな疑問が生じてくる。また、水の浄化機能を保持する干潟を埋め立ててしまうのでは、都市環境は悪化するのが道理である。
 (2)の渋滞解消について、県は現在の湾岸道路の外側に計画される第二湾岸道路の必要性をうたっており、その用地確保も埋め立ての目的だとしている。第二湾岸道路の建設は千葉県だけにかぎった話ではなく、東京都にも関係してくる問題だが、これまで道路を建設し続けてきたわが国の現状を見るに、道路が建設されたとしても渋川滞は必ずしも解消されていないのが現実である。むしろ大気汚染や騒音、振動など、新たな問題が生じるだけに、第二湾岸道路そのものの必要性を議論すべきだろう。
 県は第二湾岸道路の建設について「慢性的な交通渋滞解消のため必要不可欠な社会基盤」と主張するが、そもそもの計画では、港湾貨物の増大に対応した物流地点づくりを目指したものであった。つまり物流基地計画を支える柱が第二湾岸道路だったわけだが、この計画はすでに頓挫している。そこで県は「渋滞解消」を建設目的にすり替えることになるが、市川ジャンクションと市川インターチェンジの交通量は、90年では1日当たり8万9448台だったのに対し、94年は8万7413台、97年は8万6535台と減少している。
 さらに第二湾岸道路の建設を担当する建設省道路局長(当時)は、99年3月の衆議院建設委員会で、現行ルート案は「現段階では県の案である」とした上で、「建設省としては今後もルートについては広く検討してゆきたい。こちらから第二湾岸道路のために埋め立ててほしいと県に要望したことはない」と語っている。
 つまり、三番瀬の埋め立てとの関連性を否定しているのである。だとすれば、環境省が提案するトンネル案も現実味を帯びてくる。そして三番瀬の埋め立ては必ずしも必要としないことが明確になる。
盤洲干潟は東側の高須干潟(600ha)と小櫃川河口干潟(800ha)からできており、合わせて1400haの広さを誇るが、その中心付近を埋め立て建設されたのが、景観にそぐわない「温泉スバ」でる。さらにホテルの建設
計画もあり、これらの排水による干潟への影響が懸念されている。
埋め立てのための埋め立て
ただし、県が埋め立て目的の筆頭に掲げているのは、第二湾岸道路よりもむしろ(3)の下水道終末処理施設の用地確保である。だが、これも県が見込んでいる人口予測や水使用量が過大であり、「必要ない」というのが市民グループの意見だ。
 下水道計画は関宿、野田、流山、松戸、市川、浦安、船橋(一部)の汚水を集め、2つの処理場で高度処理したのち、東京湾に放流するというもので、当然この計画には莫大な費用が必要になり、これらの地域に下水道を整備するには永い年月を要することになる。
 そればかりか、整備する地域には人口密度の低い農村部も含まれており、こうした地域では流域下水道を整備するよりも、戸別合併処理浄化槽など、小型分散処分方式を採用するほうが現実的という指摘が大勢を占める。
流域下水道の場合、普及人ロー人あたり約100万円の費用が必要になるが、小型分散処理方式なら20-30万円程度ですむというのだ。
 下水道工事でも談合体質が各地で問題視されているが、業者の利益を優先させ、大規模な工事ばかりを推進するのが現在の行政の実態である。裏を返せば、このような大規模な流域下水道整備計画が浮上したがために、結果的に下水道の普及を遅らせてしまっていることになる。県行政も水質の改善を真剣に考えるのなら、現計画を早急に改め、小型分散処理方式に変更すべきだろう。それを行なわないのであれば「利権がらみ」と見られても仕方がないのではないか。県の動向に注視したい。
 次に(5)の港湾施設の整備についてだが、これも全国の港湾整備事業と何ら変わらない問題を含んでいる。港湾を整備しても荷が入ってこないという例はいくつもあり、ムダ造いの象徴になっているのが港湾の整備なのである。ムダと称される公共事業の中でも顕著な例で、まさに工事のための工事。ゼネコンのために税金を費やすだけの公共事業になってしまっている。三番瀬も例外ではなく、港が完成しても「年にO-2回程度しか寄港しないのでは」との声も囁かれている。
 そして(6)の親水護岸の整備。これは十六万坪の埋め立て問題と内容はほぼ同様のもので、直立護岸を改め、県民が自由に海に親しめるよう、人工海浜を造成するというもの。十六万坪の場合は傾斜護岸だが、いずれも埋め立てを前提にしている点では同じ構図である。埋め立てず、既存の直立護岸を傾斜型にするだけで親水護岸は成立する。多様性が失われた場所で「親しみなさい」と言われても、おいそれと納得できるはずもない。
 三番瀬の埋め立て目的は、すでに埋め立てのための口実と化していることは明白である。「埋め立てのための埋め立て」が、ここ三番瀬でもまかりとおっているわけだ。
 もちろん、湾奥に辛うじて残された干潟であるだけに、生き物たちへの影響もはかり知れない。三番瀬では魚類101種、鳥類89種、ゴカイなどの底生生物155種、植物プランクトン302種、合計647種の生物が確認されている。特に鳥類は三番瀬を渡りの中継地点にしている種も多く、この干潟を失うことは、わが国の問題だけではなくなってくる。世界各国から批判の矢面に立たされること必至なのである。
 野鳥とは対照的に、目立たない存在の底止生物や植物プランクトンも重要な役割を果たしている。干潟や浅瀬を生息の場とする微生物は、干潟の栄養分をエサとすることで生息が成り立っている。これは富栄養化を防止する効果として置き換えることができ、これらの微生物が水質を浄化してくれているのだ。
 三番瀬では、全窒素で575t(高次処理場200万人分)、COD(化学的酸素要求量)では13万人分の下水処理能力があると指摘されており、また、昨今問題視され始めたヒートアイランド現象を緩和する働きがあることも報告されている。これら干潟の浄化作用を総合的に見たとき、このような場を人工的に形成することが不可能であることを思い知らされる。それを千葉県は埋め立ててしまおうとしているのだ。
 今年3月、千葉県では知事選が行なわれる。新しい知事があくまでも推進の立場をとるか、中止を決断するか、その動向が注目される。ただいずれにせよ、それは歴史に名を残す判断になることは間違いない。願わくば、「醜名」として後世に名を残すことだけは避けていただきたいところだ。

アサリはどこから来るのか

 干潟の浄化機能を担う生物の中で、特にアサリという二枚貝が話題に上ることが多い。ゴカイなどの底生生物も二枚貝と同様に浄化に役立っているとの指摘もあるが、現在研究者の間で特に注目されているのは二枚貝のほうである。当然、東京湾の干潟、三番瀬や盤洲干潟などにも多くのアサリが生息しており、
わずかに残された干潟(東京湾では90%以上の干潟がすでに埋め立てられている)が現在の東京湾を支えているといえるわけだ。
愛知県水産試験場漁場環境研究部の鈴木輝明農学博士は「湾スケールの中でここをいじることによってどこに影響か出るかということまで考えながら、埋め立てについての評価をしていかないといけない」と言う。都は、こうした専門家の意見に耳を貸すべきだろう。
 このアサリという二枚貝について、興味深い研究結果がある。それは愛知県水産試験場漁場環境研究部の鈴木輝明さん(農学博士)が、三河湾の一色干潟においてアサリの生態について調査したものだが、一色干潟に生息しているアサリはもともと、湾奥部から潮流に乗ってきたものだというのである。
 アサリという二枚貝は一般的に、底にいる生物ということからその場所で生まれ育つと考える人が多いことだろう。ところが実際は、卵がフ化すると10日から2週間くらいの間、その幼生は海の中を漂う。いわゆるプランクトンと同じ部類に入るわけだが、三河湾の一色干潟の場合、そこに生息するアサリは最初から一色干潟で生息していたのではなく、別の場所から流れ着いたことが分かったというのだ。
「一色干潟のアサリ、その幼生がどこから来るか、その流れを時間を遡ってシュミレーションしてみると、湾奥の埋め立てられた場所付近に行き着く。ということは、過去に埋め立てられた場所というのは、現在残っている干潟の浄化機能をも維持していた、それを高めていた可能性が高いということなんです」(鈴木さん)。
 これはどういうことか。現在の一色干潟を、全く別の場所である湾奥部が支えているということであり、また、すでに湾奥部は埋め立てられていることから、しだいに一色干潟に何らかの影響が出てくる可能性も否定できないということだ。鈴木さんは続ける。
 「たとえば、ある場所をなくしたから、そこに同じものを作ればいいという考え方ではなくて、湾スケールの中でここをいじることによってどこに影響が出るかということまで考えながら、埋め立てについての評価をしていかないといけないんです」
 愛知県水産試験場の研究結果を三番瀬にあてはめてみると、101haの埋め立てを許し、人工干潟を造成するという考え方がいかに無意味であるかが分かる。この101haがもしかしたら、東京湾全体の干潟を支えているかもしれないからだ。

三番瀬と十六万坪の閥係

十六万坪についても同様のことがいえる。三河湾では湾奥部の埋立地付近からアサリの幼生が一色干潟に運ばれていることが分かった。十六万坪でもアサリは生息しており、また無数の稚魚が確認されていることからも「生命のゆりかご」になっていることは紛れもない事実である。それだけではなく、もしかしたら三番瀬や盤洲干潟のアサリでさえ、十六万坪など東京湾の湾奥から運ばれている可能性すら全くないとはいいきれないのだ。
 鈴木さんも「その可能性もあるでしょうね、あると思いますよ」と、十六万坪の潜在能力に興味を示しながら、ゴカイなど底生生物が多い点に注目し、次のように付け加えた。「アサリなどの二枚貝のほうが、確かに懸濁(けんだく)物を除去する能力が高いといわれてますけども、どうもそうとは言い切れない。ゴカイなどでもアサリと同等の役割を果たしている可能性は高いと思いますが、残念なことに学問的な情報ということでは整理されていないんです」
 鈴木さんの話を総合すると、三番瀬が東京湾全体の干潟を支えている可能性、そして十六万坪が三番瀬をはじめとする干潟を支えている可能性も、あながち否定することはできない。そして東京の片隅の小さな海域である十六万坪にも、湾奥にとって重要な浄化機能が備わっていることは間違いないのだ。
 「どうも今までは、このくらいの埋め立てなんだから影響は軽微だという、面積的な規模論議だけが先行してますけども、その小さな面積が果たしていた役割の評価はほとんど今までされていないし、私どもの三河湾でもやっと今それに気が付いた段階です。個人的に言わせていただければ、どんな規模の埋め立ででも影響があることは間違いないんです」
 十六万坪と三番瀬の埋め立て問題。ここに愛知県水産試験場の研究結果を照らし合わせると、これらの埋め立てという行為が、東京湾全体に甚大な被害を与えることを示唆している。有明海では諌早干潟の干拓によって、海苔の養殖に致命的ともいえる被害をもたらした。東京湾もそうなる可能性が極めて大きいわけだが、石原都知事と都議会自民党、そして公明党はあいも変わらず開発優先の立場を崩そうとはしない。千葉県のほうは今年3月の知事選が転機となるが、その結果いかんに東京湾全体の命運がかかっているといえるのである。

すでに工事が着工されている十六万坪の埋め立て問題も.まだ運動は継続中だ。1月13日には工事中止を求める銀座デモを開催。夏の都議選に向けてさらに反対運動は加速することだろう。

※ 付記

『21世紀を生きる釣り人への手紙』より

つり人1月号特集「最も記憶に残った20世紀の釣り人」にて壊滅的状況に追い込まれた湾奥の自然を取り戻すことに尽力された東泉大学農学部水産学科教授の故桧山義雄さんを紹介した。「江戸前のハゼと水を守る会」を設立し、三枚州を埋め立ての危機から救い、現在臨海公園として釣り人に親しまれている親水施設の礎を築いた、いわば江戸前ハゼの命の恩人である。その後、桧山夫人の寺子様よりお手紙を頂戴した。誠に失礼ながら、その全文をここに掲載させていただく。

今年もはや師走。20世紀もあと僅かとなりました。先日、つり入社より、21世紀の新年号をお送りいただき「最も記憶に残った20世紀の釣り人」の特集の中に、故桧山義夫の思い出をお書きいただき、誠にうれしく有り難く厚く御礼申し上げます。
 今年は5月にNHKラジオ第2放送で1960年の放送対談「科学者その人とことば」で放射能問題についての話でしたが再放送があり、先日12月3日夜11時25分からのNHK総合NHKアーガイブスの中でほんの1分間程「あすの記録、風光明媚の値段」という番組の中で、桧山の東京湾浄化案の構想が示されました(姿も声も出ませんでしたが)。
 昭和の最後の年、63年の7月に亡くなりまして、今年は13回忌でございましたが、20世紀最後の年というので、皆様が思い出して下さったのかと思いますと、本当に感無量でございます。
 東京湾の浄化・埋立反対にあれほど熱心に取り組んでいたことを思いますと、今生きていたらどんなにくやしがるかと思います。美濃部知事はさすがに学者で話せばよく分かってくれたといっておりました。新聞、雑誌に書いた記事なども整理しかけておりますが、こちらも八十を半ば過ぎ、中々はかどりません。東京湾の存在そのものが、どんなに東京の自然環境・空気の浄化に役立っているか そのことを忘れてはいけないとよくいっておりました。
 晩年は週3回の腎臓透析ですっかり弱って.ハゼを守る会のお手伝いも何もできなくなってご迷離おかけしましたが、どうぞ次の世紀はもっと住みよい、みんなの楽しめる時代になってほしいとつくづく思います。

2001.2.25 校了