江戸前の文化の消滅を意味する十六万坪の埋立事業
9月11日、東京都港湾局と.石原都知事は、いっさいの民意を聞き入れることなく十六万坪の埋立工事に着手した。当日は釣り船業者らが猛反発したこともあり、実際の工事は13日からになったものの、東京港の最後の浅瀬、生き物たちの揺りかごを消し去る歴史的な工事がついに着手されたのだ。
これは実質的に江戸前文化の抹消を、都知事自らが決断したにひとしい出来事ともいえる。その第1の理由は、この連載で再三指摘しているように、稚魚の生息場所になり得る浅瀬として、十六万坪は東京港で最後の海域であるということだ。この海が埋め立てられてしまえば、魚たちが育つ場所が失われ、よって江戸前文化の再生、こと東京湾湾奥における漁業の再建という意味でも、その可能性の芽を摘むことになる。
さらに第2には、通産省、そして東京都自らが伝統工芸品に指定している江戸和竿の存在がある。東京湾では絶滅したといわれるアオギスを筆頭に、釣りの対象になる魚種が次々と激減してきた。その最後の砦がマハゼの存在なのだが、今回の埋め立てでマハゼすらも生息場所を追われることになる。そして江戸和竿の存続は、最後に残された江戸前の魚、マハゼが辛うじてつなぎ止めていた状態にあったのだ。決して通産省や東京部が伝統工芸品に指定していたことが、江戸和竿を守ってきたのではない。マハゼという魚がその伝統を守り続けてきたのである。、石原都知事は「どこかに移る」と言うが、彼が言う「移る場所」すらすでに東京港には存在しない。成育場所を追われるマハゼたちが激減することは確実であり、同時に江戸和竿、江戸前文化も消えゆく運命にあるわけだ。
もうひとつ、第3にいえることは景観の問題である。十六万坪にはご存じのように石垣堤防があり、そこには都心には珍しい雑木林が存在する。ある組合ではそこに桜を植えるという提案を都にしているようだが、笑止千万である。あの雑木林には多様な植生が存在し、その多様性が様々な生き物、野鳥や昆虫が集まる要因にもなっている。それは魚にとっても無関係ではなく、十六万坪の海には雑木林からの湧水がこんこんと注がれているのだ。これが多種多様な水生生物を育み、マハゼやエドハゼ、ボラやスズキといったさまざまな魚、その稚魚たちの成育を助けてきた。それを見た目だけの価値観で桜に植え替えるという安易な考えは、まさに愚案であり、ある特定の種に限定してしまうことは生態的にも危険極まりないはずだ。
また、埋立計面が進行すれば、雑木林の上に高速道路や幹線道路が通ることになり、さらに有明側は大幅に海面が減少し、単なる水路と化す。そこに9000戸の住宅が建設されると港湾局は主張するが、それが果たして江戸前の風景と呼べるのか、はなはだ疑問である。
しかも、計画どおり住宅が建設されるとはかぎらない。事実、埋立後の住宅建設は白紙状態といってよく、どこがどのような住宅を建設するのかも全く決まってはいないのだ。おそらくは他の臨海部と同様、単なる未利用地、いわゆる空き地になるのが関の山だ。結果的にこの埋め立ては、鈴木都政以来の失政といえる「臨海副都心開発」の借金の穴埋めが目的であることは明白だ。都は「処分可能な宅地資産は900億円になる」と見込んでいるようだが、この考えこそが臨海開発を破綻させた最大の原因であるはず。現在の臨海部を見渡しても、そこにあるのは広大な空き地ばかりで十六万坪もそうならないとはかぎらない。仮に大部分の土地が売却されずに残ったら、都民の借金は増える一方になり、次世代の都民がツケを払わされることになるのだ。
そしてさらに、臨海副都心開発の破綻を隠蔽する行為は、どうやら十六万坪の埋め立て以降も継続されるようなのである。
開発計画が目白押しの「ベイエリア21」構想
石原都政は9月14日、東京の臨海部を広域的に開発することを目的にした「東京ベイエリア21構想」の中間まとめを発表した。これは東京臨海地域を「都市活動を支え、牽引していくかけがえのない空間」と規定した上で「東京再生の起爆剤」と位置づけ、今後、より一層開発を推進してゆくことを意味している。
主な概要を見てみることにしよう。全体は5章に分かれており、第1章では「東京の危機が日本の地位低下をもたらし、これを脱するためには都心を中心とする内陸部と東京臨海地域を一体に捉えることが強く求められる」とあり、第2章では「臨海地域が他にない潜在力を持っている」と主張。第3章では「臨海地域の役割と.再編整備の方向」を示し、第4章では「今後の戦略的取り組み」を述べている。そして第5章、これが曲者なのだが、「再編整備に向けた仕組みつくり」とあり、第4章までの取り組みを実現させるため規制緩和などを行なうことを明らかにしている。
まずは第2章にある「東京臨海地域の潜在力」であるが、その第3節では「都心に近いので産業立地にも便利で居住にも適している」としており、これは十六万坪の埋め立てで都がたびたび主張していた「臨海部に住宅を建設すれば職住遠隔が解消する」という論理と同様のものである。しかし現実には、軟弱地盤のため住宅建設にはコストが掛かることになり、その結果、高額なマンションのみが建設されることは容易に想像できる。これは現在の臨海部を見れば明らかなことでもあり、広く、一般都民が求める良質で安価な住宅とはほど遠い存在である。結局は民間デベロッパー相手の商売を都が進めようとしているにすぎないわけだ。
また第3章の「東京臨海地域の役割と再編整備の方向」では、第1節の中に目標が掲げられている。それらを列挙すると「羽田空港の国際化」「あらたな物流ネットワークの創造」「交通ネットワークの創造とアクセス機能の強化」「新産業空間の創造」「リーディング産業の誘致」「アジアの拠点」「都市空間の創造」「都心型居住の実現」「水辺の都の創造」となる。
さらに第4章の「今後の戦略的取り組み」では都市基盤の強化として、「羽田空港の24時間化」「第2湾岸道路の乗り人れ」「首都圏新空港の取り組み」「コンテナ埠頭の高規格化」「広域幹線道路の整備」を目標としており、これら第3章と第4章を見るかぎり、それはまるで、かつて田中角栄が行なった「日本列島改造論」の再現であるかのように感じられる。総じて企業優先の政策であり、開発計面が目白押しであることから、田中角栄と石原慎太郎がオーバーラップしてしまうのは筆者だけではないだろう。
そして問題の第5章。ここには開発のためには現行制度を見直すことが述べられており、具体的には工場立地を制限している工業制限法の規制緩和をはじめ、臨海地区の指定および解除の手続きの迅速化を国に要請するとしている。さらに都有地を民間業者に売却する際の「処分方式の多様化」を進めるとあるが、これは青島都政での臨海副都心開発懇談会においても議論を呼んだ。その結果、売却は国など公益性の高い相手に限定していたはずだが、これをいとも簡単に撤回してしまおうというのである。都有地は本来都民のものであるが、容易に売却できるよう制度を改悪してしまう石原都知事には、都民という概念すら存在しないのかもしれない。