[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之弐拾参  2000.10.29
[ 開発優先!石原都政に新たな臨海部開発計画
つり人12月号より

 
開発優先・民意無視の石原都政と新たな臨海部開発計画
 
                  ー 浦 壮一郎 ー  写真.文

十六万坪の埋立事業は、開発優先。民意無視の石原都政を象徴する事業だが、これに懲りず、臨海部にはより一層の開発を進める計画「ベイエリア21構想」が浮上しつつある。自然の再生が叫ばれる昨今、それに逆行し続ける石原都政、その行き着く先は……。

江戸前の文化の消滅を意味する十六万坪の埋立事業

 9月11日、東京都港湾局と.石原都知事は、いっさいの民意を聞き入れることなく十六万坪の埋立工事に着手した。当日は釣り船業者らが猛反発したこともあり、実際の工事は13日からになったものの、東京港の最後の浅瀬、生き物たちの揺りかごを消し去る歴史的な工事がついに着手されたのだ。
 これは実質的に江戸前文化の抹消を、都知事自らが決断したにひとしい出来事ともいえる。その第1の理由は、この連載で再三指摘しているように、稚魚の生息場所になり得る浅瀬として、十六万坪は東京港で最後の海域であるということだ。この海が埋め立てられてしまえば、魚たちが育つ場所が失われ、よって江戸前文化の再生、こと東京湾湾奥における漁業の再建という意味でも、その可能性の芽を摘むことになる。
 さらに第2には、通産省、そして東京都自らが伝統工芸品に指定している江戸和竿の存在がある。東京湾では絶滅したといわれるアオギスを筆頭に、釣りの対象になる魚種が次々と激減してきた。その最後の砦がマハゼの存在なのだが、今回の埋め立てでマハゼすらも生息場所を追われることになる。そして江戸和竿の存続は、最後に残された江戸前の魚、マハゼが辛うじてつなぎ止めていた状態にあったのだ。決して通産省や東京部が伝統工芸品に指定していたことが、江戸和竿を守ってきたのではない。マハゼという魚がその伝統を守り続けてきたのである。、石原都知事は「どこかに移る」と言うが、彼が言う「移る場所」すらすでに東京港には存在しない。成育場所を追われるマハゼたちが激減することは確実であり、同時に江戸和竿、江戸前文化も消えゆく運命にあるわけだ。
 もうひとつ、第3にいえることは景観の問題である。十六万坪にはご存じのように石垣堤防があり、そこには都心には珍しい雑木林が存在する。ある組合ではそこに桜を植えるという提案を都にしているようだが、笑止千万である。あの雑木林には多様な植生が存在し、その多様性が様々な生き物、野鳥や昆虫が集まる要因にもなっている。それは魚にとっても無関係ではなく、十六万坪の海には雑木林からの湧水がこんこんと注がれているのだ。これが多種多様な水生生物を育み、マハゼやエドハゼ、ボラやスズキといったさまざまな魚、その稚魚たちの成育を助けてきた。それを見た目だけの価値観で桜に植え替えるという安易な考えは、まさに愚案であり、ある特定の種に限定してしまうことは生態的にも危険極まりないはずだ。
 また、埋立計面が進行すれば、雑木林の上に高速道路や幹線道路が通ることになり、さらに有明側は大幅に海面が減少し、単なる水路と化す。そこに9000戸の住宅が建設されると港湾局は主張するが、それが果たして江戸前の風景と呼べるのか、はなはだ疑問である。
 しかも、計画どおり住宅が建設されるとはかぎらない。事実、埋立後の住宅建設は白紙状態といってよく、どこがどのような住宅を建設するのかも全く決まってはいないのだ。おそらくは他の臨海部と同様、単なる未利用地、いわゆる空き地になるのが関の山だ。結果的にこの埋め立ては、鈴木都政以来の失政といえる「臨海副都心開発」の借金の穴埋めが目的であることは明白だ。都は「処分可能な宅地資産は900億円になる」と見込んでいるようだが、この考えこそが臨海開発を破綻させた最大の原因であるはず。現在の臨海部を見渡しても、そこにあるのは広大な空き地ばかりで十六万坪もそうならないとはかぎらない。仮に大部分の土地が売却されずに残ったら、都民の借金は増える一方になり、次世代の都民がツケを払わされることになるのだ。
 そしてさらに、臨海副都心開発の破綻を隠蔽する行為は、どうやら十六万坪の埋め立て以降も継続されるようなのである。


開発計画が目白押しの「ベイエリア21」構想

 石原都政は9月14日、東京の臨海部を広域的に開発することを目的にした「東京ベイエリア21構想」の中間まとめを発表した。これは東京臨海地域を「都市活動を支え、牽引していくかけがえのない空間」と規定した上で「東京再生の起爆剤」と位置づけ、今後、より一層開発を推進してゆくことを意味している。
 主な概要を見てみることにしよう。全体は5章に分かれており、第1章では「東京の危機が日本の地位低下をもたらし、これを脱するためには都心を中心とする内陸部と東京臨海地域を一体に捉えることが強く求められる」とあり、第2章では「臨海地域が他にない潜在力を持っている」と主張。第3章では「臨海地域の役割と.再編整備の方向」を示し、第4章では「今後の戦略的取り組み」を述べている。そして第5章、これが曲者なのだが、「再編整備に向けた仕組みつくり」とあり、第4章までの取り組みを実現させるため規制緩和などを行なうことを明らかにしている。
 まずは第2章にある「東京臨海地域の潜在力」であるが、その第3節では「都心に近いので産業立地にも便利で居住にも適している」としており、これは十六万坪の埋め立てで都がたびたび主張していた「臨海部に住宅を建設すれば職住遠隔が解消する」という論理と同様のものである。しかし現実には、軟弱地盤のため住宅建設にはコストが掛かることになり、その結果、高額なマンションのみが建設されることは容易に想像できる。これは現在の臨海部を見れば明らかなことでもあり、広く、一般都民が求める良質で安価な住宅とはほど遠い存在である。結局は民間デベロッパー相手の商売を都が進めようとしているにすぎないわけだ。
 また第3章の「東京臨海地域の役割と再編整備の方向」では、第1節の中に目標が掲げられている。それらを列挙すると「羽田空港の国際化」「あらたな物流ネットワークの創造」「交通ネットワークの創造とアクセス機能の強化」「新産業空間の創造」「リーディング産業の誘致」「アジアの拠点」「都市空間の創造」「都心型居住の実現」「水辺の都の創造」となる。
 さらに第4章の「今後の戦略的取り組み」では都市基盤の強化として、「羽田空港の24時間化」「第2湾岸道路の乗り人れ」「首都圏新空港の取り組み」「コンテナ埠頭の高規格化」「広域幹線道路の整備」を目標としており、これら第3章と第4章を見るかぎり、それはまるで、かつて田中角栄が行なった「日本列島改造論」の再現であるかのように感じられる。総じて企業優先の政策であり、開発計面が目白押しであることから、田中角栄と石原慎太郎がオーバーラップしてしまうのは筆者だけではないだろう。
 そして問題の第5章。ここには開発のためには現行制度を見直すことが述べられており、具体的には工場立地を制限している工業制限法の規制緩和をはじめ、臨海地区の指定および解除の手続きの迅速化を国に要請するとしている。さらに都有地を民間業者に売却する際の「処分方式の多様化」を進めるとあるが、これは青島都政での臨海副都心開発懇談会においても議論を呼んだ。その結果、売却は国など公益性の高い相手に限定していたはずだが、これをいとも簡単に撤回してしまおうというのである。都有地は本来都民のものであるが、容易に売却できるよう制度を改悪してしまう石原都知事には、都民という概念すら存在しないのかもしれない。


日の出町処分場計画に見る
    石原慎太郎という人物
 このようにベイエリア21構想では、開発を優先させるめに現行制度の見直しまでもが計画されているが、同様のことが臨海部以外でも問題になっている。それは東京都が日の出町に計画している処分場拡張問題である。周辺の森を守るため、拡張に反対する市民が所有するトラスト地に対し、都は強制収用に踏み切ったが、この問題でも石原都知事はトラスト運動を骨抜きにする施策を考えていた。
 強制収用は道路やダム建設などの開発の際、反対する住民に対し補償金を支払う代わりに私有地を強制的に取り上げる制度だが、現行法(土地収用法)では地権者ひとりひとりに補償金を手渡さなければならないことになっている。 
 このため補償金の支払いの段階で開発が遅れることになり、反対派から見れば現行法が開発を遅れさせる唯一の歯止めにもなっているのである。
 ところが、計画が遅れていることに業を煮やした石原都知事は今年5月、当時の中山正暉建設大臣に対し土地収用法の改正、つまり手続きの簡素化を求めたのである。挙げ句の果てに9月の定例記者会見では「地域の人間のいうことを全部聞いていたら、どうにもならなくなる」と発言する始末。民意よりも開発を優先する姿勢がここにも表われている。そして開発のためには現行法の改正も辞さないという政策は、まさに臨海開発でも同様のことがいえ、その横暴さを許しているのは現在の石原人気にほかならない。
現在までの、石原都政は、少なくとも開発優先であることはマスコミであまり報じられてこなかった。その代わりに外形標準課税の導入やディーゼル規制、横田基地の返還要求や都職員の給与カットなど、都民の支持をうまく取り入れる政策ばかりがクローズアップされてきた。しかしよくよく考えて見ると、実際に都民がしてもらったことは、人気に乗じて福祉予算を大幅に削減されたくらいのものなのでは……と自問自答したくなる。
 また衆院選以来、国政では石原新党なるものが囁かれるようになっているが、このままの状態、つまり都政で株を上げたままの状態で石原氏が国政に復帰するようなことがあれば、次は国政を混乱させることすらも危棋されるはず。そして公共事業の問題点がようやく語られるようになった現在、それを逆行させる.原因にもなりかねない。今後の石原都知事の言動、そして政策にはよくよく注視する必要がありそうだ。

民主党国会議員が現地視察を検討中

 次に埋め立ての反対運動、「江戸前の海十六万坪(有明)を守る会」(以下・守る会)の動きについて報告しておきたい。9月19日、守る会は埋立工事の中止を求めて都庁前でデモ行進を行ない、同時に都知事に対し工事中止の申し人れを行なった。ただし知事室前に石原都知事自らが出向くことはなく、これまでのように秘書に文書を手渡すだけに終わった。今まで石原都知事は一度として反対派住民および釣り船関係者の前に姿を現わしたことはなく、依然、住民無視の姿勢を崩してはいない。おそらくは反対運動が沈静化するのをひたすら待っているのだろうが、十六万坪の埋立問題は彼が考えるほど安易なものではないのである。
 すでに海外メディアも注目しつつあり、先進国と自負する日本、その首都で起こっている自然破壊に対する注目度は、石原都知事が考える以上に拡大しているのだ。
 自然保護に関心の低い人々、事業を推進する立場にいる人々というのは、一様に自然保護運動の潮流というものを理解していない。自然保護を真剣に考える人々なら、あらゆるところにアンテナを張り巡らせているものだが、関心のない彼らにはそれがない。だからこそ推進する側にいられるのだろうが、過去に日本の自然を破壊してきた人物が一般市民にどのように捉えられているか、それを改めて見つめ直してみれば明らかになるはずだ。
 あの田中角栄や金丸信、竹下登など、族議員と呼ばれる彼らに尊敬の念を抱いているのは、せいぜい後援会で付き合いの長かったご老人か、いまだに公共工事にすがり付く開発推進派議員ぐらいのものだろう。彼らの名が歴史上の英雄として登場することはあり得ないのだ。
 晴れてその仲間人りを果たそうとしているのが、現在の石原都知事ということになるが、人気の上昇も落ち着きを見せ始めた今こそそれが下降線をたどらぬよう、時代のアンテナを立ててみてはどうだろうか。その第1歩が、埋立反対派の住民らと同じテーブルに付くことのはずだが、、石原都知事はその姿を一向に現わそうとはしないのだ。
 
 一方、「守る会」は都庁デモのあと、永田町の議員会館で超党派国会議員の学習シンポを開催するなど、十六万坪の問題を着々と全国規模へと拡大させつつある。学習シンポは東京選出の国会議員4名、柿沢弘治議員(衆院・無所属)、束祥三議員(衆院・自由)、鳩山邦夫議員(衆院:自民)、緒方靖夫議員(参院・共産)、らが呼びかけ人となり、自然保護団体や地域住民のほか都議会議員も出席するなど、計80人が参加した。
 特別講師を務めたのは本誌連載でもおなじみのアウトドアライター・天野礼子さんで、アメリカのダム撤去を例に自然の再生が次世紀の潮流であることを強調。「たとえお金がかかっても、20世紀に破壊した自然を再生させること、それが21世紀の使命のはず。そういう時代の入口にあるにもかかわらず、十六万坪の埋め立てが着工されたことこそが問題」と語った。
 そしてもうひとつ。「守る会」の運動、その努力の賜といえるのが、国会の中での民主党の動きである。公共事業コントロール法案の策定を模索する民主党では、党首諮問機関として「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」の設置を決定。そしてその委員会のメンバーらが早ければ10月中、遅くとも年内には十六万坪の現地視察を実施するというのだ。本誌が店頭に並ぶ頃にはすでに視察を終えていることも考えられるが、いずれにせよ十六万坪の埋立問題が国全体の関心事になっていることを、この視察が如実に表わしているといえる。
民主党の国会議員が動くとなれば、気になるのがかねてから懇親的に係わってきた4議員の今後の動きである。特に政権与党の自民党から、十六万坪の埋め立てに反対の意向を示した鳩山邦夫議員は、今後の展開をどのように考えているのだろうか。

生態系保護を強調する鳩山邦夫議員

 8月8日に開催されたハゼびらきに出席して以降、鳩山邦夫議員のもとには焦った東京都職員が事業の正当性を説明に訪れたという。その内容は相変わらずのもので、「十六万坪にはあまりハゼがいない」「ほかにもハゼはいる」といったものだったと鳩山議員は、いう。しかし幼少からハゼ釣りに興じてきた鳩山議員に対しては、まさに釈迦に説法ということになる。鳩山議員は言う、「ハゼがいるいないにかきらず、埋め立てるべきではない。生態系を守るという視点に立てば、ハゼが少ないから埋め立ててもいいという理屈はどこにもない」と。
 さらにハゼ釣りの魅力、十六万坪の価値について次のように語った。「子どもの頃からいろいろな釣りをしてきましたけど、大人になってからはハゼ釣りが多かったですね。去年も豊里で180尾くらい釣りました。ですが、やっぱりハゼ釣りはできるだけ近くで釣れることが魅力なんです。ですから十六万坪で釣れるという事実こそ大事なことのはずです」。
 さすが釣りに精通しているだけに、言うことがどこぞの知事とは明らかに違う。「ハゼはどこかに移る」と言い放った石原慎太郎都知事は、高価なヨットを操るだけでなく、もっと庶民の遊びを体験すべきなのだろう。
 そして自然との共生をテーマに掲げている鳩山議員は、特定の生物種に限定するのではなく、生態系に踏み込んだ政策がこれからの政治には不可欠であると強調する。「私は自然との共生を政治運動にしていこうと考えていますが、そのキーワードが生態系なんです。十六万坪でいえばマハゼは象徴的存在にすぎない。守るべきはそれを含む生態系のはずです。十六万坪にはゴカイが多数生息していると聞いていますが、ゴカイがいるってことは泥が生きている証。その泥を、生態系を殺してはいけない」と力説する。
 このように語っていることからも、生態系への理解という点で、鳩山邦夫議員が議員の中で突出した存在であることは間違いないようだ。しかしこれらの発言も、単なるリップサービスで終ってしまったら意味をなさない。今後の行動でその意思の固さを証明していただきたいものだが、「十六万坪に関しては何とかしないといけないと思っていますから、今後の運動論についていろいろと考えてみます」と語るに留まった。
  
議員会館での学習シンポにおいて、天野礼子さんは「鳩山邦夫さんはまず、公共事業見直しに熱心な民主党、その党首であるお兄さんの由紀夫さんをハゼ釣りに誘うことが必要」と呼びかけたが、すでに「十六万坪の視察を民主党が計画している今、その実現はかなり難しいだろう。
ひとまずは都議会自民党や、石原都知事に対する働きかけなど、与党としての強みを生かした動きに期待するほかないのかもしれない。