[江戸前の海十六万坪(有明)を守る会]
情報、其之弐拾  2000.9.23
[ 十六万坪の財産権は個々が主張すべき!
雑誌”つり人”11月号より
 
明らかになった非民主的な東京都の実態
つり人11月号より   浦 壮一郎
 
 ほんの一握りの地域住民にしか案内を通知しない説明会。これにいったい何の意味があるのかーー。
必死の思いで質問をぶつける住民、しかし都職員はいっさい耳を傾けようとはせず、原稿を棒読みするだけで、いたずらに時間がすぎてゆく。
納得のいく回答を何一つ行わないまま、終了時間が過ぎているとして会場をあとにする都職員たち。
唯一明らかになったことは、東京都がいかに非民主的であるか、その一点のみである。
     

         東京都が住民無視の工事説明会を開催

 去る9月7日、有明コロシアムにおいて、東京都港湾局主催による有明北地区埋立事業の工事説明会が開催された。本来なら話し合いの対象になるのは地域住民ということになるが、説明会の案内が届いたのはほんのひと握りの住民だけである。
 このことから、説明会そのものの目的は「着工前の段階で、住民に対し工事の説明を行なった」とする事実形成にあることは明白である。また、実際に約200名以上の参加者を数えるなか、その大半はゼネコン関係者(港湾局関係者談)だったことも、埋立事業そのものが住民不在の中で進められていることを如実に表わしているといえるだろう。
 ただし、無視されたはずの反対派住民や船宿関係者、そして『江戸前の海十六万坪(有明)を守る会』のメンバーも情報を聞きつけて会場を訪れていた。内輪で参加者を集めた偽装の説明会を開催することで、平穏無事に事をおさめようと考えた東京都の思惑は、完全に外れる形となったのである。いや、むしろこの説明会開催の意味を東京都側から見たと仮定すれば、マスコミ関係者の目前で住民無視を続ける姿勢をあからさまにしてしまったのだから、いたずらに混迷の度を深めたにすぎないといえる。これが現在の東京都の現実であり、また、いまだ現地を視察しようとしない石原慎太郎都知事の姿勢についても、港湾局と同等と考えざるをえないだろう。
 
 工事説明会は冒頭から、東京都のやり方に不信感を抱く発言が集中した。江東区内では住民が皆無に近い有明コロシアムが会場であったこと。また江東区では同日に国勢調査の説明会が行なわれており、自治会の主要メンバーが不在であったことなど、まるで国勢調査の日に合わせるかのように工事説明会が開催されたことで、より不信感が高まる結果になったのである。
 説明会は、会場からさまざまな質問が飛び交うなか、それを無視する形で一方的に議事が進行されてゆく。それは説明会とはほど遠い内容であり、あらかじめ用意した原稿を棒読みするだけのことだ。「質問に答えてください!」と叫ぶ住民の声に全く耳を傾けず、「皆さまがたには、東京港の警備運営に何かとご協力順き、誠にありがとうございます。有明北地区の開発につきましては……」と、テーブルに置いた原稿を淡々と読むだけの港湾局職員。このような形で「住民説明を行なった」、「住民の理解は得られた」として開発が進められてゆくのである。
 日本の民主主義の現実を改めて目の当たりにしたといえばそのとおりだが、石原都知事を長とする東京都よりも、今や建設省のほうが住民の声に耳を傾ける姿勢はいくらかマシとも感じられる。それはまるで、かつての建設省を見ているかのようでもあり、東京都がこのままの状態で工事を着工するようなら(本誌が発売される頃はすでに着工されている可能性が高い)旧態依然とした東京都のやり方と同様に、石原都知事もかなり古いタイプの政治家といわざるをえない。

 説明会でもウソにウソを重ねる東京都

これまでも述べてきたように、東京都は.平成11年8月11日に埋立免許出願を行ない、平成正年3月10日には認可庁である運輸省に対し認可申請を行なっている。そして平成!2年8月17日に認可があり、同日に埋立免許を取得するに至っている。
 認可を取得したことで、東京都は工事着工を強行する姿勢に転じるが、運輸省が認可する前に、東京都が業者に対し工事契約を結んでいたこと、しかも業者に対し前払い金を支払っていたことが発覚している。
 説明会ではこのことについても質問が浴びせられた。免許も下りていない段階で工事契約を結んでいたことは違反であると。
 対する東京都は「免許が下りることを確信していたため、それを想定して契約した。前払い金については、本件の場合、仕切柵の撤去などが必要となるため、前払い金を支払うことが適当であると判断した」と回答している。これは明らかに公有水面埋立法違反であるといえるが、都は工事には着手していないことを理由に認めようとしない。
 また、東京都自らが絶滅危倶種に指定しているエドハゼの存在についても、十六万坪で発見されたにもかかわらず調査する気配すらない。さらにマハゼについても、最盛期の10月の調査において全く確認できなかったというのが東京都の言い分である。その上で埋立事業が「影響ない」と言うのである。これらの問題点に関して調査のやり直しを求める声に対しても、「近年はマハゼに次いで2番目に多いのがエドハゼである」と言う。しかも.平成9年および10年の調査で城南島や葛西沖などにおいて、多くのエドハゼが見つかっているとしているが、ではなぜ東京都環境保全局が絶滅危慎種に指定したのか。指定は、平成11年のことで、矛盾した回答しか出てこないのだ。
 マハゼについては「調査でもマハゼは確認されているが、環境アセスの中では多いほうから3番目までの種を記載することになっているため、その中にマハゼは含まれなかった」と回答。しかし以前に、同様の質問に対し東京都港湾局開発部の高野一男参事は「1尾も確認されなかった」と発言しており、ウソにウソを重ねることで、環境アセスに関する虚偽が次々とあからさまになってゆく。この結果、埋め立てをするために都合のいい資料を作ったという見方が、しだいに真実味を帯ぴてゆくことになる。

 次に十六万坪で釣り船業を営む人々に対し、東京都はその行為を容認してきたが、一方で「閉鎖水域のため、釣り船業者以外の一般都民にとっては近づけない場所であり、埋め立てることによって親水性が高まる」と、まるで釣り船業者のみが利を得ているかのような主張をたびたび行なってきた。しかし、釣り船によって多くの都民がハゼ釣りに親しんできたのもまた事実であり、同時に釣り船業者は、十六万坪で得られた利益から、東京都に対して税金を支払ってきた納税者でもある。よって法的にいっても水面利用の権利者(後に財産権について述べる)でもあり、会場からもその指摘があった。対する東京都は「今日は工事の説明会であるため、それは別の部署で聞いてほしい」と逃げるだけだ。
 最終的にこの説明会は、時間がきたからという理由で強引に終了させる始末で、説明にあたった港湾局職員の中には名前すら明かさず、丁寧に名刺交換を求める釣り船経営者を無視して退場する者もいた。このような非民主的な説明会のみで着工を強行する東京都港湾局。これが石原都知事の指示であるとしたら、実に残念なことだ。

          海はだれのものか”三書瀬シンポ”より

 次に水面利用者の権利、すなわち漁業者や釣り船経営者の財産権について述べておきたい。今年7月22日、十六万坪と同様に埋立事業に揺れる三番瀬の問題について、三番瀬を守るシンポジウム実行委員の主催によるシンポジウム「海はだれのものか」が開催された。そこで「公有水面埋立の諸問題”海はだれのものか”」と題し、明治学院大学の熊本一規教授(写真・右)が基調講演を行ない注目を集めた。
 この内容に沿って話を進めたい。まず公有水面という表現についてだが、これは明治8年、当時の内務省(現-建設省と自治省)が「海は国のものである」と主張したことにより、海面官有宣言と呼ばれる太政官布告が出たことに端を発する。それまでは漁民が海面を所持していたにひとしい状態にあったが、一転して国のものと断定されたのだ。
 しかし、この考えには大蔵省が反発。「海は万民のもの」として、翌明治9年、海面官有宣言を撤回させている。この時点で海は万民のものとして確立されたことになるが、内務省は海面官有説をあきらめたわけではなかった。明治23年には官有地取扱措置を定め、海面の使用は許可制とし、水面使用料を徴収するなどと規定している。
 そして大正10年に制定された公有水面埋立法も、内務省以来の「海は国のものである」という考えに基づいて制定された法律なのだ。ただし国全体としてはあくまで「海は公共のもの」という考え方が一般的であり、同じ法律でも漁業法では公共用水面という表現が使われている。現在においては、海は国民ひとりひとりの財産として考えるのが、妥当な解釈の仕方といえる。さらにもうひとつ、公有水面埋立法は旧憲法下での法律であることから、「財産権の扱いがほかの法律と令く違う」と熊本教授は言う。
 財産権とは「生活に密着した利益があり、それが長年のあいだ継続され、社会的にも認められている利益のこと」をいうが、東京湾でその権利を有する典型的な存在が、漁民や釣り船業者なのだ。熊本教授は言う。
「財産権を侵害するということは大変なことで、いくつか制限する方法はありますが、基本的に財産権を侵害する行為は許されないんです」と。
 よって財産権を制限する場合、法律によって制限しなければならないことになる。たとえば建築基準法でいえば土地所有権が代表的な財産権にあたるが、公共の目的のために都市計画法などができた場合、一定の制限ができることになるという。
 もうひとつは強制収用である。財産権を強制収用することもできるが、この時には必ず補償しなければならない。これが新憲法下での財産権に関する規定(憲法29条)である。ところが明治憲法下では財産権に関する規定が何もないのだ。「この財産権に関する扱いが、公有水面埋立法の規定は旧憲法下での規定であるため、無視する形となっているんです」
 ところが財産権の侵害は、公有水面埋立法で規定がないとはいえ、それは旧憲法下でのこと。新憲法下においては当然許されない行為となる。
 
「現在では、財産権を持っている人が海面使用者の中にいたら、その人から同意を得ると同時に、補償を支払わなければいけないことになります。つまり漁業などを長年のあいだ営まれており、その人がそれらの行為をやらなければ生活できないという内容であれば、それはもう財産権になります。財産権だから同意を得なければいけないし、補償もしなければいけないわけです」では事業者はいったい誰にどのような形で同意を得なければならないか。これが非常に重要な意味を持つことになる。


          
事業中止の切り札になる財産権の存在

 では実際に、理立事業やそのほかの開発を行なう場合、共同漁業者の同意をどのような形で得ているかだが、この際よく耳にするのが漁協や漁連の存在である。ところが
共同漁業を行なっているのが漁民各人であり、漁協や漁連など組合に共同漁業を行なうことはできない。つまり共同漁業権は組合が有するものではなく、すべての関係漁民の権利であり、それは組合に属さなくても、組合員でなくとも権利を有するという。これはどういうことか。前出、熊本教授は次のように語っている。
 「共同漁業権というのは、要するに海における入会権です。よって事業主体がどこから同意を得なければならないかといえば、それは組合ではなく関係漁民全員の同意ということになる」
 ところが現実に起こっていることは、総会決議(総代金)などで3分の2の同意を得たとして、計画に承認したと多くの漁民が思い違いをしているという事実である。「ダム建設でも全員の同意を取っていないダム建設というのはありません。みんな補償契約をして、全員が補償金を受領して署名捺印をする。全員の同意を集める必要があるわけです。海の場合も同じ。補償金を関係漁民全員が受領するという形で全員の同意を取ってきた。では総会決議というのは何か。あれは権利のない者が勝手に声をあげているにすぎないんです」
 
漁協でそういう決議が上がると、関係漁民は「決議が上がったのだから、もうダメかなあ」ということで補償金を貰う。漁民個人に権利があることを知らないためか、補償金を貰うことで同意したことになってしまうケースが非常に多いのだ。さらに熊本教授は言う。「漁協は法人ですから関係漁民とは全く別の存在なんです。別の存在である漁協には、埋め立てに同意する権利はない。同意するのは関係漁民個人なんです」
 この論理を十六万坪にあてはめるとどのようなことになるだろうか。先日、埋立認可が下りたことで、東京湾遊漁船業協同組合(理事長・大塚欣一)は、総会を開き埋立容認を決定したといわれる。
 また東京都漁業協同組合連合金(副会長-伊豆七島を除く代表、三田豐一)も同様に容認の姿勢を取ってきた。
しかし両組合ともに埋め立てに反対する者は多く、また
「決議で決まったのだから」と諦めている人もいることだろう。
 しかし両組合ともに、埋め立てに同意する権利はいっさいない。まして補償金を受け取っていないのであれば、それは同意したことにはならないのだ。
 そして両組合に加入している漁民や釣り船関係者、さらに組合に加入していない者であっても、十六万坪での操業によって生活に密着した利益があり、それが長年のあいだ継続されているのだから、彼らには財産権を主張する権利が生じる。
 東京湾ではかつて漁業権を放棄したという経緯があるものの、それは昭和37年のことであり、すでに関係漁民および釣り船関係者は、現在までの間に財産権という立派な権利を有している。それは決して組合の権利ではなく、個人の権利である。
 
条件闘争に走り、補償金交渉や代替案など事業主にすりよる組合幹部に沿うことなく、当然の権利として財産権を行使し、次世代のために埋め立てを阻止してほしい……、それが十六万坪や三番瀬、盤洲干潟など、東京湾の自然を残したいと考える湾岸住民の願いなのではないだろうか。

熊本教授はかつて羽田沖の埋め立てに際し、関係漁民にアドバイスしたことがあるという。それは「もし、話し合いが難航して東京都が工事にかかってきたら、船を出して網を張ればいいんです。そしたら埋立工事なんてできないんですよ」というものである。
 その後、同氏は1年間日本を離れることになったが、留守中に懸念していた事態が発出
した。東京都が工事に着手したのである。ところが、「私が話したとおり、
ひとりの漁民が船を出して網を張ったそうです。すると東京都は『話し合って下さい』と、まさに平身低頭だったということです。その後は話し合いがまとまったようですが、いずれにせよ、財産権を有する関係漁民の権利のほうが、埋立工事を行なう側よりも強いんですよ」と。

 この号が書店に並ぶ頃、十六万坪における埋立工事はすでに着工されているかもしれない。しかし、多くの釣り船関係者が反対していることに変わりはなく、財産権の侵害は明らかな憲法違反にあたる。仮に着工されていたとしても、財産権を主張し、工事の中止を求めて全力を尽くしてほしいものである。

東祥三 衆院議員
      公言を守る東祥三議員の動きに期待

次に、前号に引き続いて国会議員の動きについて補足しておきたい。8月8日に開催された「ハゼびらき」には、柿沢弘治議員(衆院、無所属)をはじめ、東祥三議員(衆院・自由)、鳩山邦夫議員(衆院・自民)、緒方靖夫議員(参院・共産)の4名が訪れ、十六万坪の埋立計画に反対の意見を表明している。中でも地元江東区の東議員の動きに対する自然保護団体関係者の期待感は大きい。それもそのはず、ハゼびらき直後、公言どおり関係省庁に対して現地視察の要請をするとともに、意見の聴取を行なっているからである。
 よってこの項では、ハゼびらき後の動向について東議員のインタビューを中心に話を進めたい。記者会見では「推進側の論理が脆弱」と語っていた東議員。その後、関係省庁の説明を受けたことで、問題の本質をどのように捉えられているのだろうか<br>  東議員はまず、環境庁の存在について触れている。「50ha以上の開発に対して関係省庁に意見を具申するという、今の行政手続法に基づく枠組みの中でやっていていいのかという問題があります。事業を進める上で環境の問題が生じた場合、それを犯してはいけないという基準が何かあるのかといえば、ないにひとしい。そこに環境庁の存在理由がこれから問われることになるんだと思います。東京都や運輸省、そして環境庁も、手続きの問題のみで正当性を主張しているにすぎないんです」
 東議員が言う「環境の問題が生じた場合」という意味の中には、着工間近の段階で発見された絶滅危倶種エドハゼの存在も当然含まれてくるはずだが、環境庁は手続き上は発言する立場にない(埋立面積が50ha以下のため)というだけである。確かにこれでは、2001年から環境省へと格上げされるとはいえ、その存在価値が問われてしかるべきである。また、地元住民など関係者のこの問題に対してのコンセンサスがどのような現状にあるか、それを無視することはできないと同氏は指摘する。
 事業の推進側の主張は、江東区議会や東京都議会の場において、さまざまな議論を行なった結果であると話し、それが錦の御旗にもなっている。確かに、それが推進派議員であったとしても、代議員制度に基づく.区民、都民の代表者であるとするならば、それを否定することはできないだろう。
 しかし、「たとえば江東区民37万強の人々がどれだけ知っているのか。全く知らない人がたくさんいるのではないかと考えられるわけです。であるならば、この問題についての情報公開、あるいは情報公開に基づく議論の方法に問題があるのではないかと言えるわけです。そもそもこの問題を俎上に乗せた時に、どれだけの人々が知っていたのか、より議論してゆく必要がある」と言う。
 そしてもうひとつ。ダム建設などと比較した場合、治水目的が掲げられていることから、地域住民から推進の意見が挙がることもある。その事業が本当に治水目的として効果のあるものかどうかは別にしても、地域の安全のために早期に着工して欲しいとする意見があることは確かだろう。ところがこの十六万坪の埋め立ての場合、そうした地域住民は全く存在しない。利権の絡む工事関係者以外、早期に着工を求める声は皆無なのである。この点について東議員は、港湾局に直接確認した上で、次のように語った。
 「埋め立てをいったい誰が推進しようとしているのか。都は都心近郊に住宅を求める声があるはずだと述べていますが、埋め立てに反対する意見が聞こえる一方で、具体的にここをぜひ埋めて住宅を建設してもらいたいという要望は、住民や団体からは出ていない。東京都が都の計画に基づいてやっているだけのことなんです」

 このように住民不在という重大な問題を抱えたまま、埋立事業に関する手続きは着々と進められ、江戸前の最後の浅瀬は埋められようとしているのだ。今後は強い関心を持つ東議員のように、多くの国会議員、そして都議会議員がこの事業の本質を突き、都民、そして国民のための政策を実行していただきたいものだ。
 東議議員は最後に、「次の臨時国会の時に分科会があれば、衷県都からも参考人として来てもらいぜひ質問したい」とつけ加えた。
これまで、一度自らが発言したことは確実に実行してきた東議員。
今後の活動によりいっそう期待したい。