夢とは何か

 


 ここで少し注意しトおきたいのは、ワキの見る夢は我々がイメージしている夢とは少し異なるものであるらしいことだ。夢というと普通、脈絡のない奇怪なものであることが多い。たとえば次のような夢はどうだろう。承久二年十一月十三日の夜に華厳の僧明恵がみた三つの夢のうちの一つである。

  一、同十一月十三日の夜、夢に云はく、(中略)又、予、洛陽の大路に出づ。然れども、一身にして従ふ所無し。道を知らざれば、推量して至らむと欲す。至る所は清水寺等なり。見渡すに、終に知るべき由、之を覚ゆと云々。
  (一つ、同じく十一月十三日の夜夢でいうのには、・・・そのほかにまた見た夢は次の通りである。私は洛陽の大路に出た。しかし、わが身一人で従うものがいない。道を知らないので、どうしようと思って行き着こうとする。行き着いたところは清水寺などである。あたりを見渡した時、最後にわかったということを覚えている。)

『明恵上人夢記』は明恵の見た夢を生涯にわたって書き記した貴重なものである。彼の夢は、彼をとりまく人々や怪物が出てきたり、空を飛んだり情景が様々に変わっていったりと、現代の我々が見たといってもわからないほどいわゆる夢らしい夢である。明恵はこの十一月十三日の夢の中で洛陽にいる。見たこともない土地である。普段なら連れ添うものがいるはずなのにそれもいない。洛陽を歩いていたはずなのに清水寺に来てしまう。こんなふうに本来夢は脈絡のない奇怪なもので我々の説明できる範囲を越えている。
 ところが、ワキのみる夢は享受者も知っている『平家物語』の通りの内容である。能作者の意図であると言われればそれまでだが、作品は作者の意図を離れて解釈されるものである。そのためここではもはや作者の意図を中心に考察してはいかない。また能自体が創作されたいわば現実のものではないという考え方もあるだろう。だからワキのみる夢は現実のことでなくて創作だ、と結論づければよい。しかし、文芸をフィクションかノンフィクションかに分類する方法はかなり近代的なものである。我々は中世に生きる人たちがどのように夢を享受してきたかを考察している。とすれば、今必要なのは発想を逆転させて作品から中世を掘り起こす作業である。
 では文芸の中に現れる夢はどのようなものだろう。先ほども言ったように夢は本来脈絡のない奇怪なものである。従って我々人間の説明の範疇を越える。人間の説明の範疇を越えるものは非日常的なものとして扱われる。
 折口が文芸の発生をマツリに求めたことがここで思い出される。つまり、人間には理解できない神の言葉を通訳するシャマンのような者がいて、そのものの口からあふれ出る言葉が神謡となって人間に伝わる。それを支える場がマツリの場であった。そしてそのマツリの場を通して歌は一般化する。マツリの場は「今」の説明であるから、過去から現在・未来が一つの説明で成り立たなくては「今」は消滅してしまう。それがマツリの不変性ということである。だから、マツリで歌われる歌も不変的な歌でなくてはならない。そのために歌は五音七音の韻律と繰り返し表現という定型を持った。誰もがこの定型を踏まえることで初めて人間は歌を歌うことができるようになったのである。
 同様に夢を考えてみよう。夢は神の側のものだ。人間にはわからないので夢を解釈する者が必要である。その者が人間の理解できる形にして夢を語ってくれる。夢は神聖なものであるから不変的でなくてはならず、夢が解釈されるとき定型を持って一般化される。人間は定型に従って夢を見ることができるようになる。こうして文芸の上では夢は一般化されると考えられる。

                                        
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