夢の一般化

 


 文芸の上で夢は一般化されると言った。これは神の言葉が神謡になり和歌として定型化されたのと同じ道筋を通っている。文芸の中で具体的に夢はどのように一般化されたか『大鏡』の中から右大臣師輔の見た夢を追ってみよう。

   くちおしかりけることは、まだいと若くおはしましける時、
「夢に朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて、内裏を抱きて立てりとなむ見えつる」
と仰せられけるを、御前になまさかしき女房の候ひけるが、 「いかに御股痛くおはしましつらむ」
と申したりけるが、御夢違いて、かく御子孫は栄えさせたまへど、摂政、関白しおはしまさずなりにけり。
  (残念なことといえばこんなことがあった。右大臣師輔がまだとても若くていらっしゃったとき、師輔が
「夢で朱雀門の前に立っていた。東西の大宮通りに左右の足を広げ、北向きに、内裏を抱えて立っていたのだ。」
とおっしゃた。すると、そこに控えていた知ったかぶりの女が「どんなに御股が痛かったでしょうこと。」
と申し上げたもんで、その夢が違う実現の仕方をして、こんなに子孫は繁栄されなさったけれど、摂政・関白をなさらないということになったのである。)

 まず第一に、夢を解釈するものの存在である。この話の中では「なまさかしき女房」が夢占いをしている。知ったかぶりで占ったため過ちを犯してしまう。このことから本来ならば適切な役の者がいたことと、素人でも占うことができた様子がわかる。他の文芸の中では適切な占い師が夢占いを行う。占い師は先の歌謡で言えばシャマニスティックな役割を負った者である。ところが夢の一般化が進むにしたがって素人でも夢の解釈ができるようになってきていることがわかる。一般化された夢を受け入れる層が広くなっていることは重要である。能を受け入れた中世が既にこのころから始まっていたことになるからである。
 次に夢自体の内容を確認しておこう。結果的に間違った夢占いをされてしまった師輔は摂政・関白という宮廷を支配するものにはなれなくなる。「股」という語から子孫繁栄がかなってしまうのだ。ということは、師輔の見た夢を占うと、この夢を見たものは宮廷を支配するものになれる、ということになる。つまりこの夢には決まった解釈が存在するということだ。これを逆に考えると決まった解釈が存在するくらいパターン化された夢であるということになる。この夢は他にも『宇治拾遺物語』(巻一)などに伴大納言が見る夢として登場する。平安の宮中にこれと同じ夢が広く伝わっていた、つまり夢が一般化されていたことの傍証になるかと思う。
 さて、なぜ個のものである夢が一般化されたのか、その力は何か考えてみたい。平安の宮中が古代の思想背景をまだ引きずっていたとすれば、個別の夢の一般化を促す力とは一般化された夢が最高なものだという幻想である。それは言い替えると先ほど言った神聖なマツリとしての夢である。それはたいへん古代的な方式だ。ところが『大鏡』では既に素人に夢を占うことさせている。これはこの頃から古代が遠くなり古代自体が神聖視されていくことと無縁ではない。
 古代自体の神聖化に伴って古代には前提条件のようにあった「共同体」が動揺してくる。歴史的に交通の発達や律令制がこれに輪をかけたかもしれない。そこで人々は新しく疑似的に共同体を作ろうとする。このとき人々は「共同幻想」までも新たに作り出さねばならなかった。そこで彼らに利用されたのが「古代」である。彼らはいつも古代を真似ぶことによって共同体を新たに作り出した。古代の後である意識、それが中世であると考えてよい。そういった意味で、村落共同体的な古代から様々な部分が遠ざかって中世化する中に最も早く中世化したのは、変化の大きさから注目されがちな武家ではなく、あるいは平安の宮中であったかもしれない。『大鏡』の女房達は村落共同体とは違う新たな共同体を作らねばならなかった。そのとき古代のマツリゴトである様々な物事が真似ばれた。おそらく夢占いもそのひとつであったろう。
 こうして歴史的に中世を迎える頃には共同体はますます流動的になる。ある人が家にいればその血族が彼の共同体であり、村落では何かの座に所属し、そういう束縛から自由である場ではその時その時に応じて共同体が形成される。いつでもどこでも共同体ができ、錯綜するようになってゆく。それぞれの共同体が独自性を持ち、もはや「共同体」と一まとめにしては呼び難い状況である。そのような一つ一つのトポスが「家」であったり「座」であったり「無縁」であったりするのが中世の空間の表れである。そして夢はそんなトポスの一つを形成するための幻想になっていくのである。

                                        
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