境界のものであるワキ
いよいよ後場が始まる。ワキは着座のまま〈上歌〉を歌う。[一声]の囃子で後シテが登場し、ワキと問答をする。
ワキ これにつけても弔ひの、これにつけても弔ひの、法事をなして夜もすがら、念仏申し敦盛の、菩提をなほもとぶらはん、菩提をなほもとぶらはん。
シテ 淡路潟、通ふ千鳥の声聞けば、寝覚めを須磨の関守は誰そ。
シテ いかに蓮生、敦盛こそ参りて候へ。
(ワキ こんな時でも、こんな時でも弔いの法事をして一晩中念仏を申し上げよう。敦盛の菩提をますます弔おう。菩提をますます弔おう。
シテ 淡路潟通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守という古歌の関守のように寝覚めているのは誰だ。
シテ ええ、蓮生、敦盛が参りました。)
場が始まってまずワキが歌うのは前場と同じである。ワキは敦盛の菩提を弔おうとする。するとその声に導かれてシテが登場し、自分が敦盛だという。ワキはシテを導き出す役割を担っているのだということがわかる。
『平家』の武将たちは非日常的な死を遂げた。彼らの霊は日常の方法では浮かばれることがない、という共同幻想がある。すると、彼らの霊は特別な供養を欲してこの世、つまり日常の側に現れる。しかし、日常の側の我々には非日常の世界は本当は見えない。ではどうするか。我々の幻想はここで日常と非日常の間の架け橋を必要とすることになる。
北アジアのシャマンを思い浮かべるとよい。シャマンたちはこちら側の人間でありながら非日常の世界にジャンプし種々の神話を持ち込んできた。あるいは、トリックスターはどうだろう。火や死やこの日常にある全てのものを神の側から持ってきた英雄である。神の言葉の真似びが神謡となり、神謡を歌う巫者である古代の天皇家が神の真似びとなったのと同じように、いま平家の霊の真似びとしての語り手が必要となったのである。『平家物語』を語りの段階で語ってきた琵琶法師や巫女といった芸能者はシャマンやトリックスターや天皇家と同じ、日常と非日常の境界のものである。
いや、天皇家と語り手が同じようだというのは正しくないかも知れない。まず第一に、彼らは自分たちを古代の天皇家の直系だと称していたことである。これは中世によくみられた権威付けの常套手段である。中世においては、このような権威付けが正当性を確かに保証するものであったらしい。能の「翁」、和歌や連歌の本歌取り、寺社縁起など全ての文芸にみられる現象である。このことは文芸史上古代と中世の間ノ一つの境界ができていたことを表しているが、それはともかく、『平家』の語り手たちは自分たちが古代の天皇家と全く同じ「境界のもの」である自覚を持っていた。そこで自分たちを異化する際に直系というレトリックを使用したのである。だから、歴史的にみれば語り手たちは天皇家をさらに真似いでいたというほうがより正確かも知れない。
第二に『平家』が鎮魂譚であったということだ。平家の武将は霊魂を慰めてほしいと思っている。霊は故人を偲ぶことで慰められる。誰が偲ぶのか。最後にその死を見とったものが、である。するとそれはいつも殺戮者の側の人間ということになる。これが鎮魂譚の構造である。そうなると、語り手はまず殺戮者を真似ばなければならない。霊を真似ぶのはその後になる。その点で、イタコの口寄せのようにイタコが霊の真似びとなる芸能者とは一線を期さねばならないかも知れない。
だが我々はいま共同幻想の中にいる。とすれば、ここで敦盛の最期を語っている琵琶法師や高野聖が、自分が直実その人として語りをしている内に敦盛の霊になり、その敦盛の霊が自分の妄執を語り出してしまっても一向にかまわないのだ。
先に述べたように、能は『平家物語』の世界を語りの場ごと取り入れた。そうすると、ワキは『平家』を語る琵琶法師や高野聖と全く同じ立場の日常と非日常の境界を橋渡す呪者である。その呪者が直実としてシテを呼び出している。もしワキが『平家』の語り手と同じならば敦盛もまたワキその人でなければならない。が、少なくとも、舞台の上では全く違うシテによって敦盛は演じられる。これはどうしてか。ここで夢を見るということが問題となってくるのである。