夢幻能とは

 


 

 能の形式の一つに夢幻能というのがある。ある土地を訪れた旅の者(ワキ)がある者(シテ)と出会う。後半になるとワキの夢の中でその者が神や精霊だとわかり、彼らの身の上やその土地にまつわる話を聞くという筋である。ワキの夢の中に神や霊であるシテが登場してくるという形式なので夢幻能といわれるのである。また、前半後半の二場に分かれるため複式と称される。
 まず夢幻能とは何かを考えていく前にその概念を紹介しておこうと思う。『能狂言事典』によると典型的な夢幻能の特徴として次の四つを挙げている。

  @筋立て
  A場面
  B構成
  Cシテの演技とワキの夢

まず@の「筋立て」であるが、

 超現実的存在の主人公(シテが神、男女の霊、鬼畜の霊、物の精など)が、名所を訪れた旅人(ワキの僧侶や勅使など)に、その地にまつわる物語や身の上を語るという筋立てを持つ。

としている。「筋立て」として述べられているが、おもに前場の部分の内容であり、後場の舞台設定ともいえる。少なくとも前場ではシテとワキの応対から成り立っていることがわかると思う。
 次にAについては次のように述べられる。

 前後二場に分かれ、同一人物が前場は現実の人間の姿(化身)で、後場はありし日の姿や霊の姿(本体)で登場する。ただし《清経》《経政》《西行桜》のような、本体のみ登場する一場物の夢幻能も若干ある。

本体が霊であるのだからシテとは霊のことであるが、前場では現実の人間であり後場で霊であることがわかるのである。そこで、我々も前場が現実の世界であり、後場が非現実的な世界であることがわかる。
 さらにBについては

 脚本は、ワキの登場──シテ登場──ワキ・シテ応対──シテの物語──シテの中入りの五段構成を前場にとり、後場もこれに準じる構成の頂点は、前場のシテの物語と後場のシテの仕事(過去の仕話的再現や舞事)である。
としており、夢幻能の時間的経過が理解できる。
 同様にCについては

 シテの演技が中心になるように作られている(主役独演主義、シテ中心主義と称する)。つまり、ワキはシテの対立者ではなく、シテの演技を引き出すのが主な役割である。〈夢幻能〉の名称は、全体がワキの見た夢や幻想だと考えられる(曲中に夢であると明示する場合も少なくない)ことから付けられた。

と述べられている。夢幻能とは何かを考えていく上で、私は、ワキがシテの演技を引き出す者であることと、全体がワキの見た夢や幻想であることの二点を中心に述べていこうと考えている。夢幻能においてワキが夢を見るということがどういう意味を持っているのかを明らかにすることによって、夢幻能とは何か考えていきたい。


                                        
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