マラヤの夢理論

 


 

 キルトン・スチュワートの「マラヤの夢理論」はマレー半島にすむセノイ族という部族の夢の解釈の方法と、共同の瞑想状態における夢の表現を扱ったものである。これによると、セノイ族は夢の解釈を子どもの教育の大切な手段として用いるという。例えば、子どもが落下する恐怖の夢を見たとする。すると大人はそれをポジティヴにとらえ、より夢を具体的にみるように教え、最終的には落下という恐怖の夢を飛翔という愉悦の夢に変えるというのだ。
 さらに夢見の共同幻想のようなものがあり、現実の世界の問題の解決に役立てているという。次のような描写がある。
 ある若者が野生の瓢箪の種を持ってきて、仲間たちと分けて食べたとする。この種は下剤の効果があり、全員がおなかをこわしてしまった。この若者はすまないと恐縮して、種が毒だったのではないかと疑う。その晩彼が夢を見ると、瓢箪の種の霊が現れて、食べた種をもどさせ、この種は病気の時の薬としてのみ価値があるのだと説明する。それから、瓢箪の霊はこの若者に歌を与え、目が覚めたときに仲間に見せられるように、再び集団の中で認められ、自信を取り戻せるように、踊りを教えた。この夢に、例えば、

 それ以来、我々の村では瓢箪の種を病気の時に薬として使用するようになった。

というような結末が加わればこれは立派な神話となる。もちろん、この薬を用いるときには始源の状態を再現する。つまり、瓢箪の霊力を具現する霊が現れて踊りを踊るという真似びをするわけだ。これは端からみると集団でトランス状態になっているように見える。これがマツリだ。だからセノイ族の夢から神話まではあと一歩というふうに見える。もしかしたら夢が文芸の発生に関わっているとまで言えてしまうかもしれない。
 我々日本人もこのような夢見を解釈し社会の役にたてるといった文化を持っている。すぐに思い出すのは初夢である。「一富士二鷹三茄子び」といわれるように初夢には目指すところがあり、また夢見を家族で語り合うことで一年の吉凶を占い、一年の生活の指針とする。
 夢を扱った文芸も数多い。古くは古事記や万葉集に始まり、現代まで途切れることなく夢見の文芸は続いている。夢見の文化を持った我々日本人が夢をどのように享受してきたのか。これら文芸の中でも代表的と考えられる中世の「能」のうちから「敦盛」を読んでいくことによって考えていきたい。

                                        
まえへ目次能HPつぎへ