シテの舞
中世になってトポスが一つ一つ新しく作り上げられるとき、人々は常套手段のように権威付けを行った。それは失われた共同幻想を取り戻そうとする振り子の動きであった。能においてはその幻想はまず翁に表れる。翁は東大寺や興福寺といった国家仏教系の寺の修正会や修二会といった密教儀式を模倣することから始まったと言われる。国家儀式を真似ぶのである。これによって能という文芸、ひいては能役者、能の舞台、さらに享受者までもが他の世界から異化される。国家仏教の儀式である翁を演じるという幻想によって今、能という世界が立ち上がったのだ。
そしてその次に立ち上がったのが夢幻能の世界である。夢幻能を大成したのは世阿弥である。世阿弥は夢幻説話というフォークロアへの回帰を行うことで能に新しい可能性を作り出した。夢幻説話とは『日本霊異記』や『今昔物語』に見られる一連の説話である。夢幻能と同じように、ある旅人の夢に成仏できない者の霊が登場し、旅人がこれを弔うことでよい結果がもたらされるという筋書きを持つ。歴史上、世阿弥はこれを能に取り入れることで自らの座の人気を快復した。
しかし、そのトポスを支えたのは中世の人々の持っていた夢という幻想ではないだろうか。人々は夢幻能という場に立ち会ったとき、異次元という眠りの世界に立ち入ってゆく睡眠薬として境界の者であるワキを服用していたのである。彼らはワキによって自分たちの欲する愉悦の夢を見た。全て同じその夢を欲する人々が集い、個々の人間が一つの集団となり、そこに「敦盛」という夢幻能の場が出来したのである。
彼らの欲した夢とはどのようなものか。まず〈中の舞〉のシテの謡を読もう。
しかるに平家、世を取って二十余年、まことに一昔の、過ぐるは夢の中なれや、寿永の秋の葉の、四方の嵐に誘はれ、散り散りになる一葉の、舟に浮き波に臥して、夢にだにも帰らず。
(ところで、平家は天下を取って二十余年、全く一昔のことであるが、時間が過ぎるのは夢の中のことだろうか。寿永の秋の頃、秋の葉があちこちの嵐に働きかけられ散り散りになるように、都落ちして散り散りになり、木の葉のような舟に乗って海に浮き、波間に寝泊まりして、夢の中でさえ都に帰ることがない。)
この有名な部分の後「都を恋い慕いながら旅を続け、翌春一の谷に篭もって須磨人になり果てた」という内容で〈中の舞〉が続く。「忠度都落」などで知られるように平家は京から福原に落ち延びた。その様子である。『平家物語』によればこの後、源氏の主導権争いに勝った義経の軍が和平案をひっくり返して戦争への道を邁進し、一の谷の合戦になるわけだ。