中世人の欲した夢
一の谷の合戦が始まると一門はみな舟に乗って沖へ出てしまったので、敦盛はどうしようと思っている。そこに、
うしろより、熊谷の次郎直実、遁さじと追っかけたり。敦盛も馬引き返し、波の打物抜いて、二打三打は打つとぞ見えしが、馬の上にて引っ組んで、波打際に落ち重なって、つひに討たれて失せし身の、因果は廻り合ひたり、敵はそれぞと討たんとするに、仇をば恩にて、法事の念仏して弔はるれば、ついには共に生まるべき、同じ蓮の蓮生法師、敵にてはなかりけり、跡弔ひて賜び給へ、跡弔ひて賜び給へ。
(後ろから熊谷の次郎直実が逃すまいと追っかけた。敦盛も馬を引き返し刀を抜いて二三回は打ち合うと見えたが、すぐ馬の上で組み合って、波打ち際に落ち重なって、とうとう討たれて死んだ。その私の因果はめぐりあっている。敵はここにいるあなただ、と討とうとすると、あなたは仇を恩にして、法事の念仏をしてお弔いになるので、最後には共に極楽往生して蓮台の上に生まれるにちがいない、その蓮と同じ蓮の蓮生法師よ、あなたは敵ではなかったのだなあ。死後を弔って下さい。死後を弔って下さい。)
人々は『平家物語』の世界を自分たちの共同幻想として受け入れていた。世阿弥が軍体の能を『平家』の通りに書くべきだとしたのも彼らの欲する夢を表現したということだ。シテとワキが敦盛と直実の組んづほぐれつの戦いの場を再現するとき、享受者はそこに自分たちの欲する夢を見た。『平家』を現実の世界として受け入れることのできた享受者たちにとって、このとき欲していたのは自分たちにとってなじみ深い合戦の場であった。
そしてそれは同時に鎮魂の場である。彼らは鎮魂の場をも欲していたことになる。敦盛と直接利害関係のない享受者たちがなぜ敦盛の鎮魂をしなければならないのか。彼らは先ほど述べたように共通の場を欲していた。漠然と夢幻説話のような幻想を持っていた人々はワキという強力な架け橋によって束ねられる。束ねたその先に人々はこの世では得ることのできないような多幸感を得た。現世利生である。中世の人々の目指したものの一つに「今、ここで」非日常の世界に組み込まれることがあるのではないだろうか。