子宮頚ガンdiary2

子宮頚ガンdiary
【その2】

〜入院・手術〜


7/1
明日から入院、天気もいいことだし自転車でバーゲンに出かける。入院中にバーゲンに行きたいなーと思うのがいやなので。前のバーゲンではパンツばかり買っていたのに(日常自転車を利用することが多いから)、今回はスカートを4枚も買ってしまった。婦人科に通院しているせいかもしれない。今夏はもうバーゲンに行かなくてもまあまあ満足のいく買い物ができたので帰ろうとすると、暗雲立ちこめものすごい雨。仕方ないので雨があがるまで時間をつぶそうとしているところで、偶然友人に遭遇する。一緒に食事をする。彼女も夫も入院経験があったので、いろいろと聞く。私は入院はおろか風邪も滅多にひかないのだが、案外他人は入院経験があるらしい。子どもの時とか。またもや寝耳に水の友人に自分の不安や愚痴をぶちまけてしまった。夕方、入院の準備もそこそこに銀座でやっている原田治展におニューのスカートをはいて出かける。もう2度と見られないかもしれないという結構悲壮な思いの上での外出だ。病院で羽織るカーディガンもGAPでゲット。その夜はしばらくは食べられないであろう焼肉を食べに行く。
7/2
前の晩はあまり眠れなかった。夫はもっと眠れなかったようだ。色画用紙でかわいいお守りを作ってくれた。明るい気持ちでいられるように、明るい色の服を着ていく。スカートは昨日買ったおニューだ。夫とともに10:30過ぎに病院に着く。入退院受け付けは慌ただしく混雑していた。受け付けを済ませ病棟に行くと、まだ前の人がいるそうなので、荷物だけ預けて心電図や肺活量や血液などの所定の検査を受けに行く。いつも待たされるのに、ほとんど待つことなく受けられる。ある種優遇というか、特別待遇だ。それだけに入院の重みをひしひしと感じる。体験記で、万が一の輸血のために予め自分の血を400cc採血したという記述を読んでいたので、血液検査はドキドキした。というのも、過去の献血から、血管が細くてなかなか血が採れないことを知っているから。(血は濃いんだけどね)血管に針がささっていると想像しただけでも気が遠くなりそうなのだ。(でもしつこいようだが血が濃いので全然貧血症じゃないんだけど)だから点滴もすごい恐怖。(もちろん初めて)でも、そんな大量な採血はされずに済んだのでほっとした。一通り検査が済んで戻ってみると部屋が空いていた。2人部屋だ。見るとさっき血液検査の所で見かけた若い女の子がいる。きょうから入院で手術日も同じのYちゃんだった。歳は私より10歳下だが、すぐに仲良くなる。体験記でも大部屋でよかったという方が多かった。自分よりもっとたいへんそうなのにみんな明るいとか、おしゃべりすることで発散できたとか…。私もホントにそうだと思う。今回彼女と同室だったことはとってもラッキーだった。手術までの3日間は全く元気なので、2人でうろちょろしたり、たくさんおしゃべりしたり、で、メソメソしているヒマなんてこれっぽっちもなかったのだ。この日は、レントゲンの検査と抗生物質の検査と内診と夫同伴の主治医からの説明で終わり。手術は20分ほどだという。近いのでうちに帰っていいか聞いたらダメだって。(金土は帰れるかも、と思っていた。甘い!)夕方早速友人たちが見舞いに来てくれたが、まだパジャマにもなっていないので、患者という感じが全然しない。こうして入院ライフが始まった。それにしても看護婦さんがみんな若いのにはびっくり。主治医のI先生はベテラン風だが、その下の2人も若い。診察ではちょっと不安なことも。夜は10時には消灯したが、なかなか寝付けない。
7/3
麻酔の検査があるというのだが、問診票を提出するだけのものだった。抜け出してバーゲンに行きたいくらいだ。夫と近くの商店街まで散歩に行く。近くの小さな神社に健康祈願。弁財天だけど。ちょっと足をのばせばうちに帰れるのにな…。入院初日から尿量を計るのだが、出る量はだいたい一定で、1日2000cc前後ということを初めて知る。Yちゃんとの毎食後のコーヒーが日課となる。
7/4
手術前日。いろいろな準備がある。まずは午前中に剃毛。情けないかんじ。こんな所にほくろがあったんだ、と知る。ちょうど来ていた友人にもちょっと見せてあげた。午後、夫の母がおばと一緒に来てくれる。義母はわざわざ広島から来てくれた。身内の手術には絶対立ち会うという。おばは乳ガン体験者で、私がすっかり気落ちしているんじゃないかと心配して来てくれたのだ。ありがたい。病気になって初めて、弱い立場の人のことを思いやることを知った気がする。今までの自分は傲慢な所があったと思う。夜、面会時間を過ぎてから妹が来た。妹には入院直前にメールでかなりの落ち込みぶりを見せていたので、すごく心配していたようだ。かわいいおみやげも持ってきてくれた。意に反して元気だったので(Yちゃんのおかげだ)、安心したようだ。面会時間が過ぎているのに浣腸直前まで、Yちゃん、妹、私の3人でお茶をして楽しむ。いよいよ浣腸タイムだ。明日手術を受ける人はもう一人いて、彼女も同じ日に入院だが、離れた大部屋に入ったためほとんど接触がない。浣腸の何が苦しいって、5〜10分は出すのをガマンしなければならないことだった。私は全くガマンのできない人間なのだ。電車の中でお腹痛くなるかも、と思っただけでグルグルしちゃうのだ。Yちゃんも私も便秘気味なので、浣腸したらさぞやすっきりすることだろうと半ば期待していたのだが、結局2人ともガマンが足りず、液ばかり出てしまい不完全なかんじ。手術に何か悪影響があるのではないかと心配になり看護婦さんに聞くと、明日朝もあるからそんなに緊張しなくて大丈夫、と言われる。明日はがんばるぞ、と思いつつ、間もなく絶飲食になるのでYちゃんと最後のコーヒーを飲んでいると、浣腸後にお茶してくつろいでいる人も珍しいと看護婦さんに言われた。
7/5
朝6時再度浣腸。今回はすぐに便座に座らずなんとか5分はガマンするが、あまり出なかった。また失敗だ。不安になる。私の手術はon call、つまりYちゃんのオペが終わってから連絡があるということだ。一足先にYちゃんの準備が始まる。9時前、Yちゃんがストレッチャーにのせられて病室を出る。帰ってくるときにのせるので、ベッドも外に運び出された。家族は10時過ぎに来るだろう。それまでの間がらんとした部屋でひとり待つことになる。Yちゃんは筋腫だが、場所と大きさのせいか開腹手術になるのだ。それで2時間もかかるらしい。横になって元気が出るように、と持ってきたブルーハーツとハイロウズのCDを聞く。CDの他にもいろいろ遊ぶ(?)ものを持ってきていたが、Yちゃんがいてくれたおかげで、あまりそれらは必要なかった。CDもこの時初めて使ったのだ。家族が到着する前にまず局部の消毒と尿管を挿入をされる。尿管は結構痛い。すごくいやなかんじだ。おむつみたいなものをつけて部屋にヨロヨロ戻ると、夫と義母とおばが来ていた。その後、痛み止めのテープを肩に貼られ、オペ時間が告げられてからすごく痛い筋肉注射を肩に打ち、恐怖の点滴をする。Yちゃんの手術は15分ほど長引いたようだ。大丈夫だろうか?そして彼女が戻ってきた。ついに私の番だ。割烹着のような手術着を着せられ、ストレッチャーでオペ室に運ばれる。身内の不安な顔、通りがかりの若いおねーちゃんも神妙な顔で私を見下ろしている。この時、お腹がギュルルっとして、朝出そこなったうんちがしたくなっちゃった。大ピ〜ンチ!いくつものドアを抜けて手術室へ。ふかふかの手術台に移る。手術室は広くて、ついたてで仕切られていて同時に3件のオペが行われる模様。時間は12時10分位。7、8人の人が私を取り囲む。マスクをしているので、主治医も見分けられない。とにかく部屋は寒い。寒さと恐怖から、がちがち震えが止まらない。正直言って、すべてを振り切ってこの場から逃げ出したかった。まず腰から下の部分麻酔を打つ。麻酔を打つのにえびぞってください、と言われるが、えびぞるって逆だよなー、と思いながら背中を丸める。背骨のあたりにかなり痛い注射。動くとやり直し、みたいなことを言われたので、ガマンして一生懸命背骨を突き出すようにする。すぐに左足からじーんとしたなんともイヤな感覚が広がる。ちくちくちくちくする。背骨には2回注射をされたようだ。2回目はもうあまり痛みを感じない。この時ちょっとだけうんちが出てしまった。え〜ん、すごく情けないよ〜。下半身は、触られるとちょっと痛くて温かさは感じるが、冷たさは全然感じなくなる。音楽を大きくしましょうかと言われるが、うとうとする麻酔をお願いしますと答える。とてもクリアな頭では耐えられそうもない。手が冷たすぎると看護婦さんがさすっている。診察台とは違ってベッドが上下して、あの格好になる。うとうとする麻酔をどうやって注入したのかは記憶が曖昧だが、ぼんやりしてきましたか、との問いに全然、と答えているうちに唐突に落ちたらしい。気がつくともう1時30分近い。酸素マスクもはめられている。呼吸していなかった、と話している声がする。ちょっとやばかったのかな?主治医が取ったものを見るか尋ねたので、一応見ておこうと思い、見せてもらった。最初は絶対見れないと思っていたのだが。それは案外小さくて、赤味の多いカルビみたいな感じだった。縁の方が黒く焦げ付いているようだ。出血もほとんどなかったそうで乾いた感じ、これなら退院後すぐにでも焼肉食べれる、と思った。手術室を出るとき看護婦さんにうんち出ちゃいました?と聞くと、大丈夫よと言われてほっとした。手術自体は20分程度とのことだったが、準備やら何やらで結局1時間半はかかったようだ。心配そうな家族に迎えられ、病室に戻ってくる。程なくして下半身の麻酔が切れてくる。と同時に下腹部の痛みが増す。生理痛のすごく痛い感じ。私は生理痛は全く軽い方なのだが、最近多いと言われる内膜症の人などは、毎月こんな痛みと戦っているのだろうなーと、気の毒に思った。この時は手術の時と同じようにがちがち震えがきてしまい、痛み止めを打ってもらおうとするが、まだ血圧が低すぎるのでもう少し待ってから、と言われる。同時にやはり浣腸分が残っているのか、うんちが出たいようなお腹の痛みがあり、しばらくの間便器を腰の下に置いていた。つらいような、でも腰が伸びてかえっていいようなへんなかんじ。麻酔の影響で頭痛があるので、頭をあまり動かさないようにと言われる。でも震えているとき、だいぶ動かしてしまった。そうこうしているうちに段々痛みは収まっていった。結局痛み止めは必要なかった。うんちもでなかった。ただ、すごく喉が乾いている。夕方には空腹すら感じ始める。お腹がぐーぐーいっているのだ。私ってタフ?みんなが帰る頃には体がぽかぽかしてきて、計ると38度もあった。私は普段熱が上がらない方なので、これはすごい高熱だ。頭と脇を氷枕で冷やしてもらう。この頃お水を飲む許可が出る。すぐに飲むと吐き気を催すことがあるというが大丈夫だった。頭痛もさほどひどくない。夜には熱も下がった。Yちゃんは苦しそうだった。熱も下がらず、吐いたりしていたようだ。病気としては、私のは進めば死に至るもので(何と言ってもガンだ)、筋腫で死ぬことはない(と思う)のだが、できた場所、大きさによって彼女の方がずっとたいへんな手術だったわけだ。こうして長い1日が終わった。
7/6
午前中に尿管をはずしてもらう。診察は心理的にもかなり痛かった。トイレに行くのはちょっと怖かったが、あまり出血していないようだったので一安心。おかゆの食事もきれいに食べた。下腹部の痛みもほとんどなくなり、麻酔の影響で頭が多少痛かったが、一生懸命ミネラルウォーターを飲んで排出する。午後にはもうかなり元気。スタスタ歩き回る。見舞いに来た友人に点滴太りしちゃったよ〜と言ったら、ホントだ、太ってると言われショック。水をたくさん飲んでいるのだが、どうもむくみやすくなっているみたいだ。日頃あまり感じない足のむくみがすごいので足枕をもらう。Yちゃんはまだつらそう。今日はたくさん歩きすぎたようなので、ちょっと反省。母親と同じ轍は踏むまい、と心に誓う。(母親は10年ほど前同じ症状で子宮全摘をしているが、術後動きすぎて傷口が開いてしまい、退院延期になっている)テレビの若くて溌剌とした女性タレントを見ていて、すごくうらやましくなった。でも私も20代の頃は健康だったんだよね…。この頃には、私のベッド周りはお見舞いでもらったハッピーミールのファービーやら、レゴのスターウォーズシリーズやらポケモンふりかけなどを飾っていて、まるで小児病棟の様相を呈していた。点滴の袋を替えてもらう度に、消毒液か何か間違えちゃいないだろうか、ちょっと不安だった。
7/7
朝、点滴がはずれる。うれしい!食事も常食になる。尿に細かなかさぶたみたいなものが混じる。レーザーで止血していたものが剥がれてきたのだろう。逆に出血が少し増える。少し心配。でも、そんなものらしい。そうじのおばさんから手術したんでしょ?ずいぶん元気になって、と言われる。Yちゃんもきょうはだいぶ元気になってきた。Yちゃんもトイレに行けるようになり、初めて300cc出たそうだ。今までは筋腫が膀胱を圧迫していて(男性の拳くらいの大きさだったそうだ)頻尿だったのが、だ。すごい、わかりやすい手術の効果!
7/8
午前中採血と採尿と診察。積極的な出血はなくきれいだそうだ。外陰部にひりひりするような痛みがあり見てもらうと、器具があたっていたところが少し傷になっているらしい。軟膏を塗ってもらう。不妊治療のつもりがこうなったわけだが、1年間は妊娠禁止、セックスは2ヶ月くらい禁止、旅行は1ヶ月禁止、シャワーは今日から解禁、そして予定通り明日退院できることになる。Yちゃんもずいぶん元気になって、まだ点滴はとれないけど、またうろちょろし始める。浣腸して絶食したせいか、最近には珍しくよいうんこが出る。たまに浣腸をするのはいいかもしれない。
7/9
退院。病理検査の結果も来週を待たずに出て、上皮内ガン以上のものはなかった。よかった!!これで一件落着だ。結果は来週と言われていたので、一抹の不安を残しながら週末を過ごすのはいやだったんだよね。それにしても、手術代って安いのね。13000円くらい。びっくり。いくらくらいかかるか、ちょっとドキドキだったんだけど、差額ベッド代を入れて、全部で160000円くらいだった。(3割負担)読んだ本では、日帰り手術をやっているところもあるみたいだから、歯医者に行くみたいなものだ。でも日帰りはやっぱり少し不安。私はこれでよかったと思う。先生方、看護婦さん、それから心配してくれた多くの方々、ありがとうございました。6月のあのメソメソぶりが、今ではウソのよう。昼には義母も広島へ帰っていった。この日は夫の手料理で退院を祝った。久々のワインも飲んだ。病院の習慣で11時過ぎにはもう眠くなった。当分は早寝早起きのペースで行こう。免疫力強化だ。