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作成日:2007年7月30日 最終更新日:2012年6月23日 |
1954年 |
![]() 小田急2200形 |
小田急初の高性能車 非冷房 狭幅車(裾のしぼりなし) 片開きドア 湘南タイプの正面非貫通2枚窓 愛称は「ネコ」(正面顔がネコに似ているため) かわいらしくもあるが、グラサンのタモリにも見える。 写真は引退後の姿。 |
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![]() 東急5000系 |
末広がりの車体断面が特徴的(モノコック構造の軽量車体) 前面は湘南窓(2枚窓) ニックネームは「青ガエル」 写真は目蒲線(当時) |
1957年 |
![]() 国鉄101系 |
(東京総合車両センター内保存車両) 行き先の氷川駅は現在の奥多摩駅(青梅線) |
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![]() 京王2000系 |
むかし京王は緑色だった。 |
1959年 |
![]() 京急1000形 |
片開きドア 写真は集中クーラーだが、昔は分散クーラー車も存在した。 初期車は湘南型の正面2枚窓だった。 高松琴平電気鉄道(琴電)に16両が譲渡された。 ![]() |
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![]() 小田急2400形 |
非冷房 狭幅車(裾のしぼりなし) 始動時の空転を抑えるため、電動車(中間車)の車体を長くして重量を重くしている。 そのため、中間車は窓の数が多い。(写真下) 18m級の他形式とドアの位置を合わせている。 HE(ハイエコノミー)車と呼ばれる。 通勤型ではじめて両開きドアを採用した。 29本製造された。 |
1960年 |
![]() 都営6000形 |
写真は秩父鉄道5000形 1969年に鉄道友の会ローレル賞を受賞 現在、秩父鉄道の他、熊本電気鉄道とインドネシア(ジャカルタ)で活躍している。 ![]() |
1961年 |
![]() 営団3000系 |
最終的に38本存在した。 一部は長野電鉄に譲渡され、現在も活躍している。 このうち2両編成1本が里帰りし、綾瀬検車区に保存されている。 ![]() |
1962年 |
![]() 東武2000系 |
営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線乗り入れ用 最後まで非冷房のままだった。 一部の中間車は先頭車化改造を行い、2080系として野田線で使用されたが、わずか2年で廃車になった。前面は20000系に酷似していた。(6両編成2本) |
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![]() 東急7000系 |
地下鉄日比谷線直通用 日本初のオールステンレス車両 ニックネームは「弁当箱」。(アルミ製の弁当箱に似ているので) 弘南鉄道、水間鉄道、北陸鉄道、福島交通、秩父鉄道に譲渡された。 一部はVVVFインバータ化され、7700系として活躍中。 ちなみに、この写真の撮影当時、日吉駅は半地下化工事中で、中の2線は日比谷線直通車両の折り返し用だったが、レールを撤去したため、日吉駅で折り返しができなくなり、菊名駅折り返しに変更されていた。このため、このように日比谷線直通車両が外側の線に停車している。 |
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![]() 京王3000系 |
日本で2番目のオールステンレス車両(最初は東急7000系) 正面窓がパノラマに改造された。 側面のラインはデビュー当時にはなかった。 愛称は「ステンプラカー」(ステンレス+プラスチック)。 改造前の前面7色部分はFRP(強化プラスチック)だった。 鉄道友の会ローレル賞を受賞。 写真はアイボリーホワイト(今はなき分散クーラー車) 未更新車の一部は引退後、北陸鉄道、上毛電気鉄道、松本電気鉄道、岳南鉄道に譲渡され、活躍している。 更新車は伊予鉄道に譲渡される。(銚子電鉄への譲渡はなくなった) ![]() |
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