<敦賀>
(つるが)福井県敦賀市

旅行日 '87/9 '95/11 '97/7

地図を見る(ここをクリック)

 芭蕉は、福井で再会した等裁(とうさい)とともに敦賀を訪れます。敦賀で期待したのが八月十五日(陽暦9月28日)の仲秋の名月
 前日十四日の夜、芭蕉は気比(けひ)神宮へ夜参します。右写真、気比神宮の両部鳥居は日本三大鳥居のうちのひとつで高さは10.93m。正保二年(1645)の建造といわれますから、芭蕉もこの鳥居をくぐったかも知れませんね。
 さてその晩「その夜、月ことに晴れたり」と、敦賀の町からはきれいな月が望めるのでした。気比神宮の境内で芭蕉は「明夜の仲秋の名月もこのように見えるだろうか」と宿の主人に尋ねますが、「北陸は天気が変わりやすく、予想はできない」との返事。さて、どうなったのでしょう。


 気比神宮にはひとつの伝説があります。700年ほど昔のこと、神宮の近辺に沼地があり参拝する人々は難渋させられが、祟りを恐れてどうすることも出来なかった。一遍上人の高弟他阿(たあ)上人(遊行上人二世)は自ら草を刈り土砂を運んで沼を埋め立て、参詣する人達のために尽くした、とのこと。この故事に習い、藤沢遊行寺(神奈川県)の代々の遊行が砂を神前に運ぶ「遊行の砂持ち」と呼ばれる神事が芭蕉の時代、そして現代と脈々と続いています。

 社頭神(かん)さびて、松の木の間に月のもり入りたる、おまえの白砂(はくさ)、霜を敷けるがごとし。往昔(そのかみ)、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈り土石を荷ひ、泥渟(でいてい)をかはかせて、参詣往来の煩(わずらい)なし。古例今にたえず、神前に真砂を荷(まさご)ひ給ふ。これを「遊行の砂持と申侍る」と、亭主のかたりける。  

芭蕉翁・月塚
気比神宮境内・露塚
芭蕉翁・鐘塚
 敦賀はなぜか芭蕉の句碑がいっぱいある街なので、駅横の観光案内所でレンタサイクル(こればかりですね)を借りて巡ってみたらいかがでしょう。無料で借りられます(けれどボロイ)。



続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 月清し 遊行のもてる 砂の上

(つききよし ゆぎょうのもてる すなのうえ)


<句意>
(昔、遊行上人二世他阿上人に始まってから、歴代の)遊行上人が持ち運んだという(神前の)砂の上に差している月光は、ことさら清らかな感じを与えることだ。


ここではもう一句紹介します。




 十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず、雨降る。

 名月や 北国日和 定なき
(めいげつや ほっこくびより さだめなき)

<句意> (今宵は仲秋の)名月である。(せっかく敦賀の十五夜を期待してきたのに、昨夜の亭主の言葉どおり雨になってしまったが)ほんとうに北国の天気は変わりやすいものである。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より

 ここ敦賀で芭蕉は『月』に因む句を多く詠んでいます。左写真は、気比神宮境内に建つ句碑。「月清し〜」「名月や〜」を含む五つの芭蕉の句が刻まれています。




福井の頁へ
色浜の頁へ
スタート頁(地図)へ


ホームページへ |「奥の細道」目次へ | メールはこちら