<松岡・天龍寺>
(まつおか・てんりゅうじ)福井県吉田郡永平寺町
旅行日 95/12
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越前国に入った芭蕉は永平寺へと向けて歩みを進めます。随行したのは金沢の門人、北枝(ほくし)。本職は刀の研ぎ師で、後に蕉門十哲の一人に加えられる程、俳人としても優れた資質を持っていました。芭蕉に心酔した北枝は、金沢を発ち半月ほど旅に同行します。曽良に替わって旅のパートナーとなりましたが、永平寺に程近いここ天龍寺で二人は別れることになります。
右写真は天龍寺に建つ、芭蕉と北枝の別れの像。余波(なごり)の碑と呼ばれています。
ここから永平寺を経て福井の町に至るまで、わずか半日ほどが長い長い『奥の細道』の旅のなかで唯一芭蕉が一人で移動した区間だと思われます。
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<芭蕉の句>
物書きて 扇引きさく 余波哉
(ものかきて おおぎひきさく なごりかな)

<句意>
(夏の間使い慣れた扇も捨てる季節になったが、あなたともいよいよ別れる時が来た。離別の形見に)何か書き付けて、扇を二つに引き裂き、名残を惜しむことであるよ。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より
左写真は上記、天龍寺に建つ「物書て〜」句碑。
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