<塩釜>
(しおがま)宮城県塩竈市

旅行日 '94/12

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 五月九日(陽暦6月25日)早朝、宮島の景を楽しむのに先立って、芭蕉と曽良は奥州一宮、鹽竈(しおがま)神社に詣でます。
 奥州でも最も歴史と格式のある社のひとつで古くから権力者や庶民の篤い崇敬を集めてきました。仙台藩伊達家の寄進により、社殿も立派に造立され、芭蕉も「宮柱(みやばしら)ふとしく彩椽(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仭(きうじん)に重(かさな)り、朝日朱(あけ)の玉垣(たまがき)を輝かす」と社殿の荘厳さを讃えています。
 この社のご祭神は鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)。安産守護・延命長寿・海上安全・大漁満足・家内安全・交通安全・産業開発の神様だとか。鹽土老翁神は、名の通り「製塩」に縁のある神様。塩が古代の国家にとっていかに重要だったかを伺わせます。


 神前に古き宝燈(ほうとう)有り。かねの扉のおもてに「文治三年、和泉の三郎寄進」と有り (注:文治三年は西暦1187年)。五百年来の俤(おもかげ)、今、目の前に浮かびて、そゞろに珍らし。

 社殿の前の灯籠。見れば確かに「文治三年、和泉の三郎寄進」と刻んであるではないか! これこそ芭蕉も見た・・・、と小躍りしたがぬか喜び。
 『奥の細道なぞふしぎ旅/上巻』(山本鉱太郎著、新人物往来社)によれば、これは戦後作られた複製品で、本物の灯籠は戦争中に供出されてしまった、とのこと。つまり戦車か鉄砲にでもなってしまったのですね。ガックリ。
 

 鹽竈神社参拝後は、東に延びるだらだら坂を下って歩いてゆくことをお勧めします。坂の終わり付近に「芭蕉止宿の地」と書かれた碑があります。この付近が芭蕉が宿泊した鹽竈神社の別当寺である法蓮寺があった場所だとか。さらにここから神社境内を出て、歩いて5分ほどの商店街の真ん中に御釜神社という小さな社があります。この社には神竈と呼ばれる4口の竈があり、その昔、鹽土老翁神が人々に製塩の方法を教えた竈と伝えられています。今でも拝観料100円を納めるとこの霊験あらたかなこの竈を観じることが可能。びっくりするほどのものじゃありませんが、今でも土地の人々の崇敬篤い社であり、塩竈に行ったならぜひ立ち寄りたいスポットです。
 

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