<笠島>
(かさしま)宮城県名取市

旅行日 '97/8

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 飯坂温泉を発った芭蕉と曽良は奥州道中を北上し一路仙台を目指します。五月四日(陽暦6月20日。梅雨の雨もしきりに降るなか、仙台まであと三里(12km)ばかりというところ。かねてより芭蕉は藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)の塚を訪ねたく思っていました。  藤原実方は平安中期の歌人。長徳元年(995)、陸奥守(むつのかみ)に左遷させられ、同四年(998)冬にはある事件が元でこの地で客氏しています。右写真はその事件の舞台となった笠島道祖神



 実方は周りの人が諌めるのにも関わらず、「我、下馬に及ばす」と馬に乗ったまま笠島の道祖神の前を通ろうとします。実方の神に対する嘲りは神の怒りに触れ、落馬して死んでしまった、とのこと。左写真は、実方の墓、と伝えられる所。かつては五輪塔が建っていたそうですが現在では失われ、もはや「塚」とも「墳丘」とも呼べぬ、わずかばかりの土の盛り上がりが遠い過去の出来事を伝え残しています。



 平安末期には西行(さいぎょう)もこの地を訪れ、
朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄(すすき)かたみにぞ見る
という一首を詠んでいます(右写真は"形見のすすき")。西行を慕う芭蕉も、実方の墓と形見のすすきとを当然に訪ねたかったのですが…
このごろの五月雨に道いとあやしく、身疲れはべれば、よそながら眺めやりて過ぐるに…
 実方の墓、形見のすすきは今歩いている街道筋から一里(4km)ほども離れています。降り続く雨のため道の状態も悪く、芭蕉は断念せざるを得ませんでした。


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<芭蕉の句>

 蓑輪・笠島も五月雨のをりにふれたりと(蓑輪・笠島という地名も、おりからの五月雨の頃に関係があると思い)

 笠島は いづこ五月の ぬかり道

(かさしまは いづこさつきの ぬかりみち)


<句意>
(折からの五月雨どきに縁の深い)笠島は五月雨の泥道の向こうのいったいどの辺にあるのだろうか。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より


 右写真は形見のすすき近くに建つ句碑。



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