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<川内原子力発電所>
(せんだいげんしりょくはつでんしょ)

川内原発・場所 <基本データ>
所在地
鹿児島県薩摩川内市久見崎町字片平山1765-3
運転開始日
1984年7月
事業主体
九州電力

<原子炉設備の概要>
 
原子炉型式
営業運転開始
定格出力
備考
1号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1984.07.04
89万kw
 
2号機
加圧水型軽水炉(PWR)
1985.11.28
89万kw
 
3号機
改良型加圧水型軽水炉(APWR)
1991.1218
159万kw
計画中



九州の主なカルデラと巨大噴火 <薩摩川内市と川内原発の概要>
 薩摩川内市は鹿児島市の中心部から北西へ35キロほど。2004年にかつての川内市と周辺の8町村とが合併し「薩摩川内市」が誕生した。東北の「仙台」と何かと紛らわしいので頭に「薩摩」を付けたのだろう。同じ2004年には九州新幹線が開通し、JRの「川内駅」も改名するチャンスだったのだが何故かそのままで、現在に至るまで「川内駅」のままである。大阪あたりの駅窓口で「“せんだい”まで」と言うと駅員さんは混乱するのではなかろうか。ちなみに駅の東口に建つチェーンホテルの名称は「東横INN薩摩川内駅東口」。市の人口は約10万人と原発の所在する市町村としてはかなり多い。
 1964(昭和39)年、川内市議会が原発誘致を決議。1979(昭和54)年1号機着工。玄海原発から遅れること9年、九州電力第二の原発として1984年に営業運転を開始した。敷地面積は145万平方メートルで福岡YAHOOドームの約20倍。東日本大震災前は、佐賀の玄海原発と合わせ、九州の電力の約4割を原発で発電していた。1,2号機は海岸近くに建ち、さらに内陸側に3号機を建設することがほぼ決定していたのだが、直後に福島原発事故が発生。現在は事実上、凍結されている状態。

<超巨大噴火は起こるのか?>
 このページを作成している段階では(2014年12月)日本の中の原発は一機も稼働していない。最初に再稼働する原発として騒がれているのがここ川内原発なのだが、最近になって(特に反対する立場の人々の間から)「超巨大噴火(スーパーボルケーノ)」というものが俄かに注目されるようになった。
 一口に噴火といっても規模はピンからキリまであり、数人から数十人の人的被害が出る噴火なら、日本でも数年から十数年に一度はある。また東日本大震災以後は富士山の噴火について語られることが多くなったが、この場合の人的被害は数千から数万程度であろう(もちろん火山灰などによる被害はさらに大きい)。「超巨大噴火」はそれらとも全くスケールが違い、例えば阿蘇9万年前の噴火は、富士山の噴火の数百倍の規模であり、火砕流は九州の中部・北部のほとんどを覆い尽くし、さらには山口の一部にまで達した。火砕流の温度は数百度、時速は数十キロから百数十キロに及び、人が襲われたら助かる手段は無い。現在、この規模の噴火が起こったならば1千万もの犠牲者が出るとも言われている。ならば噴火の起こる前に事前に避難するしか手立てはないのだが、超巨大噴火についての予知の研究は世界的にみてもほとんど進んでいないというのが現状である。
 日本では特に北海道と九州で過去に多く超巨大噴火が発生している。噴火の跡であるカルデラは、川内原発付近では、加久藤(かくとう)姶良(あいら)阿多(あた)鬼界(きかい)が知られており、前3者の噴火では原発の敷地にまで火砕流が到達していることが分かっている。
 そのような確率が極小の事象まで考えるのは意味がないという意見もある。またどちらにしろ火砕流などにより壊滅状態になるので、原発うんぬんだけを語ってもしょうがないという意見もある(ただし放射能汚染からの回復は人間の手では不可能なのだが)。
 このような超巨大噴火は日本では1万年に1回程度の頻度で発生しており、活断層の判断に「12〜13万年前以降」という基準が使われていることを考え合わせば、やはり考慮すべき事なのであるのかも知れない。

右資料は2014年5月11日付け「しんぶん赤旗・日曜版」掲載の地図に、作者が噴火年代を付け加えたもの



川内原発・交通 <交通>
PR館としては「川内原子力発電所展示館」が、原発の正門から300mほど離れた所にある。。
●九州新幹線・鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道「川内駅」より、コミュニティバス(高江・土川線)「土川東行き」にて「展示館前」下車、徒歩3分。所要時間41分。平日は5往復。土曜・休日は3往復。
●川内駅より展示館まで約13km。タクシーを使うと4,000円ほどかかる。タクシー代を少しでも安くすませたいのなら、川内駅より「肥薩おれんじ鉄道」で2つ目の「草道駅」で下車。ここから展示館までは約6kmでタクシーを使うと2,000円程度。草道駅より1kmほど離れた所にタクシー会社がある。また、原発近辺には複数のタクシー会社の車が常駐しているのでこれを呼んでも良い。

 なお、コミュニティバスは薩摩川内市が運営しており(運行は民間の南国交通)、料金はどこからどこまで乗っても100円均一! 時間を惜しんで便利なタクシーを使うか、金を惜しんで不便なコミュニティバスを使うか悩ましいところである。(注:2015年4月よりバス料金は150円に改定されました)

薩摩川内市のりもの情報のページ(「高江・土川線について」のページをご覧ください)

<近辺のお勧めスポット>
川内戦国村
●原発展示館より約5km。草道駅より約3.5km(バス便なし)。川内駅よりバス便あり(本数僅少)。
 「戦国村」などといっても「日光江戸村」のような大規模なものを想像してはいけない。テレビや映画の時代劇で使われる「鎧」や「兜」を作る会社(工房)が開設している。おそらく経営者の趣味なのであろう。武士・武将、そして西郷隆盛などの実物大ジオラマが見もの。実は旅程の都合上立ち寄っただけでまったく期待してなかったのだが、ご当地のヒーロー西郷さんに対する情熱がなかなか微笑ましくて良かった。入館料は500円。


<地形図で見る川内原発付近の変遷>
1979(昭和54)年2月発行の地形図より

川内原発1号機が着工されたのは1979年1月。まだこの地形図には反映されてないだろうが、すでに着工前の下準備は着々と進んでいた。海岸側に原発は建設されるため、付け替え用として内陸側に新しい道路が造られた。現在原発構内の敷地となっている部分には「荒地」のマークが広がり、既に土地買収を終え、樹木は伐採され、これからブルドーザーで大規模に山を削り整地してゆく段階なのであったと思われる。またこの地図では分からないが、船間島の北側には川内火力発電所が立地する。
2014(平成26)年現在の電子地形図より

大きな港湾施設を持つ、川内原発がひときわ目を引く。南側(下側)のみやま池の右側に建つのは原発のPR館。川内川の河口には、右岸の船間島と左岸の久見崎とを結ぶ大きな橋が架けられた。この橋もまた原発関係の交付金で建設されたものである。船間島の東側の砂州が埋め立てられ、小規模な工業地域が造られた。原発と河口の橋を除けば、それほど大きな変化はない。

使用地形図・1/25000西方(1979年11月30日)、1/25000羽島(1979年2月28日)、電子国土地形図(2014年11月現在)。いずれも国土地理院発行


<川内原発PR館「川内原子力発電所展示館」訪問記>
旅行日 2014.11.17

川内駅より町並みを見る
川内戦国村・西郷さんのジオラマ
↑新幹線も開通しすっかり立派になった川内駅。その橋上駅より薩摩川内市の中心部を望みます。中小のビルが立ち並び栄えているようにも見えますが、この街も他の地方都市と同様、中心市街地の空洞化という問題を抱えているとか。市の人口は10万人ほどで、原発の立地する自治体としてはかなり多い方です。
↑川内原発に行く前に、原発から5kmほど離れた場所にある「川内戦国村」へ立ち寄りました。別に興味があった訳ではなくただの時間調整だったのですが、訪ねて見てみると結構面白かった。特に幕末以後の西郷さんの歴史を振り返った原寸大ジオラマはなかなかリアルで興味をそそります。本当に鹿児島の方は西郷さんへの愛着が深いのですね。
川内河口大橋
川内原子力発電所展示館・全景
川内河口大橋の全景。右岸(北側)より左岸(南側)を望みます。親柱部分に埋め込まれた銘板には「電源立地促進対策交付金施設」と刻まれており、この橋もまた原発関連の補助金で造られたものだと分かります。また対岸側の山の上には風力発電の風車が。原発のある所になぜか風力発電所も立地するというのもまたお馴染みの事。
↑川内河口大橋を渡り、久見崎の集落を通り、県道を3kmばかり先に進むと、今回の旅の主目的地「川内原子力発電所展示館」があります。展示館の前に広がるのは「みやま池」。建物は小高い所にあり、池の向こうに原発の建屋を望むことが出来ます。
川内原子力発電展示館・みらいくん
川内原子力発電展示館・集会室
↑展示館に入ると、床には「みらいくん」の姿が。玄海原発を訪れた時もさんざん拝見させて頂きました。それにしてもどうして原発をアピールする際に「未来」だの「エコ」だのという言葉を使うのがお好きなのでしょう。
↑展示館の館内は勝手に見てまわっても良いのですが、受付でお願いすると、案内係の方が展示物について説明してくれます。所要時間は30分から1時間ほど。最初に映像モニターのある部屋で「川内原発の概要」と「福島原発事故以後の安全対策」、2本のビデオを見ます。
川内原子力発電展示館・ビデオ
川内原子力発電展示館・展望室より原発を望む
↑「福島原発事故以後の安全対策」のビデオ。近頃話題になっている「超巨大噴火」については全く触れられていません。案内係の方に突っ込もうとも思ったのですが、女性相手に気の弱い私には出来なかった・・・。
↑2階には展望室がありますが、この建物自体が小高い場所にあり途中障害となるものも無いので、原子炉建屋、タービン建屋など良く見えます。
川内原子力発電展示館・展望室より原発を望む
川内原子力発電展示館・工事中の免震重要棟
↑原子炉建屋・タービン建屋付近をズームで。原子炉建屋はブルーグリーンで着色されていますが、これは周囲の環境と調和するように選ばれた配色だとか。日本の他の原発の建屋でも青系統の色が使われていることが多いです。
↑私が訪れたのは2014年11月。日本中すべての原発の運転が停止しており、来年2月にはここ川内原発が再稼働第一号になると騒がれています。なのですが、大事故の際、最後の砦となる免震重要棟がこの原発にはまだありません。写真の中央部よりやや上の部分の工事している箇所が、免震重要棟の建つ位置だそうで、完成は来年度中だとか。
川内原子力発電展示館・外部遮蔽壁
川内原子力発電展示館・原子炉の実物大模型
↑原子炉建屋の外部しゃへい壁の模型。放射性物質を包む5重の壁の一番外の壁ですね。鉄筋コンクリート製で壁の厚さは約90cm。
↑この展示館の最大の見ものは、この原子炉実物大模型。西日本に多い「加圧水型」で上に制御棒がある。なかなか良く出来ています。
↑原子炉格納容器内の20分の1模型。中央に原子炉圧力容器。その左右、上部が大きくなっているのが蒸気発生器
↑巨大な天秤があり左右が釣り合っています。左側が燃えるウラン(ウラン235)1グラム、右側が石油ドラム缶10本分。両者の発電できる電力量がほぼ等しいということを表しています。
大飯原発PR館・土産物屋
大飯原発PR館・グッズ
↑九州内の発電方法別電力量の推移のグラフ。上のピンクの部分が原子力による発電の割合です。2010年までは約4割を原子力でまなかっていましたが、2013年度はゼロ。果たしてピンクの部分が復活することはあるのでしょうか。
↑2014年2月現在の日本の原子力発電所の分布を示した地図。福島第一につけられた6つの×(バツ)マークがなんとも複雑な気持ちにさせられます。
↑館内のあちこちにはこのように「原子力クイズ」と題したカードが配置されています。全問正解だと何かグッズが貰えるのか? 私も挑戦したかったが、案内係の方に「あくまでもお子様向けです」とやんわりと断られてしまった。
↑待ってました、スタンプコーナー。これを集めるために私は北海道から九州まで廻っていると言っても過言ではない。
↑さようなら、みらいくん。今、世間で一番騒がれているのは、2万5千年前の姶良大噴火級の超巨大噴火が起きたらどうなるかという事ですが、結局この館内にはそれに関する展示物はいっさいありませんでしたし、私も案内係の方に尋ねることは出来ませんでした。
↑来館記念。原発グッズと期待したのですが、中はふつうのボールペンで「川内原発」という文字も「みらいくん」の絵もありませんでした。考えてみればこれらを作成する経費も我々が払う電気代から拠出されているのですね。



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最後までご覧いただき有り難うございました
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