甲州道中を歩く

その5  ハイカーに混じって

高尾駅→駒木野宿小仏宿<小仏峠>小原宿→相模湖駅
 旅行日 '00年3月27日



 陽春のある日、突然小仏峠を歩いてみたくなった。甲州街道を歩いてみようと思い立ってもう随分と経ったのだが、恥ずかしながら小仏への甲州街道を歩いたことは無かった。ハイカーにはお馴染みのコースであろう。八王子、高尾駅方面から旧甲州街道をそのままたどり相模湖駅まで出るコースは肝心の山歩きの区間が短く(3〜4km程度か?)ハイキングにはやや物足りないためであろう。高尾山から小仏峠を経由し景信山、陣馬へ至るゴールデンルートに較べると歩く人の数は随分と少ない。
 さて高尾駅から歩いて20分ほど。本日最初の旧宿場街は駒木野(こまきの)である。現在では「裏高尾町」という町名になっているが、駒木野のバス停と駒木野病院の看板、旧宿本陣近くにある小公園に建つこの碑が、この地の過去を伝えている。




 この区間、現在の甲州街道(国道20号)は3kmほども離れた、高尾山の向こう側を走っている。なのでこの旧道を走るクルマは少なく、道自体も拡幅されることも無く旧態をとどめている。峠へ向かって力行する中央本線の列車の音と山に中腹にへばりつくようにして作られた中央高速を走るクルマの音とが聞こえるがそれほど気にならない。「あのせわしなさ」と遠い世界の出来事に思える。
 駒木野からののどかな道をブラブラ歩くこと30分あまり。かつて小仏宿である。宿場としての役務はつきの前後で先の駒木野と二分していた(合宿という)。甲州街道はこういう合宿が多いが街道としての交通量の少なさと自然条件の厳しさ故だろうか。
 中央本線の小仏トンネル入り口の辺り。ここ小仏は家数が数えられる程のごくごく小さな谷間の集落。下界ではもうそろそろ桜が咲こうという頃なのに、ここでは紅白の梅の花が散る頃。桜並木ならぬ「梅並木」。春風にのせられ見事な「梅吹雪」が。


 皆さんのイメージする「甲州街道」とはどのようなものだろう。新宿南口の陸橋であったり、多摩地区では交通の激しい四車線の幹線道路であったり…。
 古街道にこだわる場合起点はお江戸日本橋であるが、私にとっては高尾駅あたりまでの区間はどうでも良く(都内の方、すみません)、甲州街道の玄関口といえばまず「小仏峠」である。
 さて小仏の集落を過ぎると舗装路は終わり、いよいよ小仏峠へと向かう山道、急坂となる。こんな道を歩くとゾクゾクッとしてしまうのは、古街道ファンならではのことであろうか。平日なのですれ違うハイカーの数も数えるほどである。この寂しさはひょっとしたら五街道の中では最も格下だった甲州街道の情趣を良く現しているのかも知れない。



 山道に入って登ること30分あまり。本日の最高所、標高560mの小仏峠である。高尾山から陣馬へ至るハイキングコースとの十字点にあたるので大層な開け様で、木製のテーブルと椅子がズラッと並んだ広い休憩所と物価が下界の2倍ほどの売店(古街道ファンは「茶屋」と呼びたいところだが…)が2箇所もある。お土産の品揃えの豊富さを見ると、寂しい山道をテクテク登ってきた身にはちょっとした驚きとなる。徒歩旅の途中で大食はしない。お決まりとばかり、コンビニで調達してきたおにぎりとペットボトルのお茶で腹の空きをまぎらわす。
 さて私は花粉症なのである。すでに病歴20年。スギ花粉の怖さは身にしみてよく分かっている。ここ小仏の辺りも見事に杉の木だらけなのだが何故かこの日ここへ来てしまった。もちろん完全武装してきたのだが、果たして大丈夫なものか…。


 小仏の峠を越えると国道20号と合流し、小原宿へ。拡幅された国道20号に呑み込まれてどういう形の宿だったのか良く分からなくなっている。ひときわ目立つ建物が小原宿本陣。この日はなんとお休みでしたが(定休日ではなかったのだが見学客の少ない平日は「自主休業」することがあるらしい)後日、休日に行った時は丁寧に建物の内を説明してくれました。




徐々にコンテンツは増やしてゆく予定です
上野原駅〜野田尻宿〜鳥沢駅
目次の頁(地図)へ


ホームページへ |「甲州街道」目次へ | メールはこちら