大熊亘 

蠱的態の歓喜とと絶望あるいは 
MUSIC FOR THE FILM <SANYA> ATTACK TO ATTACK の使用説明所

仁王立ち倶楽部014(1986年12月発売)

 名指ししたとたんに名無しのものが存在しはじめるのはごく普通のことではある。

 「蠱的態」について何かを語ろうとすると僕はいつも一瞬口ごもってしまう。それは僕があまり饒舌ではないことをさし引いても説明のためにはいくつかの分岐があって、さっとワンセット選びとることができないのだが、−例えば−はっきりした輪郭を持たないが、何かバラバラと集まって、積み上げられた存在がある。輪郭は幾度か書き直されており、いまだにそれぞれが振動しゆれ動いているようでもある。背後では漆黒の闇に炎が燃えさかってその反射に包まれてる。近よってみると部分の出自を告げる色、さまざまな匂いが感じられるが、遠目には一つのあるものとして立ちあらわれてくる。

 それを僕達は結局30分のカセットテープにつめ込み原価800円で発売した。内容は僕や友人たちとの演奏であり、それは映画「〈山谷〉−やられたらやりかえせ」の為に録音された。

 十数曲の楽曲並びに即興構成のうち四つの楽曲が映画に挿入されている。

 (紙数の関係で映画自体の説明があまりできない。くわしくは実際に映画を観賞していただくか映画と同名のパンフレットを御覧になるのがよいかと思う。)

 ただここで「最初の一撃」を起した佐藤満夫が撮影直後に右翼暴力団により刺殺され、そして実質上の監督を引き受けた山岡強一が映画完成直後にやはり右翼暴力団員により、射殺されたという、(山谷の情況に即して)これ以上同時代的な映画はないであろエピソードだけ述べて、これからの山谷そのもの及び山谷的状況にも注目を促しておきたい。

−使用前−

 映画完成版では結局残った曲もあまり本意でないトリミングを経ていたので、映画の編集とはこんなものかとは思いながらも皆で録ったものを全部テープにしようという話が出たのが85年の12月だからもうそろそろ1年前になってしまう。

 もともと時間的にも金銭的にも極限の中での作業だったので映画完成後の山岡氏虐殺への追悼という意味をも含めて音楽として一定独立した形で出す段になり多少欲が出たかも知れない。

 以後、テープが出るまでの期間はささやかな目的意識と押し寄せる日常の破産との格闘の日々、そして演奏以後的なジャケット製作からダビングまでの関連分野の技術習熟の日々であったといえる。

 この、映画完成前夜の異常な緊張した日々と比較するとやや間伸びした半年の期間においても冒頭述べた様なわだかまりは煮ても焼いても喰えなかったが、とりあえず眼につく部分からこの手の作業に見られるサンプルとして簡単な整理をしてみたいと思う。

 集団(性)について

 世の中には
aすばらしい表現であるが最低の集まり方をしてしている。
b最高の集まり方をしているが聴くにたえない音だ。
・・・・この二通りしかないわけではないが、集団的表現は表現として・その集まり方を具現化している・かが問われると思う。

 常々あらゆる二元論を疑ってかかるようにはしているが、今回実際のところ「集団としてこの映画にふさわしい集まり方が望ましい」が同時に「映画音楽としての機能を果たさなくてはならない」というジレンマがあった。

 映画製作(運動)における音楽の位置これは特定の存在の責任ではないが圧倒的に時間と予算がなかった。(特に今回のような自主制作映画だと予算的無理は仕方ないが。)

 以前ポルノ映画の音楽を頼まれた時にも思ったが、音楽あるいは音楽労働が随分なめられているような気がする。

 又、この映画の場合・製作及び上映・そのものが運動として行われているので、運動と交錯する音楽の一つの現場としての視座から音楽(労働)とその条件を考えてゆくことでが可能であるが、ここでは音楽−内−主体つまり音楽家各々の運動との関わり方(すなわち主体性、自発性といった個に還元される問題)が当然にも問われる。そしてその差異・総和を協同性を通してどのような方向へ向けるか、さらに先立つ音楽的状況の設定が問われてくると思う。(今回の共働メンバーは非音楽家から自称音楽家まで幅広いが、彼らから今後も豊かな作業を期待するには状況は理念的にも実際上も貧困であるといわざるを得ない。勿論これらはまず第一に僕らの問題であり、最近は(ようやくというべきか)「音楽と運動」ではなく音楽の生成、呈示、自体を「運動」としてとらえる必要を感じている。

「止揚中」

 さて中身に関してだが大雑把には管楽器主体の楽曲群と人声を主体とした即興演奏に分かれる。楽曲の作・編曲は大熊と友人篠田昌己だが僕はどちらかというと寡作で篠田も楽器奏者として力を入れている人なので到底依頼されて(さらにその後ラッシュフィルムを見て)から作曲するわけにはいかなかった。そこで各々あたためていた断片を具体化することとなった。僕はたまたま85年は土方をやっていて監督の目をかすめてサボったり晴天の下昼寝をしていると結構いろいろな楽想が浮んでは去ってゆきそれを書きとめておいたのが助かった。

 演奏者はA-MUSIK、CHE-SHIZU、風狂舎、マヘル−シャラル−ハシュ−バズ、ルナパークアンサンブルなどからの混成ユニットであるが、それぞれの活動、そして更なる交錯に注目して頂くと嬉しい。

 即興の構成は大熊が行い、以前から山谷の越冬闘争にも出入りしているような友人達を特に音楽家に限らず誘った。こちらの方はラッシュフィルムを見てから急いで準備したのだが今から思うと共同討議が足りなかったのが心残りだ。

 映画では結局即興の方は全部ボツになり、かわりに効果音の見本のような音が入ったが僕らの映画音楽への経験・力量不足をさしひいても残念だった。が逆に映画が契機となって普段はなかなか実現できないイヴェントが出来たと言うこともできる。

〈私用後〉

 蠱的態がテープという具体的な形に結実したことは素直に喜びたい。そして演奏集団としての蠱的態は解散し、以後テープ製作・販売機関となる。購入・使用後の折は煮ても焼いてもお好きなように。(尚、映画との併用は読者の選択に任されるが異常な相乗効果が期待されるであろう。)

 これで「名指したもの」の生成は僕らの手中ではとりあえず終る。そして「名無しのもの」が残った。

 [さて名前をなくして次なる場所で「名指しえぬもの」との格闘がはじまるだろう。ここで大熊と篠田は共同作業者(とくに演奏、そしてその隣接領域)を募りたいと思います。くわしくは別記連絡先まで]


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