南相吉 

宵待草猫介氏のこと(3)

仁王立ち倶楽部014(1986年12月発売)

<前号までのあらすじ>

 猫介氏は一介の三文文士であるが「トポ氏散策詩篇」なる佳品を持っていることで少しは知られている。また奇妙な笑気道・笑林寺の草分けでもある。「私」は猫介氏と酒を酌み交わすうちに酔いつぶれ、猫介氏の独白がはじまる。

      *    *

 オーイ!青井久里君、眠ってはならぬぞ!眠る暇があるなら私を起してくれ。
芸術はナルホド爆発するものである
ナルホドの真理は爆発する生活という
さながら割れる皿のように自明の背理を含んではいないかいななどと言うな
私は正しく脱糞しながら爆発しない芸術の永遠性について思いを巡らしているのであり、窓の隙きまからこぼれる夕陽は、私に歌うように囁いているではないか。

かっても、今も、ユリ・モンドという少年がいた-----盲目の片足の。

少年は十二歳にして老人
鳥にして魚、笑われる者にして頂きの神
ザクロの大河のほとり
笑いながら孕み、笑いながら産むという半獣半神のシコメの母の十五番めの男として生れたのだ。ユリ・モンド、盲目の片足の、双頭の。
オイ、キューリ!想像してみたまえ
砂漠へ、砂漠を、疾走するユリ・モンド
の右肩の芽吹くサイラボスの花束を
飛ぶように走る十二歳の架空の少年の
文明の果ての果てへの旅というヤツを
 誰が為に、誰が為に、
ああ、誰のものでもないおまえの失われ
た片足の静脈を流れる淋しい血液が
恋する陰部にあふれているのにな

 うらがなし青春の三角形裏がなし

 反迷宮ましろきものにも雪の降り

頑是ないものよな、三十六歳にして未だ蹠の地に触れたことのない天上人の贋の恋人の飼い猫に噛まれるとは、情ないとはこのことだ、ああ、我が聖書、李朝の星月夜に輝く、虎のようなアニバルを遣わしてくれ・・・・・・。

  *  *

  トポ氏散策詩篇 八より 

 マメゾウを出ると
 カナシミが私を襲って来た
 ナグル、ケル、ハグ、カム
 徒らな悪戯はもうよせと私がいうと
 カナシミはこう言うのだ
 笑わせてはいけない
 カナシミはいつもおまえの友だちさ

十二歳にして老人、盲人、片足、双頭の
ユリ・モンドは今日も疾走している

右肩の満開のサイラボスの真紅を啄む
左肩のカササギは悪病を患っている
(だからといって)
鳥よそう簡単に投身するな
俺がタマタマの正気をとり戻すことがあるように
正しく排便すれば病いは癒える(こともある)
ユリ・モンドよ、十二歳の未来よ、
そこら辺の少女、クララ・Kを下敷にして、一度だけの舞踏はするな、
最初の誤ちが無限の錯乱に通じているなら、これ幸いというものだが、
ユリ・モンド、我が、終生の友よ
おまえの片翼が疾走する悲しみを喰って昏倒してしまうのを
この瞳の黒いうちに見たくないのさ

  *   *

 トポ氏散策詩篇 十一より

 七月になると
 ムクゲを抱えて一斉に
 死んでしまう祖母たちの
 死生観はとても恐いものだ
 僕たちは
 淡いムラサキの花弁を地に帰し
 静かな晩年を迎えたいと思うばかりだ

  *   *

 トポ氏散策詩篇十七より

 このモーローとした諸関係を修復する

 には近藤君ちの酒が必要だ
 なぜなら、近藤君ちの酒は
 かなり激しく濁っているばかりか
 ラベルのJ・P・レオが叫んでいる
 “大人は判ってくれない”
 実は、子供だって何も判っちゃいない
 ので、このモーローとした諸関係は
 近藤君ちの流しの泡になって消えてしまうだろう

  *  *

 同じく十九より

 直立する暴力としての音楽が大好きな

 渦状星雲の渦中のクリハラ氏の
 身辺が妙にアワダタシイ
 アワテルホイトノモホリ・ナギ
 笑うこともできない来る年の正月には
 とても芳しい宇宙のラバンが聴きたい
 妻よ 耳よ 穴よ デキモノよ
 僕のタマル一方のアキラめの粉末を
 もっと華麗に踊らしてくれよ
 恋する!クリハラ氏は
 韃靼人の少年のように叫ぶのだ
 ゴヤは十八世紀のトンボの幼虫だぜ!

 宵待草猫介氏は繰り返せば一介の文士でありながら笑気道のこの国における草分けである。何よりの酔っ払いであり、実は李朝の奇書『アニバル譚』にも精通しているらしい。筆者の混乱はヒトエに猫介氏のキャラクターを把握しきれぬ致命的な力量不足によるのだが、このささやかな「トポ氏散策詩篇」の概要だけは何とか読者に伝えたいと思っている。まあ、ママよ、ママンよ、オンマーよ。

  *  *

 片足、盲目、双頭のユリ・モンド

 宵待草猫介氏青井久里(私)
 擲太楽(アニバル譚の著者)
 近藤君とクリハラ氏
 J・Pレオ
 トポ氏
 カナシミ氏
 右肩のサイラボス(真紅)
 左肩のカササギ(黒と白)

 ナルホド、これだけの登場人物をマジメに書きあげてみると妙な物語ができそうな気がするのだが、どうなることやらならぬやら。ソウルの迷路でトビキリのお好み焼きでも喰いながらマッコルリをグビッとやるうちに、唐突に素朴な展開が得られるかも知れない。

  *  *

「在る」ことを超ゆる謎なき迷宮は空の青みに白き砂漠に

 次号への予告として

 宵待草猫介氏はふらふら
 不可思議の旅に出る
 腐ったイチヂクを嚥み込んで
 あたためる記憶の束を
 嗄れるまで白紙の上で歌いつつ
 夏から秋の終りへ・・・・
 タマシヒは冷えていない
 やがて、テノヒラは柔かい海だという
  浮かぶのは
 トボシイ シロイ サナギ
 ハルカノコト
 ハカナイコトバカリカンガエテイル
 大好きな栗を今年は食べていない
 ソレナノニ出るのは
 虎がまだ煙草をすっていた頃の
 ナツカシイ放屁ばかりである
 ソンナコトモアルサ
 ソンナコトバカシノ
 トポシサンサクシヘンノツヅキナリ。

  *   *

 というわけで、以下は次号へ。


南相吉 

宵待草猫介氏のこと(4)

仁王立ち倶楽部015(1987年4月発売)

〈前号までのあらすじ〉        

 猫介氏は前号で不可思議の旅に出るという予告をした。ほとんどその場しのぎの言説をモテアソンデキタ猫介氏のこれはヒタスラヒタスラという私情の旅になるかも知れない……。 

 ※                 

 猫介氏は奇妙な夢を見ていた。      

 酔えば夢、酔えば夢という生活の一瞬の悔悟を突いて来るような夢というものがあって、宵待草猫介氏の笑気に満ちた日常生活にあっても、そのような瞬間というものはマギレモナクやって来る。その夢は十四年前の冬、不意の微風のように別れたきりの幼ななじみ、リャン氏の夢であった

 前奏曲のように、猫介氏とリャン氏の幼年時代があらわれる。新宿区西落合二丁目四八五番地の袋小路が舞台である。西落合と言えば聞えは麗しいが、実はその一帯は戦後すぐの様相をそのまま残し、防空壕跡や鉄条網で仕切られた廃墟や嘘のように残るモロコシ畑や桑畑が拡がる今にして思えば涙のでるような夢遊の地であった。幼い猫介氏リャン氏が住んだ袋小路はその一帯のなかでもとりわけ素寒貧の一区画であった。だが、幼年期というものがひとつの王国なら、どんなスラム街だろうとそれはこの世にふたつとない王国である。そこから子供の足で十五分も歩けば滝口修造が住んでいたことなど誰も知る訳はなかった。それに、滝口修造の住む坂の上にひろがる一帯はほとんど異邦の地とも言うべき、お大臣の領域だったのだ。時おり、三人乗りの自転車でその領域を走り廻ることがあったが、猫介氏はある禁忌を犯しているという意識を持たずにその坂の上一帯を走ることができなかった。その西落合二丁目四八五番地である。りゃん氏、いや、ノボル・リャンは猫介の隣のクソボロアパートに住む同年生まれのスコブル出来の悪い少年だった。おデコの異常に突き出たリャンはいつも猫介の後ろをついてまわる泣き虫のクソタレの心やさしい……だが、猫介氏は彼の幼年期を想起するときまってリャンのクソタレを思いださずにはいなかった。だぶだぶの紺の半ズボンをはいたリャンがボロボロとウンチをたらしながら泣きわめき猫介の後を追って来る姿というのは“幼年”というものの甘美な時間と場所を圧倒的に規定する通奏低音のように猫介について離れなかった

 −ああ、リャンに会いてえなあ……猫介は酔いつぶれる寸前、ウワゴトのように呟くことがあった。

 さて、その夢の前奏曲でも、リャンは紺の半ズボンからボロボロとウンチをたらしながら走っていた。−だが、よく見ると匂うような黄色い汚物と見えたものが実はサラサラと乾いた音を立てて舞い散る紙片なのだった。異常に突き出たおでこが今日はひときわ白く輝いている。そして次の瞬間には、その額の中心が小さく裂けて不意に白い花を咲かせているのだ。ああ、これがリャンなんだ、これがリャンなんだ、と猫介は夢のなかで叫んだ。そして夢はひとたび遠景に退いてゆく。

 リャンは小学校に入ると間もなく例の一画から姿を消してしまった。猫介にとってはきのうまでいたクソタレのリャンが突然いなくなったことの空白感をどう処理してよいのか判らずに何日も何日もリャン一家のいたアパートの部屋の窓から薄暗い部屋をのぞき込んでいた記憶だけが確かなものだった。それから十五年の後、リャンは戻って来た。戻って来たというよりは、降って来たという方があたっているかも知れない。これが、あのリャンかと思わせるほどの偉丈夫になった二十二歳のノボル・リャンはその焦点が途方もなく遠くで結ばれているような不思議な眼差しを持て生まれ育った西落合二丁目四八五番に降りて来たのだ。その頃はもう地番も変わりその一帯は西落合一丁目だったはずだし、周辺の様相もすっかり変わってしまっていた。かってあった防空壕や鉄条網の廃墟、桑畑などはすべて市街化され、坂の下の素寒貧の王国もそれなりの中流住宅地へと変貌していたのだ。猫介氏は十八の春には家を出ていたのだが、やはりその一画にあった安アパートに部屋を借り、リャンが帰って来たその日は形ばかりは大学生であった。

 リャンは猫介の部屋に泊っていた。リャンが猫介に語ったところによれば、彼は決った住居を持たずにここ数年暮らしているらしく、風に運ばれる花粉のように流れさすらっているという。新羅時代の朝鮮にあった花郎という青年たちのように野や山に出て風と水の思想を知り、土に寝て火を起し、朝と夜を過ごしているのだという。だが、リャンの言葉は猫介の理解を超えることがほとんどだった。彼の視線がどこか遠くで結ばれているように、彼の言葉も、時空を超えて遠くから放たれる耳には残るが意味をなさない言葉だったのだ。リャンはまったく眠らずに膝を抱えるようにして猫介の部屋にいた。

 ふたたび猫介の夢にあらわれた二十二歳のリャンのいる情景。

 だぶだぶの半ズボンからサラサラと乾いた紙片を舞い散らせ、大きな額から美事な白い花を一輪咲かせて走るリャンがいまは二十二歳の青年になって猫介の夢のなかにいる。

 山羊の唄か在りし日の歌か、誰にも聞き取れぬヒューヒューという音声でリャンは歌っていた。

ソラノミドリノ ツウシンボ

ヒトリノトリノ サンルイダ

ヒマラヤハントウ ユキスギテ

ミルナノハタワ ハタメキマシタ

と聞いたのは二十二歳の猫介氏のさらに夢のなかの耳である。猫介氏は夢のなかで自分の久し振りの感傷を肯定の涙で濡しながらこう思っていた。リャンは半ズボンからウンチをこぼしながら走りまわっていた時も今日のこの時も、ずっと向う側の人間なのだろうか。突然のように帰って来た日から数日の後、またふたたび不意の微風のようにして去っていったきりのノボル・リャンはどこまでも猫介氏の記憶の気憶のキオクの底で流れる唄を残していったようだ。

 猫介氏は夢のなかで泣いていた。リャンに会いてえなあ、この眼の前にいて、こんなに遠くにいっちまったリャンとオレのニシオチアイのあの王国のムラサキの桑の実の夏の気の遠くなるようなクソマミレの日々のスラムの天才的な音楽の日々! ダーレモタキグチシュウゾウナンテシラナカッタ遠イヒノスミレイロノニシオチアイヨ

 という訳で宵待草猫介氏は不可思議の旅に出ることになったのであります。ヒトは幼年期から脱出することはできないのですョ。事実、いま、こうして書き進めている筆者とて、ノボル・リャンに会いたくて会いたくて、涙をためながら黒ビールを飲んでいるところなのですから。ちなみに、ノボル・リャンの本名は関根昇。半ズボンからウンチをこぼしながら走りまわっていたのも事実なら、異常に突き出たヒタイの持ち主だったことも事実だが、他の記述はオオムネフィクションである。しかし、十五歳の時に別れて以来、二十一年目にして、筆者の幼年期の記憶の最も深い処に棲みついているのが他ならぬこのセキネ・ノボルの美しすぎるウンチの情景であることに思い至った筆者は、笑気の沙汰をひとまず措いて泣き笑いの顔で自問するのであります。

 −ならば、宵待草猫介氏たあ、一体ぜんたい誰なのだ?

 −そんなら、猫介氏の不可思議の旅たぁ、どんな旅だというのかい?

 −なんなら、いっそ、失われた時を求めて、つう具合に気取ってみたらどうなんでしょう?

 いえいえ、詰問口調は筆者の最も嫌うところです。私が元気でいるうちは、リャンも元気でいるのですから、遠い視線でやっぱり生きることです。

 てなところで、この章のおわりに、

  トポ氏散策詩篇その二三より

 ノボル・リャン

 ノボル・リャン

 いつかは一緒に

 ノボル・リャン


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