ザンジバル総選挙見聞記 '95.10.19-27


以下のレポートは96年2月に在英のタンザニア人から、E-mailで送られてきました。しかし誰が執筆者なのかは、つまびらかではありません。翻訳は英語からしましたが、きっと問題があると思います。英語に堪能な方はオリジナルにあたって、どうぞ間違いを訂正下さい。お願いいたします。またこの間忙しくて、貴重な資料を皆さんに紹介できなかったことを、お許し下さい。
1996.6.22 荒井真一
1995年10月19日(木)
快適な、水中翼船でのダル・エス・サラームからザンジバルへの30USドル(1時間半)の旅。
ザンジバルに着くと、至るところにザンジバルCCM(革命党=与党)指導者のアムール大統領候補(Dr. Salmin Amour)のカラーポスターが張られている。波止場で、力持ちの荷物持ちが「アムールのポスターはただでもらえるけど、野党CUF(the Civic United Front )の議長ハマッド大統領候補( Seif Shariff Hamad)のポスターは買わなきゃならない」とこぼす。このびっくりするような言葉は、後でそれが真実を含んでいることが分かるだろう。私たち(わたしと「エコノミスト」の記者)は、道ばたで行われた小さいけれども静かで、しかしよく組織された感じの良いCUFの支持者の集会に耳を傾けた。そこでの演説では2日後に迫った投票者の決定には歴史的意義のあることが強調されていた。
ホテルに着くと停電だったが、これは1時間の計画停電で、他の地域と交代でなされている(ザンジバル市を3地域に分け、1時間毎に停電地域が移動する)。しかし選挙までの間、この夜間の計画停電はなくせないのだろうか?
1995年10月20日(金)
一日に及ぶ、130人の国際選挙監視団へのオリエンテーション。観察はしても、介入は避け、もし事が起こったときは、各人の常識に従って行動してほしいと要請される。しかし、彼らはこの時、これからどれだけ多くの困難に直面するかは、考えてもいなかった。そして、議長と議長代理が同席したザンジバル選挙管理委員会( the Zanzibar Electoral Commission=ZEC)にたいして、野党CUFによって一時はボイコットされた初期の選挙人登録についての多くの質問がなされた。
選挙人登録に対しての、異議申し立ては何件ぐらいあるのか?
  1000件ぐらいあったが、現在はたった600件に減った。
その異議申し立てには、いくらぐらい費用がかかるのか?
  5000Tsh(タンザニアシリング、1USD=600Tsh)のデポジットが必要だ(ザンジバルでの平均月収は20000Tshぐらい)。
脅迫は存在したのか? 
存在した、ペンバ島3件、ザンジバル島でも訴えがある。ZECではそれらを調査し、1人の登録事務員を解雇した。
3000人のCUF支持者の登録を無効にし、20000人の支持者に対して未だ登録を許可していないというのは本当か?
  そんなことはない。ただ法律で、ザンジバル島で登録するにはザンジバル島に5年引き続き住んでいないといけない。そして、いくらかのペンバ島出身者(ほとんどはCUF支持者)はその資格を満たさなかったのだ。
各選挙区は平均して7019人の有権者がいる。有権者は、ザンジバル大統領、国会議員、地域の評議員の3票を投じる。
次は、情報省に「魔法」の記者票を取りに行った。これがあれば、どんな演説会にも、記者会見にも、その他どんな事にも参加することが保証されるのだ。
夕方は、CUFが老人達を集めて行った、CUFのタンザニア連合共和国大統領候補リプンバ (Ibrahim Lipumba)ダル・エス・サラーム大学教授の演説会に(女性は左、男性は右側と整然と並んでいた)出席した。リプンバはタンザニア全土では最大野党であるNCCR-Mageuzi partyの党首ムレマ(Augustine Mrema)を共同で推すことが出来なくなって、CUFが先頃単独でたてた候補である。リプンバは政府における誠実さ、公正さ、正直さについて、繰り返し雄弁に語った。「私たちは、指導者を必要とするが、支配者はいらない」と彼は語った。
夕方、明らかにCCMによってクェートから借りられた8人乗りの飛行機の、パイロットと副パイロットを見かけた。これは、金に糸目をつけないCCMの選挙戦の一部を表しているのだ。
10月21日(土)
カーニバルの熱気を感じる。今ザンジバルで起こっていることほど、エキサイティングな事はなかったのではないかと思う。二つの大きな集会が開かれた。朝は、CUFの集会だ。わたしは少し遅れて出席したのだが、そこには典型的なタンザニア人の敬意と寛容が集会を通して感じられた。そこへ反対党(CCM)のトラックがたくさんの支持者や、旗を載せて通りかかった。けたたましくしたので、逆にヤジを浴びせかけられた。2、3回通り過ぎると、引き返し、行儀よく離れていきCUFの集会は平和に進行した。地面に座り込んだ婦人達の頭に巻いたスカーフは今日の太陽の燦々とした陽の下で、明るく色とりどりに輝いている。それは、お祈りの場のようだった。とても、訓練されていて、規則正しく、語られていることに熱心に耳を傾けている。自転車の置き方までも、場所が決められ管理人がいた。
三羽の白い鳩が解き放たれ、大観衆の上を旋回し、全ての人が歓喜に包まれた。
CUFの指導者、ハマッドはベージュ色のサファリジャケットを着て、特徴的な顎髭をたたえていた。それはまるで、彼が福音書の十字軍に参加しているかのように思わせた。彼は、純粋なスワヒリ語で流れるように、力強い演説を行った。色々述べた中で彼は「英国支配下では、この島は効率よく動いていた。我々は、それを目指す」と語った。
午後にはもっと大きな集会があった。とても素晴らしい演奏を行うポップバンドに同調して、観衆の興奮が最高潮に達したのは、鳩によってではなかった。低空飛行する飛行機からばらまかれた数千の「CCMに投票しよう!」と呼びかける土壇場のビラの乱舞だった。ほとんどの演説は、安定と進歩と平和を繰り返すCCMのザンジバル大統領候補のアムールへの賛美と、いかにCCMがかれらがいうところの圧制者からザンジバルを救ってきたかを強調した。そして大統領候補は武装警察に厳重に護送されて、豪華なメルセデス・ベンツに乗って集会を後にした。集会から離れたところにいて、無感動で、演説を聞くのに飽きていたかのような一団も、今や政治的な忠義心を示そうとして、家路につく大統領候補者の行進に、あつく声高に拍手喝采するのだった。
何人かは「ザンジバルをアラブに渡してなるものか」と語った。これは、何かしら蔓延している恐れなのである。CUFが土地所有者に対してかつて不正が行われ、それを補償すべきだと主張するにしても、CCMとCUFのイデオロギー的違いは大きなもではないと思う。CUFはオマーンやアラブとの結びつきを深めて、彼らからのさらなる投資を求めている、そしてタンザニア連合制の継続の必要性は認めてはいるものの(それは全ての党が承認していることだ)、ザンジバルのさらなる自律性を、CCMよりもいっそう要求している。
10月22日(日)
投票日。
昨年の南アフリカの選挙を風景を思い出させる。しかし、今日はあの日のように熱く人々を焦がすような太陽はなく、滝のような土砂降りである。投票所前の長い列は長く記憶されるだろう。暗雲は、誰一人として、投票待ちの列を動かそうとはしない。95%の人は雨に濡れるままになって、投票を待っている。しかし、みんな快活で、根気強く投票を待っている。みんな複数政党制での選挙に真剣に取り組んでいる。しかし、事態は悪い方に進行していく。たった300人程度の選挙人登録簿から1人の選挙人を捜すのに15分かかる投票所の事務員の教育レベルってのは、一体何なんだ。午前11時、午後1時、3時それでも多くの投票所は投票を開始しなかった。少なからずの人が、真夜中になっても投票を待っていた。
緊張は高まるばかりだ。ある高校を使った、大きな投票所では投票が終わって随分になる午後10時30分になっても電気がないからと言って開票が始まらなかった。そこでCUFは発電器を用意し、投票所を照らし出した。
しかし、開票は始まらない。CCMの代表者はCUFが用意した明かりの下での開票なんてできるわけがないじゃないかと、冗談ではなく語っている。誰が用意したにしろ、照明は照明じゃないかという訴えは全く聞き入れられない。しかし、結局、真夜中になって公式のハリケーンランプが到着した。双方に疑問は残る。そこでこのような状況を鎮静化したいと思っている選挙監視人や報道関係者が、集められた。妥協されたのは、全ての照明は一カ所に集める。そして、それぞれの投票箱毎に開票を行う、ということだった。しかし、これは同時に当初の計画ではなかった。そのために結果の公表に遅れがでたのである。開票か続く。開票者は間断なく箱を開け、一票一票をとりまく人々に提示しながら作業を進める。そして、投票紙のどこにチェックが入って(誰に投票した)か、議論が続くこともあった。たくさんの人々が投票所で眠った。選挙監視人は、早朝まで任務に就いた。
10月23日(月)
一日中開票が続く。
10月24日(火)
CUFはCCMが選挙を不正操作していると発表し、具体的な14件をリストアップした。彼らは、大統領選の票の数え直しと、選挙の登録にかんする詳しい捜査の権利を求めた。CUFの党本部周辺には突然2個団体の武装野外軍隊が到着し、集まった群衆を暴力をもって排除したりした。まだ店をやっていたアジア(インド)系の店主は、慌てて店を閉め、外から木を打ちつけ閉鎖した。我々は、CUFの書記長シャーバン(Shabaan Nloo)と会見する。彼は、CCMの選挙不正の追及責任者である。彼は、軍隊や警察は独自の投票所を持っていたという。彼らはどのように投票したのでしょうか?、そこでは100%CCMに投票されたんです。と、彼ははっきりいった。
しばらくして、ある投票所では一つの箱をめぐって、CCMの票が44であるか45であるか、45分も論議が続けられていた。結局、CCMの選挙監視人が、最終決定までの暫定的なものとして44得票数を認めることでけりが付いた。
ダルエスサラームの英字紙the Daily News(CCM系)は、CUFのタンザニア連合共和国大統領候補者リプンバはある姦通事件に関与しているとして、市民に告訴されたと、この時期に報道した。彼は、本土のイスラム教徒からたくさん支持を集められるだろうと言われている。一方、ここザンジバルでは、驚くべき事だが、まだ全く選挙結果がでていないのに、不信感が存在しないならば、2日後にはアムール大統領の就任式が執り行われるだろうと言う声明が出されたと、そういう事が報告されているわけだ。わたしは今日ダルエスサラームに帰る気でいた。多分今日ぐらいに選挙の結果が出るだろうと思っていたから。しかしこのまま居残ることにする。多くのメディアも今後のドラマの推移を見守るためにザンジバルに留まっている。
10月25日(水)
明らかに人々を扇動する声明がCCMからなされた。選挙は自由でも、公正でもなかった。6カ月以内に再選挙を行うべきである。投票しなかった人が沢山いる。CUF支持者によって嫌がらせや、選挙妨害があった。投票所での発表と、選挙管理委員会のものにはズレがある。フィンランドの国連外交官Kari Karankoと彼の連れの監視員は、彼等が2党が票を争っている投票所で重大な誤りを見つけたとき、嫌がらせにあった。と、いうものだ。
私たちは、CCMの書記長代理アリ(Ali Ameir Mohamed )に話を聞きにいった。彼は「選挙結果を否定することは出来ないが、多くの誤りがあったことは確かだ。選挙管理委員会ははっきり言って、上手く機能していない。選挙監視の人たちは彼らの職務を全うした。そして、彼らが人々の感情的な反応を引き起こす原因となる第三世界的環境では、慎重に行動してもらいたい」と語った。わたしは「このような接戦を続ける選挙では、果たしてCUFが望むような連立政府が賢い選択なのだろうか?」と聞いた。書記長代理は「ここは南アフリカではない。かの国では、過渡期的な取り決めがああいう形を取った。しかし、ザンジバルには歴史的、政治的、イデオロギー的対立があり、連立を許さないだろう」。
とは言うものの、CUFの指導者の大部分はかつてはザンジバル政府に参加していたのだ。私たちは、CUFの党宣言を読み、どれくらい彼らがCCMと違うかということとCUFが約束したすばらしさを、確認する必要があるだろう。
未だ、公式の選挙結果の発表はない。わたしは、帰りの便の延期のためにチケット・オフィスに行く。
真理がないところには、噂が栄える。
一つには、アムールがムウィニ大統領に ザンジバルCCMは選挙に負けそうだと報告したら、ムウィニがこれは民主主義だから、結果は受けとめなければならない」と語ったというもの。そして「この件については、どうするか準備できていないし、彼独自にこの問題に対処することになろう」と語った、とも言われている。しかし、これはたんなる噂に過ぎない。
夕方、ダルエスサラームTVがCUFの勝利を報じる。しかし、人々はにわかに信じない。モロゴロでムカパの応援演説に来ていたニエレレ初代大統領はラジオに対して、ザンジバルの2大政党は、どのような選挙結果がでても、その結果に従うことを促した。そして、大体の結果を聞いたところで、両党が競り合っているのならば、連立政権が好ましいのではないかと、示唆した。
10月26日(木)
英字新聞The Expressとスワヒリ新聞Majiraは、一面で大々的に164,548 対155,787で、CUFのハマッドが大統領選に勝利したと報じた。他の新聞は、疑問符を付けた形でこれを報じた。タンザニア全土の第一野党大統領候補のムレマは、ハマッドの勝利を祝った。
ザンジバルの選挙管理委員会が公式発表をしないので、島内の緊張は高まるばかりである。ラジオの周りにはどこでも人が集まり、ほとんどの店は閉鎖されている。選挙管理委員会の委員による非公式の会談が長く続けられ、二度の記者会見の延期ののち、午後2時30分むっとする暑い部屋で、それは開始された。針が落ちても大きき響くような静寂が支配していた。結果が発表される。
0.4%の僅差でCCMが勝利した、と。
質問はいっさい禁じられていた。また、この結果にかんするどのような訴えもなかった。
選管の議長はさっと退席してしまった。これは災難だ、と何処かで溜息が漏れる。同席したCCMのAmeir Mohamed書記長代理を報道陣が取り囲む。「今でも、選挙が公正でなく、自由でなかったと思いますか?」と質問される。顔をほころばせて「この結果に満足している、他の件については、わたし一人の意見は控えたい」と答えている。彼は彼の車に報道陣を押し分けて進む。
CCM支持者が町中で大騒ぎをはじめる。車はクラクションを鳴らし、至るところにCCMの旗が掲げられる。CUFの支持者は見あたらないし、息を潜めているようだった。
報道陣は、四駆に機材を投げ込んで、ちょっと郊外のムトーニにある質素な一階建てのハマッドの家にきびすを返して急いだ。ハマッドは、我々を待っていた。彼は庭に椅子を出し、冷静でくつろいだ様子で「この結果を断固として認めない」というのだった。「簡単に言って、登録した人間よりも、投票した人間の方が多いんです」。そして、彼らは彼らが言うところの「非合法」政府とは今後一切仕事を行うことはないだろうし、日曜日の全土の選挙を党としてボイコットすると語った。しかし、選挙のボイコットはのちに覆された。次に何が起こるのかとの質問には、CUFの党員はよく訓練されているので、暴力沙汰が起こることはないと答えた。それよりも新大統領は、非常に暴虐である。ハマッドは今後も国際世論に何が起こったか訴え続けていくつもりだと、語る。
そのうちに、武装警官を乗せたランドローバーが到着する。逮捕に来たのか? いや違う。彼らは、ハマッドの特別警護のために派遣されたらしい。ハマッドはその必要がないと断る。彼らは、たくさんの外国人報道陣を見て、居心地が悪そうに門の外の方にたたずんでいた。
残留した選挙監視人達は、選挙結果を隅々までくまなく調べていた。彼らの(得た独自の)結果を公表したいと考える者もいた。しかしそれを公表することが、騒動を将来すると恐れる人も多かった。監視人は両党に平和を訴えた。
ムウィニ大統領は、アムールには当選の祝辞、ハマッドにはこれからの協力と、彼が勝ち得た得票への賛辞の談話を発表した。
わたしは、本土に戻らないと、本土の選挙の進行を取材できなくなると、悩んでいる。
CCMの祝賀気分は続いている。
10月27日(金)
選挙結果発表の19時間後、国立アマニ競技場でCCM支持者数千人を集めた色彩豊かで、よく組織されたアムール新ザンジバル大統領の宣誓式が行われた。
21発の祝砲が撃たれた。西側諸国の外交官の姿は目に付かなかった、ただザンジバルに在住するインド、モザンビーク、オマーン、中国領事の姿、またケニヤの高等弁務官の姿がグランド・スタンドにうかがえた。
 
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95.10月総選挙以降のザンジバルの状況について