聖書に関するQ&A


 Q.17 赦されない罪とはどのような罪ですか?

 A.「天路暦程」の著者で鋳(い)掛け屋伝道者として有名なジョン・バニヤンは若い頃、「自分は赦されない罪を犯してしまった」と言う脅迫観念に取り付かれて、永らく苦悶したことを告白しています。
 その赦されない罪とは、「聖霊をけがす罪」でした。

T.聖霊を冒涜する罪
 ★
「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も赦される。しかし、聖霊をけがす言葉は、赦されることはない。また人の子に対して言い逆らう者は赦されるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、来るべき世でも、赦されることはない」マタイ12:31,32

 ★このみ言葉は、悪霊につかれた盲人で口のきけない人から、主イエスが悪霊を追放して癒された時、その話を聞いたパリサイ人や律法学者が、「彼は悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出しているのだ」と言ったのに対して主が語られたことばです。
 ★新約聖書の時代の民の指導者であった律法学者・パリサイ人たちは、主イエスの神の国の福音のことばを聞き、病の癒しや死者のよみがえりや悪霊追放の奇跡のみ業の数々を見聞きしながらも、へりくだって主を崇めることをせず、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって悪霊を追い出しているのだ」と言って心をかたくなにして主を拒み、主の御霊に悪口を言っていたのです。
 ★旧約聖書の時代には、自分の目の前でモーセの手を通して行われた十回以上の奇跡を目の当たりに見ながら、さらに臣下の魔術師から「これは間違いなく神のみ手の業だ」との証言を得ながらも(出エジプト8:19)、なおも神に逆らい続けたエジプト王パロのように、ことさらに頑固に神に逆らい、聖霊をあしざまに言う者は、「聖霊をけがす者」として、この世でも、来るべき世でも赦されることが無いのです。
 ★聖霊は私達の心に働いて、罪を示し悔い改めを促し、み言葉によって私達を救いに導いてくださるお方です。この方に逆らう者は、人生の水先案内人を侮辱して去らせる行為ですから彼の行く末は滅びしかありません。
 ★紅海の真ん中に奇跡によって生じた水の巨大な壁にはさまれた海底の道路を見ても何の感動も恐れもいだかず、イスラエル民族の後を追ってその中に入り込んできて水におぼれたエジプト軍のように
(出エジプト14:21〜31)世の大多数の人々は霊的に無感覚な人々です。彼ら世の大多数の人々について、聖書は「彼らは霊的に死んでいるのだ」と言っています(エペソ2:1,5)
 ★このような人々と違って、バニヤンのように「もしかして聖霊をけがす罪を犯したのでは」と主に対して霊的かつ良心的恐れを抱く人々は、実際は「聖霊をけがす罪」とは全く関係のない人々なのです。聖霊をけがす人々はこのような霊的恐れなどは微塵も感じることの無い、良心に焼印を押された(良心の麻痺した/
Tテモテ4:2)人々なのです。
 
 ★また、赦されない罪は-
U.真理の知識を受けた後にもなお、罪をことさらに犯し続けること-です。
 ★「もし私達が、真理の知識を受けた後にもなお、ことさらに罪を犯し続けるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。ただ、裁きと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある」ヘブル10:26,27

 ★
「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊に与る者となり、また、神の良きみことばと、来るべき世の力とを味わった者達が、その後堕落した場合には、もはや神の御子を、自ら十字架に付けて、さらし者にする訳であるから、再び悔い改めに立ち返ることは不可能である」(ヘブル6:5,6)。

 ★聖書の登場人物の中からこの罪を犯した人々について考えてみましょう。
 ★イスラエルの初代王となったサウルは、若い頃は謙虚な心を持った普通の青年でした(Tサムエル9:21)。預言者サムエルから王としての油注ぎを受けた後、新しい心を与えられ、神の霊が彼の上に激しく下り、預言者たちと共に預言しているところを民に目撃されています(Tサム10:6〜10)
 ★サウルは王になると、預言者サムエルを通して伝えられる神のみむねに繰り返し逆らい、王としての主の信頼を失います(Tサム15:26)。神の御心に対する彼の不従順とは、預言者サムエルの務めであった主にいけにえを捧げる仕事を自分が執行してしまったり(Tサム13:8〜14)、主から聖絶せよ(滅ぼし尽くせ)と命ぜられていたアマレク人の王とその最上の家畜を惜しんで生かして置いたこと等です(Tサム15:15〜23)
 ★また、家来のダビデがペリシテ人との戦争で功績を上げ、民の人気を博したのをねたんで、理由なくその義人ダビデの命を付けねらい、何度も殺そうと試みました。更に、王として自分で追放したはずの霊媒師のところに出かけて行って、死んだサムエルの霊を呼び出してもらうなどの主に憎まれる業を行っております(Tサム28章)

 ★新約聖書の時代には、主の12弟子の一人イスカリオテのユダがいます。彼は、主と仲間の信頼を得て主イエスの福音伝道団の会計係となってグループの財布を与っていました。熱心党員シモンと二人一組で伝道に派遣されて巡回伝道した時、主イエスの御名による悪霊追放や病気の癒しの業において主の御名の絶大な力を体験していました。
 ★それにも拘わらず、訳もなく主の信頼を裏切り、悔い改めへの主の誘いを振り切って、敵の手に主を売り渡しました。
 ★主イエスを3度も「知らない」と言って裏切った使徒ペテロとユダの違いはどこにあったのでしょうか。それは、ペテロの罪が計画性のない、衝動的、一過性のものであったのに対して、ユダの罪は時間をかけた計画的、意図的罪であったところにありました。ペテロは主の預言の言葉通り、鶏が2度なく前に3度主を知らないと言ってしまった後(マルコ14:30)、主の悲しげなまなざしに促されて、直ちに悔い改めの涙を流しました(ルカ22:60,61)
 ★イスカリオテのユダは主から「彼は生まれて来なかった方が良かった」と言われるほどの大罪を犯しましたが(マタイ26:24)、彼が罪に気付いて後悔した時、絶望して自殺に走ることなく、十字架の主の御許に馳せ参じて、真摯に悔い改めを表明していたなら、あるいは彼の罪は赦されていたかも知れません。
 ★しかし、ユダの後悔は、人を救いに導く悔い改め(御霊と信仰による罪から義への180度の方向変換)ではなく、死と滅びに追いやる世の悲しみでした
(Uコリント7:9、10)
 ★ユダは12使徒の一人として、3年間主イエスの直接指導の下で罪の悔い改めと救いの道について学び、自らも他の弟子達と共に伝道活動をしていました。それなのに、彼は会計係として預かっていた財布から常習的に横領するという罪を犯していました
(ヨハネ12:4〜6)。彼は真理の知識を受けた後に、ことさらに罪を犯し続けて、それを隠して、悔い改めようとしませんでした。悔い改めない罪を隠しもっていた彼の心についにサタンが入り込みました(ルカ22:3)
 ★クリスチャンとなった者が、自覚的・意識的に、殊更に罪を犯し続け、罪を悔い改めて、それを捨て去ることがないなら、(真のクリスチャンであれば、ペテロやダビデのようにその罪を指摘された時、直ちに悔い改め、罪を常習的に犯し続けることはできませんが、)ユダのように悔い改め不能状態に陥り、永遠の滅び・死に定められるのです。これがTヨハネ5:16が語る「死に至る罪」です。
 ★「『私は完全聖化され、もう罪が無い。』と言う者は、偽り者であってその人のうちに真理はない」
(Tヨハネ1:8)のです。クリスチャンも罪を犯すことがあります。けれども、「悔い改めれば赦されるのだから」と罪を軽く見て、「死ぬ前にまとめて悔い改めればいいだろう」位に考えている人がいるとすれば、その人はいずれ、イスカリオテのユダのように悔い改めと救いの不可能状態に陥ることになるのです。

 
聖書
 ★「御子イエスの血が、すべての罪から私達をきよめるのである。もし、罪が無いと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理は私達のうちにない。もし、私達が自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、その罪を赦し、すべての不義から私達を聖(きよ)めてくださる」Tヨハネ1:7後半〜9


 ★「心の貧しい人達は、幸いである。天国は彼らのものである。  悲しんでいる人達は、幸いである。彼らは慰められるであろう。  柔和な人達は、幸いである。彼らは、地を受け継ぐであろう。  義に飢え乾いている人達は、幸いである。彼らは飽き足りるようになるであろう」。マタイ5:3〜6



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キリスト紀元2005年 10月 30日公開


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