聖書に関するQ&A


Q.16 方便のうそについて聖書は何と言っていますか?

 A.原則 聖書は、うそ偽りを原則的に憎み退けています。うそをつく者は十戒の第9戒「あなたは偽証を立ててはならない」の違反者であり、偽りの父サタン
(ヨハネ8:44)に属する者とみなされ裁かれます。
 ★聖書の実例 それでは如何なる場合でも真実を語らなければならないのでしょうか。聖書の実例の中から「方便のうそ」をついて神の祝福を受けた二組の人々の場合を取り上げて考えてみましょう。
 ★まず第一は出エジプト記1章に出てくるヘブル女性の二人の助産婦シフラとプアの話です。彼女たちは、エジプト王パロの「ヘブル女が男子を産んだら殺せ」という命令への服従を、神を畏れる心のゆえに拒否し、男の子たちを生かしておきました。王に問い詰められた時、彼女らは「ヘブルの女たちはエジプトの女たちより活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」と言ってその場を言い逃れました。これについて、聖書は「神はこの助産婦たちが神を畏れ(て赤ちゃんの命を救っ)たので、彼女らに恵みをほどこし、彼女らの家を栄えさせられた。」
(1:20,21)とあります。
 ★第二はヨシュア記2章に登場して来る遊女ラハブの話です。このラハブはマタイの福音書第1章にあるイエス・キリストの系図に記されている主イエスの先祖の一人です。この遊女ラハブは自分の町エリコ(偶像礼拝の罪のために神の裁きを受けることが定まっていた。)を偵察に来たイスラエルの二人の斥候(スパイ)をかくまい、エリコの王から彼らのことについて尋問を受けた際、「彼らは門を出て行きました。どこへ行ったのかは知りません」と方便のうそでその場を切り抜け、その後斥候たちを無事に帰還させました。この業績のため、彼女とその一家はエリコの城壁陥落の際、全員救出されました。新約聖書ヘブル書11:31はこのラハブについて「信仰によって、遊女ラハブは、探りに来た者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはなかった。」と語っています。また、ヤコブ書2:25はラハブはその行いによって義と認められた(罪の無いただしい者とみなされた)と言っています。
 ★新約聖書の中で、ユダヤ政府にキリスト信仰の故に逮捕され、尋問され、「キリストの福音を語ってははらない」と厳命された時、使徒ペテロらは「人に従うより神に従うべきです。」と答えて政府の命令を拒否したため、むち打たれております(使徒5:17〜41)。
 ★この時使徒たちが語った「人に従うより神に従うべきだ」という言葉が「真実を語る時の重大な原則」の一つです。上記のヘブルの助産婦たちはパロ(人)の命令に従うよりは神の十戒第6戒「殺してはならない」に従い、自分たちの命の危険をも顧みず、ヘブルの男の赤ちゃんたちの命を救ったのです。
 ★遊女ラハブの場合は、自分の町エリコの王の側について王と町全体と共に滅びるよりも、神の民イスラエルの側に味方して永遠の命を得る道を選んだのです。
 ★第二次世界大戦当時ナチス・ドイツによって行われたユダヤ人狩りの時、正直にユダヤ人の隠れ家を当局に通報して、当局から表彰される者もいれば、自分の命をかけてユダヤ人をかくまい、その居場所について彼らに勇敢にうそをついた人々もいたのです。
 ★上記のように、無実の人々の命を殺人鬼どもから救うためといった特殊な事情のもとでは、うそをつくことは正当な行為であることは言うまでもありません。すなわち、国家権力によって不義・不正が堂々と行われる国家社会での不義・不正が、健全正常な国家社会においては正義であり、真理である場合があります。
 ★しかし、上記の特例を除く、世間一般に行われている普通の方便のうそ全般は十戒第9戒違反であり、避けなければならない罪です。
 ★聖書にある方便のうその悪い例 次に、聖書に出てくる方便のうその悪い例を見てみます。創世記27章にイサクが年老いて視力が衰えて人を判別できなくなった時、イスラエル民族の始祖アブラハムの孫であり、イサクの子であるヤコブは母リベカに促されて長男エサウになりすまして、長男が受ける祝福を臨終の床にある父イサクからかすめ取りました。かすめ取ったとはいえ、長男の受ける祝福を弟ヤコブが受けることはヤコブら兄弟の母リベカに出産前に示された神の啓示によって前もって決まっていました
(創世記25:21〜25)。ただ、父イサクはその神の啓示を知らず、長男が受けるべき家督の特権と祝福は長男エソウに与えようと考えていました。
 ★生まれる子供についての預言が、両親の一方に先に啓示され、他方には後になって啓示される実例が聖書の中に見られます。超自然的怪力で有名なサムソンの誕生前に彼について、先に母親に啓示がありました
(士師記13章。その啓示を受けた話を妻から聞いて、夫(サムソンの父)が祈ると、再び神の人(御使い)が現れて、同じ啓示が夫にも示されました。この出来事はイサク・ヤコブの時代よりずっと後の時代のことですから、ヤコブの母リベカがこの史実から学ぶことは出来ませんでしたが、もし、リベカが夫イサクに啓示の話を打ち明け、イサクが祈っていれば、イサクにも同様の啓示が与えられた筈です。そうであったなら、母リベカが画策し息子ヤコブが父にだましごとを仕掛けずにすんだはずです。
 ★「目的が手段を正当化する」という教えは聖書にはありません。母リベカと次男ヤコブの共同のペテン行為は目的が正当でしたが、方法が不当でした。ヤコブは、その後の自分の生涯を掛けて、人をだますことの罪性をいやというほど認識させられ、自らの聖化のための神の特訓を受けました。すなわち、母の里、叔父ラバンのもとで幾度も労働条件などに関してだまされながら20年間も不当に働かされました(創世記31:41)。また、自分が一番可愛がっていた息子ヨセフに関して他の息子たちにだまされました。すなわち、他の兄弟たちはヨセフをねたみ、彼をイシマエル人の隊商に奴隷として売り飛ばした後、彼が獣に襲われて食われたかのように装って、父をだましたのです
(創世記37章)。このように、父をだました後の彼の運命は、(母リベカへの神の啓示の実現という目的は正しかったのですが)父をだましたヤコブの行為が正当ではなかったことをはっきり物語っています。
 ★真実の語り方 ここで、聖書から学ぶ「真実の原則的語り方」のいくつかを筆者の知る範囲で書き並べてみます。
〈1〉人に従うより神に従うこと。
〈2〉愛をもって真実を語ること
(エペソ4:15)
〈3〉場合によって真実を隠すことは正当であり、必要であること。
〈4〉知恵をもって真実を語るべきこと(伝道7:16〜18)
 ★〈1〉についてはすでに語りましたので、〈2〉について少し論じます。たとえば、太っていて、それを自覚していて、気にしている人に向かって、「あなたは、太っていますね」と言うような真実であっても愛のない語り方をしてはならないということです。また、人から聞いた人に関する単なるうわさ話をその真偽を確かめずに第三者に流すなら、それは中傷であり、愛によって真実を語ることに反する行為であり、第9戒違反です。
 ★〈3〉については適当な実例が旧約聖書にあります。主がサムエルに「私はベツレヘムの人エッサイの息子の中に王となる人物(ダビデ)を見つけたから、彼に油を注ぎに行け」と命じた時、サムエルは現王サウルに殺されることを恐れました。その時主は、「『(その目的を隠して主にいけにえを捧げに行く』と言え」とサムエルに命じておられます(1サムエル16:2)。これはうそではないのです。ダビデの王即位の油注ぎの儀式の時、捧げ物も捧げるのです。主はサムエルの恐れを静めるために、第一目的を隠し、第二目的だけを提示することを命じられたのです。このように、正しい目的をもって真実を隠すことは正当であり、時には必須です。
 ★〈4〉知恵をもって真実を語るべきこと。
 これは、真実を語る時だけでなく、正しいことを実行する場合にもあてはまります。伝道の書にこう書いてあります。「あなたは正し過ぎてはならない。知恵があり過ぎてはならない。なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか」
(伝道7:16)。「真実を語るにしても、正しいことを行うにしても、無思慮に、杓子定規に語ったり、行ったりしてはならない、知恵と分別を持って行動せよ。」ということです。主は十字架に掛かるために地上に来られましたが、その時が来る前に無駄な死をとげることは避けられました。ユダヤ人の罪を指摘されたため、彼らは絶えず、主の命を狙っていました(ヨハネ7:7,19)。このような連中の目をくらますためにも神の国の真理のたとえ話は役に立ちました。
 ★結び 以上のように、真実を知恵を持って、また愛をもって語れるようになるためには、信仰生活の中で御霊と御言葉と祈りによる実践と鍛錬が不可欠です
(ヘブル5:14)。同時にヤコブのような、あるいはそれより悪い失敗をしてしまった時にはただちに悔い改めて、自らの人生の軌道修正を忘れてはなりません。



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キリスト紀元2005年 3月 20日公開


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