聖書に関するQ&A

Q26 Tテモテ4:10の「すべての人々の救い主、特に信じる者たちの救い主なる生ける神」とはどういう意味か?

A.イエス・キリストを信じる信仰の有無にかかわらず、誰でも救われるという教えがあります。これを「万人救済論」と言います。
 ★このTテモテ4:10の「すべての人々の救い主なる生ける神」という聖句を万人救済主義者は自分たちの教えの根拠の一つとします。
 ★この聖句は彼らの教理を裏付ける証拠聖句と言えるのでしょうか。検証してみましょう。まず、この聖句の前後を引用します。


 「信心(新改訳/敬虔)のために自分を訓練しなさい。からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心(敬虔)は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。これは確実で、そのまま受け入れるに足る言葉である。
 私たちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救い主、特に信じる者たちの救い主なる生ける神に、望みを置いて来たからである。」 (Tテモテ4:7後半〜10


 ★万人救済論者は聖書の中の一部の聖句をとらえてあげつらいますが、聖書全体は「イエス・キリストを信じる以外に救いの道がない」ことを言明しています。下記の聖句がその主なものです。

 「この人(イエス・キリスト))による以外に救いはない。私達を救いうる名は、これを別にしては、天下の誰にも与えられていないからである」(使徒4:12)。

 「神は唯一であり、神と人との間の仲保者ただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(Tテモテ2:5)。

 「イエスは彼に言われた、『私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは、父(なる神)のみもとに行くことは出来ない』」(ヨハネ14:6)。

 ★聖書の説く救いは、第一義的に「罪とその呪いからの救いであり、罪の支払う報酬としての死から永遠の命への救い」です。この意味での救いは「罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)イエス・キリスト以外に見出すことはできません。新約聖書のギリシャ語で「救い」(ソーテーリア)「救い主」(ソーテール)という語のもとになっている「救う(ソーゾー)」という語は霊の救い(ローマ10:9)だけでなく、精神の癒し(ルカ8:36)、肉体のいやし(マタイ9:21)にも使われています。
 ★ペテロが語った上記使徒4:12のこの有名なみことばは、ペテロが宮の門に置かれていた物乞いの萎えた足を癒した時に、このいやしの奇跡について、このいやしはペテロの信仰の力によるものではなく、イエス・キリストの御名によるのだと人々に説き聞かせたことばの中の一節です。

 ★従って、ペテロの言う使徒4:12の救いは、霊的救いだけでなく、精神的、肉体的救いを含めた全人的・全人格的救いを言い表しています。
 ★この全人的救いの中でも霊的救い、すなわち罪の赦し・永遠の命は信じる者に限定される救いです。イエス・キリストの十字架のあがないのみわざは全人類の罪をあがなって余りある無限大の効力をもっていますが、万人救済論者の期待に反して、この救いはキリストを信じる人々だけに与えられます。

 
「この世は、自分の知恵によって神を認めるにいたらなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである(新改訳/信じる者を救おうと定められたのです)」Tコリント1:21

 ★Tテモテ4:10が言う「すべての人々の救い主」はキリストでなく、「生ける神」となっています。キリストも人となられた「生ける神」であられますが、Tテモテ4:10の場合は、すべての人々に太陽を昇らせ、雨を降らせる「天の父なる神」
(マタイ5:45)を表しています。
 ★キリスト者にとってはその信仰によって、三位一体の神はこの世でも、来るべき世でも恵みあふるる救い主ですが、非キリスト者にとってはこの世だけの救い主です。Tテモテ4:10にある通り、キリスト者にとっては「今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる」のです。けれども、キリスト者の精神的・肉体的な面を含めた完全なる救いは来たるべき世において成就します。

 ★「すべての人の救い主」としての神の御働きについては、キリスト者であるなしにかかわらず、誰でも注意深く人生を歩んで行くなら、一つや二つ奇跡的な癒しや守りの体験をしているはずです。幼い時に、瀕死の病気から癒されたり、事故から無事に守られたり、といった体験をして来たか、あるいはこれから体験することになるでしょう。それは、生ける神のこの世でのすべての人々に対する救い主としての働きによるのです。
 ★筆者の家内は幼児の時、家の何かの行事のときに、来客が「可愛い、可愛い」と可愛がってくれたのはいいのですが、寿司を食べさせ、それにあたったらしく、家内はその時危うく命を落とす危機に瀕したそうです。
 ★筆者は、小学生の頃、終戦直後のため、近所に使われなくなった軍需工場の倉庫があり、そこに出入りして遊んでいました。そして、倉庫の中に転がっていた鉄砲の弾を拾って来て、家で道具箱から工具を取り出して、金づちでたたいたりして、弾と薬きょうを分離して、中から火薬を取り出して遊ぶという大変危険な遊びをしていました。大人になってから、子供の時に同じような遊びをしていて火薬が爆発して失明し全盲なった人に出会いました。筆者はその時、自分が主なる神によって災難から守られたのだということに気が付きました。

 ★多くの人々はすべてを偶然や自分の強運のせいにして片づけてしまって、聖書の神の地上における救いのみわざであることにまで思いが至りません。


「私たちはまた、神と共に働くものとして、あなた方に勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、『私は恵みの時にあなたの願いを聞き入れ、救いの日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」。Uコリント6:1,2

 ★この世を去ってから、主イエスを信じて救われるチャンスを失ってはじめて、自分の地上の生活の安全は天の父なる神によるものであったことに気づいたのではもう遅いのです。唯一の救い主イエス・キリストに目の開かれた人々は幸いです。



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キリスト紀元2007年 3月 30日公開

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