聖書に関するQ&A

   Q2 進化論について聖書はなんと言っているか?
   Q3 聖書の神が唯一のまことの神である確証はなんですか?

 Q.1 聖書の旧約と新約という言葉の意味は何ですか?

 A.英語では旧約はオールド・テスタメントOld Testament、新約はニュー・テスタメントNew Testamentと呼ばれます。このテスタメントTestamentは契約と遺言という二つの意味をもっています。従って、旧新両約聖書は旧新両契約と両遺言の書ということになります。
 ★聖書が契約の書と呼ばれる理由は、旧約が神と選民イスラエルとの契約の書であり、新約が神と霊的選民キリスト者との契約の書だからです。旧約がアブラハムとその子孫イスラエル民族に対する神の契約であり
(創世記15:1〜7)、新約はイスラエル民族と異邦人の壁を撤去して全世界のキリスト信仰者とその子孫とに対して神が結んだ新しい契約です(エペソ2:11〜22)
 ★その契約はアブラハムの子孫としてのキリストを信じる信仰によって、アブラハムの肉の子孫ユダヤ民族が祝福され(旧約)、同じキリスト信仰によってキリスト信仰者とその子孫が祝福される(新約)という神の契約・約束です
(使徒2:37〜40)。従って、旧約・新約の二つの契約は根本的には一つの契約なのです(ガラテヤ3:13〜16)
 ★聖書が遺言の書と呼ばれる理由は、遺言が遺言者の死によって発効するように聖書の神の約束はキリストの十字架上の死と復活によって発効するからです。旧約のイスラエルの民はアブラハムの子孫キリストの死を象徴する子羊の血によって罪を清められました。新約の選民キリスト者は、すでに実現したキリストの十字架のあがないを信じる信仰によって罪を赦され、神との生きた交わり(永遠の命)を享受しているのです
(ヘブル9:11〜28)
 ★
シナイ山上でモーセを通して与えられた律法は、民の心に罪の自覚を生じさせ、キリストに導く養育係りとして授けられたものでしたが(ガラテヤ3:23〜26)、イスラエル人は律法や儀式が象徴的に指し示すキリストを見失い、内面の清さを無視し外面的行いの清さ正しさで自己満足する偽善の民におちていきました(ローマ9:30〜32)
 ★神と選民との契約は聖書の中で夫と妻、花婿と花嫁との結婚の契約にたとえられています。妻としてのイスラエルと花嫁としての教会(キリスト者)に求められることは夫(神)と花婿(キリスト)に対する貞節と従順です
(2コリント11:2,3)。旧約聖書はイスラエル民族が偶像礼拝などによって夫たる神に不貞を重ねる歴史がつづられています。新約の民・霊のイスラエル(キリスト者)には神とキリストから贈られた内住の聖霊(キリストの御霊)によってキリストへの貞節は旧約の民より容易になりました(ヘブル8:6〜13;ヨハネ14:12〜26)
 ★新約聖書の約束が遺言でもある以上、キリスト者にはキリストとの共同相続人として(
ローマ8:17)受ける遺産(相続財産)があります。それが、キリストの再臨の時に実現する新天新地を相続することであり(2ペテロ3:13)、神と共に住むこと(永遠の命・天国の命)です(黙示21:1〜8)。キリストが私たちキリスト者のために死んでくださったので、私たちもキリストのために生きまた死ぬのです(2コリント5:14,15)


Q.2進化論について聖書は何と言っていますか?

 A.
聖書の立場は創造論です。創造論とは、神が見えるもの見えないもののすべてをご自身のみことばによって無から呼び出されたというものです。人間は最初から人間として創造されたのです。
 ★これに対し、進化論は神なしにある時突然生命体(アメーバー)が出現し、それが猿に、猿が人間に自然に進化したと言う説です。この進化論はダーウイン(1809〜82)の著書「種の起源」によって広められました。このダーウインも晩年にこう告白しています。「公に知られているもので、一つの種から別の種へ変化した例は一つもない。一種でさえも他の種へ変化したことを私達は証明できない。」(ダーウイン「我が人生と書簡」)。また、ダーウインの友人でダーウイン学説の紹介者トーマス・ハックスリー(1825〜95)は「進化は確立された理論ではなく一時的な仮説であって、きわめて価値のある有望な仮説ではあるが、仮説以外の何物でもない。」と認めています(G.ヒンメルファーブ「ダーウインとその進化論」)。
 ★このように進化論の唱道者自身が仮説と認める学説が一人歩きして今日多くの信奉者を得ている理由は何でしょうか?それは人間が自分を創った神という存在を信じたくないから、神なしで人間中心主義(ヒューマニズム)で自由勝手に生きたいからに他なりません。そのためには、単なる仮説に過ぎない進化論だろうと何だろうと神の存在の否定につながる思想なら喜んで信じるのです
(詩篇2:1〜3)聖書のことば「愚かな者は心のうちに『神はいない。』と言う。」(詩篇14:1)

創造説再評価HP
   
「聖書は科学の書ではない」として進化論を容認する自由主義キリスト教の立場を論破し、近年の生物学的、地質学的諸発見が聖書の文字通りの創造論を傍証する方向に向かっていることを指摘しつつ、「聖書と科学は一つである」ことを論証するホームページ



Q.3
聖書の神が唯一のまことの神である確証はなんですか?

 A.
人となられた神の御子イエス・キリストの存在です。主イエスは言われました。「私を見た者は父(なる神)を見たのです。」
(ヨハネ14:9)。イエス・キリストは神が分からない人々に神とはこのようなお方だと神を見せるために来られました。水をブドー酒に変える、5つのパンと2匹の魚で5000人を満腹させる、湖の上を水上歩行する、死んで4日たった死人を復活させるなどの奇跡によって、神の力を示されました。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」という自らの教え通り、十字架のまわりで自分をののしりあざ笑う人々を愛し、彼らの赦しと救いを父に祈られました。
 ★聖書はまことの神のしるしの一つとして未来の出来事を正確に予告する力を上げています
(イザヤ41:21〜24)。主イエスの場合はご自身の十字架の死と復活を3度にわたって弟子たちに予告しておられます(マタイ16:21;同17:22,23;同20:17〜19)。更に、その死と死から復活する力と権威がご自分にあることを宣言しておられます(ヨハネ10:17,18)。このように、ことばと行いの一致した救世主はキリストをおいて古今東西、天下のどこにも見出せません。
 ★そして、聖書の神を知る知識は、心のおごり高ぶった人には隠され、幼子のように自分を低くする人にのみ現わされます
(マタイ11:25〜27)



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キリスト紀元2003年 8月 30日公開


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