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   主イエスのたとえ話

  
〈25〉愚かな金持ちのたとえ

 聖書
 13「群衆の中の一人がイエスに言った、『先生、私の兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃてください』。14(イエスは)彼に言われた、『人よ、誰が私をあなた方の裁判人や分配人(新改訳/調停者)に立てたのか』。15それから人々に向かって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たとい沢山のものを持っていても、人の命は、持ち物にはよらないのである』。
 16そこで一つのたとえを語られた、『ある金持ちの畑が豊作であった。17そこで彼は心の中で、「(私は)どうしようか、(私は私の作物をしまっておく所がないのだが」と思い巡らして18言った、「(私は)こうしよう、(私は私の倉を取り壊し、もっと大きいのを建てて、(私は)そこに(私の)穀物や食料を全部しまい込もう。19そして自分の(私の)魂に言おう。魂よ、お前には長年分の食料が沢山蓄えてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」。
 20すると神が彼に言われた、「愚かな者よ、あなたの魂は今夜の内にも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、誰の物になるのか」。
 21自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである』」。 ルカ12:13〜21

 31「ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。32恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなた方の父の御心なのである。33自分の持物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝を貯えなさい。34あなた方の宝のある所には、心もあるからである」。 ルカ12:31〜34


T.このたとえを主イエスが語られたきっかけとなった群集の一人の「願い」について
 ★「先生、私の兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃてください」
 ★申命記21:16,17によるとユダヤの法律(律法)では、長男は他の兄弟の二倍の遺産を受けると定められています。そこで、この訴え出てきた人の願いが、長男が2倍取るのはけしからん平等にするべきだと言っているのか、それとも長男が遺産を全部独り占めにして他の兄弟に渡さないので先生から一つ渡すように言ってくださいと言うのか、はっきり分かりません。
 ★主イエスの

 
「人よ(ギリシャ語にあるこの呼びかけの語が新改訳に訳出されていないのは残念です)、誰が私をあなた方の裁判人や分配人(新改訳/調停者)に立てたのか」、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい」

 という返答から、この訴え出てきた人は、長男が他の兄弟の2倍の遺産相続をするという法律(律法)そのものが許せないと訴えているのだ、と解釈する人がいます。
 ★しかし、訴え出て来た人が被害者で、長兄が遺産を全部独り占めにしている場合も考えられます。その場合、この訴えを提示した人は、当然の願いを語っただけで貪欲とは関係ないと思われがちですが、彼がこの問題で頭がいっぱいになってこの遺産問題の解決なしに自分の幸せと平安は考えられないと言う状態にあるなら、それは主イエスが言われる「あらゆる貪欲」の中の一種の貪欲であると見るべきではないでしょうか。

 ★
「泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買うものは持たない者のように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。私はあなた方が思い煩わないようにしていてほしい」(Tコリント7:30〜32)。

 と使徒パウロが語る聖霊の御思いはこのルカ12章で語られるキリストのみ思いでもあったと思うのです。

U.このたとえの要約
 ★ある金持ちの畑が豊作であった。彼は古い小さな倉を取り壊し、新しい大きなくらを建て、収穫物をしまいこんで、「わが魂よ、お前の長年分の食料が蓄えられた。安心して、喜び楽しめ」と言った。しかし、神はこの金持ちに、「愚か者よ、お前の魂は今夜の内にも取り去れるのだ」と言われた。

V.「愚か者」の意味
 ★この語「(ギリシャ語)アフローン」は「無分別で思慮に欠けた者」と言う意味ですが、ルカ11:40で主がパリサイ人、律法学者に向かって言われた語と同じことばです。
 ★この語は「学問や教養のあるなし」には関係ありません。パリサイ人、律法学者の「愚かさ」は、心の中が強奪と邪悪とでいっぱいなのに手を洗ったり外面を清めれば神の目をごまかせると思い込む彼らの霊的盲目性を指しています
(ルカ11:37〜41)

W.この金持ちが「愚か」である理由
 1.自分中心に生きていること

 ★この金持ちは、この話の中で「私が〜する」「私の〜」という言い方を連発しています。上記聖書テキストに日本語訳聖書に訳出されている分は太字で、訳出されていない分は括弧を付けておきました。
 ★彼の心の中には、神に対する畏れ、人に対する思いやりはおろか、神や隣人の概念さえ全く存在しないかのようです。

 2.人はみな神から財産(賜物)を委託された管理人であり、世の終わりの日に財産(賜物)の管理運用の決算書を求められる真理を彼は全く知らない、あるいは無視している
 ★人は自分の意志や力でこの世に出て来たのでなく、神の御心によって生まれ、すべての賜物も能力も神からの預かり物として一時的に任された物であって、自分の物ではありません。
 ★世の多くの人々はこの真理を知らず、たとえその真理を教えられてもそれを無視して、勝手気ままに生きた後、死後神の裁きを受けてこの真理に直面させられて、歯軋りして悔しがるのです。
 ★この金持ちもこの真理を全く理解せず、自分の魂も財産も自分のものであると思い込んでいます。

 3.神の御心なら、自分の命は今夜の内にも取り去られるものであり、自分の魂は天国か地獄で永遠に生きるものであることを知らない
 ★神に罪を犯したアダムの子孫であるすべての人間は生来、神を憎んでいます
(ローマ1:29、30)。ですから、神が世界とその中の人間である自分の造り主であると言う真理を認めたがりません。
 ★神抜きで世界の成り立ちを説明しようとする進化論を人々が信じたがるのはそのためです。進化論が真理なら、人は神なしにこの世に存在することになり、神に責任を問われる心配がなくなるからです。
 ★しかし、人が信じようが信じまいが、人は神の御手の作品として、死後神の裁きを受けるのです。今の命をどのように生きたかによって、永遠の住処を「天国」か「硫黄の燃える火の池」かのどちらかで永遠に生きることになるのです。
 ★つかの間の70年、80年の地上の生活のために金や財産を貯えるのに熱心な者が、死後の永遠の生活の備えについては全く無関心であると言うのは、「愚か者」であるとしか言いようがありません。

 4.「人の命は、持ち物にはよらない」(15節)という真理を知らない
 ★何某ファンドの何某さんのように「金をもうけて何処が悪い」と言って株の売り買いで不労所得を稼ぎまくる人々がいます。彼らは「人の命は持ち物によって決まる」と信じ切っているようです。
 ★しかし、聖書が言うように、

人は裸で生まれ、裸で世を去る」(ヨブ記1:21)

 
のです。人はこの世を去った後、この世の金や持ち物が何の役にも立たない世界に移住するのです。
 ★人が来世に持参できるものがあります。その人の生前の行いです。偶像礼拝を続けた者、神とキリストを拒否した生涯を送った者はその行いの報いを硫黄の燃える火の池で受けることになります
(黙示録21:8)
 ★罪を悔い改め、キリストを信じてみ言葉に基づいた善行に励んだ者は天の御国で永遠の命を楽しむ事が許されます
(マタイ19:21〜29)

「また私は、天からの声がこう言うのを聞いた、『書きしるせ、「今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである」』。御霊も言う、『然り、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについてゆく」。(黙示録14:13)

X.自分のために宝を積んで神に対して富まない者
 1.神に対して富んでいる者

 ★「神に対して富まない者」を知るために、「神に対して富んでいる者」について考えてみましょう。その者は、自分のためにではなく神と人のために地上にでなく天に宝を積んでいる者(33,34節)のことです。
 ★
不正な管理人のたとえで主が勧めて居られるように、自分の地上の富を用いて友人を作る、すなわち人に善を施し、困っている人を助け、貧しい人に施しをし、人に対して小さな親切を実践することです(ガラテヤ6:9,10)
 ★貧富の差が広がって来た昨今、経済的に恵まれた人々は貧しい人々を顧みて助ける責任が大きくなっています。

 
「貧しい者を憐れむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる」。(箴言19:17)

 ★
「神に対して富んでいる者」は、「まず神の国と神の義を第一に求める者」(ルカ12:31:マタイ6:33)
 です。神の国(王国)を求めるとは、神を人生の王として神に服従する生活を第一とすることです。神の義とは罪の赦しと聖書に従った信仰による聖く正しい生活のことです。
 ★「神の国と神の義を第一に求める」とは「キリストと福音のために自分の命を捨てることです」
(ルカ14:26,27)
 ★「キリストと福音のために自分の命を捨てる」とは、モーセのように生きることです。

 
「信仰によって、モーセは、成人した時、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストの故に受けるそしりを、エジプトの宝に勝る富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである」(ヘブル11:24〜26)

 ★また、使徒パウロのようにこの世の富・地位・名誉を見ることです。

 
「しかし、私にとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。私は、さらに進んで、私の主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値の故に、一切のものを損と思っている。キリストのゆえに私はすべてを失ったが、それらのものを糞土のように思っている」(ピリピ3:7,8)

 
2.自分のために宝を積んで神に対して富まない者
 ★これが、このたとえの愚かな金持ちの姿ですが、同時に、残念ながら、多くのわが同胞日本国民の真の姿でもあります。彼らは、自分の老後のためにせっせと貯え、キリストの福音を外国の宗教としてかたくなに拒み、偶像礼拝に縛られています。
 ★私たちの親・祖父母によって貯えられて、頼りにされてきた日本国の富は米国の要望に盲従する日本国政府のいわゆる「構造改革」によって、米国をはじめとする諸国によって奪い去られ、今やわれらが日本国の沈没はこのままでは時間の問題となろうとしています。
 ★わが同胞の多くの日本国民が永遠の命を与えるキリストの福音と言う宝に目が開かれ、偶像礼拝の呪縛から解き放たれ、キリスト信仰による神の義と永遠の命を与えられ、神の御前の「真の人」として造りかえられる事を切に祈り求めるものです。

「兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神に捧げる祈りは、彼らが救われることである」
 (ローマ10:1)



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キリスト紀元2006年 7月 30日公開

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