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   主イエスのたとえ話

〈23〉強い人を縛り上げる更に強い人のたとえ

 聖書 
 ★22「その時、人々が悪霊につかれた盲人で口のきけない人を連れて来たので、イエスは彼を癒して、物を言い、また眼が見えるようにされた。
 ★23すると群集はみな驚いて言った、『この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか』。24しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、『この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊の頭ベルゼブルによるのだ』。
 ★25イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、『おおよそ、内部で別れ争う町や家は立ち行かない。26もし、サタンがサタンを追い出すならば、それは内輪で別れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。27もし、私がベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間は誰によって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなた方をさばく者となるであろう。28しかし、私が神の指によって悪霊を追い出しているなら、神の国はすでにあなたがたのところに来たのである。
 ★29また誰でも、まず強い人を縛り上げなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることが出来ようか。縛ってから、初めて、その家を略奪することが出来る。
 ★30私の味方でない者は、私に反対する者であり、私と共に集めない者は、散らす者である。
 ★31だから、あなた方に言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、赦される。しかし、聖霊を汚す言葉は、赦されることはない。32また人の子に対して言い逆らう者は、赦されるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、来るべき世でも、赦されることはない」。
 ★33木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実で分かるからである。
 ★34マムシの子等よ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることが出来ようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。35善人は良い倉から良いものを取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
 ★36あなた方に言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
 ★37あなたがたは自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである』」
 
(マタイ12:22〜37/ 参照ルカ11:14〜26)


はじめに

 ★主イエスは公生涯の初めにサタンの試みに会われただけでなく、主の地上生涯はサタンとの戦いの連続でした。上記のテキストは主がマムシ(サタンの代名詞)の子パリサイ人の口を通して「悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出している」という非難を受けられたことを報じています。
 ★主の生涯が悪との戦いの生涯であったように、私たちキリスト者のこの世の生活は悪の陣営との霊的戦いの日々であることを知らなくてはなりません。

たとえの要約
 「彼は、ベルゼブル(サタン)によって悪霊を追い出している」というパリサイ人の非難に対して、主は「サタンがサタンを追い出したのでは、サタンの国は立ち行かない。私(サタンより強い者)は神の御霊によって悪霊(強い者)をしばり、その捕らわれ人を解放しているのだ」と言われた。

解説
 ★新約聖書の時代に、パリサイ人の仲間で呪文を唱えて悪霊追放を行う者たちがいました。彼らの自称悪霊追放は悪霊との結託によるまやかしでした。パリサイ人は仲間のそのまやかしを称賛し、主イエスの聖霊による正真正銘の悪霊追放をサタンによる業とすることによって、聖霊を冒涜しました。
 ★呪文を唱えて悪霊追放を実行していると言うそのパリサイ人の仲間は、使徒19:13に出てきます。聖書協会口語訳では「まじない師」、新改訳では「魔よけ祈祷師」と訳されています。原語のギリシャ語ではエクソルキステースで「(悪霊に)出るように命ずる(懇願する)者」という意味で、英語のキングジェームズ・ヴァージョン等ではexorcist(エクソーシスト)と訳されています。彼らは悪霊につかれている人に向かって、試しに主イエスの名を唱えて、「パウロの宣べ伝えているイエスの名によってこの人から出て行け」と言って見た。すると、その人の口を通して悪霊が答えて、「イエスもパウロも知っている、だがお前達は何者だ」と言って、彼らに飛び掛り怪我を負わせた、とあります(使徒19:13〜17)。
 ★「モーセの奇跡は真の神の指によるものです」とエジプト王パロに忠告した魔術師たちのように(出エジプト8:18,19)、この魔よけ祈祷師たちは、パリサイ人らに「あなた方は間違っている。イエスは神の指によって悪霊を追い出しているのだ」と裁定するであろう、と主は言っておられるのです。

聖書のこのテキストが教えること
 T.悪霊が人を盲人にしたり、聾唖者にしたりすることがあるということ

 ★悪霊は人の中に入り、霊や心を支配するだけに留まらず、肉体に影響を与え、人を盲人や聾唖者にし、更に人を病気にさせることがあることを聖書は語っています。

 
「安息日に、ある会堂で(イエスが)教えておられると、そこに18年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた」(ルカ13:10)

 ★旧約聖書ヨブ記を見ると、サタンは義人ヨブをつまずかせようと、ヨブの身体に悪性の腫れ物を全身に生じさせたり、略奪隊を送って財産を奪わせたり、更に台風を引き起こしてヨブの長男の家を全壊させて、宴会をしていたヨブの息子や娘等全員を死亡させるなどの災難にヨブを会わせています(ヨブT〜2章)

 ★主イエスが「静まれ、黙れ」と命じて、ガリラヤの湖の嵐を鎮められた奇跡(マルコ4:35〜41)は、この時の嵐が舟で眠って居られた主イエスの命を狙ったサタンの業であったことを暗示しています。

 ★悪霊が病気や事件や自然災害を引き起こすことが出来るとは言え、すべての災いの原因をサタンに帰するには無理があります。すべての災いの根源は人間の罪です。サタンは神に対して不従順な人々の中で、彼らを通して働くのです
(エペソ2:2)

 
U.主イエスの神の指(聖霊)による悪霊追放は、神の国がこの世にすでに到来していることを意味する
 ★神の国は主イエスの再臨と共に再創造される新天新地によって成就しますが、キリストの悪霊追放の業はその神の国がこの地上にすでに来ていることを意味するのです
(28節)
 ★主イエスを信じて悪霊から解放され、キリストの者となった私たちクリスチャンの心の中に神の国が今すでに始まっているのです(ルカ17:21)。私たちキリスト者は今すでに神の国の国民なのです
(ピリピ3:20)
 ★
「罪過に死んでいた私たちを、キリストと共に生かし―あなたがたがすくわれたのは、恵みによるのである―キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座に着かせてくださった(新改訳/ 共に天のところに坐らせてくださった)」(エペソ2:6)

このたとえが教えること
 T.サタンとその配下の悪霊共の団体は眼に見えない一つの王国のようなもので、そこには統制の取れた組織があるということ

 ★上記26節で主は「もし、サタンがサタンを追い出すならば、それは内輪で別れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう」と言っておられる。「その国」は原語ギリシャ語では「彼(サタン)の王国」となっています。主はサタンとその悪霊の軍団を一つの「サタンの王国」と認識しておられます。
 ★主は「私の味方でない者は、私に反対する者であり、私と共に集めない者は、散らす者である」(30節)と言っておられます。
 ★「サタンなどという者は空想の産物で実在しない」と信じている人々は、すべての非キリスト者と共に、自覚のないままサタンの陣営に加担しており、サタン王国の影響下に置かれているのです。
 ★私たちキリスト者の人生はサタンの王国の軍勢との霊の戦いの日々です。この戦いは私たちとサタンとの一騎打ちではなく、「主の戦い」です
(U歴代20:15〜17)。すでに主の勝利が決まっている主とサタンとの戦いです。私達が主の側に付き、主の与えてくださる武具を身に付けて(エペソ6:10〜18)、主の陣営の一兵卒として参戦している限り、常に勝利は私たちの側にあります。

 U.主イエスの悪霊追放の業は、強い人(サタン)の家に押し入ってその主人を縛り、その家財(サタンの捕らわれ人)を略奪(解放)するサタンより強いキリストの働きであること
 ★主イエスが十字架に掛かる前、弟子達が「主イエスの御名によると悪霊共が私たちの言葉に従う」と言って感激しています(ルカ10:17)
 ★主イエスの十字架は死の力をもつサタンの頭を打ち砕く鉄槌となりました(ヘブル2:14,15)。ですから、サタンの滅びはすでに決定済みです。ただ、世の終わりの最終的滅びの日まで、時間的猶予が与えられているに過ぎません。
 ★復活後の主イエスは
「私には天でも地でも一切の権威が与えられている」(マタイ28:18)と言っておられます。主イエスはすでにサタンに対する勝利者ですから(ヨハネ16:33)、私たちキリスト者とキリスト教会は、主イエスの御名によって人々から悪霊を追放し、悪霊に悩まされている人々を悪霊から解放することが出来るのです。
 ★主イエスがこの世に来られたのは、罪を取り除くためであると共に
(Tヨハネ3:5)、このような「悪魔の仕業を打ち壊すためです」(Tヨハネ3::8新改訳)

 
聖書 「神の御子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」(Tヨハネ3:8後半)

 V.主イエスの聖霊による悪霊追放を悪霊の頭ベルゼブルによる業と非難することは聖霊を汚す罪であり、この世でも来るべき世でもゆるされることはない
 ★このパリサイ人達のように、主のなさった数々の奇跡を目の当たりに目撃しながら、「彼はサタンによって悪霊追放を行っている」と非難する者らは、聖霊を冒涜する者らであり、永遠に赦されることはありません。なぜなら、彼らの心の中で「この方は神の指でこの奇跡を行っておられる」と証言している主の御霊の証言を冒涜してはばからない傲慢によって、自らの救いの道を閉ざしているからです。

 
W.悪霊は人を霊的な盲人・聾唖者にする
 ★悪霊によって肉体の眼がくらまされ、肉体の耳が聞こえず、肉体の口も利けなくされた人は滅多にいないかも知れませんが、霊的な盲人・霊的聾唖者にされている人々は大勢います。
 ★詩篇135:15〜18に「偶像を拝む者は、金銀木石で造られたその偶像のように、眼があっても見えず、口があってもしゃべれず、耳があっても聞けないようになる」とあります。
 ★そのように、偶像を拝む者は眼にサタンのおおいが掛けられキリストの福音の光が見えなくされています
(Uコリント4:3,4)。被造世界を見ても、そこに神の御手を見ることが出来ず、神の言葉を聞き、神に向かって祈ることも出来ません。

結び
 ★パリサイ人が「この世でも来るべき世でも、決して赦されることのない」言葉を口にしたことを報じるこの聖書の箇所から、私たちは日常自分の口から出る言葉に注意しなければならないことを学びます。
 ★なぜなら、私たちの口から出る言葉は、終りの日に主のみ前で申し開きをしなければならない、私たち自身に裁きを招きかねない場合もあれば、人を救い、自分を救う言葉となる場合もあるからです。
 ★
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである(ローマ10:9,10)。



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キリスト紀元2006年 1月 30日公開

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