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   主イエスのたとえ話

  
〈15〉種の発育のたとえ

聖書
 「また(イエスは)言われた、『神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地は自ずから実を結ばせるもので、はじめに芽、次に穂、次に穂の中に豊かな実ができる。実が入ると、すぐに鎌を入れる。刈り入れ時が来たからである』。」 (マルコ4:26〜29)


 ★はじめに
 このたとえ話はマルコ福音書の中にだけあり、他の福音書にはありません。種まきのたとえと芥子種のたとえの間にはさまった話であり、種のたとえ話の一つとして一緒に語られました。ですから、種まきのたとえの中で示されているように、種は「みことば」を指します(マルコ4:14)。種まきのたとえでは、土地(御言葉を聞く人間の心)に焦点が当てられていますが、このたとえ話では種(みことば)そのものに焦点が当てられています。

 ★このたとえ話が教えること
 1、神の国の成長は種「み言葉」による、ということ。

 「(人が)夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行く」とあるように、種(みことば)の発育は蒔く人によらず、種(みことば)のもつ特別な独自の力によります。種は土の中に蒔かれると、芽を出し、苗となり、花を咲かせ実を結びます。その生命科学的奥義については人はほとんど何も分からないことであり、神様がそのように創造されたとしか言いようがありません。
 同様に、神のみことば(聖書)には独自の内在的な力があり、聖霊と共に働く時、霊的な偉大な力を発揮します。御言葉を聞いて信じる人々の心の中に新しい命を生み出し、キリストに似た心を創造します。当HPを読んだ未信者の中には、「書かれている言葉が光って見えた」と言う人がいます。「当HPはみことばの教えとみことばそのものが満ちているので、聖霊が読む人々に働くと『光って見える』のです」と筆者は答えています。


 2、神の国の成長は漸進的(ぜんしんてき・段階を踏んで徐々に進むこと)であること。
 現代はインスタントの時代であり、即製が求められますが、従来の農作業同様、クリスチャンの成長も福音伝道も忍耐と根気を必要とするステップ・バイ・ステップ(一歩一歩)の牛歩的ゆっくりとした変化と進展を伴う事象です。
 一回主イエスの名によって祈って見たが、病気が癒されなかった、といって主の下を去って行った人がいます。神の国への入国に際しても入国後も忍耐と根気が求められます。

 ★御言葉の力とその用い方
 1、御言葉の力

 A、みことばは人を新しく生まれ変わらせる力がある。
「み父は、私たちを、いわば被造物の初穂とするために、真理のことばによって御旨のままに、生み出してくださったのである」(ヤコブ1:18;1ペテロ1:22〜25)
 B,みことばは人の魂を救う力がある。
「心に植えつけられている御言葉を、すなおに受け入れなさい。みことばにはあなた方のたましいを救う力がある」(ヤコブ1:21)
 C,みことばはキリスト者を成長させる。
「今生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけの無い霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救いに入るようになるためである」(1ペテロ2:2)
 D,みことばは私たちを聖める。
「真理によって彼ら(弟子たち・キリスト者)を聖別して(きよめて)ください。あなたの御言葉は真理です」(ヨハネ17:17)

 2.御言葉の用い方
 A,キリスト者として

 a, 御言葉を霊の糧として日々規則ただしく食することによって、霊的に成長することができます。
キリストのかたちが私たちの中に形成されるまで、すなわち世を去る日まで私たちは日々成長することが神に期待されています
(2ペテロ3:18;2コリント4:18)
 「イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである』と書いてある」(マタイ4:4)。「私は天から下って来た生きたパンです。これを食べる者はいつまでも生きる」(ヨハネ6:51)
 b, みことばは自分の心を映し出す鏡として用いることができます。
 「みことばを行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。おおよそ、御言葉を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生まれつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見て、そこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう」(ヤコブ1:22〜24)
 c, みことばによって自分の心を聖めることができる(ヨハネ17:17)
みことばの鏡に映し出された自らの心の汚れとゆがみを同じみことばによって修正することが出来ます。
 この誘惑過多の時代にあって自分の心をきよく守るためには、私たちは聖書に日々親しんで自分の心を聖めて行かねばなりません。

 d, 御言葉を心に蓄えて、みことばを両刃の剣として用いることによりサタンを撃退することが出来ます。
 主イエスは荒野の誘惑の時、サタンの誘惑をことごとくみことばで撃退されました(マタイ4:1〜11)。主イエスがサタンに向かって言われたように「聖書にこう書いてある、・・・」と言ってサタンに立ち向かう時、サタンは逃げ退くのです。私たちにとってもこの方法は非常に有効なのです。

 B,伝道の場において
 a, いつでも、どこでも伝道すべきである。

 この意味で、インターネット伝道はかなり有効だと思います。当HPへの応答者は今のところ関西地方の方から、関東地方、米国などの遠距離の方まであります。当HPの目的は当教会への人集めだけではありません。遠方の方々でもこれによって救われて、近くの福音的・聖書的に健全な教会に連なって頂くためです。
 b, 人を救うのはみことばであり、私たち伝道者の力ではありません。
 ですから、筆者の創るトラクト(伝道文書)は、「教会へいらっしゃい」と単にお誘いする案内状ではなく、福音そのものの真髄を簡潔に伝えることを心がけています。今日これを読んで信じたなら、明日死んでもその人が天国へ行けることを目標としています。

 c, 福音伝道のみことばは、不信者には、滅びの宣告状です。
 信じて救われる人々には、命から出て命に至る救いの「良い知らせ」ですが、あくまでも拒否し続ける人々には「死に至る宣告状」です(黙示21:8)。この福音を拒否した、或いは無視したことが自分の「永遠の裁き」を決定するのです。
 d, 福音伝道者の務めは忠実にみことばを伝えることと、忍耐して待つことである。
 福音伝道は福音そのもの、御言葉そのものを伝えることなのです。人を喜ばせようとして、福音(みことば)に混ぜ物を加えてはならないのです(2テモテ4:3,4)
 農夫が「桃栗三年、柿八年」のことわざ通りに、忍耐強く待つように福音伝道者も忍耐強く待たなければならないのです。

結び
 1、キリスト者は霊的成長のために聖書をこつこつと忠実に読み続けなければならない。
 毎週日曜礼拝で説教を聴いているだけでは不十分です。自分の霊的成長のために、使徒行伝のベレアの人々のように毎日熱心に聖書を学び・調べる態度が求められます(使徒17:11)
 2、御言葉の伝道者としては時が良くても悪くても、あらゆる機会を捉えて福音を語って行きたいものです(2テモテ4:2)
 3、「私達は神の同労者です」(1コリント3:9)。「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さるのは、神である」(1コリント3:6)
 4、神は私たちの祈り求め、期待するところの全てをはるかに超えて、偉大なことをなさるお方である。
 「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちが求め思うところの一切を、はるかに超えてかなえてくださることの出来る方に、教会により、また、イエス・キリストによって、栄光が世々限りなくあるように、アーメン」(エペソ3:20,21)
 教会の迫害者であったサウロが、偉大なる使徒パウロに改心した出来事(使徒9:1〜31)は、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)という主イエスのみ教えを忠実に守って祈り続けた初代教会の人々の祈りに対する主の回答として起こされた奇跡であったと新約聖書全体から推定できます。そして、この奇跡は迫害者サウロのために祈っていた筈の初代教会の兄弟姉妹たちには想像を絶する信じがたい奇跡でした(使徒9:26)
 今も根気強い御言葉の種まきと祈りによって、主は私たちの期待をはるかにしのぐ不思議な御業を成してくださると信じます。




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キリスト紀元2005年 7月 20日公開

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