ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ

〈16〉いつも喜び、絶えず祈り、すべての事感謝せよ


聖書
 
★「兄弟達よ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱いものを助け、すべての人に対して寛容でありなさい。誰も悪をもって悪に報いないように心がけ、お互いに、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
 ★いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである。
 ★御霊を消してはいけない。預言を軽んじてはいけない。すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
 ★どうか、平和の神ご自身が、あなた方を全く聖よめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、責められるところのない者にして下さるように。あなた方を召された方は、真実であられるから、この事をしてくださるであろう」。
 Tテサロニケ5:14〜24

はじめに

 ★現代人は、人をゆうつにさせる要因に囲まれて生活していますので、うつ病になる人の割合がふえていると言われています。
 ★このような現代の生活を心にあふれる喜びと平安とをもって歩んで行くために、神が聖書によって私たちキリスト者に語りかける
(上記の)みことばを学びます。

T.いつも喜んでいなさい
a.この世の喜びと天から来る喜び

 ★喜びの反対は悲しみですが、聖書は悲しみには二種類あると言っています。一つは死(滅び)に至る悲しみであり、もう一つは神の御心に添った悲しみです
(Uコリント7:10)
 ★同様に、喜びも二種類あります。一つはこの世が与える喜びであり、もう一つは神の御心に添った天から来る喜びです。
 ★この世が与えてくれる喜びは一時的な喜びであり、この世と共に生まれこの世と共に消える喜びです。
 ★神の御心に添った、天来の喜びは、キリストの十字架のあがないにある罪の赦しと永遠の命の喜びです。
 ★この天来の喜びは信仰から来る喜びです。ですから、信仰に燃えている時は、この喜びも大きく、輝いていますが、信仰が衰えると、この喜びも小さくなってしまいます。
 ★
「信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉から来る」(ローマ10:17)とありますから、喜びの元になる信仰は日々の聖書の学びによって強化されます。

 
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に坐らぬ人は、さいわいである。このような人は主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきて(神の言葉)を思う」 (詩篇1:1〜2)

b.喜びの修行
 ★使徒パウロは自らが信仰の証しのために捕らわれの身となり、獄中にありながら、外にいる人々に向かって、
「主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが喜びなさい」(ピリピ4:4)と書き送っています。
 ★使徒パウロが獄中にありながら喜んでいたように、私たちキリスト者の喜びは、環境や状況によらない喜びです。順境の時だけでなく、逆境の時にも喜べる喜びです。この喜びは、十字架を前にした主イエスの心の中にあった喜びです(ヨハネ17:13)
 ★この喜びは受身の喜びではなく、能動的喜びです。ですから、「主にあって喜べ」と言う神の命令に服従する時にのみ、エンジンが掛かる喜びです。
 ★この喜びは「信仰ゆえの艱難辛苦をも喜ぶ喜び」
(ローマ5:3)であり、「自分の弱さを誇る」(Uコリント12:9)喜びです。世の与える喜びのように、嬉しいから喜ぶ喜びでなく、感情によらず、意思によって選び取る喜びです。

 
「今までは、あなたがたは私の名で求めたことは無かった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ち溢れるであろう」(ヨハネ16:24)

 ★この喜びは信仰によると同時に、祈りによって支えられ、育てられる喜びです。主イエスの喜び、パウロの喜びは共に絶えざる祈りの生活に伴う喜びでした。

U.絶えず祈りなさい
a.キリストから離れては私たちは何もできない

 ★絶えざる祈りが私たちに必要なのは、キリストから離れては私たちキリスト者は何も出来ないからです。

 
「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。もし、人が私につながっており、また私がその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。私から離れては、あなたがたは何一つ出来ないからである」
 
(ヨハネ15:5)

 ★「キリストを離れては何も出来ない」とは、神の御前に良しとされ、神に喜ばれるクリスチャン生活そのものが、主イエス・キリストを離れては成立しないという意味です。

b.神の臨在の訓練
 ★ブラザー・ローレンスの名著「神の臨在の訓練」(日本語訳「敬虔の生涯」CLC出版)は「絶えざる神との交わり(祈り)の生活」を体得した1キリスト者の証しの本です。
 ★彼は300年ほど前のフランスの修道士です。彼は修道院の厨房の仕事をしながら、仕事と生活の中で絶えず主に祈り、主と交わる生活を体得しました。「神の臨在の中に生きる近道は、何事も神を愛するが故になすことだと言う結論に達した」と彼は語っています。
 ★主イエスが
「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(マタイ28:20)と約束していてくださるのですから、共に居られる主を信じてロレンスが実行したように、日々を主と語らいながら二人三脚の歩みをして行くことは可能であり、大きな祝福であることを彼の体験談は語っています。

V.全ての事について感謝しなさい
a.万事は最善となる


 ★
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益(原語のギリシャ語は「アガソス=善」)となるようにして下さる事を、私たちは知っている」
 
(ローマ8:28)

 ★「万事を」というと狭い意味になりますが、「万事を」というと、信仰者一人のためでなく、人のためにも、神のためにも最善という広い意味になります。
 ★私たちキリスト者の人生の途上で起きた、そしてこれから起きるすべてのことが、善行ばかりでなく、自分の失敗や罪や愚行によってもたらされたものに至るまでの全てが、善にプラスに祝福に変えられることを、この御言葉は約束しているのです。そして、その善とは、私たちキリスト者が神の御子キリストに似た者に変えられるという善き事です(ロマ8:29)。だから、私たちは起きたこと、これから起こるであろうすべてのことを主に感謝できるのです。

b.主イエスの生涯は感謝の生涯
 ★私たちの救い主にして、信仰の手本であられる主イエスの生涯は感謝の生涯でした。主イエスの祈りを見ますと、そこに感謝のことばがあります。ラザロを死後4日目によみがえらす前、主イエスはこう祈っておられます。
「父よ、私の願いをお聞きくださったことを感謝します」(ヨハネ11:41)

W.これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである
a.イエス・キリストにあってのみ、実行できる生活

 ★いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝する生活は、キリスト・イエスにあって、すなわち、キリスト信仰者となって初めて可能となる生活です。
 ★親が子供に要求することは子供に出来ることであって、子供を愛している親なら、子供に無理な要求はしません。父なる神はこの要求と同時に私達にこの御言葉を実行できる力を御霊とみことばによって与えてくださっています。

結び
 ★聖書にはサウル王のように重度のうつ病に悩まされていた人物も登場してきます。ダビデ王も自らの罪のために苦悩しました。

 ★
「私が自分の罪を言い表さなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、私の骨は古び衰えた。あなたのみ手が昼も夜も、私の上に重かったからである。私の力は、夏の日照りによって枯れる様に枯れ果てた。私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。私は言った、『私のとがを主に告白しよう』。その時あなたは私の犯した罪を赦された」(詩篇32:3〜5)

 ★19世紀の有名にして偉大な説教者であった英国バプテスト教会のC.H.スポルジョンも生涯に亘ってうつ病に悩まされていたということです。
 ★そういうわけで、キリスト者になれば心の病であるうつ病に全くかかる心配がないとは言えません。
 ★しかし、この世でのクリスチャン生活は、天の御国に入るために、多くの苦しみを通ることが定まっている
(使徒14:22)のであり、その苦難が私たちをキリストのかたちに似た者にするためにプラスになり、最善になること(ローマ8:28)を知っているならば、「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことを感謝する」生活は実行可能な生活であり、喜びと平安と希望にあふれた生活であることを体験できるのです。

 
聖書
 「彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、暗黒と深い闇から彼らを導き出して、そのかせを壊された」
(詩篇107:13,14)



RL http://31church.net
キリスト紀元2006年 2月 10日公開


16