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     メッセージ

〈15〉サタン(悪魔)の誘惑


聖書
 ★「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、40日40夜断食をし、その後空腹になられた。

 ★すると試みる者が来て言った、『もしあなたが神の子であるなら、、これらの石がパンになるように命じて御覧なさい』。イエスは答えて言われた、『「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」と書いてある』。

 ★それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、『もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りて御覧なさい。「神はあなたのために御使い達にお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう」と書いてありますから』。イエスは彼に言われた、『「主なるあなたの神を試みてはならない」とまた書いてある』。

 ★次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世にすべての国々とその栄華を見せて言った、『もしあなたが、ひれ伏して、私を拝むなら、これらのものを皆あなたに上げましょう』。するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と書いてある』。
 ★そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使い達がみもとに来て仕えた」
 (マタイ4:1〜11/参照 ルカ4:T〜13;マルコ1:12,13)


はじめに

 ★主イエスが受けられたサタンの誘惑は、キリストとして公生涯に入られ、ヨハネのバプテスマ(洗礼)を受けられた直後の出来事でした。
 ★罪のない神の御子イエスが洗礼を受けられたのは、私たち人類の罪を取り除く神の子羊として、罪人の一人に数えられ、十字架の上で罪のあがないの死を遂げられるための第一歩でした。そして、このようにして、主を信じて主に従おうとする私たちに手本を示されました。
 ★罪の無い神の御子イエスが、サタンの誘惑を受けられたのは、最初の人間アダム(とエバ)がサタンに負けたことによって人類が失った神の子供の身分と永遠の命を私たちの代表として神への従順によって、サタンに勝って回復するためでした。
 ★聖書は主イエスが、罪を除いて私たちと等しくなられた、と言っています。人間になられたと言うことは、私たちと同じ霊・心(精神)・からだを持っておられるということです。霊が神であり、精神と身体だけ人間というのでは、私たちと等しくなられたことにはならず、サタンの誘惑に勝っても、私たちの代表として勝利された事にはなりません。
 ★人間としての主イエスは決してスーパーマンではありません。空腹な時には、石ころがパンに見える私たちの一人のような人間になられたのです。
 ★サタンの誘惑は父なる神の救いのご計画の中で、サタンが願い出て
(ルカ22:31)、聖霊に導かれ、主イエスの従順によって起きた出来事でした。
 ★御霊に満たされ、御霊とみことばの導きの中で、祈りつつ御言葉の剣を手にして、主はサタンとの戦いに臨まれました。

T.第一の誘惑
A.サタンのねらい

 ★、「もしあなたが神の子であるなら、、これらの石がパンになるように命じて御覧なさい」
 ★第一と第二の試みの中で、サタンは「もしあなたが神の子であるなら」と前置きを言っています。
 ★洗礼の直後、天から「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」という父なる神の声を主は聞かれました。
 ★サタンはこう言おうとしているようです。「あなたが神の子であるなら、父なる神はなぜ荒野で40日も断食させて飢えさせるのか。神の子としての力を今こそ発揮して、石をパンにして飢えを解消してはどうか。人類救済には食糧問題が急務ではないのか」。
 ★主イエスはこれに対して、「人はパンだけで生きるのでなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのだ」と答えられました。
 ★このみことばは申命記8:3のことばです。ここで、聖書は神がイスラエル民族に40年間荒野で苦難と飢えを体験させたのは、民に天からのパン・マナを食べさせ、人が生きるのは神の御心(みことば)によるのだと言うことを悟らせるためだと教えています。神の御心でないなら、人は有り余る食料を持ちながら死なねばなりません。

 
B.この誘惑の私たちにとっての意味
 ★私たちにとっては、この誘惑は「神と富とのどちらを選ぶか」、その選択を迫る試みです。人は神と富との二股をかけた人生を選ぶことは不可能です
(マタイ6:24)。富を選んだ者は、貪欲を選んだのであり、「貪欲は偶像礼拝です」(コロサイ3:5)
 ★神と富との両方に色目を使う二心の者を主は憎まれます。
「二心の者よ。心を清めよ」(ヤコブ4:8)

U.第二の誘惑
A.サタンの能力と御言葉の用い方

 ★「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りて御覧なさい。『神はあなたのために御使い達にお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう』と書いてありますから」。
 ★この誘惑に先立って、「悪魔は主イエスを聖なる都(エルサレム)に連れて行き、神殿の頂に立たせた」とあります。第3の誘惑の時は、ルカによると「またたく間に世界の栄華を全部見せ」とありますから、この2つの誘惑の際、サタンがしたことは、現実にエルサレムの町に主イエスを連れて行ったのではなく、幻によって見せたようです。
 ★聖書は、この時主イエスに幻を見せたように、サタン・悪魔には奇跡を行う超能力が与えられていることを認めています。黙示録には、サタンが反キリストやニセ預言者に奇跡を行なう超能力を与えることが預言されています
(黙示録13:1〜15)
 ★マジシャンやイリュージョニストの中には悪魔礼拝を通して獲得した古来の魔法を用いて人々を驚かしている人々
もいるようです。
 ★主はこの誘いを「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」と申命記6:16の御言葉の剣でサタンを撃破されました。
 ★この誘惑から分かることは、サタンは聖書の言葉を使って人を誘惑することがあると言うことです。しかし、この場合のようにサタンは御言葉を捻じ曲げ、曲解します。サタンが引用した言葉は詩篇91:11,12にあります。しかし、この言葉は前後をよく読み、文脈の中で理解すれば、決して、サタンが提案するような無謀なことを人に勧めることばではありません。このみことばは、「いと高い方・神の隠れ場に住む者、全能者の影に全面的信頼をよせてやすむ者」への安全の約束です。決して、無謀な行動を奨励する言葉ではありません。
 ★サタンのこの働きから、世に出回っている異端と非聖書的教えの数々はサタンが原作者であることがわかります。

 
B.この誘惑の私達にとっての意味
 ★神の守りは御心に従い、御言葉を守る者への守りであって、危険の中に自ら進んで飛び込んで、主からの守りを期待するのは、主を試みる罪であり、信仰の乱用であることを、学ばなければなりません。

V.第三の誘惑
A.サタンの虚実

 ★「もしあなたが、ひれ伏して、私を拝むなら、これらのものを皆あなたに上げましょう」。
 ★ルカ4:6を見ますと、「国々の権威と栄華
は、私に任されていて、誰でも好きな人に上げてよいのです」とサタンが言っております。
 ★サタンのこの言葉はある意味では本当です。聖書も
「全世界は悪い者(サタン)の支配下にある」(Tヨハネ5:19)と言っています。この世と世の人々が罪を犯している限り、世はサタンの支配下にあります。残念ながら、この世は金銭を愛し、サタン(偶像)を礼拝する者が成功しやすいようになっています。
 ★上記のサタンの言葉は同時に間違いです。ローマ13:1は、「神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだ」と言っています。
 ★比較的に善い政治を行っている国家も悪政の国家も、神によって立ち、また倒れます。

 
B.この誘惑が教えること
 ★
サタンは人々からの礼拝を求めているということ
 ★聖書は「偶像の神々の正体は悪霊どもである」ことを暴露しています
(Tコリント10:20)
 ★人々が偶像を拝むうちに人々はその拝む偶像に似た者になります
(詩篇135:15〜18)

W.サタンの誘惑に対する主イエスの勝利に学ぶ
 
A.主イエスは御言葉の剣でサタンを撃退された
 ★アダムとエバがエデンの園という快適な環境の中でサタンの誘惑に負けて、人類に罪をもたらしたのに対して、主イエスは野獣が徘徊する
(マルコ1:13)荒野で、しかも40日40夜断食して空腹に悩まされている状態の中でのサタンとの対決で勝利されました。
 ★しかも、その勝利は私たちにも使う事が許されている御言葉の剣と祈りと信仰と御霊の充満によるものでした。
 ★御言葉の剣を自由自在に振るってサタンを撃破するためには、計画的に御言葉を通読する習慣をつけ、必要な御言葉が必要な時に口をついて出るまでに親しんでおきたいものです。
 ★私たちキリスト者の戦いは人との戦いではありません。第一の敵はサタンとその配下にいる悪霊共です。
 ★サタンはアダム以前からこの世にいてずる賢い知的存在ですから、侮ることはできません。しかし、主イエスの側に付く者にとっては、サタンは恐れる必要はありません。主と共に歩んでいる限り安全です。

 
B.主は私たちと同じ試練に会われ、涙と叫びの祈りによって従順を学ばれた(ヘブル5:7〜10)私たちの手本であり、私たちの同情者であり、深い理解者です。
 ★ですから、時宜を得た助けを得るために祈りとみことばによって絶えず主の下にゆきましょう。

 ★
「この大祭司・主イエスは、私たちの弱さを思いやることの出来ないような方ではない。罪は犯されなかったが,すべてのことについて、私たちと同じように試練に会われたのである。だから、私たちは、憐れみを受け、また、恵みに与って時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(ヘブル4:15,16)

結び

 ★主イエスの地上生活は誘惑と困難の連続でした。主のみ足の跡に従う私たちキリスト者の生涯も苦難を免れません。なぜなら、聖書が
 「私達が神の国に入るには多くの苦しみを経なければならない」(使徒4:22)
 と教えているからです。
 ★私たちキリスト者は天に国籍を持つ者であり
(ピリピ3:20)、地上ではサタンという敵を持つ旅人、寄留者(ヘブル11:13)です。この世は、天の御国に入る日まで私たちをみがいてくれる人生道場です。



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キリスト紀元2006年 1月 20日公開


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