ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ


〈14〉キリストの在りのままの姿を見る


聖書
 「愛する者たちよ。私達は今や神の子供である。しかし、私達がどうなるのか、まだ明らかではない。キリストが現れる時、私達は自分達が彼に似た者となることを知っている。なぜなら、私達は彼のありのままの姿を見るからである」    1ヨハネ3:2

 「今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。しかし、主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして、主の霊があるところには、自由がある。私達はみな顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行く。これは霊なる主の働きによるのである」。      2コリント3:15〜18


はじめに

 ★私たちキリスト者の人生の目標はキリストに似た者になることです。
 
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似た者にしようとして、あらかじめ定めてくださった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった」。ローマ8:29

キリストに似た者になる方法
 T.ありのままのキリストに日々出会う
 ★キリストに似た者になる方法は、キリストのありのままの姿を見ることです。人は自分の拝む対象に似て来ます。
 
「彼らの偶像は銀と金で人の手のわざである。それは口があっても語ることが出来ない。目があっても見ることが出来ない。耳があっても聞くことが出来ない。・・・これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる」。詩篇115:4〜8

 ★キリスト教会の迫害者だったサウロは、ダマスコへ向かう途上で、復活の主に出会った結果、使徒パウロに生まれ変わり、「私がキリストに習っているように、あなた方も私に習う者になってほしい」と人々に説く伝道者となりました。
 ★私達は使徒パウロや他の使徒たちが見たように復活の主を見る事は出来ませんが、主の日の礼拝毎に、また日々の静思の時(デボーション)毎に、聖書の学びと祈りと賛美の中で主に出会うことが出来ます。
 ★モーセは40日40夜、シナイ山上で主と対面し、語り合った結果、彼の顔の皮膚から光を放つようになりました。それで、モーセは民の恐怖を静めるために、民と語る時には顔に覆いを掛けねばなりませんでした
(出エジプト34:29〜35)
 ★このモーセの場合のように、私達が主に顔を向け、そして絶えず向け続ける時、私たちは主の光を受け、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられて行くのです。これは、み言葉と共に働く主の御霊のわざなのです。

 U.いつも主を思う
 ★また、礼拝や日々の静思の時に主を思い、主に心を向けるだけでなく、日常生活の中で、いつも主を思うことも、主に似た者になるために役立ちます。
 
「ダビデの子孫として生まれ、死人の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。これが私の福音である」。Uテモテ2:8
 また、いつも主を思うことは、ブドウの幹なる主につながる枝として、信仰によって主につながっていることです
(ヨハネ15:1〜12)

 V.心の思いを清く守る
 ★主は、偽善のパリサイ人に言われました、
 「マムシの子らよ。あなた方は悪い者であるのに、どうして良いことを語ることが出来ようか。おおよそ、心からあふれる事を、口が語るものである」(マタイ12:34)
 内面も外面も、からだも心も主に似た者となるためには、心の思いを清く守る必要があります。

 
「兄弟たちよ、すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて真実なこと、すべて誉れあること、また徳と言われるもの、称賛に値するものがあれば、それらのことを心に留めなさい」(ピリピ4:8)。

 W.真実の福音と「ありのままのキリスト」を見つめ続ける
 ★「罪は不法であり、律法に逆らうことです」
(Tヨハネ3:4)。また主イエスは「私を愛する者は、私の戒めを守るはずだ」(ヨハネ14:15)と言われました。すなわち、主のみことばを守らない者は、主を愛さない者、主を憎む者です。主を憎む者が主に似た者になれるはずがありません。
 ★主は

「人は神と富との両方に仕えることは出来ない。一方を愛する者は他方を憎む」(マタイ6:24)
と言われました。また、聖書は
「金持ちになりたがる者は、誘惑とわなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまな恐ろしい情欲に陥るのである。金銭を愛することは、全ての悪の根である」(Tテモテ6:9,10)

と言っています。ですから、「イエス様を信じるものは、金持ちになる」と説く福音はニセの福音であって、主イエスの福音ではありません。そのような偽りの福音に耳を傾ける者は、キリストにではなく、偽りの父サタン
(ヨハネ8:44)に似た者になってしまいます。そのような人々は、世の終わりの日に主に出会った時に、主と同じ姿に変えられるどころか、主から、「私はあなた方を知らない。私のもとを去り、ゲヘナ(地獄)へ行け」と言う宣告を受けることになるでしょう(マタイ7:21〜23)
 ★キリストに似た者になるためには、聖書が語るままの偽りの無い、真実の福音と、聖書が語るままの「ありのままのキリスト」を見上げ、見つめ続ける者でなければなりません。
 ★主のありのままの姿を見つめ続け、主のみことばを削ったり付け加えたりせず、ありのままを受け入れ、実行する者こそ主が山上の説教で語られた「岩の上に家を建てた賢い人」なのです。世の終わりの日に主から「善かつ忠実な僕よ。永遠のいのちに入れ」と言うお言葉を聞くことになるでしょう。

 終わりに
 ★「私が聖
(きよ)くあるように、あなた方も聖くありなさい」と主は言われます(Tペテロ1:16)。日々みことばと御霊により自分を聖める者は、「今や私達は神の子供です」と言うことが出来ます。キリストを長子とする神の家族の一員であり、王なるキリストと共に神の家のプリンスであり、プリンセスです。



URL http://31church.net
キリスト紀元2003年 9月 30日公開


14